20130826-29 集中講義「カリキュラム論」

 今年も椙山女学園大学で集中講義「カリキュラム論」を担当しました。

 4日間,朝から夕方までカリキュラムと授業に関わる知識を学びつつ,指導案づくりに取り組む内容となっています。

 数えてみましたら,11年目に突入。演歌歌手のように持ち歌を歌い続けて早幾年といった感じです。過去・現在・未来の話をたとえ話交えてしゃべり倒していました。

 集中講義の間は,午前午後にコメントを書いてもらっています。

 授業内容に関する感想を書いてもらいつつ、質問があれば午後や翌日に返答するということを繰り返します。

 そういう対話の姿勢は認めてもらえるようで、講義に対する学生達の印象も決して悪いものではありません。授業内容が学生達に届くものであるのか,いまいち自分でも分からなくなっているのですが,たとえ話が充実していて分かりやすいと学生達は評価してくれているので,たぶんお役に立ったのだとは思います。

 今年もよい受講生に恵まれました。

学習支援という補助線

 先日,とある学会で小学校の先生と意見交換をしていました。

 その先生から聞かれたのは…「ICTを活用して学力向上した研究成果って,何かありますかね」という問い。

 ああ,またその問いか…という気持ちも湧いてくるほど,「ICT活用と学力」というテーマは,誰もが常に気にしていながら,何かしらの決着付かぬまま漂い続けています。

 「ICT活用は学力向上に結びつく」とする確証的な知見を示せていないことや,仮にそのことを示し得る研究成果を提示しても万事に通用しないからと信じてもらえない現実もあります。

 別の方には「学力向上に結びつくとする研究成果を是非整理して教えてください」と言われていたりします。

 ぱっと思いつくのは…2005年頃に(当時存在していた)メディア教育開発センターが受託した研究「ITを活用した指導の効果等の調査」や2006年頃の和歌山大学で行なわれた「長期・常時のICT活用授業の学力向上への影響研究」とか2007年頃に松下教育研究財団研究開発助成による研究「教科指導における知識理解の領域へのICT活用の効果」などといったもの。

 その他については,小柳和喜雄先生が整理されていますが,文部科学省が「確かな学力」の施策のために行なっていた「学力向上フロンティア事業」(学力向上アクションプラン)や「学力向上拠点形成事業」(H17-19)および「学力向上推進研究事業」(H20-22)における授業研究の方法とICT活用について論じたものがあるくらい。

 もちろんICT活用の研究は数多いので,それぞれでどのような効果があったのかが論じられており,学力に対しても触れたものは数知れず。

 なんだ結構あるじゃないという風でもあるし,それは研究の範囲に限定されてる話でしょと言われれば否定も出来ないし…。

 なぜこうも決着付かずのモヤッと感があるのかといえば,木原俊行先生が指摘されていた通り,「学力は多様な要素から成るものであるから、両者(ICT活用と学力:引用者注)の接点が一つに限られない」からです。

 先ほどから安易に使っている「学力」という言葉が何を指しているかも様々ですし,ICT活用の意義や目的も様々ですから,「ICT活用と学力」がモヤッとするのは当然というわけです。

 学校にICTを導入する費用対効果を示すために,どうしても学力が向上するといった確証が欲しい。とはいえ,ペーパーテストの点数のような学力が絶対的に上がりますという自信に満ちた根拠を示すのはなかなか難しい。

 さらに保護者や地域の皆さんも「道具の問題じゃなくて,先生の指導方法の影響が大きいんじゃないの?」ぐらいの突っ込みは当たり前にされますから,これに「その通りです」と言おうが「そうでもないです」と言おうが,ICT導入への理解と納得を得るのは至難の業といえます。

 この状況を打開する術はないものか…。

 たぶん,私たちはそうした堂々巡りの末にまたもや「ICTを活用して学力向上した研究成果って,何かありますかね」という冒頭の問いに帰ってくるのだろうと思います。またしても堂々巡りを始めるため…。

 しかし,私はもう一つ別のモヤッと感を「ICT活用と学力」の話題に抱き続けていたのでした。

 それが何なのかをずっと考え続けていたのですが,冒頭に出てきた小学校の先生との意見交換の中で,ようやくそのモヤッと感を掴まえる補助線を得たのです。

 私たちは日本の学校の現状を正しく「前提」していないということ。

 その前提に基づいて,これまでの知見を受け止める準備が出来ていなかったことが別のモヤッと感であることに気がつきました。

 この日本では,子ども達の貧困という問題が見かけによらず大きく横たわり,家庭の問題も割合としては限られているとしても深刻化しています。まして,将来世代の負担増あるいは財政的虐待など,先進国「日本」に相応しい現状といえるのか,理想と現実という悩ましい問題が山積しています。

 そのような社会状況の中にある学校が,問題と無縁でいるはずもありません。

 すでに「子ども達の変化」として周知の現実が訪れています。

 たとえば,皆さんもニュースで報じられてご存知かと思います。発達障害の可能性がある児童生徒が普通の学級に6.5%の割合でいるという調査結果のことです。  元の調査は平成24年12月5日に公表された「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」です。

 ニュースで取り上げられた部分は,あくまでも教師が支援を必要とすると考えたものですが,「学習面又は行動面で著しい困難を示す」児童生徒の割合が6.5%となっています。

 (この6.5%は,「学習面で著しい困難を示す」児童生徒の4.5%,「行動面で著しい困難を示す」児童生徒の3.6%の総和から重複している「学習面と行動面ともに著しい困難を示す」児童生徒の1.6%を引いたものとのこと。駄文公開当初,単純合計してましたが,重複あるとのご指摘いただきました。感謝。)

 さらに教師がどれくらい配慮・指導を行なっているかについてもいくつか設問が掲げられており,様々な取組みが行なわれていることが分かります。

 このニュースは分かりやすい事例の一つですが,学校を卒業した大人の私たちが想像する以上に学校の現実は変わっていますし,教育の取組みの多様さと苦労が増していることをハッキリと認識する必要があるように思うのです。

 極めて多様なニーズに応える教育。

 それは「特別支援教育」となった領域が取り組んできたものです。かつて特殊教育と呼ばれたこの領域は,現在大きく様変わりをしています。また,ICT活用に関しては支援機器の有用性について数多く語られてきました。

 ところが私たちは,昔のイメージを脱し切れずに,特別支援教育とそのICT活用について「別枠」扱いしてきたように思います。

 私は,いまこそ特別支援教育が展開しているICT活用の蓄積を学び,多様なニーズに向けた学習支援の手段として明確に位置づけることが必要なのではないかと気がつきました。さらにそれとは別に,高次な学習活動を支援するICT活用とあえて区別していくことが重要なのではないかと思えたのです。

 こうすることで,私がずっと抱いていたモヤッと感を追い払えそうな気がします。

 小学校の先生との意見交換の中で,私たちはICT活用の影響(効果の効き方)について,上記のような認識をもとにした仮説をもって,これまでの諸説について思考を巡らしてみたのですが,かなり筋が通る感触を得て思わず膝を打ちたくなりました。

 そのようなことは雑談レベルでならこれまでも多くの先生方や研究者が指摘していたことではあったと思います。ならば,それをハッキリと明示していくことが今後は重要になってくるのではないかと思うのです。

 ただし,そうした調査や研究が大変デリケートな内容のため,倫理的な配慮を優先すると表に出し難いという問題があります。

 今後は,その点についても特別支援教育の世界にもっと学ぶ必要があるでしょう。

 学術研究や文部科学省における取組みにおいても,特別支援の部分は専門性の高い独立した領域だと捉えられがちで,連携することがなかなか難しかったのですが,今後はもっと交流を増やすべきです。

 以上のようなことを,私自身ももう少し整理して説明できるようにしたいと思いますが,願わくは他の皆さんにも,その妥当性など検討してもらい,モヤッと感を減らしたICT活用教育の新しいイメージを全体で紡ぎ出せたらと考えています。

OECDという組織と新しい時代の学力

 日本の教育政策は「教育振興基本計画」という計画のもと進められています。

 しかしながら,教育振興基本計画という言葉も,その動きについても,多くの教育関係者には届いていないというのが実情で,一般の皆さんにいたっては,本当にそんなものが進んでいるのか信じられない方も多いと思います。

 基本的に,日本で何かが起こっていることを感じるには,マスコミに頻繁に取り上げられて,話題にしやすい物語にならないと難しいかなと思います。

 特に教育関係は,ネガティブな出来事の方がマスコミ的に話題にしやすいため,淡々と進行している取り組みは存在しないも同じのようです。

 従来の知識伝達・知識注入で達成する学力だけで立ち向かうことが困難な世の中になり,むしろ複雑な状況にも対応し得る新しい知識を生み出せる知識創造的な学力の育成こそが今後重要なのだ。

 こうした考え方に基づいて,教育振興基本計画は「自立・協働・創造モデルとしての生涯学習社会の構築」と4つの基本的方向性を打ち出しています。

 ところで,一つ戻って…知識伝達から知識創造の時代に変わっているといった考え方は,どこからきているのでしょうか。

 これは国際世界にも流れている見解で,「21世紀型スキル」という新しい学力の考え方とセットで世界中の学校教育で注目されています。

 もう21世紀も10年経過してしまいましたけれど,「21世紀型スキル」という言葉が一般に人々に届かないのは,なかなか心苦しいところです。  苛ついた私はこんなツイートしていました。


 いじめ問題がトップなのは,それが重要な問題である以上当然ですが,それにしても他の項目について見直しが足りないんじゃないの?という皮肉でありました。

 この世の中は変わったので21世紀型スキルのようなものが必要だという考え方を広く流布する役目を負っているのはOECD(経済協力開発機構)という組織です。

 前身がヨーロッパの経済組織であったOECDが,なぜに世界の教育政策の分野に深く関与しPISA学力調査の実施にまでいたるのかの経緯については,福田誠治氏による論文「ヨーロッパ諸国の教育改革からの示唆」でまとめられています。

 もともとは,ヨーロッパ諸国が統一するににあたって必要とした「協力社会」という考え方と,複雑な世の中を生きるために絶えず自己学習する必要のある「生涯学習」という舞台の必要性を,教育に影響力を持ったOECDが国際的に認知させたといえそうです。  

 PISAまでの流れを論文をもとに,かいつまんでご紹介すると…

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・1968年に「CERI(教育研究革新センター)」を創設した。 ・関係国の思惑複雑な中,1988年より「国際教育指標事業」を開始。
 →指標公表の積み重ねによって徐々に影響力を増す。

・1990年代にOECDのCERIは,従来の学力調査では学校教育の重要な部分が測定されていないために,学校が十分な力を発揮していないのではないかと考える。
 →PISA国際学力調査の誕生へ

・では何を測るべきか
 →「教科横断的コンピテンシー」(コンピテンシー:実践的な能力といった意味)
 →実社会から学校教育の目的設定を試みる(DeSeCo計画のスタート)
  人間が望ましい社会生活を送るのに必要な力

・2002年末にDeSeCo最終報告 〜汎用能力としての3つの「キー・コンピテンシー」
 →「異質集団の中で相互交流する」   「自律的に行動する」   「相互交流的に道具を使用する」

・「キー・コンピテンシー」から測定可能な形で取り出したもが「リテラシー」
 →「言語・情報リテラシー」(読解力)
  「数学的リテラシー」
  「科学的リテラシー」  →PISAはDeSeCo計画が結論する前に見切り発車して実施された。

・PISAにおいて「省察,それはキー・コンピテンシーの心臓」
 →キー・コンピテンシーをつなぎ止める決定的な能力として「省察(reflectiveness; reflection)」ないし「省察的な思考と行動」に着目。

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 このようにPISA調査は従来の学力調査(たとえばTIMSSなど)では捉えられていなかったものを測定しようとしたのであり,知識伝達中心の学校教育だけでは対応することが難しくなっています。

 フィンランドでは,1994年からすでに新しい学力に向けたカリキュラム改革が始まっていたため,PISA学力調査に対して高成績がとれたともいえます。

 DeSeCoのキー・コンピテンシーもPISAの「リテラシー」も21世紀型スキルと銘打っているわけではありませんが,いずれも新しい時代(つまりは今日)に必要な能力を描いているという点で21世紀型スキルの議論に深く関係します。

 日本では,「学びのイノベーション」という呼び方で,新しい時代の学力に対応した学校教育を生み出そうと取り組まれています。  これもあまり知られていませんが,とにかくそういう動きがあります。

 一体,何を目指しているのでしょうか。

 それは「一人ひとり異なる特性をもった児童生徒が,学級やグループの学習活動で関わりあうことを通して,気づきを得て自らを変化させたり,児童生徒同士の知識が掛け合わされることによって新しい知識が生み出されること」です。

 教育振興基本計画に「自立・協働・創造」という言葉がありますが,そのようなキーワードも踏まえて,このような場面を積極的に取り入れた授業をつくり出していくことが目指されています。

 もちろん,これまでも授業の中にそのような場面や瞬間は多々あったと思いますが,今後は,それを意図的にねらって授業づくりして欲しいということです。

 その際,新しい時代には「ICT機器」といった避けることが出来ない道具も登場しているので必要があれば活用することも奨励されているわけです。もちろん必要なければ遠ざける術も学ばせなければなりません。

 こうした考え方が日本の学校教育に浸透するためには,まだ時間がかかることを覚悟しなければなりませんが,少しずつ前進していることは確かです。

20130803 「Tangiblock」タッチ&トライ イベント

 こどもちゃれんじが,iPadと組み合わせて使う学習ブロック「Tangiblock」タンジブロックを発表し,Apple Store 銀座でイベントを開催したので参加してきました。

 タンジブロックは,iPadに載せて反応を引き出すことが出来る50個のブロックの集まりのこと。公式サイトには文字の描かれた青色ブロックが紹介されています。

 この50個のブロックを使って,どんな面白いことが出来るのか。アイデアまたはアプリ開発の募集を始めています(賞金アリ)。

 実は,タンジブロックはまだ未完成。

 50個のブロックとiPadアプリを作るための開発キットが出来上がったばかりで,実際のアプリはこれからみんなに考えて欲しいというわけです。

 最初は,文字の書かれたブロックを使った教育アプリがメインなのかなと思っていましたが,実際にイベントで関係者の方の説明を聞くと,そんな風に限定しているわけではないとのこと。

 どうやら,青いブロックというのも仮の姿で,ブロックの形や使い方も自由に考えて欲しいみたいです。

 ただし,タンジブロックとiPadを使う場合には,いくつか条件があります。

○ブロックは50個まで

 50音のひらがなをブロックにした場合,アルファベットとは共存が出来ない

○iPadに同時に載せられるブロックは2個まで

 ブロックを識別する原理とiPadの制約(認識点が11個まで)のため

○ブロックはこれ以上小さくできない

 ただし,iPadと触れている部分だけの話なので上の部分は好きなようにできる

 タンジブロックは,ものを使ってiPadから反応を引き出せるというセットです。  だから,学習ブロックとしてだけ使う必要はありません。50個のブロックも全部使う必要もないし,常にiPadの上に載せなきゃいけないというわけでもありません(つまり,何かを引き出す時だけ載せるという意味…)。

 ブロックを乗り物や動物に見立てても良いし,ゲーム盤の駒として使っても良いし,何かの鍵のように使ってもよいと思います。

 とにかくiPadと組み合わせた時にどんな面白いことが出来るのかを考えて欲しいとのこと。50個のブロックを何に見立て,何を割り当てることになるのかはアプリ次第というわけ。アイデア次第では面白いものが出来そうです。

20130802 学びのイノベーション事業 実証校説明会

 文部科学省で,学びのイノベーション事業の実証校に対する説明会がありました。小学校と中学校から先生方が集まってくださり,今後報告して欲しい事柄について,具体的な内容を知っていただいた次第です。

 私が関わっているのは,指導方法等に関する検討のお仕事。

 指導方法を検討するためには,実証校から様々な事例をご報告いただいて,それをもとにモデルの検討や指導方法の参考資料の作成をしなければなりません。

 そのための事例づくりに必要な情報や方針について伝えるため文部科学省にて説明会を開いたわけです。

 多くの皆さんには,作業の末に出来上がったものがお披露目されるとき,こんな取り組みが行なわれていたことが伝わるのかなと思います。出来上がったものだけ見せられても,誰かが勝手に考えてつくったんでしょ!と軽く一蹴されてしまうのかも知れませんが,実証校の先生方に過大なご協力をいただいて作り上げていくものなので,ぜひともその苦労についても思いを巡らしていただければと思います。

 お仕事はお仕事で進んでいってしまうのですが,この取り組みには一つ大きな問題が横たわっています。

 文部科学省が「指導方法」を関わる話に口出しして良いのか?という問題です。

 教育内容に関しては学習指導要領の存在から分かるように,文部科学省にその決定権限が与えられています。いまのところ日本の教育制度は教育内容について縛りがあるのです。

 しかし,その代わり教育方法や指導方法については,授業者の裁量とされています。何を教えるのかは国が口出ししますが,それをどのように教えるかは児童生徒に直接対峙する教師に権限がゆだねられているのです。

 ゆえに,文部科学省として,これが新しい時代の指導方法ですと提示することは,あくまでも試案のような位置づけになります。

 新しい時代に向けて教え方にも変化は必要だけど,それを取り入れるか入れないかはひとえに教師次第となるわけです。それだけに試案が魅力的でなければならないわけで,こちらとしても気が引き締まります。

 正直なところ,出来上がるものが皆さんのお役に立つのかどうか,作ることに関係する立場になったにも関わらず不安なのですが,少しでも新しい学校教育のイメージが伝えられるものが出来上がるよう,可能な範囲で頑張りたいと思います。