20181123_Fri

日本教育メディア学会の年次大会参加のため鹿児島へ。

朝から自家用車で神戸空港に向い,そこから飛行機で鹿児島空港に移動した。前回,鹿児島に訪れたのは2001年みたいなので,17年振りということになる。

鹿児島空港からバスで鹿児島中央駅へ。鹿児島のランチを検索して,黒豚とんかつの美味しいお店があるとのことなので降り立ったバスターミナルからトコトコ歩いて「黒かつ亭」。行列には並んだが,とんかつ自体は美味しくいただいた。

学会理事会は8期が終わり9期へとバトンタッチ。

変わり種として身を置かせていただいていた私も理事の任を解かれ,唯の学会員に戻った。と思ったら,あんまり仕事してなかったことがバレたので,来年度の年次大会の開催担当をする宿題が課されて,期間限定の理事招聘をいただいた。

というわけで,2019年度の年次大会は徳島である。

2019年11月2日(土),3日(日)に徳島文理大学の徳島キャンパスで日本教育メディア学会の第26回年次大会を開催する。

今回はそのバトンを鹿児島までもらいに行くというのが主目的である。

20181122_Thu

保育原理は,発達段階のお話。

ベタではあるが原理の授業なので「エリクソンの8つの発達段階」を紹介した。「乳児期」「幼児前期(早期幼児期)」「幼児後期(遊戯期)」「児童期(学齢期)」「青年期」「初期成人期」「成人期(壮年期)」「成熟期(老年期)」と並ぶ,アレである。

保育や幼児教育に関わる前半部分を紹介するのだが,個人的にこの話題は話していて楽しい(いつも楽しそうに講義していると言われるけれど)。乳児さんから年長さんの様子をイメージしながら,赤ちゃんやちびっ子が何をしでかすかを話すのだから楽しくないはずがない。「あなた自分の子がいないから気楽にしゃべれるのよ」と言われてしまうかも知れないが,だとしても,子どもたちが招くテンヤワンヤを理屈を通して話せるのだから気にしない。

プロジェクト活動も,こうした発達段階を前提に考えてから進みたかったので,今回は一旦お休み。次回は子どもたちの姿や様子がわかる動画を探して視聴しようと思う。年齢によって身体的な違いや動作・行動の違いなどを掴めると面白いなと思う。

夕方に突然,実家からビデオチャットが舞い込み,姪っ子甥っ子が顔を出した。大きくなったねぇ。

卒業研究は地道に進行中。

小学生向け体験教室で縁のある学生が「プログラミング教育」をテーマとした卒業論文を書いていたそうで,相談にのることになった。どんなプログラミング体験が論理的思考力を育むのかを考えたいとのこと。

まずは,本人の現状認識を聞き出すところから。

一通り本人の考えや明らかにしたいことを聞き出した後,それらを論文として組み立てるための構造を考えるフェーズに移る。使う語の定義や先行研究のレビューの重要性,自分が注視しているものを説得力を伴って押し出すために必要な手続きなど,ボーカルとバックコーラスの関係を例え話に解説しながら,論文に必要なものを意識してもらった。

とにかく,そもそも論理的思考とは何かを調べて理解した上で定義する必要があるので,参考になりそうな関連文献(『思考・論理・分析』とか『論理的思考 最高の教科書』とか)を紹介した。残された時間は多くないので,あまり深入りしないで,ある程度のところで自分なりの説得的主張を決めた方がいいとアドバイスした。一応,ざっくり私の考えも紹介したけれど,それもひとつの考え方でしかないし,むしろ語られていないところに自分なりの論を展開すべきことも言い添えた。

大学キャンパスに献血車。

少し時間もあったし,体調も普通だったので,久し振りに献血することにした。記録を調べてもらったら8年ぶりだった。前回は平成22年だったらしい。そんなに前だっけ?時間ばかりが過ぎてしまう。

20181121_Wed

調べものと卒業研究指導。

学生たちが研究室で過ごす時間が増えてきた。現在の部屋に引っ越してきた時点で,そうした利用を想定していたので,ようやくそんな姿が増えてきて嬉しく思う。もっとも卒業研究自体はもっとピッチを上げてもらわないと困るけれど。

そんなこともあって,研究室の椅子を新調することにした。

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ベンチタイプは変わらないが,背もたれ付きのものに変更。今までは板の上に薄いクッションを敷いて座ってもらっていたが,座面もクッション式になり,ぐっと快適度が増した。これで来客に対しても優しい研究室になった。

長時間座ってパソコンや資料を見ていると疲れるが,伸びをするにしても休憩するにしても背もたれがあると大変楽だ。小さな環境改善だが,これで学習や研究がはかどってくれれば言うことはない。早くも横になって寝たがっている学生もいたけれど。

幼児教育や保育の世界では「環境を通して」ということが共通認識になっているところがあるし,大学教育においても「ラーニング・コモンズ」の重要性がますます大きくなっている。先日も各国の初等学校の教室配置と授業スタイルが異なることを話題としたWeb記事が紹介されていた(20181116「「国民性は小学校の教室から作られている」5カ国の小学校を渡り歩いた女性が語る日本の可能性とは?」AERA)。

また,メイカームーブメント(自作&ものづくり)でも,「メイカースペース」といった実験や工作等を自由に試行錯誤できる(ティンカリングできる)空間が重視されている。

学習空間をどのようにデザインするかは,単に居心地という次元を越えて,学習活動の行方を大きく左右する条件のひとつになっている。

逆に言えば,空間の制約によって私たち人間の行動や思考も制約が課されていると考えられるわけで,それが変わらないところに新たな課題や道具が降ろされたとしても,柔軟な対応を求めることは簡単ではないかも知れない。

私立や一部の公立学校では,オープンな雰囲気を備えた校舎や学校空間を持ったところが出てきている。もちろん新しい校舎で洒落た設計が為されただけで,活用に柔軟性がなければ意味がないけれど,もっと多くの学校空間の居心地や利用経験が柔らかいものになるといいなと思う。

20181120_Tue

授業と会議。

卒業研究には,「教育玩具」をテーマとしたWebサイトを構築するというものもある。サイト自体はこれから構築作業をするのだが,事前調査は進めてきており,その歴史的な流れについて調べてもらっているところである。

教育玩具の近代』(世織書房)は,教育玩具に関する数少ない文献の中の貴重な一冊だが,日本において「教育玩具」がどのように生まれ受容されてきたかをまとめている。そこには明治期における内外の博覧会への出品に関わって展開する,幼児教育にとって意義ある玩具を具現化しようとした試みと失敗,ビジネスチャンスを生み出した商才とそこへの便乗,そして教育関係者による玩具の改善といった歴史がある。

そのような歴史の中の,教育博物館(現在の国立科学博物館)の存在や,百貨店の三越による児童博覧会や児童用品研究会の設置は興味深い。(時間差を伴いながらも)産官学の連携が教育玩具の世界でも成立していたということだろうか。

個人的には高島平三郎が作成した「年齢別の発達段階に適応した玩具分類表」や関寛之が作成した「玩具の科学的な分類表」を機会があれば探して見てみたいなと思う。

この本の後半は幼稚園教育と教育玩具としての積木を軸に論じられていて,これはこれで担当している授業にも関わるので興味深い。フレーベルの「恩物」が外来玩具として持ち込まれ,日本の幼稚園教育の形成とともにどう受け止められたのか。またじっくり読んでみたい。

20181119_Mon

気になる本『敵とのコラボレーション』(英治出版)を読んだ。

日頃,外部の人とやりとりする機会が少なく,議論する相手も身近にはいないので,独り思索を巡らすことで考えを深めることがほとんどである。本来であれば,他者とのやりとりで議論を膨らまし,認識を深めるのが理想的なのだが,相手がいない以上,文献資料を土台として,テーマを多角的に検討するしかない。

独りで議論を展開する場合,批判対象(仮想敵)を設定した方が思索を活性化しやすい。

他者の主張に同調してみるだけでなく,主張を批判的に捉え直すことで,見えなかったものが見えてくるかも知れない。そうやって考えを深めたりするのだが,これをやり過ぎるとこの本で言うところの「敵化」(enemyfying)をする心的傾向が強くなってしまう。敵化症候群だ。

筆者の言うことには,従来型コラボレーションでは窮屈であり,敵化症候群を生じさせやすい。そこで本書が提示するのが「ストレッチ・コラボレーション」である。「対立とつながりを受容すること」「進むべき道を実験すること」「ゲームに足を踏み入れること」の三つのストレッチを含んだものとされる。

決して目から鱗の方法というわけではなく,全てをコントロールしようと思わず,名前の通り柔軟に押し引きを当事者として継続しましょうという提案である。付かず離れずの距離感を構築・維持できれば光明がさすと言った感じだ。

やはり当事者の立ち位置にどうやって至るのかという問題は残る。その辺が読後感として物足りなかった。