次世代デジタル教科書共通プラットフォーム開発コンソーシアム「CoNETS」

 2013年9月5日付で次世代デジタル教科書共通プラットフォーム開発コンソーシアム「CoNETS」(コネッツ)が発足したようです。

 ニュース報道やコンソーシアムのお知らせによると,教科書会社12社と日立ソリューションズが参画し,これまで各教科書会社の固有製品としてバラバラに開発してきたデジタル教科書を共通に開発するためのプラットフォームづくりで協業するということのようです。

 これに関しては業界が足並みを揃えるというニュースとして伝わり,好意的な反応もあれば,いままでどうして共通化していなかったのかという素朴な疑問や,ニュース報道で取り上げられた従来のデジタル教科書の使い難さに非難の声が上がるなど,注目を集めることによる様々な反応が出てきているようです。

 教科書というのは,国が定めた学習指導要領に準拠しているかどうかをチェックする検定に合格した教育用図書であり,教科書会社は教材商品として個々のノウハウのもと教科書を編集して検定を通し,学校に採用してもらうという努力をしてきました。

 デジタル教科書は,まだ海のものとも山のものとも分からない状況ですが,指導者用のデジタル教科書についてはICT活用が奨励されてきた流れもあって,5年ほど前から検定教科書とは別に学校向け商品として開発販売が始まったわけです。

 そのため,各社でデジタル教科書の機能も操作性も違っており,皆さんが報道でご覧になったように合わせて使うと大変な事態を招いていたというわけです。

 しかし,デジタル教科書自体の導入がそれほど進んでいたわけでもなく,まして各教科(各社)のデジタル教科書を揃えて導入することも従来までは事例が少なかったため,そのような組み合わせて使う苦労の問題は水面下のものだったのです。

 そして,いよいよICT機器やタブレット機器の学校への導入が賑やかになってきた今日になって,こうした問題に本格的に取り組むタイミングとなったことがコンソーシアムの発足などに繋がったのだと思います。

 実際,文部科学省でもデジタル教科書の標準化に関して取り組みが進行中です。そういうものにも繋がっているわけです。

 さて,ところで,教科書会社12社が団結して…というニュースに,一般の人々は「それはすごい」と思われたかも知れません。今回参画したのは…

 大日本図書株式会社  実教出版株式会社  開隆堂出版株式会社  株式会社三省堂  株式会社教育芸術社  光村図書出版株式会社  株式会社帝国書院  株式会社大修館書店  株式会社新興出版社啓林館  株式会社山川出版社  数研出版株式会社  日本文教出版株式会社  日立ソリューションズ  以上,教科書会社12社と開発企業1社です。

 しかし,そもそも日本には教科書会社というのはいくつあるのでしょうか。  文部科学省の教科書目録(平成25年)を参照すると,日本で教科書を発行しているのは50者となります(個人も含むので「者」となります)。

 50者の中の12社と考えると多いような少ないようなですが,ほとんどの発行者は特定学校種や特定科目(高校の選択科目など)の教科書を発行している感じですから,主要プレーヤーとなると限られてきます。

 たとえば50者のうち小学校・中学校・高校の教科書を発行しているのは…

 東京書籍  大日本図書☆  開隆堂出版☆  三省堂☆  教育出版  教育芸術☆  光村図書出版☆  帝国書院☆  啓林館☆  日本文教出版☆

 です。そして星印が今回のCoNETSに参画している会社となります。主要プレーヤーのかなりが参画しているけれど,東京書籍と教育出版が欠けているという結果。

 業界的にはいろいろ深読み出来そうな内容ですが,多様性もまた大事なことですので,EPUB3をベースに切磋琢磨していただければと思います。

 今回,共通プラットフォームという言葉が使われているので,それ自体が日本だけの独自規格になるんじゃないかとご心配されている方もいます。

 実際には,EPUB3が教科書コンテンツのベース規格になりますので,このコンソーシアムで開発したデジタル教科書であっても,中身のEPUB3部分を取り出して他社のビューアやプラットフォームソフトで使用することが原理的には可能です。

 コンテンツ部分とビューア部分の標準化が課題とされていますが,コンテンツ部分はEPUB3で統一しつつ,ビューア部分で各社が相乗りするというのが今回の動きなのです。

NHK for School(NHK学校放送Webサイト)動画がiOS対応

 NHK学校放送は長い歴史を持つ教育放送です。

 また,教育番組やコンテンツを対象とした世界コンクール「日本賞」の存在は,この国が教育放送に対して常に努力を怠らなかったことの証であり,事実,NHKの学校放送は時代時代に沿いながらも教育番組としての矜持を守り続けてきました。

 もちろん,昨今の番組センスに違和感を感じる人々も少なくないかも知れません。過去の教育番組と比べると,つくりが甘いのではないか。演出が飛びすぎてないか。実際には,教育番組らしさという伝統を継承しつつも,テレビ番組として同時代的なものからの影響も無視出来ない中で,試行錯誤が続いています。

 ところで,昨今では放送中の教育番組については,放送済み回をWebサイト上でも公開しています。それが「NHK for School」というサイトです。

 ここには各教育番組のWebページがあり,放送済みの動画だけでなく,先生達の授業づくりに参考となる資料や授業で使用出来る補助教材,デジタルコンテンツが用意されています。これらは登録する必要もなく無料で利用出来ます。

 パソコンからアクセスすれば,教育番組を放送時間に関係なく視聴することが出来ますし,用意された教材や素材を提示することも出来るわけです。

 実は,従来までのNHK for SchoolはFlash技術をメインにサイトを構築してきたため,パソコンからの閲覧には問題ありませんでしたが,タブレット端末やスマートフォンから閲覧するといくつか表示出来ない箇所がありました。

 動画もタブレット端末から再生出来ませんでした。

 せっかく教室に持ち込みやすいタブレット端末が登場したにも関わらず,教育番組の動画再生が出来なかったことは,学校関係者にとっては大きな落胆でしたし,学校放送関係者にとっては大きな課題でありました。

 昨年あたりだったでしょうか,NHK for Schoolも少しずつHTML5対応を強化し始めていました。トップページの番組表も,当初はFlash技術だったためiPadでは見ることも出来ませんでしたが,HTML5技術に切り替えて見られるようになりました。

 その後,いくつかの教材コンテンツをHTML5技術で試作するなど,可能性の模索は現在も続いています。

 懸案の動画のiPad対応ですが,これはすぐに対応するということが難しく,要望や技術的な状況を見ながら対応のタイミングを待っていたようです。

 技術的には2011年後半ごろからFlash動画を送信するサーバーシステムが,iPad向け形式に対応する改良が加えられ始めたので,そうした新しいサーバーにシステムを買い替えて作業することで実現する目処が立っていました。

 というわけで,2013年8月下旬頃から教育番組のiPadとiPhone向け動画配信が実現したようです。インターネット接続さえ確保出来れば,iPadなどで手軽に教育番組を再生出来るようになります。

 NHK for Schoolのメールマガジンでも「NHK for Schoolの動画、iPhoneやiPadでも再生可能に」というお知らせが掲載され正式発表となりました。

 そろそろ新しいiPadも発売される時期です。先生方が教室の授業で利用することを見越して新規購入する例も増えるのではないでしょうか。

 学校にインターネット接続がない場合は,携帯電話会社との回線契約を合わせて購入することでLTE接続による動画視聴を可能にする方法もありそうですね。

 残念ながら,今回の変更で対応しているのはiPadとiPhoneなどのiOS機器のみ。Androidタブレットも対応出来るのではないかと思ったのですが,現時点では再生出来ないというメッセージが出て使うことが出来ません。

 さてと,iPadで「さんすう刑事」を観よっと。 ^_^

『ディジタルネイティヴのための近未来教室 −パートナー方式の教授法−』

 翻訳書をご恵投いただきました。「デジタル・ネイティブ」という言葉の生みの親でも知られるマーク・プレンスキー氏の”Teaching Digital Natives: Partnering for Real Learning“という本の邦訳『ディジタルネイティヴのための近未来教室 −パートナー方式の教授法−』です。

 タイミングが悪くて,さっそく書店で購入してしまったあとで,職場に戻ったら届いていました。ははは…。いずれにしてもありがとうございました。

 翻訳者グループである「情報リテラシー教育プログラムプロジェクト」を存じ上げていなかったので,書店でお名前を確認しても,残念ながらお名前を知っている方がいない。

 調べてみると東北大学の大学院情報科学研究科における「情報リテラシー教育専門職養成プログラム」の関係者の方々だそうです(現在は「情報リテラシー教育プログラム」に変更)。

 情報リテラシー教育の現場にとっても,新しい教育方法を導入することが喫緊の課題という問題意識があったようで,そこで翻訳者グループが出会ったのがこの本ということのようです。

 ところで「パートナー方式」と訳された「partnering」とは何でしょうか。まったく新しい教授方法でしょうか。

 パートナー方式が意図しているパートナーとは「生徒と教師が対等な関係でバディを組む」ことです。本書ではバディという言葉は使ってませんが,お互いの存在を尊重し,それぞれの役割で力を発揮できるように高めあう関係だと考えてよさそうです。

 そういう関係にある生徒と教師が展開する互恵的な学習と指導が「パートナー方式」の教授法という事になります。

 実際のところ,プレンスキー自身も著書の中で,従来の様々な教授方法と多くの部分が重なると記述しています。たとえば「生徒中心学習」「問題解決学習」「プロジェクト学習」「事例体験学習」「探究学習」などの名前を挙げているのです。

 つまり,本書はこれまで様々提案されてきた指導方法や教授方法を「partnering」という考え方で再整理し,まとめたものといえます。  同様に,教育おける様々な「不易流行」の要素を「動詞スキル(不易)」「名詞ツール(流行)」として提示しているといった感じになっています。

 ちなみに「動詞スキル」とは行動目標や学習場面のような生徒が達成すべきスキルのことで,「名詞ツール」とはそのために使用する道具のことです。

 用語が独特なため邦訳語の選択はかなり苦労されたようですが,プレンスキーがこの本で企図したことは大変シンプルで,積もり積もったリソースを先生達に見通しやすいように多くのTipsとともに提示し直したということです。

 プレンスキーの考えとしては,「partnering」も教師の動詞スキルとして捉えたかったのであり,日本語にした時の「パートナー方式」では教授法における名詞ツール的な印象が漂ってしまう点が難しいところです。

 (追記:つまり,パートナー方式というのは流行り廃りするものではなく,教師の本質的な技能として根ざしているものだと考えたいわけです。)

 「Real Learning」という原題の言葉にあるように,現実と直截的な学習がこれからのデジタルネイティブ達の教育にとって重要であると考えているわけですが,それは同時に,訳者の解説にもあるように,デジタル移民にとっても従来までの様々な経験と責任の今日的な見直しを迫る学習も含んでいるのだと思います。

 多少手強いですが,なかなか興味深い本です。

デジタル教科書の導入と効果の議論

 文部科学省の平成26年度予算概算要求が公表されました。

 国家のIT戦略から「教育の情報化ビジョン」に至る政策の反映として,「情報通信技術を活用した新たな学び推進事業」の要求枠が設けられています。

 ちなみに,総務省では「ICTによる社会的課題の解決と豊かな生活の実現」という施策の中で「教育分野におけるICTの活用」の枠が用意されたようです。(これに対応する文部科学省側の枠は「先導的な教育体制構築事業」)

 文部科学省にしても,総務省にしても,どちらも「新しい日本のための優先課題推進枠」として要望を出すかたちにしています。 —  文部科学省の事業イメージによると…

確かな学力の育成に資する授業革新促進事業 〈補助事業:補助率1/3〉 H26要望額:17億円 3年間で100地域(H26:40地域)を拠点地域に指定 ICT教材を積極的に活用して、子供たちにとって楽しくわかる授業等を実施 40地域×@1.3億円×1/3(補助率) ※主な対象経費 協議会の開催、教材費、外部人材(ICT支援員等)の配置、備品 等 ○具体的な取組例 企業等が協力した教材を用いた楽しく学べる授業の実施 離島や外国などとの交流や協働学習を実施 ICT機器を活用した授業サポーター等として外部人材を配置

 となっています。

 (※なお,これは概算要求段階の内容で,今後却下される可能性も残ります。)

 これに対応する新聞報道としては…

タブレット端末購入に補助…ICT教育で文科省」(読売新聞)

 があります。またいくつかの地方自治体がタブレット端末の学校への導入を準備しているといった報道もチラホラと流れてきて,ふたたびデジタル教科書界隈が慌ただしくなってきた感があるようです。

 さて,そんな動きもあってか,ここ数日,言論プラットフォーム「アゴラ」上でこんな議論が展開されています。

 「1人1年1万円でデジタル教科書を — 中村 伊知哉
 「デジタル教科書の導入を急ぐ前に – 辻元
 「デジタル教科書のメリット・デメリットなど、今さら議論は不要 – 山田肇
 「(続)デジタル教科書のメリット・デメリットなど、今さら議論は不要 – 山田肇

 中村節はいつものことなので置いとくとして,辻氏と山田氏の発言は,真っ当な部分と当てが外れてしまっている部分とが混在していて,モヤモヤ感が満載でした。

 辻氏の実証実験など研究成果をもとにした丁寧な議論を…という呼びかけは正しいものと考えます。ただ,この手の実証実験を納得のいくかたちで実現するのは大変困難で,多様な変数を統制して学力向上の結果を得る発想の研究成果を導入の是非に採用するのは,あまり得策ではないように思います。

 一方,山田氏の学習指導要領を根拠とした記述は辻氏への返答としては雑過ぎで,続く記事で挙げた効果に関する研究知見はご同僚の松原氏の報告やかつてメディア教育開発センターが受託研究した成果を引用したスライド,フューチャースクール推進事業のガイドラインを示してはいるものの,これも思いつくところ検索して紹介した感が強過ぎて雑に見えることが残念です。

 コメントで展開する議論を眺めても,どういうデジタル教科書あるいはICT機器を,どんな対象に向けて,どういう目的で使用するのか,議論がごちゃまぜなので,良い部分もあれば悪い部分もある中で,あとは各人が好き勝手に摘み食いしながら発言が展開してしまっています。

 先日「学習支援という補助線」を踏まえて,学習支援あるいは学習保証(学力保証以前の学習する・出来ることを保証すること)を真剣に考えることが,教育におけるICT活用に対するフレームワークを再構築するのに役立つのではないかと私は書きました。

 まだ全体の見取り図は描けていませんが,「学習支援・保証」「知識定着」「知識構築支援」「指導向上」といった効果セグメントを明確に分けて考える必要があるのではないかと考えています。

 もちろん学年,学校種といった発達段階の違いについても掛け合わせ毎に丁寧な区別をした議論を展開すべきと思います。ICT機器の特性もモノによって異なるでしょう。

 その上で,ICT機器導入の根拠を求める際には,学力に対する効果といった漠然とした問いを避けるよう啓蒙しなければなりません。少なくとも上記の効果セグメントのいずれかに焦点をあてて,その範囲に限って効果がどうあるのかを主張すべきと考えています。

 そういう意味では,辻氏が指摘するように,その前提での実証的な研究の成果を早急に示すべきでしょうし,あるいはこれまでの成果をそのような枠組みで見直して提示する必要があるのだろうと思います。

 今さら議論は不要という主張は,政策的な推進を優先する立場からすれば自然なことなのかも知れませんが,残念ながら世の中には政策に重きを置く研究者ばかりではありませんので,今さらどころか,今から議論が未来永劫続くことを覚悟していただかなければなりません。

(追記:20130901)  辻氏からの返答「コンピュータ支援教育の問題点について – 辻元」が公開されました。懸念点を「主体的な思考の育成には役立たない/注意散漫さを助長する」といったところに焦点化して書かれたようです。

 児童生徒が常時端末を携帯し,あらゆる学習の場面に利活用する情景を思い浮かべていらっしゃるようですが,学校がそのような条件で端末を使用するためには,それなりの学習規律が育成されていると考えるべきでしょう。またそうでなければ,利活用の場面をある程度制御して使わせるのが学校教育として当然の受け入れ方です。

 デジタル教科書議論をされる方々の中には,学校教師の経験者や塾講師の経験者の方もいらっしゃるはずで,授業づくりや学習場面設定が到達目標をまったく無視して行なわれることはないことぐらい理解しているはずですが,議論になると未経験者も入り乱れるためか,まるで授業や学習では目標や文脈も考えずにデジタル教科書や端末を使うかのように想定されてしまいます。

 懸念を説明されるために仮説を提示する必要はあろうかと思いますが,そのような使い方がまずい場合の問題点を,道具を使う事自体の問題点のように誤解を与える指摘の仕方で取り上げるのはフェアとはいえないと思います。

 デジタル教科書を含むICT機器の利活用を前提とした指導方法や学習規律がどんなものであってどう研修・育成していくのか。この問題は少しずつ関係者によって取り組まれているところであり,それは今後教育が続くかぎり通底する課題であることを理解しなければなりません。

(追記20130902)  山田氏から「(続々)デジタル教科書のメリット・デメリットなど、今さら議論は不要 – 山田肇」が公開されました。

 山田氏は藤井大輔氏と松原聡氏と共同で「わが国のデジタル教科書の在り方」というデジタル教科書の普及に関する政策的な流れと課題を論じた論文を発表しているので,デジタル教科書に関しては一定の知見を持つ専門家となります。

 ただ政策論的な問題関心を持つ人々は,教育的な妥当性自体には関心が薄く,政策的な根拠となる文書の有無や妥当性に関心があるだけなので,あらかじめ論点をすり合わせたり立場を申告し合わないと,議論が遠回りになりがちです。

 結果的には,同意や承認されると態度が軟化したような,ありがちなパターンで今回の議論は幕引きされちゃう雰囲気です。辻氏の次の発言とつながるのかどうか分かりません。

 多くの人々が配信を受けるブログメディアに登録している辻氏や山田氏のようなブロガーの人たちが,デジタル教科書について関心を持って議論してくれることは良いことではありますが,正直なところ議論がうまく運ばれず雑過ぎて,デジタル教科書の議論自体が質が低いと思われること自体が悲しいなと思います。

20130830 滋賀大学教育学部附属中学校 公開授業 研究協議会

 滋賀大学教育学部附属中学校の研究協議会が2013年8月30日に行なわれました。

 ご縁をいただいて私が来賓研究者として参加してきました。先月に集中研修会にお邪魔しましたので,そこからの成果が披露されたという次第です。

 「思考力・判断力・表現力」という並びのトリオは見慣れたもの。

 その中でも思考力と表現力については多くを語られているにも関わらず,判断力はどこの文献も言葉少なで,ほとんど思考の中に埋没した扱いとなっています。

 滋賀大附属は,その「判断」に着目して、これを思考から表現への「つなぎ目」として捉えて授業研究の軸に据えるというのです。

 依頼を受けた私は,その着眼点の良さに感心しました。

 私自身かねてから,思考の中で織りなされる「判断」と,あえて思考と並列して記述している「判断」との違いが曖昧だと感じたことがあったので、これは挑戦してみる価値のあるテーマだと思ったのです。

 とはいえ,まだ「判断」あるいは「判断力」というものが何であって,どう育んだり評価すればよいのか,蓄積が十分あるわけではありません。

 今回の公開授業も,研究協議会も,その点については模索状態であったと思いますし,私の講演内容もどこか言葉遊びを通して手探りしていたことは否めません。

 しかし,問題提起と疑問が生ずるところには,様々な問答や対話が発生します。

 私の乱暴な講演が終わってから,幾人もの先生方と言葉を交わし考えを掛け合わせて,興味深い見解に至るものもありました。

 学校という場は(原理的には)「知識伝達」を前提として成立したものですが,昨今では「知識構築」(または知識創造)の実践が求められています。

 一般的には「工業化社会」から脱して「知識基盤社会」が到来していることにその根拠が求められていますが,つまりそれは従来の知識では対応できない自体が増えているということでもあろうかと思います。

 あたらな知識の構築(知識創造)が必要とされるのは,新しい事態に対応できる新しい情報や規則といったものを生み出さなければならないためであり,そのための能力や技能こそが育成されなければならないわけです。

 これを「判断」というキーワードから眺めると,従来までは社会に立ち向かうに必要な判断のための「判断材料」と「判断基準」をふくめて学校教育の中で「知識伝達」してきたのであり,それで通用する時代がこれまで続いてきたのですが,いよいよ社会が変わってきたことによって,それが通用しない時代へと突入したのだと思います。

 そうなると学校教育は,従来の「判断材料」と「判断基準」を含み込んだ知的財産を後継に伝承するという「知識伝達」のみならず,新しい時代に対応した判断のための「材料」と「基準」を児童生徒自ら見つけたり生み出す「知識構築」ができる能力の育成を新たな仕事として抱え込むことが求められているわけです。

 また「知識構築」能力の育成と構築した知識を「遵守あるいは活用する意欲や態度」の育成とは,また違う課題でもあり,扱わなければならない領域は広いといえます。

 「知識伝達」を前提として成立し,極力そこに最適化してきた日本の学校が,そのままの条件で新たに「知識構築」能力の育成までを担うことは無茶な注文をしているとしかいいようがありません。本来であれば,潤沢な予算と規則の緩和などが優先的に検討されるべきですが,いまのところ従来と同様に「根性で乗り切れ」となっています。

 こうした悔しい現実がある中で,それでも「判断」というものを軸に学校教育をどう再構築するのかといった青写真を描くのも興味深い議論と思います。

 そんな議論をしていくと,日本人の態度保留傾向や若者の迷惑行為の背景など,様々な自省についても関係が読取れる話まで発展するのですが,それはまたの機会に。