コミック雑誌なんかいらない

大宅壮一文庫に初めて訪問した。

その存在は学生時代から耳にしていたように思う。東京のマスコミの人は、何か情報を得たいときに、そこで雑誌を検索して情報収集するのだと、どこかで知った。

地方の人間には遥か縁のない場所の一つだと刷り込んだまま、東京に出入りするようになってからも、その場所に足を運ぶことがなかった。

ところが先日(2023年7月18日)、大宅壮一文庫の雑誌検索システムが巨費を投じてリニューアルされたとニュースが流れてきた。

ちょうど東京滞在が控えていたので、この機会に大宅壮一文庫に訪れてみようと思った。

かつての神秘的な受け止めも、Webサイトの情報発信やYouTubeで利用方法のレクチャー動画が用意されているおかげもあって、実際に利用できる場所なのだという確信になった。

コンピュータと教育に関する雑誌の記事があるかどうかをラフに調べに行くことにした。


建物などの雰囲気は開放的な街の小さな文化会館か、開業医の病院か。

入館して、まずはトイレで手洗いをするというルールさえ知っておけば、あとは大変親切に案内もしてくれるので怖れることはない。

私は動画で予習したつもりだったが、女性の利用者想定の動画だったから、女性トイレに突進していたことを現地で気がついた。男性トイレは入口すぐ右手だ。

国立国会図書館を利用した経験があれば、雑誌専門図書館である大宅壮一文庫も、ほぼ似たような段取りで閉架図書を借りて閲覧及び複写願ができる。

私設図書館ということもあり、入館料や閲覧冊数の制限と追加料金、複写料金など、特有の設定である。

とはいえ、入館料ワンコイン500円で好きなだけ大宅壮一文庫の貴重な雑誌検索システム「Web OYA-bunko」を利用できる。(個人契約するにはな高額なサービスなのは仕方ない)

「コンピュータ 教育」というキーワードで検索をして、500件弱の検索結果が出てきた。

入館料の範囲で15冊までは閲覧させてもらえる(追加100円毎にプラス10冊)。

週刊朝日や朝日ジャーナル、週刊ポストなど、いわゆる大衆誌に掲載されていた記事をピックアップして、当時の世間一般に「コンピュータ 教育」の話題がどのように報道されていたのか知るため閲覧した。

閲覧申請と受け取りは2階。そこで、表紙がラミネート加工された過去の雑誌たちを受け取り閲覧する。

閲覧しながら複写したいものをチョイスして、返却と同時に複写をお願いする。複写は1階で受け取り支払い。

もちろん何度も往復してよい。支払いは一番最後まで待ってくれる。

検索で一番古い記事としてヒットしたのは昭和44年の週刊朝日に掲載された「NHK『コンピューター講座』を買った70万人」という世相記事。伝説のNHK講座番組「コンピューター講座」のテキストがサラリーマン達にバカ売れして一か月あまりで70万冊に達したという話題であった。

半世紀を経て、ChatGPT特集を買うビジネスマン諸氏の姿をみるにつけ、歴史は繰り返すというか、私たちの行動枠組みがほとんど変化していないことを再確認できる。

そして、コンピュータと教育にかかわる大衆誌の記事のリストを眺めていると、この分野がことごとく理解を得るための情報発信に成功していないことを痛感するのであった。

確かに大衆誌には大衆誌の解釈枠組みや編集枠組みがあって、そっちが変わりようがないので、いつまで経ってもすれ違いの扱われ方しかしないのかも知れない。最近はWeb媒体で異なる展開もあるので、かってに比べればだいぶまともな取材とまともな情報の発信も増えてはいるけれども、それが大衆誌のカバーしていた世間というものと同一範囲で届いているのかは検討の余地がある。

ある程度にプロパーな人がいる場所には届けられていても、魑魅魍魎とした大衆誌の周辺の世間には、実のところ全然届けられていないのではないかと思ったりもする。

ようするにこの頃は、新聞社にも雑誌社にも、ある程度に教育が分かるような人が居るようになったので、教育記事が少しまともに扱われるようになったが、そうでないところは相変わらずダメということなのだろう。

とはいえ、そんな憂いをしていても、印刷雑誌という媒体はどんどんと失われていく流れにあり、大衆誌というジャンルでカバーするような読者集団というものの存在自体が雲散霧消しつつあるのでどうしようもない。

印刷書籍を呪う小説が話題になっているご時世だ。

東京の片隅に行かないと閲覧するのが難しい状況を神格的に扱って喜びを見いだしたところで、後の世代にとっては大きな迷惑でしかないのかも知れない。まぁ、時代時代の違いとは思う。

遅すぎた撤退

卯月初日にでも書けば少しは洒落た話にでもなるのかも知れない。

けれども、遅すぎた撤退を告白するのに時期や日時を気にしたところで大した得になるわけでもない。いくらかの恩義さえ、もうすでに裏切っているのだから、なおさらだ。

林向達は次なるフェーズに移ることにした。

そのための撤退戦を開始することとなった。

それは文字通りのことではあるけれども、細かなことは始まってみないことにはわからない。

いまは端的にそれが始まることだけ記しておきたい。

遡れば、私はもっと早くそうするつもりだった。

そう考えていた矢先に学会大会の開催をお願いされて引き受けてしまった。

なんとか無事に学会大会を開催し終えて息ついたらコロナ禍がやってきた。

世間が動きを止める中、東京目黒へ出稼ぎする機会を得て楽しくは過した。

それらがようやく終わり、気がつけば私も歳をとり、田舎の孤独に疲れた。

次なるフェーズへの撤退を開始しよう。あとは任せた。

モダン・タイムス

書店の教育書棚を眺めていました。いろんな書籍が出ていましたが、この二冊が平積みで並んでもいました。

気の滅入る書籍で、買うのを躊躇っていましたが、問題理解のために読んでみることにしました。写真右の書には私学や大学のことも扱われているので、他人事でもありません。

私自身は教員養成学部で学び、周りの友人達が教員として就職していった環境にいたので、簡単ではないけれど正規教員になることがキャリアの本流ルートだと考えていた人間でした。

それがいつだったか「正規教員の採用が減り、非正規教員への依存が高まっている」ことを知ったときにはショックを受けたものの、だんだんとそれが普通だと思うようになっていました。一般社会でも非正規雇用の問題が当たり前に語られるようになっていたので、学校教育界も例外ではないと納得してたわけです。

写真左の書では、氏岡氏が2010年頃から調べ始めて、あれこれ非協力的な反応にぶつかりながら、2011年に先生欠員の一面記事を出したときのエピソードを書いています。記事への反応がほとんどなかったというのも、当時の気分を思い返すとさもありなんという感じです。

そして、とうとう正規教員の不足が顕在化したことで、慌てふためいたような対処療法があれこれ打ち出され始めていることもニュースで接するようになりました。

深刻な問題であるから、私たち一人ひとりができることを考えたいと思うわけですが、この頃の問題は、何一つとっても個人には手に余る問題ばかりだし、任せるしかないわりには肝心の人たちは悪い手筋しか打ってこないことに苛つくばかりのことが増えました。

あるいは、そういう苛立ちを抱くことがそもそも違っているのかも知れません。

書店の教育書棚を眺めていると、子連れの方が隣りにやってきました。

小学校中学年から高学年といったところでしょうか、文字を読むのが得意らしく、彼や彼女はくだんの書籍の表紙を声を出して読み上げます。

「先生が足りない…だってお母さん!」

「授業ができない」「代わりがいないから休めない」「どれだけ探しても見つからない」…

と写真左の書の帯に書かれた吹き出しの文を声を出して読んでいました。

こどもの声で発せられたそれらの言葉を、彼彼女は何を思って読んでいるだろうか…と複雑な気持ちで聞いていました。

教育データへの異常な愛情 または学校は如何にして心配するのを止めてダッシュボードを愛するようになったか

教育データの議論から追い出されてから建て込む雑事に追い立てられて過ごしています。

そういえば、こんなニュースが流れているなぁ…と。

教育データの議論には「粒度」という言葉が用いられていて、こうした身体・生体情報にもとづくデータは粒度が細かいと表現されています。

可能性の議論としては当然扱われるわけですし、実験研究としても未知のままにして放ったらかすわけにはいかないので、こういう試みが実際に執り行われて議論の材料を提供することも必要。

今は研究倫理がうるさくチェックされる時代なので、表に出てくる試みは倫理審査を通したり、被験者や関係者の同意を得たうえで実施されていると考えるのが妥当ですが、それにしても記事だけでは、そのような慎重事案であることがうまく伝わってないことが懸念されます。

それに「集中してるかどうか」を指標にすることの安易さもあちこちから指摘されている模様です。

このニュースに欠けているものがあるとすれば、ちゃんとした議論の場がどこに用意されて実際に議論が行なわれているのかを示していないことです。こんな試みもあります(ドヤ)で終わらせず、こうした試みを踏まえて誰がどのように議論していて、一般の人々もその議論をどうやったら傍聴したり把握できるのかを示していないので、「なにやら不穏なことをしている人たちがいる」というイメージしか醸成しない。

とにかく、この分野の科学コミュニケーションは下手すぎて損ばっかり生んでいます。

関連する情報をピックアップ:

それより以前からもいろいろありました。

AI技術がグッと進歩して、取得データの可視化もやりやすくなってくると、ますますダッシュボードへの期待が高まっていくようです。

誰かの何かで済むとき済まないとき

とある教職教科書の執筆にお呼ばれをして、プログラミング教育に関する部分を書きました。

依頼を受けたのは1年以上前でしたが、それ以来、何を取り上げてどう書けば良いだろうか、という宿題が頭の中でずっと渦巻き続け、先日やっと提出し終えたところです。

苦労しました。今年に入って生成系AIの騒がれ振りを目の当たりにしたことで、一旦提出した原稿のアップデートを願い出たりもしました。編者の方にも賛同いただき見直し書き直し。

紙数の制約上、いろんな基礎的情報を端折り(たとえば特定のプログラミング言語の言及が皆無)、一方で、撲滅したかった「プログラミング的思考」という表記を幾度か出すという苦渋の選択もありました。もともと執筆依頼のキーワードだったことや文部科学省文書を扱わざるを得ない手前、仕方なし。

それでも、ずっと海外のプログラミング教育やCS教育の文献資料を漁る中で拾った知見に触れたりして、諸外国のプログラミング教育、コンピュータサイエンス(CS)教育と通じ合うための要素も少しは盛り込むことができたのではないかと思います。

もっとも「プログラミング教育」という窮屈な枠組みはオワコンだという雰囲気もありますが。

これまで、日本のプログラミング教育の言説は、ほとんどが国の審議や報告書、行政文書の中で紡がれた文言が発祥のものばかりでした。

確かに日本の学校教育はそうしたものに大きく規定されながら運営されているので、それらを無視するわけにはいかないのですが、教職教科書といえども、それを語るときの距離感や姿勢には注意を払わなければなりません。他者の言説を無批判になぞるのは望ましくありません。

今回の原稿は、執筆コンセプトに学習科学や教育工学的な観点が求められていたので、国発信の「手引」の二番煎じをしても意味はなく、その次のステップの糸口を提供できる内容を模索しなければなりませんでした。

その試みが成功したのかどうかは、世に出たときに読んで判断していただければと思います。

今回、かなり執筆の時間的猶予を与えていただいたにも関わらず、やはり土壇場まで悩み続けていたことを振り返るにつけ、自分は、すでに誰かが語ったことをどう扱うかについての葛藤を解決するのが上手くないのだなと思い知らされます。

どんなに自らの言葉や考えに昇華したとしても、それを開陳する時点で真似や伝言ゲームをしているだけじゃないかと思えてしまい、ならば原典に当たってもらった方がマシなんじゃないかと思ってしまうからです。

その辺を妥協して、自分なりの言及を付すことで意味ある形に落とし込めればラッキーだし、上手くいかなかったら所詮は横を縦にするコピペ職人なんだろうなと気持ち凹んで過ごすというわけです。

これはつまり、そろそろ私自身の知の貯蓄も尽きてきたといったところかも知れません。

理不尽な状況にほとんどの人々が冷めた状態で接することを余儀なくされて、力なく願いだけが積み重ねられていく様子を見せられると、思いを語る意義さえ見失われます。あるいは躊躇われてしまう。

社会全体でこういう無気力の学習が展開していて、あとはオーソライズされた言葉を違和感なく組み合わせていくだけで何かをまとめた気分になるだけ。そこに人を魅了する熱意や欲望みたいなものはないし、いつも待っているのはこんなはずじゃなかった感のある結末。

切り替えていくことに取り組まなければならない。そう思うこの頃です。