[徳島]新年度の初打合せ

 4月5日に徳島県東みよし町立足代小学校で平成23年度の総務省フューチャースクール推進事業に関する打ち合せを行ないました。
 足代小学校は全国で10校あるフューチャースクール推進事業の中の1校です。平成22年度から事業が始まり、今年度は2年目にあたります。
 年度替わりの慌ただしさもさることながら、3月にあった東北地方沖大震災の影響も大きく、あれこれの準備も遅れがある状態でスタート。依然として状況は流動的ではあるものの、とりあえず平成23年度も事業継続して試みを続けられることにはなりました。

 今年度はフューチャースクール推進事業だけでなく、昨年度の予備費で始まった「地域雇用創造ICT絆プロジェクト(教育情報化事業)」も動き出し、世間的には似たような教育情報化事業がたくさん存在することになります。
 この2つの事業に見た目の違いを見つけるのは難しく、どちらも子どもたちに情報端末を使った学習を展開してもらうような報道のされ方をするので、ほとんど見分けがつかないと思います。
 大雑把に性格付けすると、フューチャースクール推進事業は、あらかじめ大掛かりに計画を立てて始まった分だけ小回りが利かないという風。一方、ICT絆プロジェクトは、まずは機器と人材を入れて、市町村(と協力者)を中心に地域で様々な取組みができる小回り利きやすい風と思っていただければ、規模感としてはいいのではないかと思います。
 ICT絆プロジェクトの方が後から始まったり、いろんな地域と企業が関わっているので、機器が新しかったり、試みが斬新だったりすることがあります。ただし、地域にとっては負担もあるかも知れません。

 足代小学校では、春の異動で校長先生も教頭先生も新しい方に変わったこともあり、また少しずつご理解を深めていただき、これまでの実践を活かして今後の実践を展開してもらえることが期待されます。
 実は、昨年度は校長先生も教頭先生も女性の先生だったのですが、今年度は2人とも男性の先生。一番驚いていたのは子ども達だったみたいです。

 新しいことといえば、今年度は総務省のフューチャースクール推進事業に乗っかる形で、文部科学省の学びのイノベーション事業が合わさることです。
 私、総務省の仕事に接しただけでも気持ちが萎えたこともあるのに、加えて文部科学省の仕事にも接しなくてはならないのかと思うと少しクラッときますが、関わる機会をいただいた以上は末端の研究者に出来ることは限られますが頑張りたいと思います。
 もっとも学びのイノベーション事業の詳細はまだ十分煮詰まっているわけでもなく、これも大震災の影響ということにしておきたいと思いますが、デジタル教科書に関して仕上げに時間がかかっているようです。
 この時期に…と察していただける皆さんには裏方の慌ただしさも想像していただけるとは思いますが、これもちゃんと記録しなくては。

 あんまり物事が流動的過ぎるので、実証現場の人間は状況が定まるのを待つしかないのです。でも、待っているばかりも面白くないので、やっぱり出かけることにします。
 何かの会議の告知があったら、また傍聴しに出かけてみようと思います。
 東京から出張してきた事業者の人によれば、東京は(計画停電や節電のせいで)すっかり明かりの落ち着いた街になっているという話。数週間ぶりに訪れてみてもいいかなと思っています。

新年度の始まり

 4月1日です。
 エイプリルフールは置いといて、新年度の始まりです。
 せっかくですから、心持ち新たに頑張りたいと思います。
 大学の授業は主に情報系と教職を担当しているので、そちらは従来の蓄積を踏まえつつも、脱構築して内容や順番を組み替えてみようと思います。それだけでも大仕事ですが。
 外部のお仕事も積極的に。お声掛けいただいた仕事ですから、できるだけ自分が関わった意義を発揮できるように動きたいと思います。まあ、力及ばずダメなことも、受け入れられずに終わることもあるかも知れませんが、出来るところやっていきます。
 集めた文献資料や経験した事柄を文字に記す作業もしていきます。PDFの形で一冊の本ができ上がるといいなと考えています。どうしても自分でハードル上げがちなのですが、論文でも市販本でもないから、間違いを気にせず気楽に書いていこうと思います。
 研究室用のUSTREAMアカウントを作りました。Twitterアカウントは従来からありますが、もう少し活用できるようにしていきます。本の執筆過程も中継したりできると面白いのかな。
 あと、内部的にちょっと異動しました。対外的には変化ありません。
 それでは、本年度もどうぞよろしくお願いします。

平成22年度から平成23年度へ

 いよいよ年度替わりを迎えます。
 りんラボにとっての平成22年度は,実に慌ただしいものでした。一年前の記録を振り返れば,ブログにはiPadの話題が溢れています。
 そう,まさにiPadの年(Year of the iPad)だったわけです。
 りんラボとして平成22年度はタッチデバイスの教育利用に関して邁進しようと考えていました。
 授業と校務の隙間で文献資料集める日々が始まり,iPadアプリの開発にも意欲を見せていました。学会でのワークショップ実施とか,アプリのプロトタイプ開発までやっていたのは確かです。
 しかし,もう一つ大きな仕事を請け負っていたのも平成22年度でした。
 総務省のフューチャースクール推進事業です。年度後半は,どっぷりとそちらにはまり込んでしまいました。
 たくさんの人間が関わる国家事業の一部ですから,できるだけその背景を理解する努力が始まりました。国の仕事に関わるのは初めて,その流儀は誰も教えてくれませんので,周りに迷惑をかけながらもぶち当たって確かめるの繰り返しをしていました。
 そんなことをしているうちに平成22年度が過ぎ去ろうとしているわけです。

 さて,平成23年度の予定。
 ・フューチャースクール推進事業
 ・教育の情報化に関する本を執筆
 この2つを中心に進めていく予定です。
 フューチャースクール推進事業では,文部科学省の学びのイノベーション事業も自動的に関係することになるので,それなりに対応しながら,またいろいろ発信してみます。
 本を書いてみようというのは個人目標で,自分が関わったことや調べたことをまとめるタイミングかなと考えているということです。PDFで公開しながら執筆していきたいと思います。
 平成23年度は,担当する授業の時間割りがさらに不都合な散らばり方になり,外部で仕事するのが難しくなりそうなので,閉じこもって文章を書こうというわけです。
 あとは,隙間でプログラミングでもして気晴らしをしようと思います。
 さて,平成23年度も頑張りましょう。

教育の情報化ビジョンの行方

 もうすぐ平成22年度が終わり,平成23年度がやって来ます。
 平成22年度中に策定される予定とされたものはあれこれありますが,教育と情報に関連して一番注目されているのは「教育の情報化ビジョン」でしょう。
 学校教育の情報化に関する懇談会で検討され,3月16日に予定されていた第12回を最終機会としてビジョンが示されるはずでした。
 しかし,ご存知の通り,3月11日の大震災の影響のため,この回は取り消され,構成員間でのメールのやり取りによって最終的な検討に代える 延期とされ,調整の上で4月中に開催される予定となり,その後にビジョンも発表するとされたようです。(追記:当初の記述は誤りでした。こちらの記事を参考に訂正します。)
 ここ数日,従来は熟議カケアイのサイトに保存していたこれまでの議事概要を文部科学省サイトにも転載するなど,いよいよビジョン公開に向けて準備に入り始めた動きを見せています。

 すでに「教育の情報化ビジョン」の骨子本文案は掲載されていますので,これまでの慣例からすれば部分的な修正を除き,素案内容が正式なビジョンとして策定されることになると思います。
 ビジョンの章立ては次のようなものになっています。

  • 第一章 21 世紀にふさわしい学びと学校の創造
  • 第二章 情報活用能力の育成
  • 第三章 学びの場における情報通信技術の活用
  • 第四章 特別支援教育における情報通信技術の活用
  • 第五章 校務の情報化の在り方
  • 第六章 教員への支援の在り方
  • 第七章 教育の情報化の着実な推進に向けて

 懇談会構成委員はもちろん,4つのワーキンググループに集まった外部の方々を加えた有識者による議論が盛り込まれた内容です。
 この教育の情報ビジョンが2020年に向けて日本が取り組むべき施策の方向性を指し示していると位置づけられるわけです。

 しかし残念ながら,学校教育の情報化に関する懇談会において,これら項目や工程に関する優先順位の議論は,最後の最後まで行なわれませんでした。
 月並みな批判の言葉を使うなら,ビジョンの内容は総花的で,長期に及ぶ取組みの過程で早期に取り組むべきものと積み重ねた上で取り組むべきものといった計画を組むために必要な指針は明示されているとはいえません。
 各項目はどれも重要であり,どれも可及的速やかに取り組むべきなのだという風に彩られています。
 「これはビジョンだから…」
 という指摘もあり得るでしょうが,個別項目のビジョンだけでなく,「教育の情報化」という総体的な取組みに対する展望を示す中に,2020年なりそれ以降への見通しを持った流れを描くことも含まれてよいはずです。
 ところが,その部分について教育の情報化ビジョンが何をどうしたのかといえば,附属資料として高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部が策定した「新たな情報通信技術戦略工程表」を添付した形で終わっているのです。
 この工程表は懇談会の議論が反映されたものではありません。
 工程表は2011年度をスタートラインとして,非常に多くの取組みを「よ〜いドン!」とスタートさせ,2020年に向けてどの取組みも期間がぼよ〜んと延び続けるように描かれています。工程表としての鮮明さを欠いています。
 そのうえ,教育情報ナショナルセンターといった運用停止が決定したものについて,体制や機能強化に関する記述もそのまま。これを添付したものを新しいビジョンとして提示することに,実質的なプラス効果があるのか疑問です。
 なぜこんなことになってしまっているのでしょうか。

 この問題には行政論理といった修正困難な要素が大きく関わっています。
 けれども,もう少し別の角度から考えてみましょう。本当にそれは修正なり,もう少し妥当なものへと前進させることは出来なかったのでしょうか。
 多少意地悪とは思いますが,懇談会構成員に目を向け,この懇談会がどのような人々によって進行されていたのかを確認してみることにしましょう。
 以下が,構成員の名簿を生年順に並べたものです。
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【学校教育の情報化に関する懇談会・構成員22名】
生年  年齢
1945  66  村上 輝康  株式会社野村総合研究所シニア・フェロー
1946  65  安西祐一郎  慶應義塾大学理工学部教授
1949  62  三宅なほみ  東京大学大学院教育学研究科教授
1950  61  若井田正文  世田谷区教育委員会教育長
1951? 60  重木 昭信  株式会社NTTデータ顧問、社団法人日本経済団体連合会高度情報通信人材育成部会長
1953? 58  市川  寛  東京書籍株式会社編集局ソフトウェア制作部部長
1953  58  馬野 耕至  読売新聞東京本社メディア戦略局専門委員
1955  56  西野 和典  九州工業大学大学院情報工学研究院教授
1956? 55  大路 幹生  日本放送協会放送総局ライツ・アーカイブスセンター長
1956  55  玉置  崇  愛知県教育委員会海部教育事務所所長
1958  53  陰山 英男  立命館大学教育開発推進機構教授
1959  52  関口 和一  日本経済新聞社産業部編集委員兼論説委員
1960  51  野中 陽一  横浜国立大学教育人間科学部准教授
1961  50  天野  一  社団法人日本PTA全国協議会副会長
1961  50  小城 武彦  丸善株式会社代表取締役社長
1961  50  中村伊知哉  慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
1962  49  新井 紀子  国立情報 学研究所社会共有知研究センター長
1964  47  堀田 龍也  玉川大学大学院教育学研究科教授
1972  39  國定 勇人  三条市長
?     五十嵐俊子  日野市立平山小学校校長
?     千葉  薫  仙北市立生保内小学校学校支援地域本部地域コーディネーター
?     宮澤賀津雄  早稲田大学IT教育研究所研究員(研究総括)
 ※公開されている情報を収集して生年を付させていただきました。「?」は推定または不明です。年齢は2011年から生年を単純に引いただけですので正しくないものもありますが,おおよその世代を知るのが目的なのでご容赦ください。
 (計22名:30代 1名/40代 2名/50代 11名/60代 5名/不明 3名)
===
 
 構成員のほとんどが50,60代であり,30,40代はごく限られた人数です。
 上位世代が情報化を議論するのにふさわしいとかふさわしくないという議論をしたいわけではありません。しかし,このような極端にアンバランスな年齢構成は,本当に次代のための議論をするのに適していたのでしょうか。
 確かにワーキンググループのメンバーの年齢構成も加味する必要があるかも知れません。もう少し多様性が確保されている可能性もあります。
 しかし,肝心の親会の構成員がほとんど50,60代で,ネット世代との掛け橋となる30,40代が少数では,そもそも発言回数的にも不利であり,10,20,30,40代の問題意識をどれだけ議論に反映し得るのか,し得たといえるのか,はなはだ疑問です。
 振り返れば,長年の専門的経験にもとづいて未来や新しい教育を見通して発言された多くの知見は,無意識のうちに上位世代が下位世代のために展望を指し示してあげているというような構図になっていないでしょうか。
 本来ならば,この日本がガチガチと組み上げてきてしまった制度や条件のために,次の世代が取り組みたがっている新しい試みが思うようにできないといった問題を解決するのが重要ではないのか。
 それを上位世代がいまだにメインを陣取って,自分たちの方がよく分かっているからと,代わりに新しい試みを描いてしまおうとしていないのか。
 そうした善かれと思っているお節介を国家規模的にやってしまっていないかということを今一度考えてみなければなりません。

 教育の情報化ビジョンは,確かに従来までの知見の集大成です。
 この国はここに書かれた事柄に取り組んでいかなくてはなりません。
 しかし,このビジョンには,余白がなさ過ぎる。
 老婆心が集積され,粗削りな挑戦を後押ししているとは言えない。
 優先順位を付けることさえ放棄したビジョンは,私たちがその先を見通すように導くどころか,今後いつも振り返って配慮しなければならない文書になっている。
 
 ビジョンが公開された後,私たちは解釈を繰り返し,解説を繰り返し,2020年に至るまで,見通しの悪い議論を繰り返すことになるかも知れません。

ご卒業・ご修了おめでとうございます

 この時期は卒業・修了,また異動などの見送りとお別れの季節です。

 私の職場でも先日,卒業式が行なわれました。そして私の古巣でもたくさんの後輩たちが卒業や修了を迎えて新たな場所や時間へと移ろうとしています。

 この職に関わって十何年が経ちました。時間ばかりが経って,私自身は相変わらずで恥ずかしい限りですが,見送る立場をそれだけ繰り返したことになります。

 基本的に別れは好きではないので,その裏返しで他人に深入りしない質です。

 教え子たちのほとんどが「女の子」なのは幸いで,もともとうだつが上がらない男性教員には関心もないし,卒業してもほとんど会うこともないので,見送る寂しさに耐えれば,それでまた次へと進む,その繰り返しで過ごせます。

 時々,教え子たちは元気にしているだろうかと思いを馳せることはあります。

 けれども,「教え子」という不特定多数の集合体となった,その一人一人に対しては,所詮,私自身がやろうとしていることでエールを送ることしか出来ません。だからもっと精進して頑張らないと。

 数々の仕事でご一緒した方々のことも,また思い返すことがあります。

 思い返す人が多くて,そして私の記憶力の悪さが祟って,もはや顔と名前が一致しないということも多いです。何かの機会に再会しても,ど忘れしていることもあります。

 それでも,ご一緒していたことは嬉しいことであるし,そのことに感謝もしています。こちらもまた,ご恩を返すために自分自身の仕事を頑張らないと,と思います。

 私は40歳になりました。

 もう30代ではありません。そのことの意味を考えて,行動にも移さなければならないとは思います。

 才覚溢れる若い人達はたくさん居ます。その人達が今の時代を切り開くことが出来るように,私は何かをどける役目を負っているのかも知れない。そう思うことがあります。あまり気持ちのよい喩えではありませんが,土砂や瓦礫を除去して仮の道路スペースをつくるような仕事のイメージです。

 もちろん,何を求められているのかどうかに拠ります。もっと創造的な仕事が望ましければ,積極的にそれに関わっていきたい。

 そして,いつか私のラボに教え子が出来たら,彼,彼女等とあれこれやってみたいと思います。それまで「りんラボ」は,教育と情報界隈を放浪する一人の研究者の旅路として続きます。

 新たな時間を迎えるすべての皆様に,心からのエールを送ります。