20181128_Wed

滋賀県近江八幡市へ助言のため出張。

新しいICT環境を整備する取り組みが進められている。そのための移行作業など,年末年始や年度末年度初めの繁忙期を迎えるにあたって,何をすべきかをハッキリとさせて共有することの重要性について確認していた。

今年の春の市長選で当選した新しい市長と初めて面会。

ご自身の考えをお持ちでありながらも,まずは相手が何を語るのかを引き出して聴こうとする態度に好感を持ちつつ,下手なことを語れば聴く耳持ってもらえないかもという緊張感も。

多額の予算を使って学校にICT環境を整備することの意味を関係者の間でしっかりと理解し合うことの重要性を感じた。それを常に問いかけながら取り組めば,市長も強くバックアップしてくださるように思う。

帰りは神戸三ノ宮で夕食と本屋浸り。

現代用語の基礎知識』の臨時増刊「昭和編」が気になっていたので購入した。ああ,平成も終わり,昭和も遠くなりにけり…か。

20181127_Tue

Amazonプライムビデオに『ウエストワールド シーズン2(字幕版)』が追加された。

シーズン1を見てアンソニー・ホプキンスの名演とともに作品として気に入ったので、続編も期待して一気見してしまった。

目まぐるしい場面切り替えの映像構成手法は前シリーズに負けず劣らずといったところ。物語に入りきらないと、それだけで脱落してしまうかも知れない。

せっかくの脚本を味わうにはネタバレとの接触は極力避けた方がいいが、哲学的な要素を中心に据えた物語になっているので、SF作品につきものの技術的な飛躍や有り得なさみたいなものはあまり気にしないで見ることをお勧めしたい。

出来映えは、続編として及第点か。シリーズ1の世界観の続きを楽しめる人は「そうきたかぁ」と言えるが、それにしても要素が多くて大変だし、新鮮さが薄れている部分もあるので、人によって評価は分かれそう。私は好きだけれども。

シリーズ3の製作が決定されたようだが、さてどうなりますか。

20181126_Mon

授業と学生対応。

教育方法・技術論は,インストラクショナル・デザインについて。ガニェ『学習の条件』に書かれた事柄を紹介した。「学習成果の5分類」や「9教授事象」は定番中の定番か。とはいえ,これをビギナーに解説するには,具体的な場面を想起させながらでないとなかなか難しい。分かってしまえばなんてこともないが,そこに至るまでの橋渡しはこちらの仕事だ。

職場の大学院の試験業務と,ゼミ3年生が研究室にやって来て卒業研究に向けて相談してくれたので,それ関連の雑談などをした。

curriculumとpathway

日本教育メディア学会年次大会2日目。

朝の身支度に時間がかかり遅れて会場に着く。課題研究1「情報活用能力の育成に資するメディアを活用した教育実践」に加わって,発表や議論を聞いていた。

小学校外国語やプログラミング教育に隠れてしまいがちであるが「情報活用能力」という言葉が学習指導要領に登場するのは平成29年版が初めてとなる。

平成元年の中学校「技術・家庭科」における選択領域「情報基礎」の導入や平成11年の高等学校・普通教科「情報」の新設といった改訂を経て,およそ30年もの歳月をかけて学習指導要領の中に「情報活用能力」という言葉が入ったことになり,確かに今さら感も強い。

ようやく正式な学習指導要領上の文言となった「情報活用能力」を,どのように学校の教育課程の中に位置づけるのか。情報活用能力育成のためカリキュラムの模索が一層活発化しているのは確かである。

課題研究の議論でも,デジタル・タキソノミーを援用した情報活用能力モデルカリキュラムの開発について報告があったことから,体系的なカリキュラムデザインやカリキュラム・マネジメントについて言及された。

教科横断的な資質・能力を重視した学習指導要領の実施を目前に,学校におけるカリキュラム・マネジメントのもと,教育課程をマッピングしながら矢印を結ぶ作業が,先進校を中心に行なわれている。

そんな試みをあれこれ見ていると,それに「カリキュラム」という言葉をそのまま使っていてよいものか,ふとした疑問も湧く。

やりたいことは「カリキュラム」(curriculum)という体系なのか。

むしろ「パスウェイ」(pathway)といった道筋を描きたいのではないか。

中教審答申において学習指導要領を「学びの地図」と表現していたが,そのメタファを活かすならば,地図におけるそれぞれの目的地へのルートを探索しているか,その候補を生成しようとしているのかも知れない。

付け加えるならば,この場合,単に人力のルート探索をするというだけでなく,辿ろうとする道筋のイメージ(通過する場所や続く景色の様相への想像力)を持っておくことが大事になる。

これまでも教科書会社の教師用指導書がモデルコースや指導のルートを提案してきた。けれども,あらかじめしつらえられたコースやルートを辿るだけでは立ち行かなくなってくるのが新しい学習指導要領の考え方ではないのか。

そのため先生たちは,自分自身で目的地まで辿ることが出来る力能を持たなくてはならない。地図を読み取って,どの道を選択するのか判断する際に,どこをどう通過することで学習者にとって豊かな学習のパスウェイ(軌跡)になるのかという想像力が必要なのだと思う。

学びを旅路に喩えるならば…

あらかじめ決めたルートやコースで充実した旅もある程度可能かも知れないが,相手の嗜好に合わせてガイドをしながら旅路を紡ぎ出すことで,より学びを深める機会となるのではないか。

こう考えると,カリキュラムという言葉で考えるよりも,パスウェイという言葉で考えていった方が,学校の先生方にとって(それを感得するまで遠回りかも知れないが)今後より必要となる職能を得るのに適しているのではないかと思われる。

そもそもカリキュラムでは大き過ぎて個々の先生方には荷が重いはず。

カリキュラムからパスウェイへ。発想の転換も必要かなと考えた学会参加だった。

20181124_日本教育メディア学会

日本教育メディア学会年次大会初日。

鹿児島大学附属小学校での公開授業から始まった。4年生の総合的な学習の時間で「附属小学校の伝統を伝えよう」という単元。附小クイズを作成して,クイズに解答してもらう活動を通して学校の伝統を知ってもらうことを目指していた。

その際,選択クイズを出題するツールとしてScratchを利用し,そのプログラムの流れを考えるのが今回の授業であった。

選択問題のScratchプロジェクトを作成する際,回答に応じた処理が必要となり,「分岐」という考え方と「もし」ブロックの利用へとつなげていく。授業案で想定されていたのは,そのような展開である。

子どもたちは,前時よりペアになってクイズのプロジェクトを進めており,問題と回答に応じて表示する画面などはすでに作業が終わっているものの,回答に応じて表示するための処理は分かる子達以外は組み込めていないという状況だった。

伝統を低学年に伝えるためのクイズ作成という軸はぶらさずに,選択クイズをプログラミングしていくわけだが,ペアごとにブロックの組み立て方がバラバラなので,たとえばキー入力待ちの処理のしかたも,「ずっと」ブロックを使うペアあり,「○秒待つ」ブロック後に「もし」ブロックでキー判定するペアあり,そのまま「もし」ブロックを使っているペアあり…と動くものもあれば動かないものもあったりする。

今回の授業では,回答によって結果が変わることの必要性と「もし」ブロックの存在を知ることがひとつの目標だったが,限られた時間でプログラミング活動をする難しさみたいなものをあらためて感じた授業だった。

その後は一般発表と鼎談企画へ。

一般発表では「プログラミング」関連を聞いていたが,やはりまだまだ模索段階にあるなぁと感じた。その模索を否定したいわけではないのだけれど,ある程度厳しい問いに晒しながら進めないと,ごっちゃに受け止められてしまう懸念もある。

鼎談企画は「教育メディアのこれまでと展望」と題して,日本教育メディア学会と学会紀要の論文の歴史を振り返りながら語るもの。

教育と情報の歴史研究に携わっている私としては,興味津々のテーマと内容であった。携わっているといっても私自身は教育とコンピュータの領域から取りかかっているため,視聴覚教育の領域に関しては学ぶことばかりである。

学会前身の「視聴覚教育研究協議会」の第1回が1954年に行なわれた際,「わが国における視聴覚教育の現状」として「放送教育」「映画教育」「幻燈教育」「紙芝居教育」「視聴覚教育資料」「視聴覚教育の諸問題」「The Use of Audio-Visual Materials in the USA」といった立場からの発表があったという。こうしたキーワードから過去について,また今後の展望についていろいろな語りが出ていた。

その中ではかつての「西本・山下論争」を振り返って,昨今では「論争」があまりないこと,学会でもっと論争すべきといったご意見もあった。

ただ,論争がないというのは,多くの人々が注目をする論争のための場がないだけで,細々としたところでは異論を唱え合っているという事態は進行している。学会という場が論争の場になるためには,そうした言論空間の時代変化に対応していく必要があるだろう。

今回は学会史の序盤だけで終わった感じである。

そして,来年の年次大会で続編を企画しようかという話も出た。教育と情報の歴史研究会も再始動させて,徳島でも歴史を振り返る機会を持てるようにしたい。