20181009_Tue

授業と会議の日。

情報科学はコンピュータの現状と誕生について。

パソコンやスマートフォンといったコンピュータ機器の種類を知ることから始めている。iPhoneユーザーが圧倒的多数なので,ブランド名やメーカー名,基本ソフトの種類の紹介でAppleのものを先頭にした。20年前には潰れかかっていた会社だったと思うと感慨深い。

コンピュータの歴史を知るのに,映画「ドリーム」と「イミテーション・ゲーム」を紹介した。映画は1960年頃と1939年頃の実話をベースとした物語であり,日本のパソコンブームの到来が1980年頃であることも示しながら,コンピュータが60年〜80年くらい前に生まれたものというイメージを持ってもらった。どこを起点にするかは諸説あるだろうけれど。

教員採用試験に臨んだ4年生達の結果が順に判明して会議でも報告が上がる。努力の成果が実った人も多かったし,悔しい結果になった人もいる。結果についてはいろいろ考えられることはあるけれど,ご縁が有ったか無かったか。最終的にはそこに尽きる。縁を受け入れるお互いのタイミングが合ったかどうかなのだと考えれば,次の一歩を踏み出しやすいとも思う。

20181008_Mon

体育の日で祝日。

ニコラス・G・カー『クラウド化する世界』(翔泳社)を覗く。

コンピュータネットワークにどっぷり浸かった日常を,もう一度,その始まりから考えたいと思って開いていた。

ちょうど10年前,2008年の著作。原題は”THE BIG SWITCH”(大転換)であり,様々なソフトウェアがネットを介したサービスとなっていく流れの幕開けを記録した本である。カー氏は『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』※(ランダムハウス講談社)や,『〜・バカ』という邦題を付けられてしまう著作をあれこれ書いている人だ。(※『もはやITに戦略的価値はない』という電子書籍になっている。)

気になった部分。

「技術と経済の相互作用が最も明らかに見ることができるのは,社会に不可欠な資源が提供される方法に変化が起きるという,ごくまれな機会である。」「その他の重要な多種多様な資源−−水,輸送,文字,政治組織など−−の供給が変化したことは,社会を形作る経済的取引をも変化させた。百年前に人類は,テクノロジーが人間の身体的能力を超える瞬間に到達したのである。そして今日,我々は同様に,テクノロジーが人間の知的能力を超える時を迎えている。」(27-28頁)

カー氏は,人々の技術進歩の受け入れを,経済の問題として語る。

私たちが電化について,電力インフラを構築した世の中を受け入れたのは,「経済的な力の帰結」と指摘する。これと同じ事が情報化についても起こっているとカー氏は述べているし,実際,私たちはそうやってインターネットに支えられた社会を受け入れている。

「クリックがもたらす結果が明らかになるまでには長い時間がかかるだろう。しかし,インターネット楽観主義者が抱きがちな希望的観測,すなわち「ウェブはより豊かな文化を創造し,人々の調和と相互理解を促進するだろう」という考えを懐疑的に扱わなければならないのは明らかだ。文化的不毛と社会的分裂もまた,等しくあり得る結果なのだ。」(199頁)

経済という観点から電化と情報化を類似的に見ることは容易であっても、文化的な観点から考えた時には,かなり異なる影響のしかたをする。その後に続くカー氏の一連の著作(『〜・バカ』)が,それを掘り下げてたものになっていることも興味深い。

結局,私たちは何をして生きたいのか。そういうベタな問いに戻ってしまった。

20181007_Sun

近所を散策する。

行動範囲も変わりつつあるので,あまり足を踏み入れていないところへ。どこに住んでいても旅行者気分が抜けないので,目新しいルートを見つけるとそっちに行ってみたくなる。

この連休,徳島で「マチ★アソビ」というイベントが開催されている。私が徳島に越してきたのと同じ2009年にスタートし,今は春秋年2回開催となって今回で21回を数える催事となっている。

公式の説明には「”徳島をアソビ尽くす”ことを目的とした複合エンターテイメントイベントです。徳島のシンボルである眉山山頂や、新町川沿いにある“しんまちボードウォーク”、 阿波おどり会館やポッポ街、徳島駅周辺を巻き込み、各エンターテイメント関連会社や人気声優が一堂に会し、さまざまなイベントや展示が行われる一大イベントです。」とある。

気づくとは思うが「人気声優が一堂に会し」とあって,なぜタレントもしくは芸能人と書かないのか不思議に思うかも知れないが,このイベントが徳島にあるアニメ製作会社の声掛けで始まって,イベントの多くがアニメやゲームといったエンターテイメントをベースに企画されたものだからである。そのため,期間中の会場周辺は主にアニメファンやそういったことに関心のある人達が集うといった様相になっている。

とはいえ,徳島を盛り上げたいという気持ちから出発していることは間違いないし,街が賑やかになる手段はいろいろあってよいはずなので,そんなことからマチ★アソビは継続してきた。

徳島という県は,良い意味でも悪い意味でも周回遅れの県だと思う。

いわゆる都会的な要素を他府県に任せたまま自県で持たず,都会化する必要性のない時代に突入したお陰で,いまや不自由なくのんびりと暮らせる場所になっている。唯一の不便は,県外へ移動するコストの高さだけ。

都会的な要素がないというのは,余所行きという感覚をあまり必要としないことであり,改まった感覚や緊張感というものが生起するのに時間がかかるということでもある。

それを長所と捉えるか,短所と捉えるかは,ケースバイケース。

vs東京」のような魅力PRのコンセプトとして利用することもできるだろうし,時には今年の阿波踊り運営で全国に知れ渡った騒動のような事態の遠因になっているのではないかとも思う。

日常生活を送る分には,徳島は大変住みよい土地だし,緊張感があろうが無かろうが関係がない。大都市に出かけたければ,高松,神戸,大阪へと足を伸ばせば済むことだし,出費をいとわなければ東京にひとっ飛びする飛行路線は毎日利用できる。

問題は,それが持続可能なのかという一点だろう。

ほとんど関係ないが,なんとなく『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫)のことを思い出してしまった。何かしらの再生産が働いているとしたら,この徳島が再生産している価値とは何か。一人で考えても生産的にはならない問いなので,あんまり考えないでおこう。

未来は来ない

妙に催事が多いキャンパスで次の講演仕事の準備をする。

端末一人一台とクラウドの現状についてお題を出されたので,書棚を回遊して関係しそうな文献をピックアップしていた。そんな過程で見田宗介『現代社会はどこへ向かうか』(岩波新書)を見つけ,読みかけだったので読み始めてしまった。

その新書では「ロジスティック曲線」が参照されて人間の歴史の3局面が示され,それをベースに理論が展開していく。ロジスティック曲線とは「S字カーブ」のことである。私も翻訳に参加した『情報時代の学校をデザインする』でもパラダイム転換を考える際に多段式ロジスティック曲線を参照しているので,見田氏の論の展開を興味深く読んだ。

人間の歴史をSカーブで表現するとき,真ん中の急激な上昇線部分を爆発期と考えた時,爆発期以前を第1期,爆発期を第2期,その後の安定平衡部分を第3期として局面を分ける(新書ではローマ数字表記)。新書では,第2期「爆発期」が「近代」であり,いまの私たちは第3期へと転回する曲がり角にさしかかろうとしている(第2期の最終ステージ)ということを社会調査データ等を手がかりにしながら確認していく。

詳しくは新書をお読みいただきたいが,後半に,第2局面の最終ステージという「現代」に〈未来への疎外〉と〈未来からの疎外〉という疎外の二重性があり,それが現代のリアリティ喪失に繋がっているという指摘があった。「現在生きていることの『意味』を、未来にある『目的』の内に求めるという精神において、この近代に向かう局面を主導してきた」(96頁)という第2期が最終局面に入ることで、目的が消失することによって未来から疎外される。一方で第2期の勢いのもと未来への疎外は残ったまま。その二重性を抱える現代。そこに世代を重ねることによって私たちの視界も微妙に異なってくることが序章で示されている。

それで,総務省がやっていた「フューチャースクール推進事業」と,いま経済産業省がやっている「『未来の教室』実証事業」という2つの「未来」が浮かんだ。

総務省の未来が「近代」の未来だとすれば,経産省の未来は「現代」の未来といってもよいのかも知れない。

そういう意味で,総務省の未来はナイーブな未来だったし,結果的に1人1台に端末を配布するという物質的な側面に注目が集まった事業であったことが,いかにも「近代」である。結局のところ,全国の学校に1人1台端末という未来は約束された時期には起きなかった。

経産省の未来は,準備の成果もあってか「現代」的な未来を掲げていると思う。けれど「現代」であるがゆえの疎外の二重性の中にあって,見田氏の言う「高原の見晴らし」をどう切り開くのかは試行錯誤を始めたところだとも言える。関係する人たちは,見田氏が示す新しい世界創造のための公準「ポジティブ」「ダイバーシティ」「コンサマトリー」を好みそうだから,長い目で見れば変革の一歩を刻むのだろう。

ロジスティック曲線に絡んで,もし私たち人間(サピエンス)がパラダイム転換を果たし得るのだとすれば,『ホモ・デウス』の議論につながっていくのだろうかと,ちょっと気になっている。まだ前著を読み切ってないので,早く終わらせて読んでみたい。

20181005_Fri

専門ゼミで文献講読。

10月は秋行事等で授業日が変則的になっており,専門ゼミナールもやっと始まるところ。今年は『ライフロング・キンダーガーテン』が課題本となる。分担決めをしてさわりを少し。昨年はうまく絡められなかったが,ちょうどMIT「ラーニング クリエイティブラーニング」が今年も開講するので,文献とともに見ていきたいと紹介をした。

研究室内が机や椅子に資料が積み上がってゴチャゴチャしていたので,スペース確保の最適化を多少していた。書棚を眺めていたら『松丸本舗主義』(青幻舎)が目に入ったので久し振りに開いてみる。

2009年10月から2012年9月末まで,丸の内オアゾ(東京駅の横)にある丸善・丸の内本店の4階に「松丸本舗」という異色の書店があった。書物と書物がある編集のもとに隣り合わせ,店内を回遊する私たちがさらなる繋がりを紡ぎ出していける書棚空間。東京に出張する度に足を運んでは,その空間に浸っていた。

うちの研究室もそんな書棚空間に近づけられたらなと思う。