タブレット端末画面は広い方がよい

 学校への導入や生徒が購入するタブレット端末の話題もひと頃に比べると議論もだいぶ収まってきたように思います。というのも,メーカー側で「文教向けタブレット端末」というカテゴリーの商品が各社出揃って,従来のように入札によって淡々と導入されていくというフェーズに入ったからです。

 最初こそ,iPadがよい,Windowsタブレットがよい,Androidタブレットがよい,といった基本OS比較論争も賑やかでしたが,これもいまやAndroidタブレットは圏外へ消え,検討会議や入札条件の都合でiPadが候補から外されることも珍しくなくなって,とりあえずの選択で丸く収まるなら,それでいいんじゃない的な雰囲気に落ち着いています。

 タブレット端末には…

  • カメラとビューア
  • PDFビューア
  • PDFアノテーション
  • Webブラウザ
  • 地図アプリ
  • スライド作成アプリ
  • ファイル転送機能
  • 画面外部出力
  • ペン入力機能

 …くらいが備わって快適に動作すれば,あとは利用サービスや導入アプリと活用法次第といったところでしょうか。

 キーボード入力練習がしたいというニーズにまで応えるなら外付けキーボードも必要といったことになりますが,そこまでいくなら素直にタブレットPCかノートパソコンを選択すべきだと私は思います。コンピュータ/プログラミング学習のための活用もタブレット端末で可能な水準は限定的に考えてるべきです。

 その上で私は,タブレット端末を導入なり入手なりするなら,なるべく広い画面のものがよいというアドバイスをあらためて強調したいと思います。

 もちろん広い画面は筐体が大きくなることを意味し,重量が増すということにもつながります。持ち運びをするといった場面を想定すると,大画面タブレット端末を推す意見に同意し難いかも知れません。

 それでも私は,最低でも12インチ以上のもの,具体的にはSurface Pro 4(12.3インチ)やiPad Pro(12.9インチ)程度の画面の端末を利用すべきであると主張したいと思います。

 作業領域の広さは,作業内容の把握具合に直接影響します。

 個人的な感覚でも,iPad Pro 12.9インチモデルを使用していたときと,iPad Pro 9.7インチモデルを使用しているときを比較すると,当然ながら12.9インチ画面の方が情報量が多く,たとえば図表作成をする作業も12.9インチの方が全体を把握しながら作業を進められるます。

 ノートアプリにペン入力で記録をとるときも,画面の書き込みを継続するための移動や拡大縮小操作において大画面の方が快適でした。

 文教向けタブレットについては,学校の机サイズとの関係を根拠にして,あまり大きな端末はそぐわないといった知見が固まりつつありますが,それは「タブレットPC」の実績から導き出された感が強く,確かにタブレットPCのような分厚さや存在感のある端末であれば机にフィットするため小さめである必要があるかも知れません。

 しかし,昨今のタブレット端末は十分に薄く,大きな画面のタブレット端末と教科書やノートが重なり合うことにも違和感がなくなっています。

 もちろんまだ実証的な結果が得られている意見ではありませんが,むしろどのような先入観も一旦保留して,広い画面のタブレット端末を試してみることも同等に評価する必要があるのではないかと思います。その上で,また適合性を判断すればよいのだと思います。

20160805 関西教育ICT展での講演

 慌ただしい夏の日に,大阪で行なわれた「関西教育ICT展」に出かけました。かつてフューチャースクール推進事業に関わったことがあったので,そのときのことを踏まえた話をして欲しいとご依頼を受けたからです。

 「過去〜現在〜近未来の教育とICT」と題したミニ講演は,東芝ブースのステージで1回だけ披露させていただきました。だいぶ前に流行ったバージョン番号表現を,実際の歴史的変遷に重ねたうえで教育の情報化水準として位置付け,それを手がかりに過去・現在・近未来をお話した次第です。

 

スライド中に出てくる図はこちらです。
http://ict.edufolder.jp/archives/758

 講演の中では小学校低学年の国語「おてがみ」(アーノルド・ローベル氏の『ふたりはともだち』に収録)という作品を扱った授業でのタブレットPC活用を紹介するとともに,講演全体のモチーフも現代のおてがみである「メール」を出すためにはアカウントが必要であるといった風に構成したものでした。

 教育の情報化水準でいえば,機器の整備はせいぜい2.x水準をうろついているに過ぎず,これらを本当に活用するためには個々人のアカウントを運用する必要があり,これをちゃんとやることが3.x水準なんだというお話です。

 すでに現実の生活では,あっちこっちに登録をして,1人何十アカウントを持っているというのは珍しくないこと。そうした状況に対応するための知識・技能を養うためにも,そもそも学校教育で個人アカウントを運用するということを考えてもよいのではないかと思うわけです。そうすることで逆説的には2.x水準の情報化にももっと様々な可能性が広がるのだろうと思います。

昨今の動き

次期学習指導要領にかかわる策定作業は進行中で、先日(8/22)もこれまでの審議のまとめが公表されました。

20160819 教育課程部会 教育課程企画特別部会(第20回)配付資料
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/053/siryo/1376199.htm

これに対する読解や解説も少しずつ見られるようになってきました。「学びの地図」といった言葉も登場し、某紙では次期学習指導要領がいかに新しい試みであるかを論じていました。

一方で、次期学習指導要領が射程に入れている時代のあるべき学校教育とは何なのか、別の角度から検討提言する動きもあります。例えば、国立情報学研究所は、あらためて読解力に関する現状を把握した上で、その向上策を模索しようとしています。

文章を正確に読む力を科学的に測るテストを開発/産学連携で「読解力」向上を目指す研究を加速
http://www.nii.ac.jp/news/2016/0726/

これからの世界と渡り合うために必要な資質・能力の育成のために学校教育の大胆な変革が求められているという認識が広まっている一方、その変革に必要な基盤そのものが瓦解していたという現実をも直視せざるを得なくなっているのが現状です。

これを学校におけるカリキュラム・マネジメントによって乗り越えることができるのか。もちろん乗り越えなければなりませんが、よりによってマネジメントレベルの話を武器に議論が展開さているのは、旧式のエンジンによる力業で押していこうとするように見えます。エンジンの喩えで表現するなら、今必要とされるのはもっと繊細な制御が可能なエンジンのはずです。

もちろん国家基準の策定作業における議論は大味にならざるを得ないことは仕方ありません。そう考えると、受け止める側、変わらなければならない側の学校とその成員がどれだけ踏ん張れるのかということが、そのための支援が重要になってするのだと思います。

夏のあれこれ

 滞っている研究室ブログの更新を再開していこうと思います。

 7月後半から8月初旬は、大学授業の前期締めくくりと、公立学校が夏休みに入るということもあり、いろんな催事とそのお手伝いをする仕事、および夏期の講習関係の担当など、盛りだくさんでした。

 その後、私的な米国渡米で不在をしていましたが、無事に帰国もできたので、少しずつ通常営業に戻しつつある日々です。

 様々なドタバタがあり、最新動向のキャッチアップもできていないので、しばらくは浦島太郎状態で、勉強のし直しです。

小学校プログラミング教育・議論の取りまとめを読む

小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)

文部科学省サイト

書込みPDF

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文部科学省「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」(平成28年5月13日,5月19日,6月3日)での議論を取りまとめた文書が6月16日に公表されました。

長い会議名に対して,まとめ文書は端的なタイトルです。

事の流れを大雑把に振り返ると,「e-Japan戦略」の頃から「IT人材育成」はずっと唱えられ続けてきており,2013年の「情報通信技術人材に関するロードマップ」で初等中等段階におけるデジタルコンテンツの制作やプログラミング等のカリキュラム開発が言及されました。

その後,「日本再興戦略」「世界最先端IT国家創造宣言」「日本再生実行会議」,そして「産業競争力会議」では4月19日の「初等中等教育からプログラミング教育を必修化します。」という発言が話題にもなって,同日に文部科学省が有識者会議の設置をしました。

事の始まりから「初等中等教育」と言及され,小学校(初等教育段階)と中学・高等学校(中等教育段階)の両方でプログラミング教育を検討することが折り込まれていたといえば,確かにそうです。

また,議論の取りまとめを読むと,教育課程の中にすでに取り組みが存在する中等教育段階のことを考えれば,それへの準備期間である初等教育段階のプログラミング教育の在り方を検討することは,当然の成り行きなのでしょう。

しかし,このような流れでは,小学校段階における「必修化」の是非そのものを検討することは飛び越されています。つまり,小学校での必修化は不要であるとの選択肢は除外されていたわけであり,それが有識者会議における議論の苦しさ,取りまとめ文書のまだるっこしさの一因ではないかとも思います。

その上,取りまとめ文書は,とても読み難いと感じました。

行政関連文書としての独特の言い回しをする必要があることも理解できますが,一部の文章は大仰に表現することを迫られて書いたようにも読めます。

そのため,「プログラミング教育」とか「プログラミング的思考」として捉えなくてもよいものまで,無理にその枠組みに入れようとしている印象を与え,小学校段階での「プログラミング教育」とは,現時点においてまなざしの問題であるかのように思わせてしまう側面もあります。

別の言い方をすれば,この取りまとめ文書の中で,小学校における「プログラミング教育」の成否は,各学校の「カリキュラム・マネジメント」による采配次第であるとされており,それが実現するかどうかは,次期教育課程の出来上がり次第です,期待してます,おわり,という構成になっているということです。

それがどこか対岸を眺めている「まなざし」という印象を生むのかも知れません。

もちろん,取りまとめ文書は,外堀に関しても言及しており,小学校の外部からの働きかけについて様々示唆されているように思います。そういう意味では,すべてを学校任せにせず,私たち自身が,日本という国が持続するための人材育成にもっと関わっていくべきと前向きな解釈をして「プログラミング教育」のムーブメントを推し進めていくのも大事でしょう。

けれども,取りまとめ文書の,特に冒頭部分の一連の文章は,私の読解力の低さがあってか日本語として冗長な部分が多いと感じ,プログラミング教育を語る後半にたどり着くまでにはすっかり疲れてしまいました。普通の人たちは,これくらいあっという間に読み解くものなのでしょうか。

仕方ないので,私なりに添削をしたのが冒頭の「書込みPDF」です。

行政関連文書ではそんな風に書かないというご意見もあろうかと思いますが,誰かに読んで欲しいならば,こんな感じで変更してみてはどうだろうかという私なりの提案です。

その他,思いついたことも少し書込みましたので,ご笑覧ください。何か思いついたら追加して書込んだりしますので,そのときは再ダウンロードを。