2013年4月27日にアップルストア銀座のシアターフロアで「iPadを教育に活用しよう:先駆者に聞く実践とアプリケーション選びのコツ」というイベントがあり,登壇してきました。
書籍『iPad教育活用7つの秘訣』に登場したメンバーによるイベントとして企画され,紙面だけでなく直接本人がプレゼンすることで教育活用の秘訣を伝えることが目的でした。
私はコラム執筆組ですが,韓国の事情についてコラムを書いた佐賀県の中学校に勤めている中村純一先生と一緒に「日本と韓国、それぞれの課題」という題目で対談(掛け合い?)をしました。
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イベントについては、KDDIの野本さんが詳細なレポートを執筆公開されていますので、そちらを参照された方が雰囲気が伝わると思います。あとTogetterにもまとめられたようです。
2時間のイベントに11名の登壇者というのは、「じっくり」というよりは「テキパキ」と進めるくらいのボリュームです。ある意味メリハリのあるイベントとなりました。
登壇者の皆さんは、いろんな機会に発表やプレゼンをされている方々なので,スライドを効果的に使って印象的なプレゼンテーションをされていました。
もっとも私は上手で印象的なプレゼンを聞くよりも、もう少しiPadの教育活用について本音のところの話をじっくり聞いたり話したりしたかったので,今回のイベントの組み立ては少し残念だったのですが…場所がアップルストア銀座ですから、仕方ないですね。
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私たちのパートは,だいぶ時間が押していましたし、後ろにスーパープレゼン分野で知られる高校生の山本恭輔君が控え,さらには書籍のクロージングで登場している小池幸司氏と杉本真樹氏のパートが残っているので,ご一緒していた中村先生には申し訳なかったのですが,かなり巻き巻きの早口で私たちのパートを始めました。
日本についてのお話は最小限にして,韓国の事例を前面に中村先生からお話を伺う感じで構成しました。ほとんど打ち合わせしていなかったので,お互い即興で掛け合いプレゼンテーション。
韓国の有名な受験競争の話題から始まり,そのような教育文化の中に居る教師の日常という視点から,有名な教材コンテンツ提供サービスの「i-Scream」の紹介とクリック先生の問題、塾に行けない子や地方で十分教育が受けられない子のための「サイバー家庭学習」、教育情報総合サービスの「EDUNET」の話しなどに触れました。(詳しくは野本さんのレポートで。)
触れられなかった話題は山のように残っていましたが,それはまた中村先生にFacebook上で話題提供していただくことにして,早めに発表を切り上げました。
あとで、いろんな人から「話し足りなかったでしょw」と突っ込まれました。まあ、ほとんど何も語りませんでしたから,否定はしませんけれど ^_^;
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今回のイベントでは「iTeachers」というチームが提案され,書籍に登場した先生達が今後もあちこちでイベントや執筆原稿などでiPadの教育活用を広く情報発信していくことを宣言していました。(Facebookページ)
私は立場的にはサポーターなので,特にiTeacherとしての活動をする予定はありませんが,これらも含めて教育とiPadに関しての全体動向は引き続き注視していきたいと思っています。
投稿者: 林 向達
「さんすう刑事ゼロ」
新学期が始まったということは,NHK学校放送も新しい番組がいくつかスタートしたということになります。
ご縁あってNHK教育放送企画検討会議に出席したことがあったので,早くから春の新番組を楽しみにしていました。
特定番組製作に関わってはいませんが,これもご縁あってある新番組の関係者の方々と事前の意見交換をしたことがありました。そんなわけで,今回のイチ押しは「さんすう刑事ゼロ」という番組です。
昨夏にパイロット番組が製作され,学校でも好評だったことから新番組と相成ったようです。ちなみに今日の学校放送番組(教育番組)はほとんどがインターネットで番組が公開されていますから,見逃してもネットで動画が見られます。
「さんすう刑事ゼロ」の主人公を演ずるのはモロ師岡さん。これだけでも一部の人々にはピピッと来てしまいますが,刑事サスペンスもののエッセンスを10分番組にぎゅーっと詰め込んだ贅沢なドラマづくりも視聴者をくすぐります。
実際に第1話と第2話が放送されましたが,反応は上々。
ネットの反応だけを見ていると,出演者の方たちのファンが集まってきて視聴しているようで,学校放送番組というよりは普通のミニドラマを楽しんでいるようなところがあります。
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番組のつくりを凝ったのはいいが,肝心の教育番組としての評価はどうか。
ドラマの世界観や脚本の面白さばかりに気を取られて,さんすう自体から注意がそれないか…という懸念は意見交換の時にも出てきた話題でした。それに刑事物というのは犯罪と隣り合わせですから,物語のベースが盗みに端を発していたりすることを問題視する立場もあるかも知れません。これは製作者側もそれなりに気を使っている部分のようです。
意見交換の場では私たちが交わした論点は,作り込みと毎回のねらいとのバランスをどちらも大事にすることでした。
昨年度の新番組「歴史にドキリ」は弾けた作りが個人的に好きな番組でしたが,授業で使うのは難しいところもありました。先生達にとっては,もう少し大人しい歴史番組の方が授業で見せやすいからです。一方で,子ども達にドキリ・ソングが好評だった面もあり,その辺がもう少しうまく噛み合えば…という課題が残りました。
「さんすう刑事ゼロ」もドラマとしての贅沢な作り込みが持ち味ですが,事件やトリックの奇抜さを前面に出し過ぎても算数の活用というねらいがぼやけてしまう懸念が心配されたわけです。
そこで,一つの解決策が「ドラマ展開のバターン化」だと思います。
この辺は第1話と第2話を見て,勝手に想像しているのですが,事件発生と推理と解決の展開順をパターン化し,できるだけ算数の謎が前面に出るように配慮した脚本を用意することを目指していると思います。
こうすると,動画を一時停止するタイミングも分かりやすくなるので,授業でも使いやすくなります。教室で考える場面も設定しやすいわけです。
そうした制約の中,出演者とゲスト出演者の魅力,脚本の面白さ,ドラマ舞台の贅沢で丁寧な作り,キャッチーなBGMの演出が番組の魅力を高めているのです。
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実際,私も繰り返し動画再生して見てしまうくらい面白いです。
ここから更なる算数の活用世界に導けるかどうかは先生や周りの大人次第ですが,このドラマの世界観を拝借しながら,発展的な内容を自分たちで事件化し,推理・解決するような活動が広がると面白いなと思います。
それにしても,ゲスト出演者のトップバッターが池田鉄洋さんで,第2回は小沢真珠さんとは,これはもはや学校放送番組の人選じゃありません。^_^ 記録に残るだけの番組ではなく,記憶に残る番組になるといいですね。
人生と電子情報
ドラマ「リッチマン、プアウーマン」には「パーソナルファイル」という物語上の開発物が登場します。個人情報を一括管理するシステムとして新興開発会社がイノベーションを起こそうと取り組もうとするものです。
現実世界は「マイナンバー」という社会番号を付けるか付けないかだけで大変な議論が炸裂していますが,個人情報が電子的に管理されている事実はどんどん加速しています。
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クレジットカード会社や保険会社,どこかの図書館の採用で有名となったポイントカード会社にも,個人情報なるものが山のように保管されています。
最近は買い物履歴の活用が表立ってきて,amazonはもとより,楽天やヨドバシカメラといった通販はどんどん個人情報を紡ぎ出して記録しています。最近では書店のポイントカードにも店頭で買った書籍や雑誌の記録がしっかりと活用され始めて,乱読派の私としては少し恥ずかしい気分になりました。
また,モバイルデバイスにつきもののアプリの購入も履歴は欠かせないものです。履歴のおかげで同じアプリを別のデバイスにインストールする際に買い直す必要がありません。とはいえ,これも興味本位で試したアプリまで履歴に残ってしまうため,とても恥ずかしい気分がたまにやって来るものです。
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それでも私たちは,個々のサービスにいくばくかの不安を抱きつつも,個人情報が電子記録されていること自体に文句をつけることを普段はしません。
問題が発生して被害を被らないかぎりは,そういうもの一つ一つにいちいち構ってられない現実もありますし,利便性が不安を上回っているかぎりにおいて成立する構図なのだと解説する人々もいます。
おそらく,個々のサービスに個人情報の記録や蓄積を許可するにあたっては,個々人が自主的にサービスに申し込む手続きがあったわけで,それゆえ利用を開始した以上は文句も言いづらいということもあるのかも知れません(専門家がそういう人々の心性をおかしいと指摘するのはあるでしょうが,日本の消費者にはそういう傾向があるのも確かと思います)。
そして,個々のサービスが独立していて,自分の個人情報がそれぞれの会員番号か何かで別個に管理され,バラバラに散逸しているという認識が,加速しつつある個人情報の電子化という事実に対する免罪符というか,寛容を担保しているのかも知れません。
つまり,マイナンバーなりパーソナルファイルなり,情報が一元管理されると,個人情報の漏えいや被害に際限がなくなってしまうという理解が懸念の背後にあるのだと思います。
実際,これまでいくつもの企業で個人情報やアカウント情報へのハッキングや漏えいが起こりニュースとなってきましたが,それらはあくまでも一企業が管理する範囲のものであり,該当するサービスに登録していなければ一安心するのが私たちの心理だからです。
しかし,これもちょっと考えると分かることですし,事件の度に言及されることですが,それらのハッキングされた企業に登録している個人情報とやらに,もしもクレジットカード情報が含まれていると,被害が限定的とは言えません。
むしろ,自分に関する情報の何をどのサービスに登録していたのかがバラバラであったり,多すぎて忘れてしまうことによって,自分が被る被害に見当がつかなくなるデメリットさえあり得ます。
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個人情報が悪意によって盗み取られる問題は,多くの人々の関心を集めるテーマですが,もう一つ,個人情報の寿命については,まだそれほど関心は高くないかも知れません。
4月12日(米国)にGoogleが新しい機能の提供を発表しました。
「Inactive Account Manager」という機能は,自分のアカウントの利用が一定期間休止していた場合に,Googleに記録していた情報をどのように処理するかを設定できるオプションです。
つまり,自分が何か不慮の事由で世を去ったときに,Googleの利用がなくなるわけですが,その期間が半年や一年間続けば,それは何かの理由でGoogleの利用が今後一切出来なくなったこととみなし,データを削除してくれたり,あらかじめ登録した信用できる相手に譲渡できるというわけです。
今までは,どれだけ便利に自分のデジタル個人情報(デジタルアセットという言葉が使われています)を生み出したり記録して活用するかがサービスに求められていたわけですが,今後はデジタルアセットをどのように最終処分するのかということも管理できるようにしなければならないわけです。
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もっともこうしたサービスは何もGoogleが初めて取り組んだわけではありません。
海外では「Legacy Locker」が自分のデジタルアセットを家族などに相続できるサービスとして話題になっていました。他にも似たようなサービスがいろいろ存在しています。
日本ではYahoo!ボックスが自動削除機能を予定しているなどのニュースが過去にありました(まだ実装していないようですが…)。
また,インターネットと死についてライターの古田雄介氏が興味深い記事を書いていますので,これも大変勉強になります。「古田雄介の死とインターネット」
ローカルのハードディスクの情報を死後に処分するためのソフトもいくつか登場してます。(「誉」「僕が死んだら…」「暗号化ハードディスク」)
こうして見ていくと,電子化された個人情報が散逸しているという事態は,電子情報を処分するところまで管理しようとする場合,大変面倒な事態ともいえます。いろんなサービスに登録し散らかしたものを遺族にすべて処分を任せるとしたら…考えると非常に酷な話です。
ゆえに,現実的に個人の情報を膨大に扱っているGoogleが,この手の機能に着手したことは,ある意味で歓迎すべきニュースかも知れません。
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さて,人生と電子情報(デジタルアセット)という非常に範囲の広い問題を考えると同時に,学校教育における電子情報の扱いについても考えていく必要が当然あります。
ドラマの「パーソナルファイル」は,その後「パーソナルストレージ」機能も付け加えたオープンソースに発展していきました。
もしもそういうものが存在すれば,学校教育で紡ぎ出した個人情報や学習活動の成果(たとえば活動の記録写真やノートの電子記録など)を自分のパーソナルストレージにどんどん溜め込めばよくなり,情報の保管を学校が背負わなくてよくなります。
しかし,現実的には,学校教育でのICT活用の際に使われる記録保管場所は,校内サーバー(あるいは校内NAS)であり,どんどん溜まっていく電子情報をどのように整理し,処分するかは,公的に決まったルールも,全国の学校の共通理解も,存在しません。
私はよく「これからの時代,卒業記念品は大容量USBメモリになって,卒業式の日には校内サーバから自分のデータをコピーする儀式が行なわれるようになるでしょう」という冗談を人に言ったりします。
学校教育で生み出される電子情報の在り方を考えるにあたって,それらを単にディスクスペース確保のためだけに容易に消去してよいのか,やはりデータは個人の元に手渡されるべきではないのか,といったことも,もっと真剣に考えられるべきなのです。
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少しずつ,こうした問題意識に届きつつあるサービスや開発の話を聞くようになっています。学校教育現場に関わる者は,こうしたテーマについても関心を持つべき時代になったのです。
20130413 地震
4月13日早朝に地震がありました。
まだベッドで寝ていましたが、ガタガタという振動とともに安アパートが揺れたので飛び起きてしまいました。
この地域は東南海地震に対して警戒をしていますし、18年前あった阪神大震災を経験していることもあって,短い揺れとはいえすぐに着替えて最低限の避難荷物を探し回りました。
ニュースで津波の心配がないことや,その後,構えていても余震は感じられなかったので、とりあえず平常モードへ。
その後,大学に出勤したら,さすがに一部の本や資料は散乱していました。
つっぱり棒のおかげで本棚がひっくり返ることはなかったのですが,積み方の悪い本の山はグラッとした痕跡を残していました。
ニュース報道には,震源近くの淡路島で液状化や亀裂があったとか,水道が止まった話などが出てきていますので,決して安心できる状況ではありませんが、とりあえず徳島市内は平穏な一日として時間が流れているように見えます。
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東日本大震災の日に東京でグラッと体験したので、用心には用心を,という気持ちが強くなってしまいます。
物入りの季節で,この春は少々懐が寂しいのですが,もう少し余裕が出来たら「つっぱり棒」を追加購入して備えたいものです。
Edmodo導入記 その3
授業が始まって一週間が過ぎ,担当する授業も一通りガイダンスを終えたことになります。そして,Edmodoへの学生登録も完了しました。
Edmodoは教育用SNSという分類をされたり、教育版のFacebookだとたとえられたりします。何年か前には教室向けのTwitterだと紹介されました。
しかし,mixiやFacebook,Twitterと異なるのは,先生アカウントと児童生徒アカウントは対等ではなく、また児童生徒アカウント同士はフォローし合うとか友達になるといった複雑な関係を紡ぐようには設計されていないことです。
つまり,会員制掲示板を管理する管理者と掲示板利用する会員という前時代的なシステムにSNS風の要素を付け足したに過ぎません。
学校内に掲示板システムを立ち上げていた事例は過去にもあったでしょうし、教室にあるパソコンの上に学級日誌的に記録を残して交流するソフトもありました。
Edmodoは,インターネット・SNS時代におけるそれらの進化版と考えられます。
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ならば,Facebookを活用した方が本当に意味でソーシャルメディアを活用することになるのではないか。その方が,世間一般とのコネクションも得やすいわけですから,学習活動に広がりが得られるのではないか。
そのように考える向きもあるかも知れません。
教師の統制の中でお膳立てされたICT活用を実践しても,それはお仕着せであって,普段から児童生徒に端末を持たせて文具的に利活用させなければ,本質は学べないとかいう理想論からすれば、SNSの真似っこEdmodoよりも本格的なSNSであるFacebookを活用させるべきという主張も聞こえてきそうです。
もちろん本物を触れていくことには意義がありますが、最初からそうでなければならないということは必ずしもいえないのが現実です。そもそも段階によって目標が異なるのですから、目標に沿うかたちで道具立てや利活用方法を整えることは教育的営為の重要な使命なのです。
今回,どちらかといえば週一回の講義とその周辺の学習活動をフォローすることがシステムの導入目的でしたから、外部との接続可能性を抑えたかった面があります。(もしこれが毎日顔を合わせるゼミ生や児童生徒ならば前提が違うことになります。)
こうした目的にはEdmodoは大変使いやすいシステムです。
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ようやく学生たちの登録が済み、これから授業過程で活用していくつもりです。様々な機能を使いこなすには繰り返して試してみる必要があります。
Edmodoと同じようなサービスは,韓国のClasstingもあり,こちらも急成長しています。韓国らしくさらに細かな機能を付け加えています。
日本でEdmodoに関心のある人は少なくないようですが、やはり英語に抵抗があるようで,なかなか本格利用に至らないようです。また,学習サポートSNSはいくつかサービスが出てきていようですが、授業をサポートするようなものはビジネスモデル的に旨味がないためか登場していません。
願わくは日本の会社が作ってくれるきめ細かなサービスを利用したいところですが、しばらくはEdmodoを日本語で活用することに挑戦していきたいと思います。