19世紀の経済史研究
1800 1850 資本主義の成立
技術革新と産業革命
工業社会への移行
自由貿易体制資本主義の展開
工業化の進展
帝国主義と植民地
日本の明治維新
経済史は19世紀ドイツの歴史学派(Historical School)のなかから生れたと先に説明した。ここでは歴史学派について若干考察するとしよう。 ドイツの歴史学派は、リストの学説によって先導されたとみられているが、1870年ごろに全ドイツを風びし、学会や大学などの学術機関においてほとんど反対者をみなかったという。チュビンゲル大学の教授であるリスト、ライプチヒ大学のロッシャー、ジェナァ大学のヒルデブラント、ハイデルベルグ大学のクニースらは初期歴史学派代表者として知られている。かれらの伝統は、シュモラー、ビュッヒァー、ゾンバルトらに引き継がれて一層発達した。歴史学派の学説は、やがて海をこえ、イギリスに伝播された。クリーフ・レスリー(Cliffe Leslie) が通念批判にこれを援用し、カニングガム(William Cunningham)やトインビー(Arnold Toynbee)らが産業発展の説明にこれを適用した。歴史学派はイギリスをへて、アメリカに導入されているが、その実践的性格から、ウィッテ執政時代のロシア工業化政策の指導原理にも利用されたという。
経済史では歴史学派の経済発展段階説が重要視されてきた。発展段階は、経済発展を一定の基準によって若干の観察単位ないし段階に分ける。しかし、歴史学派は一つの段階から次の段階へ移行するうえで、その継起性を重視するが、ある段階から次の段階へ移行する必然性を重視しない。各段階に対応するそれぞれの理論の構築で発展法則の類型的把握が行われた。これらの発展法則によって歴史の発展過程を有効に説明できると主張する。以下つづけて歴史学派のおもな経済発展段階説を若干列挙する。
フリードリヒ・リスト(Friedrich List,1789-1846)は、その名著『経済学の国民的体系』(1841)、『農業制度』(1842)、『ドイツ人の政治的・経済的国民統一−政治経済学上の遺書』(1845-46)を残している。これらの著書において主張されている経済発展段階説は、生産力の観点から立論し、つぎのように経済の発展状態を区別する。野蛮状態・牧畜状態・農業状態・農工業状態・農工商業状態の5段階である。
ブルーノ・ヒルデブラント(Bruno Hildebrand,1812-78)は、『現在および将来の国民経済学』(1848)において、交換経済の発達を重視し、自然経済・貨幣経済・信用経済の3段階説を主張した。
グスタフ・フォン・シュモラー(Gustav von Schmoller,1838-1917)は、『重商主義とその歴史的意義』(1884)などの著書において、政治組織を重視し、村落経済・都市経済・領邦経済・国民経済・世界経済などの5段階説を展開した。
カール・ビュッヒァー(Karl Bucher,1849-1930)は、『国民経済の成立』(1892)を著し、財貨の流通過程いかんにより、家内経済・都市経済・国民経済などの3段階を考えた。
ウェルナー・ゾンバルト(Werner Sombart,1863-1941)は、歴史学派の新派代表と見られているが、大著『近代資本主義』(1902)を著している。氏は経済史学研究の理論的基礎として、経済組織を導入し、異なる経済組織(economic system)には、それぞれ異なる経済的歴史時代(economic epoch)が対応するものと主張した。経済組織と経済時代の二概念を運用して、氏は歴史的過去を前資本主義(pre-capitalism)および近代資本主義(modern capitalism)とに区別し、諸現象について分析した。前資本主義は、たとえば中世時代にみるがごとく、欲望の充足・伝統的精神の支配などを特徴とするが、近代資本主義は、近代社会においてみるがごとく、営利・合理的計算などを特徴としているという。
ウェーバー(Max Weber,1864-1920)は、経済学の方法として、理論と歴史を明確に区別し、経済史学の研究に理想類型(ideal type, 理念型ともよばれる)概念を用いた。この概念は現実の具体的なできごとや事件と関係なく、観念的に定義されるものである。たとえば資本主義精神の理論は、類型的研究の重要な成果とみられる。ウェーバーは経済の内部構造を重視し、家計と営利を経済の二根本類型とみる。そして家計は自己需要の充足を求め、企業は利益のチャンスを追求するが、どちらも合理的資本計算によって特徴づけられる。
さて、「現代の経済史研究はすべてマルクスに回帰する」と指摘されるほど経済史の発展に対するマルクスの影響力は甚大である。日本での影響は先に説明したとおりである。マルクス(Karl Marx,1818-1883)は、自著『経済学批判』のなかで、経済的社会構成をアジア的・古代的・封建的および近代ブルジョア的に大別している。人間社会は、これらの段階を順次経験して進歩していくものとされる。社会の経済基盤とイデオロギー的上部構造は区別され、後者は、前者の産物とする。「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。」(マルクス『経済学批判』訳書、1956,13ページ)このように経済的要因の重要性を強調し、それが歴史的変化に決定的影響を及ぼすという。経済が歴史を突き動かすとする考え方は経済史研究の有力な発想ないし拠所を提供してきた。
20世紀の経済史研究
1900 1950 資本主義の発展
第1次世界大戦
社会主義の出現
世界大恐慌
日本資本主義論争資本主義の成熟
第2次世界大戦
高度経済成長
ソ連の体制崩壊
経済の情報化とグローバル化
ヨーロッパ史学界では、20世紀、特に20年代以降、19世紀的な問題の立て方と理論化に多くの疑問が提起された。もっと徹底的に実証的な史料操作により、史実へのキメこまかい肉づけがおこなわれ、その多様性が時代別・地域別にますます明らかとなってきた。総じて「古典学説の動揺」と呼ばれるのが、それである。・・・もはや既成の「経済史」や「法制史」の諸概念だけではきわめて不十分だということがわかり、その諸業績をも慎重にふまえた上で、もっと包括的な新しい社会史的観点の必要性が痛感されてきたわけである。 社会史研究を重視した増田四郎氏は新しい研究動向の背景をおよそ次のように説明した。
- 19世紀のドイツを中心とした近代歴史学の主流は、・・・何よりも国民国家中心の事件史・外交史・政治史であったことへの反省がある。歴史を推し進める力は、なるほど事件や戦争や政治によるところが大きいであろうが、それにも増してもっと基本的な底力となっているのが、事件や政治をささえている民衆の経済や社会秩序である・・・「原体験的のもの」を問う・・・多用な社会集団のトータルな理解・・・「地域史」的研究の必要からあたらしい「比較社会史」の道を工夫する必要が出てくる。
- 19世紀以降、社会諸科学の極端な分化・専門化は、現実社会の動向についての総合的判断の実効力を弱めるにいたった・・・政治史・経済史・法制史等々が各自の学問体系を作るのに専念したため、各時代・各地域におけるそれら相互の結びつきの様相が見失われ・・・また西ヨーロッパの史実を素材としての既成諸概念への内在的な再吟味が必要となり、・・・世界諸地域社会の変容に即して比較検討する新しい社会史の方法が考え出されなければならない。
- 20世紀の20年代以降、人間不在の歴史論に反省をうながし、歴史の対象は、ほかならぬ「人間たち」、つまり「組織された人間集団」にほかならず、そうした人間集団の存立する多種多様な地理的・風土的な環境ないし基盤を正しく知ることを通して、「過去による現在の理解」と「現在による過去の理解」とを結びつけ、主体的な問題意識から発した現在と過去との生きた総合を試みる主張がなされてきた・・・およそ社会集団の在り方を立証するすべての分野に、考察の、目を向けなければならない。 (増田四郎『社会史への道』1981、社会史志向の諸系譜参照)
経済学の分析道具は第2次世界大戦後において飛躍的な発達を遂げた。これらは経済史研究の分野にも適用された。後に取り上げる数量経済史とか計量経済史のような新しい分野が誕生した。その背景として世界情勢の動きや経済変化それに科学技術の急速な発達が横たわっていることに注目したい。
20世紀の経済学はケインズ(John Maynard Keynes,1883-1946)理論の登場で研究方法と考え方に革新的な変化がもたらされた。伝統経済学が完全雇用経済を前提に市場の調和を考えるのに対し、ケインズは1930年代の世界大不況を踏まえてマクロ政策重視の不完全雇用経済を主張した。有効需要不足に対する政府の経済的役割重視や総需要管理を中心とするマクロ政策の展開などの主張は経済学の政策的性格の強化につながった。理論と歴史の結合ないし融合にも道を開いた。
ロビンソン(Joan Robinson,1903-1985)は、ハロッド(Roy Forbes Harrod,1900-78)とともにケインズ理論の普及に貢献したが、「社会史」などの著作で独自の社会経済発展説を提示している。経済学者ヒックスにいたっては『経済史の理論』まで著した。また、計量経済学及び数量経済学も歴史研究に適用されているがこれは後に再び言及する。このように経済理論と経済史の結合ないし融合が絶えず試みられてきたのである。
経済史と経済学 歴史経済学は過去の経験を対象とする実証研究である。いわば過去の経済学である。経済理論と経済史を融合させる研究として注目される。 最近では制度の変化研究ないし経路依存性の見方それに計量または数量的手法による新しい経済史の研究が登場している。 |