ベイトソン「学習とコミュニケーションの階型論」

今までもそうでしたが、今後もさまざまな議論の前提として重要なベイトソンの学習に関する論を確認し直しておきます。

〈ゼロ学習〉
反応が一つに決まっている

〈学習Ⅰ〉
反応が一つに定まる定まり方の変化。すなわちはじめの反応に代わる反応が,所定の選択肢群のなかから選びとられる変化

〈学習Ⅱ〉
〈学習Ⅰ〉の進行プロセス上の変化。選択肢群そのものが修正される変化や,経験の連続体が切り取られる,その切り取られ方の変化

〈学習Ⅲ〉
〈学習Ⅱ〉の進行プロセス上の変化。代替可能な選択肢群がなすシステムそのものが修正されるたぐいの変化

〈学習Ⅳ〉
〈学習Ⅲ〉に生じる変化。地球上に生きる(成体の)有機体が,このレベルの変化に行きつくことはないと思われる

ベイトソン「学習とコミュニケーションの階型論」(『精神の生態学』)を要約


学習内容の習得といった学習Ⅰを安定させることが長らく学校教育の役目とされてきたとすれば、学び方を学ぶといった学習Ⅱを伴うことが今般(平成29年改定)学習指導要領で目指されているとも言えます。ところが、実のところ私たちに求められているのは、持続可能なシステムへの転換といった学習Ⅲ水準であったりするわけです。そのことがいかに難易度の高いことかは重々承知をしているものの、もはや逃れられない課題として私たちにのしかかっているという文脈を共有しなければ、前に進むことは出来ないのです。

伝わるものを見極める

書店に寄ると目移りするほど面白そうな本があるわけですが、今回あらためて知ってみたいなと思ったのがこの本でした。

褒めるだけでは子どものためにならないという見識は、だいぶ広まってきているように思います。あらためて、そのことについて分かりやすく説明する文章を読みたいなと思ったところで、島村さんの本を見つけました。

島村さんの本では、褒美や罰を使いながら子どもの行動をコントロールするような接し方を「条件付きの接し方」と呼び、愛情をエサにする接し方であるとも表現しています。

その具体例として紹介しているのは、子どもとしている毎晩の絵本読みの約束を、子どもがぐずったときに罰として取りやめてしまうようなケースです。こうすると親の思う通りに行動しないと愛情が引っ込められてしまうと子どもが思うようになるというわけです。

あまりネタバレしてしまうと申し訳ないので、最後にこうした条件付きの子育てをすることによるデメリットとして島村さんが書いていることだけ紹介させていただくと…

  1. 短期的にしか教育効果がない
  2. 条件付きの自己肯定感しかもてなくなる
  3. 親子関係が悪くなる
  4. 世代を超えて引き継がれる

とのこと。そして、この後は、子ども全体を見てあげられて、考え方や行動の理由を考えていくような「無条件子育て」について紹介が続いていきます。

いろんな切り口があると思いますが、この話を読んで浮かんだのは、ベイトソンの「学習とコミュニケーションの階型論」でした。私たちは無意識のうちに子どもたちをダブルバインド状況に囲い込んでしまうのだなということ。そこから抜け出すためにも相手の思う通りに行動するよう追い込まれるのかなと思えます。

そのときにもう一つ思うのは、マルザーノのタキソノミーに付随する「行動のモデル」でした。

もしも親などの大人たちによる条件付きの接し方にさらされ続けたとしたら、本来は認知システムやメタ認知システムの積み上がりで自律システムによって新しい課題への行動の着手が決定されるはずであるところが、大人の意図や愛情をエサに行動が統制されることになるわけで、システムの重層性によって成り立っているモデルのあちこちに空洞が散見される状態を招いているかも知れない。そんなことさえ想像させます。

この頃は当たり前のことばかり頭を巡ります。

結局、教育の問題は、子どもたちをとりまく大人たちの問題なのだということ。環境を構成する大人たちの在り方や受け止め方が強く影響するのだということ。しかも、意図せず後続世代に何かを押し付けてしまう可能性があること。

私たちは何を伝えてしまっているのか。

丁寧に見つめ直して考え直していかないと、まったく望まないメッセージを伝え続けている可能性さえあるのかも知れません。

「メーガーの三つの質問」探訪

ロバート・F・メーガー(Robert F. Mager)氏は米国の心理学者であり,インストラクショナル・デザインの分野に多大なる影響と貢献をした人物として知られています。

日本の私たちにとっては「メーガーの三つの質問」の主として知られています。

Where am I going?
 (どこへ行くのか?)
How do I know when I get there?
 (たどりついたかどうかをどうやって知るのか?)
How do I get there?
 (どうやってそこへ行くのか?)

インストラクショナルデザインの道具箱101』(北大路書房)によれば,これらは上から「学習目標」「評価方法」「教授方略」に対応し,あらためて目標設定の重要性と次いで評価,方法を重視しなければならないことを表しています。

実は,このメーガー氏が2020年5月にお亡くなりになっていたようです。

Wikipediaで氏の紹介を見たり,いくつかの追悼文(「In Memoriam: Robert F. Mager, 1923-2020」「RIP Robert F. Mager」)を拝見しながら,ふと,あらためて「メーガーの三つの質問」の出典を確認してみようと思ったのでした。

その探訪の辿り着く先が想定外な場所であることも知らずにです。

先の文献(『…の道具箱』)は,その引用元として…

鈴木克明(2005)「教師のためのインストラクショナルデザイン入門」IMETSフォーラム

を挙げています。

上記の論稿はもともと「鈴木克明(1995)『放送利用からの授業デザイナー入門〜若い先生へのメッセージ〜』財団法人 日本放送教育協会」の内容を修正したものとされています。

そして,鈴木克明氏の論稿が参考文献として掲げているのが…

メージャー,R・F著、小野訳(1974)『教育目標と最終行動〜行動の変化はどのようにして確認されるか〜』 産業行動研究所、p.5

です。これは Robert F. Mager (1962)『Preparing instructional objectives』の邦訳書で,原著は現在でも読み継がれている書物といわれています。残念ながら邦訳は絶版となっています。

そこで,国立国会図書館に所蔵されている『教育目標と最終行動』を閲覧してみることにしました。そして,5頁の序に記されている内容を確認したのです。

(1)教えなければならないことは何か?
(2)それを教え終ったということは,どうしたら分るか?
(3)それを教えるためには,どのような教材と教授法が,もっともすぐれているか?

メージャー, R・F 著,産業行動研究所 訳(1970)『教育目標と最終行動〜行動の変化はどのようにして確認されるか〜』 産業行動研究所,p.5

そこにはまったく異なる表現の質問文が掲載されていました。

邦訳『教育目標と最終行動』には,いくつか版が存在していて,今回参照した1970年版は,鈴木氏が参照した1974年版と異なる可能性もありますが,残念ながら現時点で差異の有無を確認できていません。

さて,この違いはいったいどこから派生したのか?

もし翻訳の過程で派生した違いであるとすれば,原著には冒頭の英語質問文が掲載されているはずです。

そこで,原著『Preparing instructional objectives』を参照してみることにします。日本の図書館でみつけ出すのは難しそうでしたが,インターネット上のデジタルライブラリで原著を閲覧できました。

Robert F. Mager (1962) Preparing instructional objectives

リンク先の画面下の方にある「Full View」をクリックするとかつてGoogleが大学図書館の蔵書をスキャニングする事業で取り込んだものが参照できます。

当該箇所がある「FOREWORD」(序)の頁を参照すると,次のような英語質問文が記載されていました。

1. What is it that we must teach ?
2. How will we know when we have taught it ?
3. What materials and procedures will work best to teach ?

Robert F. Mager (1962) Preparing instructional objectives

邦訳文がもとにしたであろう原文がそのまま掲載されていたのです。

原著『Preparing instructional objectives』にも,いくつかの版があるのは確かですが,それらに違いがあるとは考えにくいでしょう。

ならば,私たちがよく知る3つの英語質問文(Where am I going?/How do I know when I get there?/How do I get there?)が本文側に出てこないかとも思って探してみましたが,見当たりません。

(ちなみに,この書籍自体は,インタラクティブな読書を促す仕掛けが施されている点で大変興味深く,邦訳版の絶版は仕方ないとして,原著が今日でも読み継がれているというのは納得できます。)

こうして調べてみてわかったことは,「メーガーの三つの質問」というのは,原著や邦訳書ではもともと別の表現で提示されたものであり,これを日本の教師(特に当初の目的であった「若い先生」)に向けて噛み砕いて紹介したもの,それが広められたということです。

なぜこのようなアレンジを施したのかは,鈴木先生にお伺いしてみないと真相はわかりませんが,おそらく,原著にしても邦訳書にしても「教える」という立場からの表現がきつ過ぎるからではないかと思われます。

ご承知の通り,インストラクショナル・デザインは学習者中心であり,その学習を支援することに主眼が置かれています。そのような考え方を日本で広めるためには,「教える」という視角の強かった三つの質問文をもっとニュートラルな表現で言い直すべきという判断があったのではないでしょうか。

さて,「メーガーの三つの質問」を訪ねる旅。

この探訪には,もう少しばかり続きがあります。

原著を確認された方はお気づきかも知れませんが,くだんの「序」はメーガー氏が書いたものではありません。終わりの署名は…

John B. GILPIN
Research Associate
Self-instruction Project
Earlham College
Richmond, Indiana

となっており,邦訳書では所属等を省いて「ジョン・B・ギルピン」とカタカナ名だけが付されていました。

ギルピン氏なる人物はいったい何者なのか。原著や邦訳書には記載された以上の言及はありません。文字通り「研究助手」(Research Associate)であったことがわかるだけです。

ネット上にギルピン氏のものらしき論稿「A TAPE RECORDER FOR INSTRUCTIONAL AND OTHER BEHAVIORAL RESEARCH」を発見することはできますが,それ以上の手がかりをみつけることはできませんでした。

とにかく,文献上で考える限り,今回確認できた英語質問文の三つは,メーガー氏本人がしたためたものではないと考えるのが自然です。

では「メーガーの三つの質問」はメーガーの三つの質問ではないのか?

今回の探訪で明らかになった事柄は,私たちが漠然と想像していた形とは異なるものではありましたが,三つの質問が意図していたこと,それをもとに展開している議論が無効になると主張するものではありません。

そもそも「メーガーの三つの質問」という呼称自体に対応する英語はありません。つまりそれは,定式化された定義文や命題文のようなものではなく,ある人物の影響によって波及した捉え方や考え方だということです。

メーガー氏が直接表記したものではないが,メーガー氏の意をくみ取った助手のギルピン氏によって書き表され,鈴木氏が日本の教師にインストラクショナル・デザインを伝えるのに必要なアレンジを加えて紹介したもの。それが「メーガーの三つの質問」として広まった,のだといえます。

「メーガーの三つの質問」もしくは「メーガーの3つの質問」と検索すれば,それに付随する議論などを様々参照することができますので,ご関心のある皆様はどうぞ思索を深めていただければと思います。

思いがけずメーガー氏の訃報に触れ,見慣れた「3つの質問」が原著等でどのように書かれているのか,ふと知りたくなったことから始まった探訪でしたが,私,ボーっと生きてました。

講義等で「3つの質問」の逸話を紹介するときなどにお使いください。

〈追記 20222117〉

まさかの続編へ

「メーガーの三つの質問」再訪
https://www.con3.com/rinlab/?p=6101

How People Learn II Summary

How People Learn II

Summary

THE COMPLEX INFLUENCES OF CULTURE(複雑な文化的影響)

  • CONCLUSION 2-1 各学習者はユニークな知識配列や認知リソースの開発をしますが、それらは自らの文化的、社会的、認知的、生物学的な文脈によって形成された生活の中で行われます。学習者の多様性は発達的、文化的、文脈的、歴史的なものであり、それを理解することが人がどのように学ぶのかを理解するうえでの核となるのです。

TYPES AND PROCESSES OF LEARNING(学習のタイプとプロセス)

  • CONCLUSION 3-1 個々の学習者は意図的かつ無意図的にも,多くの学習タイプを常に統合しながら,遭遇する課題や状況に対応しています。学習者が学習機能を統合する方法は、置かれた社会的、物理的環境によって規定され,また、今後の学習を規定もするのです。
  • CONCLUSION 3-2 脳は生涯を通して発達し、人類にとっては広く首尾一貫している一方、学習者の環境や経験に応じて個人差もあります。脳は膨大な数の複雑な認知機能を扱えるよう次第に成熟し、神経学的なレベルの課題に取り組めるほど適応します。
  • CONCLUSION 3-3 脳の発達と学習の関係は相互依存的です。学習が起こるのは神経ネットワークを介してであり、同時に学習と発達は、神経接続の形成や再形成を継続的に行うことで、刺激と要求に応じているのです。脳の発達は行動と学習に影響し、逆に学習は脳の発達と健康に影響を与えるのです。
  • CONCLUSION 4-1 成功した学習は複数の認知プロセスの調整を必要としますが、それは脳内の異なるネットワークにまたがります。こうしたプロセスの調整では、個々人が自らの学習を監視し、調節できる必要があります。学習を監視し、調整する能力は、生涯にわたって変化し、介入によって改善することができます。
  • CONCLUSION 4-2 記憶は、ほとんどの学習タイプにとって重要な基盤です。記憶とは、再構築を伴うものであり、心的表現をコード化で精密コピーしたものの検索というわけではありません。学習者の環境の中で利用可能な手掛かりは、学習者が何を思い出せるかにとって重要で、学習者が新しい情報を知識として統合し始める方法としての役割も果たすのです。

KNOWLEDGE AND REASONING(知識と推論)

  • CONCLUSION 5-1 事前知識は、より学べる活動への従事に伴う緊張意識を減らし、新しい学習を促進させます。しかしまた、事前知識は、バイアスを引き起こして、人々の注意を新しい情報から遠ざけ、新しい問題にもかかわらず既存スキーマに頼った解決をする可能性があります。こうしたバイアスは、意識的に努力することでのみ克服できます。
  • CONCLUSION 5-2 学習者は、自ら蓄積している情報に対して新しい理解を日々生み出し、そして、情報の断片と論理的に結びつけながら自らの知識を生産的に拡張しています。こうした新しい理解を生み出す能力によって、学習者は自らの知識を一般化し、分類し、問題解決に使うことができます。

(以下,翻訳未チェック)

  • CONCLUSION 5-3 有効性の証拠がある学習戦略には、学習者が情報を検索し、学習中の資料を要約して説明するように促す方法や、資料のプレゼンテーションを空間的に構成する方法が含まれる。整理された特徴的な知識構造を作り出すための効果的な戦略は、学習者に明示された教材をより詳しく説明し、様々な文脈の中でそれを呼び出して応用することで、情報の心の表現を豊かにすることを奨励するものである。
  • CONCLUSION 5-4 学習戦略の有効性は、学習者の既存のスキルや予備知識、教材の性質、学習目標などの文脈的要因に影響される。したがって、これらのアプローチを効果的に適用するためには、特定の学習者、設定、学習目標に対して、その具体的なメカニズムがどのように有益であるかについて慎重に考える必要があります。

MOTIVATION TO LEARN(学習意欲)

  • CONCLUSION 6-1 学習意欲は、人生や学校での経験、そして学習が行われる社会文化的な文脈の結果として、個人が自分自身のために構築する複数の目標に影響される。学習意欲は、あらゆる年齢層の学習者にとって、学校や学習環境が「自分の居場所」であり、その環境が学習者の主体性や目的意識を促進するものであると認識したときに、促進される。
  • CONCLUSION 6-2 教育者は、以下のような方法で学習者の学習意欲を支援することができる。
    • 学習者が望ましい学習目標を設定し、パフォーマンスのために適切に挑戦的な目標を設定できるように支援する。
    • 彼らが大切にしている学習経験を創造する。
    • 自制心と自律性をサポートする。
    • 学習の進捗状況を認識し、モニタリングし、戦略を立てるのを支援することで、コンピテンシーの感覚を養う。そして、
    • 感情的に支持され、脅威にならないようにする。学習者が安心して大切にされていると感じられる学習環境を提供します。

IMPLICATIONS FOR LEARNING IN SCHOOL(学校における学習への影響)

  • CONCLUSION 7-1 効果的な指導は、学習者の予備知識、経験、動機、興味、言語・認知スキル、教育者自身の経験や文化的な影響、学習環境の文化的、社会的、認知的、感情的な特性などの複雑な相互作用を理解することにかかっている。
  • CONCLUSION 7-2 例えば、メタ認知スキルを開発するためのターゲットを絞ったフィードバックやサポート、学習者の現在の能力に合わせた課題の提供、有意義な目標を設定して追求するためのサポートなどである。
  • CONCLUSION 7-3 教育の資産モデルを採用することを支持する研究が増えてきており、カリキュラムや指導技術は、すべての学習者が学業的な学習目標を学校外での学習に結びつけることを支援し、さまざまな環境での学習経験や機会が各学習者に活用されるようにしている。
  • CONCLUSION 7-4 科学、歴史、数学などの特定の分野に特化した言語と実践を目的を持って教えることは、生徒がこれらの科目を深く理解するために不可欠です。
  • CONCLUSION 7-5 アセスメントは、学校で生徒の学習を前進させ、モニタリングするための重要なツールである。十分に定義された学習モデルに基づいている場合、アセスメントの情報は、現在の生徒の学習やパフォーマンスのレベルと望ましいレベルとの間のギャップを特定し、そのギャップを縮めるために使用することができます。

LEARNING TECHNOLOGY(学習テクノロジ)

  • CONCLUSION 8-1 学習のためのテクノロジを使用するかどうかの決定は、そのテクノロジが、学習状況が類似している場合にプラスの影響を与えることを示す証拠に基づいて行われるべきである。
    • 学習の種類と学習の目標
    • 学習者の特性
    • 学習環境
    • 学習に影響を与えそうな社会的・文化的文脈の特徴
    • 学習者や教育者に提供される技術を使用する際のサポートのレベル。
  • CONCLUSION 8-2 正式な教育と訓練におけるテクノロジの効果的な使用には、学習に影響を与えることが知られている要因に対処するための慎重な実施計画が必要である。これらの要因には、学習目標とテクノロジの整合性、講師や学習者への専門的な開発やその他のサポートの提供、テクノロジへの公平なアクセスなどが含まれる。学生の学習の継続的な評価と実施の評価は、テクノロジの特定の使用が最適であることを確認し、必要な改善点を特定するために非常に重要である。

LEARNING ACROSS THE LIFE SPAN(生涯を通じた学習)

  • CONCLUSION 9-1 人は生涯を通じて学習し、成長し続け、その選択、動機、自己調節能力、さらにはその状況が、どれだけ、どれだけ学習し、その学習を新しい状況に移すかに影響を与えています。
  • CONCLUSION 9-2 義務教育環境以外での学習は、学習者のモチベーション、興味、機会に応じて行われます。仕事(特に知的要求と社会的要求の両方を伴う複雑な仕事)との関わり、社会的関わり、身体的運動、十分な睡眠は、すべて生涯学習と健康的な老化に関連している。

Hawkridge (1991) 国家がIT教育に関わる6つの動機

  1. 社会的理由(The social rationale):コンピュータは社会において重要なので,それらを扱えるように児童生徒は準備すべき。
  2. 職能的理由(The vacational rationale):将来の仕事のために児童生徒はコンピュータを学ぶべき。
  3. 教育的理由(The pedagogical rationale):コンピュータが教科教育における教授を向上させる。
  4. 触媒的理由(The catalytic rationale):コンピュータが広範囲で教育システムを変革し,教授や学習の本質を変える。
  5. IT産業的理由(The IT industry rationale):学校のコンピュータをサポートすることが国内のハードウェア/ソフトウェア生産能力を生み出す。
  6. 費用対効果的理由(The cost-effective rationale):コンピュータは教師あるいはその一部を置き換えられる。

『Children and Computers in School』(1996)より