■電子書籍によって誘引された〈デジタル教科書〉議論
2010年の日本で始まった〈デジタル教科書〉議論。
「デジタル教科書」という用語もすっかりお馴染になってしまいましたが,一般的には「電子教科書」の言葉の方が普通でした。それに関係者にとって「デジタル教科書」は某教科書出版社が盛んに使っていた名称という印象も強く,2010年に入ってこれが一変してしまったという感じです。
今回,私は2010年に巻き起こった議論を「〈デジタル教科書〉議論」と書いてみたいと思います。
なぜならこの「〈デジタル教科書〉」は,「デジタル教科書」という名詞と分けて考える必要があるからです。日本の〈デジタル教科書〉は他のデジタル教科書とは違い,迷走状態です。そして〈デジタル教科書〉議論と書くことで,それは2010年の日本で起こった固有の問題であると表わしたいからです。
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ところで〈デジタル教科書〉という言葉の出所は?
2009年12月22日に発表された総務省「原口ビジョン」にこの言葉が登場したことは多くの人々に知られているところです。また〈デジタル教科書〉議論の発端の一つが,このビジョンであることもよく知られるようになりました。
それにしても,なぜ電子教科書と言わずに〈デジタル教科書〉なんて言葉を選んだのでしょうか。
考えられる筋としては,民主党関係の資料に「教科書のデジタル化」や「教科書のデジタルデータ」という言葉が使われたからではないかと考えられます。
これはかつて鈴木寛議員(現文科副大臣)が取り組んでいた拡大教科書の充実化活動において,ボランティアの拡大教科書製作をやりやすくするため教科書データをデジタル化が必要であると訴えていたものです。
また,一番オーソドックスな筋としては,総務省用語(「地上波デジタル放送」など)から影響をうけて〈デジタル教科書〉になったというものもあります。
あるいは,某教科書会社のデジタル教科書という呼び名も影響したかも知れません。
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〈デジタル教科書〉が注目を集めたのは,いくつか話題が盛り上がるための条件が重なったからです。
・電子書籍の盛り上がり
・教育の情報化の盛り上がり
・政権交代と国家IT戦略再始動の盛り上がり
・原口ビジョンの発表
・iPadの発表と発売
これらのうち最初の3つがそれぞれ高まりを見せたところに残りの2つが投入され,一気に話題が沸騰し始めたと考えられます。
もっとも大学人にとって電子教科書への関心の高まりは,2007年のKindle登場時から始まっていたともいえます。2009年10月のKindle2世界発売の頃には,洋書(主に英語文献)を入手する手段として魅力を持ち始め,電子教科書としての可能性を感じさせるに十分だったのです。
そういう意味では,2009年後半から始まった電子書籍の本格的なブーム到来に便乗する形で様々な出来事が起こり,〈デジタル教科書〉議論が始まったといえます。
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もちろん,忘れてならないのはiPadの登場です。
これはこれで〈デジタル教科書〉に限らず,大きなインパクトを与え,いまも世界は右往左往している真っ最中です。この年末までに,周りからのリプライ(競合製品など)がやっと登場してきたという感じです。
iPad発表から発売までの間。実物がない分だけ,人々は様々なイマジネーションを注ぎ込みました。そして,その想像がさらに人々の関心をかき立てていきました。
かつてCD-ROMを媒体として様々なマルチメディア・タイトルが登場し,人々が興奮した時代がありました。それが今度はiPad上で起こっているという感じです。それに魅力を感じるか,ただの焼き直しと感じるかは人それぞれのようです。
ともかく,デバイスとしてのインパクトは強力でした。
一枚板の形をしたデバイスを指でタッチ操作するだけで,メールやWeb,写真,音楽,ビデオを閲覧できる気軽さ。その完成度の高さは,競合製品が登場した今でも,全く色あせていません。
もちろん,だからといって教育現場で使うツールとしての完成度が高いとまではいえません。まだ改善の余地のある製品です。しかし,シンプルでトラブルフリーである点は教育現場で使用するツールの条件として大変価値ある特徴です。
そんなiPadが〈デジタル教科書〉の端末として魅力を放っていたというのも理解できます。なにより,それを積極的に印象づける人物が存在していたことが〈デジタル教科書〉議論の特徴でもあります。
それがソフトバンクの孫正義社長です。
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〈デジタル教科書〉議論に登場する人物はいろいろいますが,一般の人々にこの議論を喧伝するのに力を発揮したのが孫氏であることに異論のある人はいないでしょう。
しかし,〈デジタル教科書〉そのものに対する孫氏の関心は,それほど大きいわけではありません。
孫氏にとって〈デジタル教科書〉は,ITによって実現する教育のひとつの形に過ぎず,むしろそのための基盤をつくっていく必要性に最大の関心があるようです。つまり〈デジタル教科書〉はあくまで分かりやすい事例の一つなのです。
孫氏自身には教員になりたかったという過去の志望があり,もともと教育に対して関心が高かったことは確かです。
それがこのように世間的な発言として現われるようになるきっかけは,総務省「グローバル時代におけるICT政策に関するタスクフォース」の国際競争力検討部会に関わるようになってからだと思われます。
つまり,世界の中にある日本をどうしていくか,という問いに対して「ICT教育」の必要性を主張したことから一連の発言が注目を集め始めたようです。
2010年1月25日の夜には「皆さんは、30年後の教育はどうあるべきだと思いますか?」というツイートで意見を募り,その後,ソフトバンクによるUSTREAMを使ったPR攻勢は多くの皆さんがご記憶の通りです。
孫氏のこうした表立った動きとは対照的に,裏側で忙しく動いていた人物がいました。各種の審議会や研究会などのメンバーとして名を連ね,コンテンツ関係の政策動向に深く関与していた慶応義塾大学の中村伊知哉氏です。
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〈デジタル教科書〉議論において,中村伊知哉氏は「デジタル教科書教材協議会」(DiTT)という業界団体をつくるのに奔走した人物として知られますが,もともとコンテンツや著作権などの政策に関わった元官僚でもあります。
そうした経歴を活かして,様々な分野の人物と繋がり,また人々を繋げながら,こうした動きを作ってきた張本人でもあります。
ハブ的な立場に立つ人物として,中村氏の言動は〈デジタル教科書〉推進に大きな影響を与えることは明らかです。
そうした期待に応えるように,〈デジタル教科書〉に関する著書を出したり,様々な人物との対談を企画してUSTREAMで流したり,デジタル教科書教材協議会の運営において会員間の潤滑油として動いている様が,外部からも見えます。また総務省と文部科学省の双方に研究会や懇談会のメンバーとして関わってもいます。
残念ながら,私個人は現時点までの中村氏の活動をあまり高くは評価していません。たくさんの人物に会い,たくさんの情報を得て,大きな影響力を持っているはずですが,いまのところその成果が十分に発揮されておらず,ご本人が語る理念部分の説得力が弱くなっているためです。
しかし,〈デジタル教科書〉に関わる主要プレイヤーは,ハブを求めて中村氏の周辺に集まっています。そこでプレイヤー同士が協力して力を発揮できるかどうかは,中村氏のコーディネイトにかかっています。今後の活躍が注目されます。
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次回は総務省と文部科学省が〈デジタル教科書〉にどう絡むのかを振り返ってみたいと思います。
投稿者: 林 向達
諸外国の事例を調べる
研究室が蔵書でひっくり返っている状態は変わらず,毎日の授業とあれこれの雑務に追われています。この頃は時間が過ぎるのも速く感じられます。
12月11日に仙台で教育メディア学会の研究会があり,そこにお呼ばれをしました。いま取り組んでいるお仕事とデジタル教科書について話をせよという分担。そのためというわけではありませんが,調べものをしている最中です。
特に,諸外国における教育の情報化やデジタル教科書への取組みについて確認をしておく必要があると思って,日々ネットサーフィンしています。一昔前なら「それ仕事?」と聞かれてもおかしくないですが,世界中の公文書や政府情報を見るには一番便利な方法なのです。だから(胸張って)仕事です!
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諸外国における「教育の情報化」もしくは「教育におけるICT活用」について情報を得る方法はいろいろです。
一番敷居が低いのは,日本で流通している日本語の文献資料を参照することです。彼の地へ視察に出かけた人やコネクションがあって情報が入ってくる人が日本語で書いたレポートや記事があれば,比較的楽に知識が得られます。
ところが困ったことに,こうしたレポートや記事は,旬を逃すとすっかり内容が古くなってしまうのです。しかも,頻繁に情報更新してくれるわけでもないので,新しい情報はわからず仕舞い。古い情報があたかも現在も通用するかのごとく流布し続けることも少なくありません。
というわけで,最新の情報が知りたい場合,自分でその国にアクセスして調べる他ありません。もちろん,現地に直接出かけて視察するという方法も考えられますが,最近ではほとんどの国が政府Webサイトを立ち上げていますから,かなりの情報を遠隔地に居ながらにして得ることができます。
場合によっては,文書をネットで取得し,じっくり翻訳しながら検討できる分,視察よりもたくさんの情報が得られる可能性があります。組み合わせれば,もっと深く知ることもできるでしょう。本当に便利な時代になりました。
言語の壁は薄くありませんが,それでもインターネットと様々なツールを組み合わせれば,乗り越えられる場合も増えてきました。そして世はソーシャルメディアの時代。どうしても助けて欲しいときには,TwitterやFacebookを活用して,彼の地の人々に協力してもらうこともできるに違いありません。
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調べていくと,世界中の国々が教育の情報化に邁進していることがわかる一方で,実はそれほど順風満帆ではない現実も見えてきたりします。ただ,日本のモタモタした足取りに比べれば,明らかに世界は先へ進む歩調が速いです。
ちょこちょこ訳した情報の下書きはFacebookなんかに載せているのですが,もう少し整理がついたら,こちらにも載せたいと考えています。
[FS推進事業] 事業仕分けの判定
すでにニュースでもお聞き及びと思いますが,2010年11月15日から行政刷新会議の事業仕分け第3弾(後半)が行なわれ,1日目のワーキンググループAにて「総務省・フューチャースクール推進事業」が扱われました。
行政刷新会議のWebサイトには,結果の概要として次のように書かれています。
(継続分)廃止(看板の掛け替え。中身について文部科学省が主導的な役割を果たすべき。文部科学省実施事業において、現場の影響が最小限になるような努力はするべき。)
(特別枠)見直しを要する
以前の事業仕分け時(2009年11月13日)に「ICT利活用型教育の確立支援事業」として仕分けの対象となり,結果「来年度の予算計上は見送り」と判定された事業が,「フューチャースクール推進事業」として予算計上されたと捉えられて問題視されました。
外側から見えている事実(解釈?)をもとにすれば「看板の掛け替え」と指摘されても仕方ないところがあります。
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しかし,どうして総務省が「フューチャースクール推進事業」を予算化したのか。これには民主党が掲げた「政治主導」という物語が大きく関与してきます。端的に言えば,当時の総務大臣が原口一博議員だったことが理由です。
2009年12月22日に当時の原口総務大臣が「原口ビジョン」を発表。国家のIT戦略とも絡めて,ICT維新ビジョンを掲げたのでした。
その後,首相官邸のIT戦略本部が2010年5月22日に「新たな情報通信技術戦略」を決定し,そして,それを踏まえた「新成長戦略 ~「元気な日本」復活のシナリオ~」を2010年6月18日に閣議決定したのはご存知の通りです。
これらにも教育分野におけるICTの利活用がうたわれています。たとえば「新成長戦略」には以下のような文言があります。
子ども同士が教え合い、学び合う「協働教育」の実現など、教育現場や医療現場などにおける情報通信技術の利活用によるサービスの質の改善や利便性の向上を全国民が享受できるようにするため、光などのブロードバンドサービスの利用を更に進める。
予算見送り判定は出たけれども,こうした国家戦略としての重要性を鑑みたときに教育分野のICT利活用に関する取り組みを後退させることはできなかったというのが現実だったのです。
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ところが,今回の事業仕分け議論は,そういった文脈はほとんど考慮されず,むしろ過去の事業仕分けに従わなかったことが大きな問題として展開しました。
つまり,看板付け替え・ゾンビのような予算要求に矛先を向ける今回の事業仕分けにおいて,その姿勢を世間にアピールするための格好の獲物にされたわけです。
もちろん,仕分け側の指摘もまた検討する必要のある事項を含みますし,私自身も事業の推進方法には改善の余地があると思いますから,その点では指摘を真摯に受け止めて改善していく必要があると思って方途を考えているところです。
けれども,閣議決定とも通ずる事業であるにもかかわらず,こうした切り口だけで「廃止」を判定され,世間的にその情報が流布されるのは大変なマイナスです。
その点で,私たち関係者は困惑しています。
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事業仕分けの現場では,総務省の皆さんが事業の意義について,熱意を持って語っていましたし,教育分野を所管する省庁ではないとはいえ真剣にやっていることをアピールされていました。それに嘘はないと私は思います。
ただ,もう一歩踏み込んで,世間一般に抱かれている教育の情報化にまつわるイメージ(機器導入で終わってしまうばらまき事業的な受け止められ方など…)をどう払拭するのかという戦略を立てなければならないと思います。
あるいは根本的な理解を正すことも必要かも知れません。つまり,教育現場がビジネスの対象として健全な市場となる必要性があるという認識です。
人々は,教育の情報化の話を「教育」の話で捉えて,文部科学省の取り組みとして一本化すべきだと考えたりします。しかし,教育の情報化は,教育の話であると同時に「ビジネス」の話なのです。
私たちは,よりよい教育活動を実現するために,どのようなビジネス活動で関わっていくべきかを明らかにしなければならないのです。
誠実なビジネスとは,具体的にはどういうものなのか。今後,教育の世界がよりよく社会とつきあっていくためにも,教育現場を対象に商売することの健全なモデルを作り出していかなくてはなりません。
そのような取り組みは,文部科学省にはできません。総務省や経済産業省が関わる意義は,そういうところにあると思うのです。
本棚増設
先月下旬から慌ただしくて心落ち着かない日々が続いていました。科研費申請もそうですし,フューチャースクール関連の仕事,そして私個人の蔵書引っ越しなど,いろいろ出来事がめまぐるしかったからです。
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そして,いま私の研究室は大変な状態になっています。分散していた蔵書を統合するために運び込んだ荷物が片付けられない…。本棚二重にしてみたんですが,荷物の半分くらいを開封した時点で満杯になってしまいました。
印刷書籍のデメリットは場所を取ることだと言われていますが,まさにこのデメリットに泣いている状態です。とはいえ,これを「自炊」と称して電子化したところで場所の問題は解決するとしても,今度は二度と開かず読めないのではないかという恐怖感もあり,あらためて「モノとしての本」の存在を考えてみたりします。
というわけで,落ち着いて考えたり文章を書いたりする環境がまだまだ安定しないために,最近は心も穏やかではありません。
Androidに備える
徳島で「Androidセミナー」が催されたので出席してきました。いよいよAndroid陣営の勢いが本格化しそうなので,情報を収集しておこうと思ったからです。
講演者もNTTドコモの方とAndroidの会の丸山先生というこの時期に贅沢な面々。大変興味深いお話を聞くことができました。
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NTTドコモといえば,サムソンのGALAXY SとGALAXY Tabの発売を控えているわけで,そのお話も惜しみなく(?)お話しいただきました。
ご苦労も多いようで「Twitterに書かないでくださいね」と釘指された話も多かったですが,ドコモとしてはGALAXYに大きな期待をかけ,単なる土管屋としてではないビジネス戦略を模索しているのは確かなようです。
担当違いは重々承知の上で,教育分野・市場に対する取り組みは何かお考えですかと質問しました。領域としての重要性は認識されていらっしゃいましたが,具体的な取り組みはまだこれからといったニュアンスでした。
この時期は,GALAXY始めとしたドコモのスマートフォンの普及とその事業を本格軌道に乗せることが最優先事項なので,たぶん来年になれば動きも見えてくるのかなと思いました。
GALAXY SとTabの実物を触らせていただくことができました。
GALAXY Sはハードウェアとしては立派な出来で,これならAndroidスマートフォンを持ちたいと思いました。すでに世界的なヒットになっていますので,売れないはずがないですね。
GALAXY Tabも7インチタブレットとしてはありじゃないかと思いました。動作はSと同程度のように感じました。個人的には筐体のデザインをもう少しSのように薄さを意識したものにして欲しいと思いましたが,悪くはないです。
Androidのハードとしては人に勧められるものだと感じました。
残る問題はAndroid2.2のフィーリングが,まだiOSほどではないということ。滑るようなアニメーションで反応を返すiOSと比べると,カクッと止めが入る動きが残るAndroidは,せっかくのハードがもったいない感じがします。もっとも,これはバージョンアップとともに改善される部分だと思われます。
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丸山先生は,CPUの処理速度の話から始まって,メディアの変遷を追っかけながらクラウドとユニメディアの時代について,壮大なスケールで語る中にAndroidを位置づける話をされました。
講演のレポートが課題となっていたのか,徳島大学の学生さん達がわんさとやってきて会場は満杯。そのわりにはせっかくの質疑応答にほとんど質問の手を挙げないので,結局私がまた教育について質問。
丸山先生としては,クラウドを基盤としたメディアとそのデバイスに接するのは当たり前となることを前提として,そうしたメディアやデバイスを教えられる人材がほとんど居ないということに危機感を抱いていらっしゃいました。
つまり,教える人たちを教育しなければならないということの必要性を考えておられたわけですが,教育者を教育することの難しさについて,悲観的な回答だったわけです。
あとで個人的に話の続きを聞くと,悲観していても仕方ないので,会としてもいろいろ取り組みをしていますというお返事でしたが,技術周りを中心に活動している皆さんにとっては,教育分野のことはなかなか手が回らず悩ましい問題といった感じでした。
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現時点では,いろんな点でiOSデバイスが先行しているのは仕方ありませんが,マルチプレーヤーを受け入れるAndroidデバイスの方が今後爆発的な存在感を出していくことは間違いありません。
教育現場における学習ツールにもAndroidデバイスのものが当然入り込みます。必然的に「文教製品」「学用品」としてのクオリティーを維持してくれるのかどうかが問われてくることになります。
Androidについてもいまから注視しておくことが大事だと思います。