2020年5月14日に39県に対する緊急事態宣言解除が発表されました。
それに伴い,各地で分散登校等の対応を含めた段階的な学校再開が動き始めています。文部科学省からの矢継ぎ早の通知も「学びの保障」を前提に年度を越えた扱いに関して言及しています。
新型コロナによる不安な状況は,長期にわたる学校休校という事態をもたらし,眼前に児童生徒学生を集めることができないことを想定していなかった教育関係者を慌てさせました。
そのことによって,これまで教育ICTを遠ざけてきた教育関係者でさえ,その必要性を考えなければならない当事者に立つことにもなりました。
遠隔教育あるいはオンライン授業といった教育方法が,今後,現実的な選択肢として取り組まれなければならない。そういう時代が訪れたわけです。
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この事態が発生する前から,AIという技術がもたらした盛り上がりとともに,単なる知識伝達だけに終わる教育機関への懐疑論が賑やかとなり,従来型の教師は職を追われるとか,あるいは公立学校は潰れるといった机上の論も未来予測的に展開していました。
そして,2ヶ月に及ぶ学校休校という今回の期間に,私たちは学校というものの存在について,真正面から考える機会を与えられました。
家庭から児童生徒を預かり養護する機能が,いかに経済社会にとって大きな貢献をしていたかが再認識されました。
児童生徒の学習を指導支援する機能が,いかに専門的な職能であるかを認識した保護者も多かったのではないかと思います。
また一方で,学校がもつ家庭や地域社会とのコミュニケーション手段がきわめて脆弱であったことが緊急事態によってあぶり出されもしました。
学校という場を離れざるをえない児童生徒に対して,教育的な働きかけをするための人的・物的・経済的な資源が普段からほとんど備えられていなかった現実も明るみに出ました。
全国で教育機会が均等であることが義務教育や公立学校の最大の特徴であると,そう信じることが最後の砦であった日本の学校教育で,今回の事態において各地での取り組みの差があからさまとなり,機会格差は進行していて均等などなかったことを報道等で目撃するに至っています。
そんな状況だからこそ,形式上の均等を取り戻そうとするような言動に対して,一層の懐疑的なまなざしが向けられることとなり,為政者や教育関係者に対する不信感が増長している部分もあります。
いっそのこと,託児養護機能と学習支援機能を再構築した新たな場を求めて,従来の学校を廃棄すべきではないのか。そんな極端な提案さえ,あるいは現実的な検討課題になり得るのではないかと思わせる,そういう学校休校期間ではなかったかと思います。
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かろうじて緊急事態宣言解除の流れをつかみ取り,新しい生活様式を踏まえた日常にもとで,生活や学校,経済活動を段階的に再開することとなりました。
少なくとも年内は,第2波以降あるいは新たな脅威の到来に対する備えに動くことができる猶予期間を与えられたと考えることが妥当かと思います。
個々の家庭や職場における備えはもちろんですが,学校が行なうべき備えは何なのでしょうか。そして今後,学校という場はどうあるべきなのでしょうか。
まず必要なのは,学習指導要領の再確認ではないかと思います。
平成29年改訂の学習指導要領が目指している方向性を確認することは,重要なことだと私は考えていますし,むしろこのような状況に遭遇したからこそ,なおさら,そのことに意味があるように思います。
誤解を恐れずに言えば,仮に令和2年度が何事もなくスタートしていたとしたら,平成29年改訂学習指導要領に掲げられた理念は,新しくスタートした取り組み(小学校英語やプログラミングなど)の苦労話ばかり注目されて,単なるスローガン止まりだったろうと思います。
「主体的・対話的で深い学び」を,いまこうした状況下で検討した時,皆さんの中でも,昨年度末と少しは異なるイメージが展開するのではないかと思います。少なくとも分散登校や今後の脅威への備えを前提にしなければならない学校教育でどう実現するのか,その方法は新たに模索しなければなりません。
そうしなければ,今後の危機毎に,学校機能の停止という事態を招き続けることになり,学校は潰れてしまうという机上の論は,いよいよ現実の論として具現化してしまいかねません。
勝ち逃げ世代の教育関係者にとってはそれでもよいのでしょうが,そのことによって損を被るのは次世代,つまり児童生徒学生であり,若い世代の学校教育を担い社会をつくっていく関係者です。ひいては将来の日本にとっても。
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学習指導要領を再確認した次は,必要な道具立てをすることです。
その重要性においても,またタイミング的にも,教育ICT環境の条件整備は推し進めておくべき取り組みでしょう。
GIGAスクール構想とEdTech導入に関して,前例にない規模の予算が確保されたのですから,対応しない方がどうかしています。2020年5月11日に一般にも公開された形でライブ配信された説明会が話題となっていますが,そうした追い風は,乱気流を伴っているとはいえ,掴まえておかなくてはなりません。
ただ,児童生徒1人1台分の情報端末を導入するというGIGAスクール構想やEdTech導入は,説明されているほど簡単な話ではありません。
その大規模な導入を短期間のうちに全国津々浦々で実現させようという話が,いかに非現実的で過酷な要望であるか。大量の機材確保の可否や専門的な知識を必要とする工事設定作業,そのために必要な人材や専門事業者の不足,にもかかわらず限られた枠に抑えるための厳しい予算制約など。
平時においてさえ困難な条件にも関わらず,緊急事態に伴う悪条件で駆け込み的に取り組まざるを得ない状況は,最大限の配慮を効かせなければ,後で取り返しがつかない事態を招くことも肝に銘じておきたいものです。
すでに学校のドメイン取得に関して,クラウドプラットフォームとの契約に関わり混乱が生じています。
学校や市町村ごとにバラバラのルールでドメインを取得している状況では,それが学校の正規ドメインかどうかを確認することを難しくしてしまいますし,今後,仮にドメイン詐称対策をする場合も個別にやらなくてはならないなどの手間が問題となり,セキュリティ対策を難しくしてしまう弊害になるかも知れません。
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学校という場の未来をアップデートするためにも,先生達が学びを実践できる場所や文化に生まれ変わらせる必要があります。
改めて,今回の新型コロナに伴う学校休校で見えてきたのは,学校という場の「旧いかたち」を前提として働かざるを得ずにきた学校の先生方の窮屈な現実だったともいえます。
「旧いかたち」は,児童生徒学生が学校にやって来ることを前提として,欠席した児童生徒学生はいくらかの不利を甘受しなければならず,自らに相応しい支援を受けることが特別扱いだと受け止められ,定められた範囲と進度に沿って学校活動を展開することばかりが尊ばれ,家庭とのやり取りでは連絡事項を児童生徒学生に伝書鳩のごとく託し,遠い昭和な時代の規格に合わせて作られた空間に密集して授業や学習を行い,その活動に必要なものの購入は前年度に計画して予算を確保しなければ叶わず,学校図書費も教材費も限られ教育研究費のような割当もなく,先生達は授業や校務で多忙を極め授業準備に割く時間の捻出に苦労する。etc, etc…
少なくとも学校は,先生達自身が何か新たなことを活き活きと学習する機会を持てるような環境条件になっていません。そんな先生達のもとで,児童生徒学生だけが活き活きと学習することを,どうして期待できるのでしょうか。
分散登校や段階的な学校再開という期間は,先生方が教え手だけでなく学び手として学校という場に関わる「新しいかたち」を生み出すよい機会だと思います。
それは周囲の人々との関係性やコミュニケーションの仕方を変えてみるということですし,そのために教育ICTといった道具も役立てられるはずです。
教育委員会関係者や学校長等も,この機会に学校という場を先生達をも学習者として含めた学習のコミュニティとして「新しいかたち」に変えていく配慮と努力をすべきです。
この社会で新型コロナの影響は何もなかったということがない以上,学校教育として今後は何を考えていくべきか,それぞれ意見を出し合うべきと思います。
「新しいかたち」もそうした議論から紡ぎ出されていくと思います。