「未来の仕事の65%が今はまだない」のその後

 2011年〜2012年頃に次のような文言が話題にのぼりました。

「2011年にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く」

キャシー・デビッドソン氏(ニューヨーク市立大学教授)の予測

この予測は,様々なニュースや記事で取り上げられて,国の審議会でも触れられるに至り,たとえば次のような文書にも注釈として引用されています。

20141222「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号)」
20150217「産業競争力会議 雇用・人材・教育WG 提出資料」
20150826「教育課程企画特別部会における論点整理について(報告)」
20150826「教職員等の指導体制の在り方に関する懇談会提言」
20160616「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」
20161221「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号)」 

ちなみにこの元ネタはニューヨークタイムズ紙のインタビュー記事とされています。

20110807「Education Needs a Digital-Age Upgrade」(NYTimes)

しかし,当の予測者であるキャシー・デビッドソン氏は,2012年から「65%」という数値を使っていないと告白しています。

I’ve not used the figure since about 2012

20170531「65% of Future Jobs Haven’t Been Invented Yet? Cathy Davidson Responds to Cathy Davidson and the BBC」(hastac)by Cathy Davidson

ご本人は,開き直ってか,「すべての仕事が何かしらで変わってる」(100% of our jobs have changed in some way, if not in the actual methods we use, then in their economics, delivery systems, or their future)と持論展開されています。

これはBBCのインタビューに呼応して書かれたブログで,ご本人の生声による弁明はこちらで聞くことができます。

20170530「Have 65% of Future Jobs Not Yet Been Invented?」(BBC)

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いったい「65%」の数値はどこから来たのか?

キャシー・デビッドソン氏本人が書いているように,Jim Carroll著『Ready, Set, Done』 (2007)を読んで,その引用を辿って閲覧したオーストラリアのWebサイトから,「65%」を別の著書で引用し,それを新著で再利用したのだが,もとのオーストラリアWebサイトが新しい政権になって閉鎖されたため確かめようがなくなったのだといいます。

この件については,

20170711「65% of future jobs, which doesn’t exist, 70% of jobs automated, just not yet」(SPATIAL MACHINATIONS)
20170708「A Field Guide to ‘jobs that don’t exist yet’」(Long View on Education)
20170706「The Undead Factoid: Who Decided 65% of the Jobs of the Near Future Don't Exist Today?」(The Edtech Curmudgeon)
20161102「012 65%の都市伝説」(21世紀のヒューマン)
20150730「0085: 150730 「出典」は、果たしてどこに?(その2):"65%" の謎」(Here and Now 704 : いま、ここ、から。)
20150527「A Myth for Teachers: Jobs That Don’t Exist Yet」(Scenes From The Battleground)

といったWeb記事で話題にされていました。

10年ほど前に流行った「Did you know?」インフォグラフィックムービーでも同じようなモチーフのデータ提示がありました。こうした「未来への備えのために教育を変えなきゃ」言説は,関心を集めるのに便利であるため,私もやってしまっている側です。

それだけに,その根拠を確かめるところについても,気を配れたらと思います。

何を想い,諮問し答申するのか

学習指導要領改訂は,諮問と審議と答申の過程を経ることが定式化しています。

何かを問い何かを答えるにあたっては,どんな現状認識にあって,どんな未来を想定しているのかも重要になってきます。

そういえば,過去の諮問や答申は,何を想っていたのでしょう。少し巻き戻しを…。

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 【平成29(2017)年】

[平成29年改訂 諮問]20141120 初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)

「生産年齢人口の減少,グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により,社会構造や雇用環境は大きく変化し,子供たちが就くことになる職業の在り方についても,現在とは様変わりすることになるだろう」

「成熟社会を迎えた我が国が,個人と社会の豊かさを追求していくためには,一人一人の多様性を原動力とし,新たな価値を生み出していくことが必要」

[平成29年改訂 答申]20161221 幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)(中教審第197号)

「近年顕著となってきているのは、知識・情報・技術をめぐる変化の早さが加速度的となり、情報化やグローバル化といった社会的変化が、人間の予測を超えて進展するようになってきていること」

「第4次産業革命ともいわれる、進化した人工知能が様々な判断を行ったり、身近な物の働きがインターネット経由で最適化されたりする時代の到来が、社会や生活を大きく変えていくとの予測がなされている」 

 【平成20(2008)年】

[平成20年改訂 諮問]20050215 中央教育審議会(第47回)議事録

「主要先進国では、各国とも国の命運をかけて教育改革に取り組んでおります。時代や社会の変化の中で、我が国が様々な課題を乗り越えて真に豊かで教養のある国家として更に発展していくためには、切磋琢磨しながら新しい時代を切り拓く、心豊かでたくましい日本人の育成を目指し、国家戦略として、教育のあらゆる分野において人間力向上のための教育改革を一層推進していかなければなりません」

[平成20年改訂 答申]20080117 幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について(答申)

「21世紀は、新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す、いわゆる「知識基盤社会」(knowledge-basedsociety)の時代であると言われている。
 「知識基盤社会」の特質としては、例えば、①知識には国境がなく、グローバル化が一層進む、②知識は日進月歩であり、競争と技術革新が絶え間なく生まれる、③知識の進展は旧来のパラダイムの転換を伴うことが多く、幅広い知識と柔軟な思考力に基づく判断が一層重要になる、④性別や年齢を問わず参画することが促進される、などを挙げることができる。」 

「このような知識基盤社会化やグローバル化は、アイディアなどの知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させるとともに、異なる文化・文明との共存や国際協力の必要性を増大させている。
 「競争」の観点からは、事前規制社会から事後チェック社会への転換が行われており、金融の自由化、労働法制の弾力化など社会経済の各分野での規制緩和や司法制度改革などの制度改革が進んでいる。このような社会において、自己責任を果たし、他者と切磋琢磨しつつ一定の役割を果たすためには、基礎的・基本的な知識・技能の習得やそれらを活用して課題を見いだし、解決するための思考力・判断力・表現力等が必要である。しかも、知識・技能は、陳腐化しないよう常に更新する必要がある。生涯にわたって学ぶことが求められており、学校教育はそのための重要な基盤である。」

【平成15(2003)年】

[平成15年改訂 諮問]20030515 今後の初等中等教育改革の推進方策について

「我が国の社会が現在直面している様々な課題を乗り越え、今後さらなる発展を遂げ、国際的にも貢献していくためには、教育の普遍的な使命と新しい時代の大きな変化を踏まえ、21世紀を切り拓(ひら)く心豊かでたくましい日本人の育成が重要であります。」

「新しい時代の学校にあっては、より一層、子どもたちに豊かな心をはぐくむとともに確かな学力を身に付けさせ、保護者や国民の信頼に十分こたえることができるよう、一人一人の個性に応じ、その能力を最大限に伸ばす創意工夫に富んだ教育活動が行われることが重要であります。」

[平成15年改訂 答申]20031007 初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について(答申)

「いまだかつてなかったような急速かつ激しい変化が進行する社会を一人一人の人間が主体的・創造的に生き抜いていくために,教育に求められているのは,子どもたちに,基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力,自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性,たくましく生きるための健康や体力などの[生きる力]をはぐくむことである。」

「今後の社会においては,少子高齢化社会の進行と家族・地域の変容,高度情報化・グローバル化の進展,科学技術の進歩と地球環境問題の深刻化,国民意識の変容といった歴史的変動の潮流の中で既存の枠組みの再構築が急速に進むものと考えられる。こうした状況にあって学校教育の果たすべき役割を考えたとき,学校・家庭・地域社会の連携の下,新学習指導要領の基本的なねらいである,基礎・基本を徹底し,自ら学び自ら考える力などを育成することにより,[確かな学力]をはぐくみ,豊かな人間性やたくましく生きるための健康や体力なども含め,どのように社会が変化しても必要なものとなる[生きる力]の育成を進めることがますます重要となってきている。」 

【平成10(1998)年】

[平成10年改訂 諮問]19960827 諮問文「幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程の基準の改善について」 (教育課程審議会)

「幼児児童生徒の人間として調和のとれた成長を目指し、国家及び社会の形成者として心身ともに健全で、21世紀を主体的に生きることができる国民を育成するため、社会の変化や幼児児童生徒の実態、教育課程実施の経験などを考慮するとともに、中央教育審議会の答申を踏まえ、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校を通じて教育上の諸課題を検討し、教育課程の基準の改善を図る必要がある。」 

[平成10年改訂 答申]19980729 幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程の基準の改善について(答申) (平成10年7月29日 教育課程審議会)

「今日、我が国は、国際化、情報化、科学技術の進展、環境問題への関心の高まり、高齢化・少子化など社会の様々な面での変化が急速に進んでおり、今後一層の激しい変化が予想されている。これらの社会の変化は、子どもたちの教育環境や意識に大きな影響をもたらし、教育上の様々な課題を生じさせるものと思われる。
 このような激しい変化が予想される社会において、主体的、創造的に生きていくためには、中央教育審議会第一次答申においても指摘されているとおり、自ら考え、判断し行動できる資質や能力の育成を重視していくことが特に重要なこととなってくる。」 

【平成元(1989)年】

[平成元年改訂 諮問]

[平成元年改訂 答申]19871229 教育課程の基準の改善について(教育課程審議会 最終答申)

学校は知識リソースにアクセスできているのか

物事を調べるには,手始めにインターネット上で情報検索(探索)をします。

Wikipediaはもちろんですが,Twitterを検索すると注目度の高い情報を見つけられます。ネットワーク上にすべての情報が存在するわけではありませんし,偏りがあるかも知れませんから,検索結果で立ち止まることはできません。それでも手がかりを得るにはネット検索という方法は強力です。

位置付けは変わってきていますが,印刷媒体の重要性は今も昔も変わりません。

教育機関にとって図書施設・部門が最も重要であるという認識も変わっていないはずです。分類された豊富な文献資料に接する(アクセスできる)ことは,人の権利であり,私たちが市民として,またそれぞれ属する分野の専門家として,生きていくために必要不可欠な活動です。

最近懸念していることは,提供されている教育関連の知識リソースの少なさです。

またそれ以上に,教育関係者による知識リソースへのアクセス機会の乏しさを憂います。

論理的思考力のたくましさによってカバーできる部分があるとしても,思考対象となる素材に不用意な制約があることは,必ずしも望ましい状態とはいえません。

たとえば学校に,教職員が利用することを前提とした文献資料を十分備えた施設はあるのか。

学校図書館(学校図書室)」として知られている施設は,児童生徒と教員が利用することを前提にしています。しかし,施設や図書の充実度は学校や地域によって様々で,ましてや教員が利用することを視野に入れた目録が充実させられているところは大変限られていると思われます。

先の学習指導要領の改訂に伴って,答申解説書,学習指導要領新旧対象解説書,各教科毎の解説書,さらに研究書や先行実践事例書などが市販されますが,それらを各教員のために取り揃えてくれたり支給してくれる学校や自治体があるなんて話を,私は聞いたことがありません。

つまり,学校の先生方が職場から与えられるのは教科書と教師用教科書など最低限のリソース。それ以外は先生方の自費で購入しているのです。

先生が教育図書を自費購入することは,ビジネスマンがビジネス書を自費購入するようなものだと考えるかも知れません。しかし,本当にそうでしょうか。

その役目が伝達であろうが支援であろうが先生は,知識を媒介して学習者の成長に関わる職業です。その仕事の本丸とも言うべき知識リソースへのアクセスが保証されない条件で,複雑高度化する社会に応える教育活動をどうやって実現するのか。

ビジネスマンに商材がない商売をしろと言うに等しい,実に滑稽な話です。

校内研修や授業準備検討会の場で,先生達が机の上に広げる資料の数がどのくらいか想像したことはあるでしょうか。その場にパソコンやタブレット端末があって利用されていると思われるでしょうか。

すべてのケースがわかっているわけではありません。

しかし,関連図書を積み上げてあれこれ参照したり,パソコンでネット検索をしながら検討会をしているという様子が主流になっていないことはわかります。

場合によっては,教師用教科書のみを囲んで授業内容を考えていたりします。経験がカバーするから,それで十分だとされるのです。

ただ,少なくとも平成29年3月告示の学習指導要領のもとでは,知識リソースへの乏しいアクセスと経験によるカバーだけでは通用しないと,私は考えます。

そのためにも,教職員にとってリッチな知識リソースへのアクセスが保証されなければなりません。

余談ですが,教育の情報化や教育ICTに関わる事柄で,私が大変不満に思っていることは,官製情報による寡占状態が起こっていることです。

もちろん,新しい学習指導要領が成立する過程で行なわれた議論の内容や示された方針などを全国の学校関係者,および世間一般の人々に周知していくためには,統制された官製情報を強力に発信していく必要があります。

発信される情報が不統一で説明の度に食い違いが起これば,周知どころか誤解と混乱を招くことになります。その点で,官製情報が正確に流布することは大変重要なことです。

その上で,官製情報だけでなく,学術情報を始めとした多様な知識に触れることで知的活動が豊かになったり,健全な議論の土壌が生成できるはずです。

しかし,このところは官製情報を参照することから抜け出せていないリソースばかりが目に付きます。官製情報のまとめやキュレーションといった感じです。

困ったことは,研究者などの有識者によって書かれたり語られたりした情報リソースも,有識者自身が官製情報の生成に関与していたり,国家行政に関わっている人であることが多いため,結果的には官製情報発信の一部になっていることです。

たくさんあるようでいて結局は同じ内容でしかない知識リソースと,いろいろな事情があるにしても結果的には乏しいアクセス。

本当にこれでよいのでしょうか。あるいは,もっと巻き戻して考えていくべきことがあるのかも知れません。

プログラミング的思考 -3

「プログラミング的思考」の英訳について。連番[1][2

【英訳案】

“Logical thinking as Programming”

“Thinking as a Way of Programming”

Computational thinking for elementary school in Japan (conceptual downsizing for elementary school in Japan)

【英訳候補など】

Think Like Programming プログラミングみたいに考える

Logical thinking like Programming プログラミングのような論理的思考 

Programmer way of thinking プログラマーのように思考すること

Thinking as a Way of Programming プログラミングのやり方で考えること

Thinking skill building through programming プログラミングを通した思考力育成

Thinking skill building through programming experience プログラミング体験を通した思考力育成

Thinking through programming プログラミングを通しての思考

Computational thinking at elementary school in Japan 日本の学校におけるコンピュテーショナル・シンキング

Computational thinking for elementary school in Japan 日本の小学校向けコンピュテーショナル・シンキング(conceptual downsizing for elementary school in Japan)

プログラミング的思考に関する情報収集をし続けていますが,これまでのところ英語表記を試みたものには遭遇していません。

コンピュテーショナル・シンキング(計算論的思考)という専門用語は,Computational thinkingという英語から来ているわけですが,これを踏まえて造語された「プログラミング的思考」が,どんな英語表記を想定して作られたのか不明です。

論理的思考に関することであるならばロジカル・シンキング(Logical thinking)ということになりますから,これと掛け合わせるならばLogical thinking as Programmingってところなのかも知れませんが,海外の人に通ずるのか疑問です。

ジャパン・タイムスのような英字新聞の記事に出てきていないかと思って探していますが,いまのところProgramming Education(プログラミング教育)で逃げられてしまっています。

ちなみにThink Like Programmingは,ミュージシャン名のSing Like Talkingに近づけたジョークですが,どうせ下手な和製造語なのだから,これくらいの洒落で英訳を当てた方が面白いかも知れません。

(追記 20170728)

20160914「ソニー・グローバルエデュケーション プログラミング的思考を育成する算数学習サービスSTEM101 Thinkシリーズを国内法人向けに提供開始」(ソニー)

ソニーは,ニュースリリース内で「プログラミング的思考」に(英訳:Computational Thinking)という形で英訳をあてていました。

国内は文部科学省の示した用語に沿いつつ,海外向けにはすでに流布している用語を使用することに決めたようです。

そのアプローチでいくならComputational thinking for elementary school in Japanが正直でよいのかも知れません。