20200808 今日の眺めた書物

先月は出張月間で,ほとんど更新できませんでした。

その代わり,久し振りに都心の書店に寄ることができたので,買いすぎに注意をしながら書籍を物色。

このところ,某国トップの傍若無人振りやそれなりの立場にある人々の不可思議な言動が目立ったことが影響してか,心理学系の新刊は,知性と行動の関係とか認知バイアスなどをテーマにした書籍が多く並んでいるように感じられました。

「バカ」の研究』(亜紀書房)は,一見するとふざけたエンタメ系の一般書かと思えますが,なにやらフランスで大まじめに刊行された書物の翻訳本。いろんな専門家によって執筆されたオムニバス構成です。

最初の方の「知性が高いバカ」という論考では「知性」について,「アルゴリズム的知性」と「合理的知性」の2種類があるという説を紹介しています。

「アルゴリズム的知性」が,物事の意味を理解して論理的に思考することができる力で,「合理的知性」の方が,現実の状況を考慮しながら目標実現のため意思決定できる力だとされます。
(実際には,この説を唱えているキース・スタノヴィッチ氏(トロント大学名誉教授)は前者を「タイプ1処理」「手段的合理性」,後者を「タイプ2処理」とか「認識的合理性」「分析的処理」という言葉を使って合理性の研究として議論しているようです。)

だとすれば,知性の高い人が「バカ」なことをするのはちっとも矛盾することじゃない…というわけです。

また,この本には,ハワード・ガードナー氏がインタビューに答える形で参加していました。私が購入したのも,ガードナー氏の部分が気になったからでした。

私たちが発達心理学者ハワード・ガードナー氏について知っているのは,『認知革命』とか『MI:個性を生かす多重知能の理論』などの書籍で,能に関する多重知能/多元知能理論であったりします。というか,そこで止まっています。

インタビューは,インターネットの影響に関するもので,多重知能にとってどうなのかという質問に対する応答もあります。ガードナー的には総合的にはデジタルメディアは多重知能にとって有益だと考えているようですが,とはいえ人間の脳というのは長い年月で進化するものだから,ここ数十年のテクノロジーの進歩にすぐ順応するようなことはなく,「デジタル脳」という考え方にも同意はしないといったことも述べています。

実のところ,このインタビューはガートナー氏が「三つの美徳」と呼んでいるものをインターネットのせいで人は失いつつあるという悲観から始まっていて手厳しい見解。(三つの美徳は本でご確認ください)

確かにこの本で検討されているいろんなかたちの「バカ」がインターネットを介して拡散されるような状況では,それに対してこちらが余程見通しのよさをもって接しないと,呑み込まれてしまうリスクが高いということかも知れません。

インテリジェンス・トラップ』(日本経済新聞出版)にもアプローチは違いつつ重複する情報は多いけれど「知性のワナ」に対することがいろいろ書かれており,同じく興味深い。

私自身も知識やインターネットなどにどっぷりつかって25年くらいにはなるので,バイアスやらトラップやら,引っかかるものには引っかかり続けているだろうわけなので,できるだけ自戒的に思考しようとは努力している。

ただ,そうはいっても,どこまでも自分のことだから,いわゆる「知性の死角」というものから逃れられるわけもない。だから他者と相互批判的だったり,互恵的である必要があるのかなとも思う。

あのとき考えていたこと

前回記事で「少しの後悔」として,文部科学省が提示している「学校におけるICTを活用した学習場面」という図について昔話を書きました。

駆け出し有識者としての力不足と,学習場面の10類型の順番に,少しばかり後悔をしているというお話です。あれから8年経って,その実力の無さは折り紙付きのものとなりましたが,あの時考えていたことを紐解くことには一定程度意味があると思います。

ワーキングチームの議論では,もちろん,いろんな見解が交わされました。

実際のところ,10分類でもまだ数が多いという指摘もありました。確かに新しい指導方法のイメージを広く浸透させるためには,もっとシンプルにすべきで,10個も類型があっては扱うのも大変です。数の多さが,前回の順番の後悔を引き起こしたのだと考えることも出来ます。

あの時の私は,フューチュースクール推進事業/学びのイノベーション事業の実証報告から上がってきた実践記録を整理する作業をしていましたが,個別事例を類型化する作業の際には,なかなか至難の業でした。

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当時のメモが残る手帳が引き出しにしまわれていたので,取り出してみました。

1人1台のタブレットPCを利活用する様々な試みを,こうやって場面に変換して,その遷移パターンを分析しながら類型を簡素化していく作業を続けていたのです。

当時の資料をブログでお見せすることは出来ませんが,10分類のA「一斉学習」にはA1以外にもA2やA3があったことはメモからも見て取れるのではないでしょうか。

結果的には削除されましたが,作業の途中で私が付与したキーワードをご紹介しておきます。学習場面を表わすキーワードです。カッコ内は今回あらためて補足的に追加しました。

  • 知る(理解)
  • 気づく(発見)
  • つながる(関係)
  • 尋ねる(疑問)
  • 解く(練習)
  • 深める(思考)
  • 試す(試行)
  • 調べる(調査)
  • つくる(制作)
  • 残す(記録)
  • 聞き合う(発表)
  • 話し合う(共有)
  • 考える(議論)
  • 生み出す(創造)
  • 表現する(構築)
  • 広げる(拡張)
  • 発信する(発信)
  • まねる・応用する(応用)

これらをもっとブラッシュアップすることで,指導方法を整理したかったわけです。その結果が,現在の10分類というわけですが,GIGAスクール構想による1人1台情報端末という時代では,こうした学習場面的な捉え方は,もう少し個々人の精神面で起っている学習現象を考える観点も加味して考えていく必要があるかも知れません。

少しの後悔 – 学習場面の10類型

教育の情報化に関する手引』の追補版が公開されました。

もともとは令和元年12月のものですが,その後の動向の反映や図版の追加などがあったようです。

手引自体は昨今の教育の情報化に関わる情報がてんこ盛りですので,この分野に関して知りたいことがあった時にはまず参照すべき資料でしょう。

ところで,この手引きの第4章には次のような図版が掲載されています。

いろんなバージョンがあり,今回掲載されているものもイラストをいくらかアップデートしたものになっています。

もともとは平成26年の「学びのイノベーション事業」の実証研究報告書において公表された「学習場面に応じたICT活用事例」でした。

実は私も,ご縁をいただき,この学習場面10類型の作成に関わりました。

この類型やイラストができ上がる過程で,なんとか類型とパターンのようなものを示して理解しやすいようにしたいよねという議論を展開していた一人ということになります。

私が参加した小中学校ワーキンググループ 指導方法等の検討チームでは,総務省のフューチャースクール推進事業と文部科学省の学びのイノベーション事業の成果を普及させるため,実証実験校での実践を分析・検討しました。

毎回の会議,私は徳島から夜行バスに乗って東京に出かけ,到着した足で朝入浴できる施設に向かい,そこでリフレッシュしながら,実践記録とにらめっこをして分析をしていた記憶があります。

私なりの作業を提出するものの,実際には,文部科学省の職員の方が実質的に作業したものが会議で検討され,少しずつ成果をかたちにします。

そして,報告書の原稿作成も,事務局が作業した叩き台を,私たちがチェックし修正しながら作業を進めていきます。

私は,書き出しする際の作文は苦手ですが,校正作業にはうるさいタイプの人間で,そのときも報告書の原稿は,かなり手を加えた結果のものを返しました。

けれども,その結果はほとんど採用されませんでした。

どんなに一生懸命に朱入れ作業しても,次見る時にはすべて元に戻されたり,提案が却下されていたり,なかなか提案は反映されません。

もちろん,そう簡単に一委員の提案や願望が通るわけありませんので,提案却下自体は問題ないし,それが残念なわけでも,それで凹むわけではありません。

それよりは,私が徳島に帰った後,東京という向こう側に残っている関係者で議論したり検討した結果が,特に相談も確認もないまま,反映されてしまっていることが繰り返されて,次第に「ああ,なんだ私いらないじゃん」という無力感が募ることが辛かった。

最終的に,上の図版ができ上がった時,私は特に厳しくチェックすることもなく異論らしいことは言いませんでした。何かを言う気持ちが少し失せていたのかも知れません。

いま思えば,提案が通らないのは,単にそのときの私の提案に価値がなかっただけであり,実力がないことを周りが配慮して言わないでくれてただけのことでしたが,文部科学省での初めての仕事だったこともあり,気持ちが空回りしていたのだろうと思います。

いまも空回りしかしないですが。

この後,学習場面の10類型は,5〜6年経過した今も取り上げられます。

現場の先生方の中にも,この図版を引用したり参照してくれる人がいて,分かりやすいと評してくれる方々も多いです。

もちろん一方で,分かりやすさを優先したためかなり大ざっぱなところや,技術の普及が進んだ今日から活用場面を再吟味すると,見直すべきポイントはかなりたくさんあります。

それでも,「一斉学習」「個別学習」「協働学習」という典型的な分類のもとに学習場面の10類型を示すという理解しやすさは,理解の入口としては大変有効だと思います。

私が,この10類型について唯一後悔していることは,「協働学習」の学習場面の順番をちゃんと吟味しなかったことです。

皆さんもご覧になると分かるように図の協働学習は…

C1 発表や話合い
C2 協働での意見整理
C3 協働制作
C4 学校の壁を越えた学習

という順番になっています。

ちなみに,今回の新型コロナウイルスに関わる事態で,オンラインやテレカンファレンス,リモートカンファレンスが普及し,「C4 学校の壁を越えた学習」についてかなり具体的なイメージをみんなが持てるようになったことはよいことだなと思います。

そのC4が最後なのはよいのですが,問題はC1〜C3の順番です。

私はこれを

C2 協働での意見整理
C3 協働制作
C1 発表や話合い
C4 学校の壁を越えた学習

という順にすべきだったと後悔しています。

これは「個別学習」のB1〜B5の並びとの整合性を考えても,その方がよかったと思っていて,この10類型を授業などで説明する際,いつも流れの悪さを感じてしまうのです。

最初のうちは,そのうち新しいものを誰かが作るから,それに取って代わられればいいか,と思って諦めていましたが,なんだかんだでもう5年。

ようやく最近,学習場面の10類型が授業場面のみに特化して作られたものであり,日常的にICTを利用する現代では十分ではないことを指摘した国際大学GLOCOMの豊福晋平先生が「ICT利活用の用途」という1人1台の日常利用前提とした配列を提案しています。

私も,一刻も早くそちらに乗り換えてもらった方がよいと思います。

あのとき,最後までちゃんと意見を述べる気持ちでいたら,こういう違和感を5年も抱えずに済んだかも知れないと思うと,少し後悔をしていますが,まぁたぶん,私が提案したところで変わらなかっただろうなぁとも思います。

というか,まだしばらく違和感は続くようです…。

私の遠隔授業裏舞台

私の職場は、今年度4月下旬から遠隔授業がスタートしていた。

幸い、何年も前から大学のメールシステムはGmailシステムに切り替えられ、その流れでなんとなくGoogle Appsも使えるようにはなっていた。最初は私のような物好きと語学担当の先生方数人が利用しているにすぎなかったが、GSuiteに名称変更されたあたりから少しずつ学内認知度も高まってきた。

ICT活用がとりたてて得意という職場ではないものの、こうした素地のようなものがあって、新型コロナ禍に伴う遠隔授業の実施方針もGoogle Classroomベースで行うというミニマムな方法を基準として打ち出すことができた。

他大学はGW(ステイホームウィーク)明け以降に遠隔授業を開始するというところが多いにもかかわらず、私の職場が早々に4月下旬から始められた理由は、徳島県が全国的にみても感染者判明数がほぼゼロに近く、感染拡大といった事態と無縁だったことはもちろん大きい。

遠隔授業の取り組みそのものに対しても、先に書いたように、なんとなくそういうものがあると意識が広まっていたおかげで抵抗感が少なかったのもあるが、実際のところどれだけ大変なのか訳が分かっていなかった人たちが多かったこともプラスに働いていたのかもしれない。

情報センター等の関係部署の方々は、突貫作業とはいえマニュアル作りや緊急研修の準備など取り組まれて、そうした努力にも支えられてスタートできたのだろうと思う。

私自身も従来までGoogle Classroomを授業の補助ツールとして使用し続けてきたので、そこでの経験を踏まえて遠隔授業の環境準備を行うこととなった。

実のところ私は、対面による授業で、典型的な口頭伝達的講義と、典型的な実技演習授業を行なってきた、極めて旧来型のステレオタイプな授業手法採用者である。

アクティブ・ラーニングの重要性は承知しているし、試みていないわけではないものの、担当している部分が知識習得を担うタイプの科目であり、その先の知識活用を担う授業科目へ学生達を引き渡すという位置づけを期待される度に、派手な取り組みはお任せした方がうまくいくことを感じている。

そのため、Zoom等のリアルタイムコミュニケーションツールによる同期型の授業はほとんど行なっていない。大学院の担当科目で文献購読を行なう際、Google Meetを使ってマンツーマンで議論している程度である。

講義授業については「毎時課題+オーディオ講義+教科書・講義資料」というオンデマンド型オンライン授業を採用している。

演習授業については、本来であれば対面による授業が解禁されるまで休講にしてもよかったのであるが、「情報処理」という名のパソコン基礎操作演習なので、「実演動画+毎時課題」によるオンデマンド型オンライン授業で進めてしまうことにした。

講義授業

教科書があるので、基本的にはそれに沿って授業を行なうが、毎回は、学習部分に対応した「調べ課題」を毎時課題として用意し自学予習の機会を作ってからオーディオ講義を聴いてもらう段取りにしている。

教員による解説講義を聴く前に自学しておくことによって、内容に見当をつけることができるし、解説をピンポイントで聴くことにも役立つ。二度三度と同じ内容に触れることで反復学習の効果も期待されるだろう。

実際の準備は…

・Googleドキュメントによる「毎時課題」配布テンプレートの作成
・毎時課題を紹介するオーディオ説明ファイルの収録
・教科書や講義資料の準備
・毎時課題に即した学習内容のオーディオ解説ファイルの収録
・これらのマテリアルをGoogle Classroomに予約投稿する設定

以上のようなことをしている。

毎時課題はGoogleドキュメントで調べ課題シートを作成して、「生徒にコピーを配布」モードでGoogle Classroomの課題に追加する。基本的には毎時課題の成果が日常的な学習進捗把握の材料となる。

オーディオファイルの作成には、パソコンにオーディオインターフェイスを使ってマイクを接続して音声収録している。

オーディオ収録環境
【パソコン】iMac (Mid 2011) - macOS High Sierra
【オーディオインターフェイス】EDIROL FA-101
【マイク】Shure BETA 58A
【収録用ソフト】Hindenburg Journalist Pro

収録したオーディオは、mp3形式でGoogleドライブに直接書き出し保存をしている。あとはGoogle Classroom上から呼び出し簡単に添付できる。今のところ受講生数が少ないのでGoogleドライブ共有でもアクセス数制限等の問題に直面していない。

Google Classroom上の投稿構成は、授業トピックを講義単位で括るために使用し、ちょっとしたコースウェア的になるようにしているが、一講義分にたくさんの投稿が並ぶと、リストが長くなるし、投稿の手間がかかるため、「出席確認(質問)/毎時課題(課題)/講義解説(資料)」の3投稿に絞っている。

利用者の増加のせいか、Google Classroomの投稿予約機能は設定した時刻にプラス5〜10分くらいの投稿タイムラグが発生するようになっている。そのため、3つの投稿予定は時間差で設定しているが、それぞれ5分程度の遅れを見込んだ時刻設定にしてある。

提出物は、Googleドキュメントで配布している調べ課題だが、学生達は他の授業で様々なやり方に触れているせいか、Googleドキュメント以外にも、手書きノートを写真撮影したものを提出したり、それぞれ利用しているアプリで課題に取り組んだものをPDF化して提出するものもあったり、千差万別である。その辺は私が対応できる範囲でOKにしているため、学生側から課題の取り組み方法について不満が出てくることはほとんどない。

授業時間中は、出席確認から始まり、調べ課題や解説講義に取り組んでいる最中に書き込まれる質問に返答したり、コメントを読みながらやりとりを行う。出席確認投稿に対する学生のコメントで受講生同士が受講していることの相互確認を行ない、オーディオ講義では前回までの取り組みや受講生からのフィードバックを全体に共有などして、講義授業の一体感や活動雰囲気を確保している。

ちなみにオーディオ収録のタイミングは,収録作業に慣れてしまったこともあり,当日の朝になっていることが多い。日付レベルでリアルタイムであることは同期感が高まるメリットはあるものの,収録を失敗した場合のリカバリー作業に時間的余裕がないことにもなるため,収録は前日に済ませるのが良いかと思う。

演習授業

パソコンの基礎操作に関する演習授業は、対面による授業であれば、大学のパソコン教室に配備されたWindowsパソコンを実際に操作して練習する形で進められてきた。

担当者は、パソコン教室の前方に用意された教員機を使い、実際の機器操作をデモンストレーションしながら受講生達を操作練習に誘ってきた。

遠隔授業となれば、パソコン教室のような統一的な機器環境が見込めない。学生達が自宅で扱える情報機器は、主にスマートフォンであり、一部の学生がパソコンを所有しているに過ぎない。

こうなると、受講生自身による演習部分の制約を受け入れて、教員からのデモンストレーションに重きを置いて進行する他ない。その上で、操作練習する演習部分について、可能な範囲で取り組んでもらうスタンスを取ることにした。

授業は、「実演動画」を視聴してもらうことが中心となっている。内容に応じてスライド資料があったり、演習課題が用意される。

実際の準備は…

・操作画面を中心とした実演動画の収録
・スライド資料の作成
・演習課題の素材、配布ファイル等の作成
・これらのマテリアルをGoogle Classroomに予約投稿する設定

実演動画は、担当者のカメラ映像と機器の操作画面映像とをスイッチャーで切り替えて収録できるようになっている。一つの動画は内容によって時間の長さが異なるが、10分〜15分程度を目安に作成している。

実演は、Windowsでの操作だけでなく、スマートフォン(iOS, Android)およびmacOSでの操作についても扱い、同じ課題を行なう際に各基本ソフトでどんな操作をするのか、可能な範囲で個別の動画を作成し実演している。

これまでパソコン教室や教員機がWindowsパソコンに限定されていたために、特定プラットフォームの実演提示に限られていたが、実演に使用できる機器が教室環境に縛られずに済むようになったため、マルチプラットフォームを踏まえた実演提示が可能となったことは遠隔授業のメリットとなった。

受講生達は、身近な端末の操作方法について学べるようになり、高額な出費で手にしたスマートフォンが日常使っていること以外にも活用できることを発見して、それが授業への関心や意欲にもプラスに働いている様子が感想やコメントからも窺える。

さて、動画収録には、少々トリッキーな環境を構築してある。

動画収録環境
〈デモンストレーションマシン環境〉
【パソコン】Mac mini Server (Late 2012) - macOS Mojave
【仮想環境】Parallels Desktop 15 for Mac - Windows 10 Home
【iOSデバイス】iPhone 6iPhone 6s
【Androidデバイス】Pixel3
【画面転送ソフト】Reflector TeacherAirParrot

〈映像収録マシン環境〉
【パソコン】Mac mini (2018) - macOS Mojave
【オーディオインターフェイス】Audient EVO4
【ビデオキャプチャ・スイッチャー】Blackmagic Design ATEM Mini
【画像転送受信ドングル】EZCast 4K
【マイク】Shure SM7B
【カメラ】SONY RX0
【カメラ】SONY HDR-MV1
【映像収録ソフト】Wirecast Pro
【音声キャプチャソフト】Audio Hijack
【動画編集ソフト】Vrew

実演提示するための機器と映像収録するための機器は別々にしてある。通常、これらが一緒であると、操作画面を収録する際に便利であることも多く、利用できる機材が限られている場合にも都合がよいが、マルチプラットフォームで実演をする負荷を考えると分けた方がフリーズ対策にもなる。

デモンストレーションは、mac OS上で動作する仮想環境上のWindows 10を中心に行ない、スマートフォンはiOSとAndroidの画面転送機能(AirPlay等)を使って、仮想環境と同じマシンの画面に集約表示できるようにした。そのデモンストレーションマシンの操作画面をさらに画面転送アプリ(AirParrot)から受信ドングル(EZCast 4K)に送って画面収録できるようにしている。この辺がトリッキーである。

映像収録マシンは、接続されている映像キャプチャ・スイッチャーATEM Miniで切り替えられた映像を録画する。録画に使っているWirecastは、本来は配信用ソフトウェアであり、もっと安価な時に購入してずっと使い続けているが、いまでは高額なソフトとなってしまった。代替ソフトとしてはOBS Studioがある。

撮影は、カメラ映像で動画の内容を説明したあと、操作画面の映像に切り替えて実演提示を行う。基本的に一発撮りで、多少のミスがあっても撮影中にリカバリーして、編集をせずにYouTubeにアップロードする。

一部の参考動画では収録時間が40分〜60分程度になってしまい、言い間違いなどの修正が必要になるものもある。その場合は動画編集ソフトVrewに読み込ませて編集作業を行なっている。

Vrewを使うと機械学習を活かした字幕生成を行なってくれる。さらに認識した音声テキストを編集することができるが、これは字幕テキストとは別であり、音声テキストの編集が動画の編集と連動するようになっている。そのため削除したいセリフ部分を文字で削除すれば、映像の方もその部分が削除されて便利である。その他にも沈黙部分を短めに詰める機能など使う。

オンラインによる遠隔授業においては、学生側の通信料金コスト負担の問題が取り沙汰され、なるべく授業に関わる通信データ量を下げるように呼びかけが行われている。YouTubeを実演映像の保存先にしているのは、YouTubeが備えている動画の圧縮や配信に関しての技術的なメリットを享受できるからである。

こうしてYouTubeに限定公開された動画は、Google Classroom上の投稿でリンクされて受講生が視聴できるようになる。この際、演習授業では一講義分を「出席確認(質問)/実演動画(資料)/毎時課題(課題)」という3投稿で構成し、それらを投稿予約機能を使って時間差で公開していく。

授業時間中は、動画視聴がひと段落して実際の操作練習のタイミングになる頃にたくさんの質問や様子の報告が限定公開コメントに上がってくるので、個別に返信を行なう。

パソコンやデバイスのトラブルを文字だけで遠隔サポートすることが如何に大変かは、経験された方ならお分かりになると思う。

もちろん、それを見越した解説や実演を動画に盛り込むことは必須だが、それでも想定していないパターンのトラブルや説明が不足している事柄は残るもので、授業時間中に飛んでくる受講生からのコメントはなかなか興味深い。

Google Classroomはコメントに画像を貼り込めないため、こちらからは基本的に文字ベースで確認事項や手順を伝えるほかない。学生からは、場合によって課題添付の形でスクーリーンショットを送ってくれることもあるので、それを頼りに問題を把握して返答することもある。

問題所在を確認するために、使用しているデバイスは何かといった初歩的な確認から始まり、視聴した動画の何本目の、何分何秒あたりが説明と実際とで異なるのかを確認するなど、遠隔サポートのノウハウを駆使しながらやりとりは続いていく。

確かに対面による授業の方が、直接画面や状況を把握して、問題解決のためのアドバイスを提示しやすい。しかし、今回の遠隔による演習授業の試みを通して、こちらからは動画による実演提示でマルチプラットフォームに対応した丁寧な解説が届けられ、対する受講生は自分の馴染みのデバイスを利用して、実際の操作を練習したり、アドバイスを得るにしてもトラブルを自己解決しなければならないという状況に直面することで、かなり積極的な授業(アクティブとまでは言わないが…)を展開できているのではないかと思われる。

ただし、どうしても学習課題の設定時には環境制約が伴うため、課題目標を低めに設定しなければならないことも起こる。「トラブルを自己解決する経験」は聞こえはよさそうであるが、そもそも解決できないトラブルが起こらない程度にはハードルを低くする必要もある。

遠隔授業準備は、やはり授業や課題の内容吟味も大事になってくる。

収録環境

作業をする研究室が、必ずしも静粛な環境ではなく音声収録に向いていない。

映像や音声のメディアを利用する場合、やはり音響部分の聴取品質が高くないと、満足感も高まらないし、逆に視聴している際の疲労感が高まってしまう。オンライン授業やビデオ会議が疲れる一因には、音の良し悪しが少なからず関係しているとも考えられる。

そのためオーディオ関連は、これまでもマイクの種類を変えたり、音質調整するソフトウェアを変えたりといろいろ工夫を重ねてきた。

マイクに関しては、一般的に「コンデンサ」型マイクが集音感度に優れているとして勧められることが多く、そのような事例報告が多いことも手伝って、USB接続できるコンデンサ・マイクが選ばれやすい。しかし、もともとの収録環境が静けさを確保できない場所である場合、感度の良いコンデンサ・マイクよりも、感度の低い「ダイナミック」型マイクを利用した方が都合が良いこともある。

利用するシチュエーションに応じて適したマイクを選択していくことになるが、その際、USB接続タイプのマイクでなければ、オーディオインターフェイスと呼ばれる周辺機器を併せて購入しなければならない。このオーディオインターフェイスも、本来であれば使用するマイクに必要なパワーや仕様を持っているかどうかを確認する必要があり、安価なものを一つ買えば済むといった簡単な話にはなっていない。問題なく使えても、音質を良くする観点からパワー不足である可能性は少なくない。

私が導入したShure SM7Bは、ダイナミック・マイクの中でも最も集音感度が低いマイクとして知られている。そのおかげで余計な環境ノイズ等を拾わないメリットはあるが、パワーのないオーディオインターフェイスと組み合わせると、本来収録したい音声も小さく集音されてしまう。入力つまみを最大限に上げても小さいわけだが、このつまみを最大限に上げていることが機器からのノイズを大きくしてしまう別の問題を生む。ダイナミック・マイクを使用する場合、パワーに余裕のないオーディオインターフェイスは気をつけなければならない。

なお、映像収録に関しては、固定カメラを用意することと画面映像を収録できるように機材設定している以外に特別な配慮はしていない。強いて書くなら撮影用ライトが確保してある。

クロマキー処理をして、合成による映像づくりが行えるように道具立てはしているものの、実際に運用するには面倒が多そうなので、現時点では活用していない。グリーンバックを背に画造りをしても楽しそうだが、普段の研究室を背景にしても(散らかっている恥ずかしさを除けば)特段困らない。

新型コロナ禍による遠隔授業提供の試みより以前から、音声収録やネット配信等の試みを続けてきた経緯もあり、こうした細々としたこだわりのようなものが積み重なって、現在のような裏舞台が出来上がっている。(機材も手持ちのものを新旧組み合わせている。)

ただ、結局は「授業」や目的の活動になるべく取り組みやすい環境・条件を作りたいということを目指して来たのであり、継続的に目的の活動が行えるよう利用環境をシンプルに維持することが大事だ。

収録がパッと取り組めて、結果をザクッと放り込んで、提供する側も視聴する側もある程度の予測が可能なルーチンに基づいて進行させながら、その中に面白みを割り込ませるような構造。奇をてらったものは何もないが、持続的に取り組めることを重視すると、そうした方が内容吟味の方にエネルギーを割ける。

おかげで毎回の準備において機材や収録環境で手を煩わされることは滅多にない。毎回の授業で扱う内容に関連する準備に手こずることはあっても、これは純粋に授業内容準備であるから省きようがない。

こうした調子で、遠隔授業に取り組んでいる真っ最中である。

不安からの脱却

2020年5月25日に緊急事態宣言が全面解除されました。

すでに文部科学省からは学校再開に関わる通知やマニュアルが出されています。

感染症対策の「学校の新しい生活様式」をしつつ,児童生徒の「学びの保障」を行なうことが求められています。

社会一般でも「ニューノーマル」という言葉が時折取りざたされて,新しい常態,つまりは今後の日常生活・社会活動の常態になる新しい様式とは何かを議論することが増えています。

これまでも「働き方改革」と言い続けながらも大して変わらなかった労働形態も,「在宅勤務を標準とする」といった企業(日立など)が出てきたり,今回の新型コロナウイルスの事態に関わって大きな転換も起っています。

しかし,学校再開とは,慣れたあの日々の再開。

感染症対策の要求水準が高いという点は特別な事態ではあるけれども,マニュアルに従って最善の努力を続けることが学校の責務なのだという考え方は全国的に根強いと思います。

平成29年改訂の学習指導要領が主張していた新しいスローガンも,休校によって進行に遅れが出たおかげで,その遅れの取り戻しを優先することで,閑却できる余地も生まれました。

この不安な事態からの脱却のために,少しでも早く,あの日々を取り戻して子どもたちに平安を届けたい。多くの学校関係者が感じていることだと思います。

不易流行の「不易」を担っているのが学校教育だと,そう信じる先生方は少なくないのです。

一方で,新型コロナウイルス感染という危機的事態に直面し,私たちの社会の旧さや脆さが改めて表面化したことに憂いを感ずる人たちも多いです。

その憂いの大きさは,文部科学省がすすめるGIGAスクール構想の担当課長さんをしてYouTubeで強いメッセージを語らせるまでに至っているとも,受け止められています。

こんなことはいままでなかった…と。

21世紀に入って来年で早20年。

パソコンブームが起り,マルチメディアを垣間見て,IT講習に駆り出され,ネットバブルに沸き散って,ケータイ・スマホで繋がりあい,4K動画でネコを投稿する,目まぐるしいIT/ICT社会の変遷を辿ってきたにも関わらず,国民の銀行口座に10万円を振り込むこともままならない事態が依然起る日本。

こんなチグハグな状態を,これからも常態化させたままでいいのか。

突如として始まった臨時休校とその後の長期休校で,あれほど不易の強みを誇っていた学校教育が,実は何の備えも進歩もしていなかったということが明るみに出たことも,保護者たちにこういう感情を抱かせることとなりました。

旧態依然の学校教育を常態化させたままでいいのか。

学校教育関係者は,そんな保護者や社会の不安を知りませんし,むしろ望まれているのは学習の遅れを取り戻すための「学びの保障」だと確信している。

奇をてらった新機軸を打ち出すものは,学習指導要領改訂にしろ,9月入学にしろ,単に不安を呼び起こすものに過ぎない。長期に危機にさらされ,今後も不安を抱えた分散登校の日常を送る児童生徒および教職員にとって,不安の回避とそこからの脱却こそ,いま必要なものだ…と考えている学校教育関係者がいたとしたら,私たちは何と返すべきでしょうか。

さて,これを書いている私はどっち側の人間?と思われる方もいるかも知れません。結局,変わらない方がいいの?変わった方がいいの?と。

おそらく私は,こういう「構図になっていること」自体に違和感を感じて,こうした文章を書いているように思います。

前回のブログ記事に書いたように,私は「先生たち自身が学習できる職場として」学校が転換することを望んでいます。つまりは,変わった方がいいということでもあります。

ただ,このことは,仮に個々の学校教育関係者がどんな主張や考え方に立っていたとしても,それらを互いに議論の俎上に乗せて学び合うというコンセンサスにもとづいて共生することをイメージしています。

児童生徒学生の学習が阻害されないということはもちろんのこと,教職員自身の学習あるいは研究が阻害されないという前提に立てば,何がダメとか,何は出来ないとかいうことを越えて,どうしたら良くなり,どうしたら出来るのかを考えることに繋げていかざるを得なくなります。

首長も教育長も,首長部局も教育委員会も,そして校長や教職員が,そういうマインドを持つことが大事で,実際,そういうマインドを持つ人が多いところは,わざわざ制度化やルール化しなくてもそうなっている例が見られます。

消極的な不安からの脱却ではなく,学習によって積極的に不安から脱却する,むしろ不安からの脱却を楽しむといった場になることが,いま必要なのではないかと思うのです。