「授業」支援から脱け出せない

こんなニュースが配信されていました。

「ソニー、来年8月に教育分野向けLinux搭載タブレット発売へ ~倉敷の中学校での実証実験の取り組みを追う」(PC Watch)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/20141208_679040.html

 5月の教育ITソリューションEXPO(EDIX)に参考出展されていたそうですが,残念ながら私は触れることができていませんでした。昨年(2013年)の第10回日本e-Learning大賞の部門賞も得ていたという「小中学校向け Tenobo学習システム」(Tenobo 21世紀型クラスルームソリューション)の実証実験の記事です。

 岡山県倉敷市の多津美中学校という公立中学校で試用されている端末は,オリジナルで製造された2画面折り畳み式のクラムシェル型の端末で,Linuxをベースに開発されたシステムだといいます。

 また,来年発売を予定しているのは1画面タイプのタブレット型端末のようで,大画面にすることで画面分割する使い方を想定しているとのこと。メーカーのWebサイトに説明があります。

 端末やシステムについて。

 2画面分割で教科書などを参照する領域とノートなど記録する領域を併存させるというアイデアは,過去にもありました。代表的なものとしては,Knoと名付けられたタブレット端末がありました。

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 iPadと時を同じくして登場した端末でしたが,残念ながら紆余曲折を経てソフトウェアに絞り込んだビジネスに転換し,いまはインテルの傘下で提供されている形になっています。つまり,Knoの2画面タブレットは失敗に終わったとされています。

 Knoは米国のテキストブック業界(教科書業界)の電子化という課題に取り組もうとしていたということもあり,今回のソニーのTenoboとは位置づけられ方が異なりますが,端末に限っていえば同じ夢を見ているといってよいでしょう。

 そのTenoboの方は,学習システムと銘打ってはいますが,当初は「クラスルームソリューション」と名付けられたいたことから分かるように「授業支援システム」として開発されたものです。

(ソニーエンジニアリング株式会社 Webサイトより)

 

 冒頭の記事やメーカーの図からもわかるように,授業内の情報のやり取りを電子化によって効率的にすることが目的で,そういう意味では確かにシンプルなシステムに徹しているように見えます。

 「教材表示のための画面」と「記録作業のための画面」の2画面は,学習側から見れば「教材を見る」ことと「ノートを書く」ことを併置する当たり前な最低限の条件を満たしたにすぎませんが,教師側から見れば「教材を配布する」ことだけでなく「学習者の進捗をのぞき見る」ことを可能にしてくれるものとなります。

 Tenoboには学習者が同じ領域に書き合うようなコラボレーションノートテイキング機能は搭載されていないようですので,そういう意味でも,教師−学習者個人というシンプルな双方向を実現しているシステムのようです(複数の学習者端末の画面を教師側で提示することは可能みたいです)。

 こうしたシステムを取り巻く認識について。

 授業支援あるいは学習支援システムを紹介する時に難しいのは,開発者の人々が考えて実装した機能の一つ一つについて何をするものなのか使用例を説明した途端,説明をされた側は,そういう形式の授業をすることが教育界全体で目指されているのだという風に勘違いしがちであるということです。

 たとえば先生端末から学習者端末の進捗がリアルタイムで「モニタリング」できるという機能があります。なるほど授業に遅れている子を見つけられたり,問題に対する解答の違いを把握することが,その機能によって可能ではあるかも知れない。

 しかし,そのようなあり得る断片的なシチュエーションだけで授業が成り立っているわけでないことは,考えてみれば分かります。そもそも授業支援システムを使う時間も全体から見れば限定された場面でしかありません。

 ところが,説明を受けた側にしてみると「児童生徒はずっと監視されるのか?」とか「授業中,先生はずっと画面を見てしまうのかしら?」というような疑問や違和感を持ってしまいがちです。

 一方,開発者側にしても,「授業や学習を支援する」といったときの想定範囲があまりにステレオタイプであり,このようなシステムの上で支援された学習の記録が,システムに閉じこもってしまうことに何の疑いも持っていないようにさえ見えます。

 たとえば,Tenobo上のノートテイキングは卒業時にどのような形で児童生徒本人に手渡されるのでしょうか。それとも授業や学習が終わればそれらは消去してよいと判断しているのでしょうか。この問いを「PDFに変換して残せるようにすれば良い」というエンジニアリング的な解答で片づけることは可能ですが,その発想がまさに授業支援システムが「授業」支援という範疇に閉じこもっている証しなのです。

 現在,多くの学校から注目が集まるロイロノート・スクールが良い線をいっているのは,タブレット上のアプリ単体でスライド作成が完結し,それを共有する形をとっているからです。

 つまり,基本的には「個人の範疇」(タブレット上のアプリ)で学習活動が完結するように設計されて,それを先生がのぞき見ていたり,必要に応じてスライドを共有できるという「集団の範疇」にリンクさせるというシステムデザインだからです。

 なぜなら,ロイロノート・スクールがもともとロイロノートという単体アプリを出発点に出来上がっているからです。そのため,ロイロノート・スクールで作成したスライドデータをロイロノートに移せば,児童生徒は自分のデータを卒業後も保持できることになります。(理屈上は…なので実際にそうできるかどうかは未確認です。でも可能性は開かれています。)

 ロイロノートの問題は,動画に特化したアプリだということです。書き出しも動画データのみで,PDFデータとして書き出す機能はありません。また,スライド管理機能もたくさんのデータが蓄積されることを想定したものでは無く,大人が実務で使う範疇へとステップアップするようにはデザインされていません。

 ロイロノートは授業という範疇から学習成果を持ち出すことは可能ですが,基本的にはロイロノートで閉じていて,そこから持ち出す方法が動画書き出ししかない点が短所です。

 

 単体アプリを出発点に開発されたシステムとして先日発表されたのがMetaMoJi Share for ClassRoomでした。こちらは動画データを扱うことはできませんが,タブレット向けのノートアプリとして高評価を得ているMetaMoJi Note/Shareをベースにしていることから,蓄積されたデータを個人に返しやすい点は同じく良い線をいっています。

 またMetaMoJi Note/Shareはそれ自体も実務に使えるアプリやデータ形式ではありますが,PDF書き出しや様々な共有機能を有している点で,アプリからデータを持ち出す際の選択肢が用意されています。

 しかし,あえてfor ClassRoomという形でMetaMoJi Shareをベースにシステムを構築したのは,やはり「授業」というものに捕らわれてしまって,理想へ遠回りになってしまったのではないかと思います。私自身はMetaMoJi NoteをベースにしてShareの技術を組み合わせる形にして欲しかったと考えています(つまり「授業」ノートをShareするのではなく「個人」ノートをLinkやShareする発想)。

 端的にMetaMoJi Share for ClassRoomの短所を書くなら,Shareノート(授業ノート)を先生が配布しないと何も始まらない点です。児童生徒側のアプリで個人ノートを作成しておき書き進めておくという使い方は難しいのです。これも「授業」の支援に捕らわれてしまった一つの例です。

 誤解して欲しくないのは,ソニーのTenoboにしても,ロイロノートにしても,MetaMoJi shareにしても,それぞれはそれぞれの開発思想に則って作られた(あるいは作られているところの)システムで,「授業」支援に対しては効果を発揮してくれる素晴らしいシステムだということです。

 お読みになっている皆さんは,目的や目標を設定してシステムを選択したり利用したりしているはずですから,それに叶ったシステムを選択すればよいだけのことですし,その目的や目標を,これらのシステムは満たしてくれる部分があるはずです。万能なシステムはありません。目的・目標に応じて選択するだけです。

 そのうえで,私たちは本当はどんな支援をしてくれるシステムを必要としているのか,考え続けておかなくてはなりません。授業支援が本当のゴール(目標)なのか,その先の個々人の学習支援は?,学習の記録の行方は?

 問いは尽きません。まだまだ考えていろんなアイデアを描き,試してみることが必要です。

平成二十六年師走

 なんだかんだと今年も師走になりました。

 しかも今月に入って急に寒くなってきたため,体調も崩れぎみ。身体がこわばって,肩が凝って仕方ないです。できるだけ暖かくしたいものです。

 年末の慌ただしい時でしたが,サーバーをお引っ越し。気分良く再スタート切れるかと思ったのですが,いきなり調子がよくありません。サーバー自体は問題なさそうですが,使っているソフトとの相性が悪いようで,この文章も変な記号が出て投稿されてしまうのでしょう。しばらく実験しているのですが,ダメなら方法を考えなければなりません。

 いずれにしても今年もあっというに終わりそうですから,今年のことは今年のうちに。

 追記:どうやらHTMLモードで書き込めば問題なさそうです。それなら良かった。 ^_^;

サーバー切り替え完了

 con3サーバーを切り替えました。それに際してブログを構築し直しました。見た目は変わりません。

 ただ,なぜか利用していたブログエディタと相性が悪くなってしまったので,試行錯誤していたのですが,残念ながら解決方法は見当たらず。当面は別のエディタを使って更新することにしました。

11/24祝 第2回教育と情報の歴史研究会

 11月24日(月曜祝日)に「教育と情報の歴史研究会02」を開催します。

 教育と情報の歴史研究会02 http://kokucheese.com/event/index/220323/

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 今年7/5に初めて開催した研究会の第2回。今回のテーマは「学校とインターネット」について,その初期にかかわられた皆様によるプレゼンが予定されています。

 最近はインターネット自体の歴史を振り返る試みも「インターネット歴史年表」を始めとして,「日本におけるインターネット資源管理の歴史」のWebサイトが公開されるなど賑やかになってきています。

 教育とインターネットの関係についても歴史を振り返ってみる事は大変重要だと思います。ぜひこの機会に過去をご一緒に振り返ってみてはいかがでしょうか。

 研究会と銘打っていますが,気軽にご参加いただければと思います。

語り合いを重ねるということ

 9月に始めたネット上にある教育とICTの語り合いの場「スナック・ネル」が続いています。毎週月曜22時に開店するお店に見立てたYouTube配信です。

 スナック・ネル http://snacknel.edufolder.jp

 開店の経緯については,スナックの「マスター」役を引き受けてくださっている田中康平さんのブログ記事に書かれています(「スナック・ネル」[教育ICTデザイナー 田中康平のブログ])ので参照してください。

 実はもともとマスターの書いたブログ記事に私が懸念を表明したのがきっかけだったのですが,結局コメント欄で継続的にオープンに議論する場の必要性で意気投合?したことになります。

 どうしてそんな場の必要性が感じたのか。

 「教育フォルダTwitter」のニュースリンク集を眺めていただければ分かるように,日々,教育に関するニュースは絶え間なく流れきますし,その中で教育とICT関連項目も網羅できないほどです。それを各人各様にキャッチしているわけですが,つまりは同じ関心を持つ者同士でも受け止め方がバラバラという事でもあります。

 どこか定点観測的にこうした状況を眺めつつ議論する場を作って,継続的に多くの人々が互いの考えを交わらせることも一方には必要なのではないか。そういう場があってこそバラバラである事にも意味が増すのではないかと思われたのです。

 それにこの分野は新しいものが大好きだから,常に前へ進む傾向にありますが,そうして走り続けていると,少し前の事も忘れがちなのです。リセットの繰り返しは,ゼロスタートの気持ち良さもありますが,過去に学ぶ事をおろそかにしてしまう状況も生んでしまいます。

 だから「定点観測的」「継続的」であることを優先した場を作って,模索を始めてみたかったのです。

 そのため私たちは仮想の飲み屋スタイルを採用しました。いつもの時間にいつもの場所へ行く事を気楽に続けられるスタイルといえば,飲み屋通いだろうと,そんなざっくばらんな発想を大事したいと考えたからです。

 幸い,スナック・ネルは少しずつではありますが,教育とICTを語っている場として認知されつつあるようです。

 もちろん否定的な意見も聞きましたし,良くない点はいくつも思い付きます。

 男3人だらだらしゃべって何の意味があるのか…とか,毎回テーマも分からず視聴するモチベーションに繋がらない…とか,特定の人たちだけでやっていて入り難い…とか,お酒を飲んで好きに発言する事は問題ないのか…とか,話長い!夜遅い!つまらない!…とか,そもそも誰に向けて,何のためにやっているのか?…とか。他にも諸々。

 そうした指摘や意見は的を射ている部分もあると思いますし,私たちも認識はしています。改善の余地もたくさんあると思います。

 ただ,それもこれも「定点観測的」「継続的」な場を作る事を優先する上で妥協せざるを得ないと割り切っています。

 毎回テーマも定まらず行方知らずの雑談を聞かされるのはウンザリかも知れませんし,だんだん話がマンネリになっていくことに面白みを感じなくなることもあるでしょう。

 けれども,そのことに対処する事にエネルギーを使うなら,定点観測的に継続的に語りを重ねていく事を優先しよう。マンネリ化するなら徹底的にマンネリ化してみて,その先に何かあるのかないのか確かめてみよう。そんな挑戦が幾度かあってもいいじゃないかというのが「スナック・ネル」なのです。

 幸せな事に,私たちは距離を超えて語り合うためのツール(私たちが使っているのはGoogle ハングアウトというビデオ会議サービス)を手にしています。かつてなら考えられなかった事です。しかもYouTubeという巨大な動画配信プラットフォームでリアルタイムに会話を届けられます。録画を残して時間を超えて見てもらう事さえ可能です。

 また,Podcastという手段を使えば,私たちの会話を聞きやすく編集して音声コンテンツとして届ける事も可能です(SnackNEL Podcast)。より多くの皆さんに語り合いを聞いてもらう事にもつながります。

 私たちがこの場を楽しめる限り,スナック・ネルを通していろんな語りを交わらせたいと考えていますし,そのことを通してその他の事に対する見え方も変わってくるのではないかと思ったりしています。もちろんそれは淡い期待の範疇にとどめておいて,私たちはただ場を楽しむ事に徹していますが。

 洒落から生まれる何かがあれば,それはそれで嬉しい事。洒落が洒落で終わったなら,それはそれで楽しい事。洒落が洒落にならなかったとしても,それはそれで恥じるだけの事。何もしないよりは,面白いツールがあるこのご時世なりの何かをやってみたかったというのが素朴な本心なのです。

 興味を持った皆様はぜひご来店を。常連としてお待ちしています。