20190106_Sun 平成最終日までのアドベントカレンダーがほしい

年末年始は帰省して過ごした。

例年通りである部分と,年を重ねる毎に変わりゆく部分と。そうして年末年始を過ごしてみて思うに,たぶん2019年は能動的に何かを変えていく時機かも知れないと感ずる。そうでなくとも元号変わりの慌ただしい年だ。

NHK-Eテレが「平成ネット史(仮)」を放送していた。

タイトルに(仮)が付いているのは,制作者側も広範にわたる歴史を2夜連続の枠ですべて収められないことを了解しているがゆえ。それを念頭にひとまず歴史を切り取るならば,たぶんそうなるだろうなという内容になっていて,どうしても東京に出入りしていたネットプロパー勢から見た思い出アルバム的にはなっていた。それでも,バランス感覚のよい構成だったので,番組自体は面白く視聴できたと思う。

そもそもパソコン通信ネットワーク時代はホスト局やボードやSIG毎の島宇宙になりやすかったし,インターネット時代も繋がっているとはいえ掲示板やサイト毎に島宇宙化していたので,取り上げられていたトピックスに対する距離感は個々人で違ってきてしまう。たとえば,番組で取り上げられていたテキストサイト全盛期に有名だったとされる「侍魂」というサイトも,私個人は忙しかった時期にも重なり当時は知らずに過ごした。

平成時代に増大したネットワーク上の世界をどのようなパスを描いて渡り歩いてきたのか,それ次第で個々人の平成ネット史は変わってくるわけだ。

教育と情報の歴史研究にとっても,平成という区分は重みがある。

それで実は,平成が終わる4月30日までの間,個々人が教育と情報の歴史(自分の平成ネット史でもかまわないが)を個々人のブログ上で語るエントリー記事を書いてもらい登録するアドベントカレンダーのようなもの作成したいと考えている。

アドベントカレンダーはもともとクリスマスをカウントダウンするための12月カレンダーだが,4月30日までをカウントダウンするカレンダーでやりたいわけだ。一日ごとに登録してもらったエントリーへのリンクが公開されて各参加者の記事が読めるという一種のリレー連載記事だ。

といっても,アイデアがあるだけで,それを実現するシステムが見つけられていない。

もしも良い実現手段があればTwitterアカウントまで教えて欲しい。

年末修理に出したMacBook Proは,早速修理を完了して昨年内には徳島の自宅に届けられていたようだが,帰省から戻っての受け取り。28日受付の30日出荷だから迅速。バッテリー膨張が確認されて,必要部分の交換となった。データなどはそのままなので,何事もなかったかのように使用再開となった。

20181231_Mon 大晦日

というわけで2018年も最終日。

徳島文理大学の林向達です。この一年ご無沙汰したままの皆様もいらっしゃると思います。直接ご挨拶できず申し訳ありません。

今年も淡々と過ごした一年でした。

相変わらず思索をしながら教育と情報の世界を眺めつつ,職場では担当授業と業務との往復を繰り返していた感じです。華やかさには欠けますが,分相応かと。

りん研究室は,専門ゼミナールに所属する3年生(4名)と卒業研究に取り組む4年生(4名)という体制になった年でした。こういう風にカチッと学生たちが揃ったのは今年が初めてだったので(意外ですが…),その運営や学生支援に関しても試行錯誤な年でした。うちは各学生の関心がバラバラなので,カバーすべき範囲が幅広くなるといった事情もあります。

ああ,『情報時代の学校をデザインする』(北大路書房)は今年の2月発売でした。まだまだ絶賛発売中です。Society 5.0とかEdTechとか語りたい人にはお薦め文献です。

というわけで,今年も一年お世話になりました。

来年は,学会大会の会場をお引き受けすることにもなったので,今年とはまた違った形で活動を展開したいと考えています。

20181229_Sat

帰省先で年末の買い物に付き合う。

Amazonで簡単に買い物ができる世の中になったが,かといって実際のものを確かめながらショッピングすることに意味がなくなったわけでもない。幸い,帰省先は少し足を伸ばした範囲にショッピングモールがある地域。車で出かけて,あれこれ物色した。

帰省の友に米盛裕二氏の『アブダクション』(勁草書房)を持ってきたがなかなか開けず。その中で紹介されていた伊東俊太郎氏の『科学と現実』(中央公論社1981)が帰省先に届いたのでちょっと覗いた。

先日から話題にしているこの「アブダクション」(仮説形成)は,科学的発見の文脈で扱われてきたもので,いわば科学哲学の議論である。それをプログラミング教育の文脈のプログラミング的思考と重ね合わせられないかと考えてきているのだが,果たしてソフトウェア開発に関わる論理的思考を科学方法論における発見思考と同列に考えて良いものか。そこはまだ詰め切れていない部分だ。

伊東氏はパースの発見的思考に関する主張を検討するにあたって,問題とするのは科学史で取り扱われるような科学的発見のことであり,機械装置や工業製品の改良・開発をめざす創造工学的なものではない,と限定を施している。加えて,科学的発見に限っても「事実の発見」「法則の発見」「理論の発見」のどれなのかといった区分分けの必要性についても指摘しており,要するにこの手の議論はそう容易くないことを断っている。

ただ,小学校のプログラミング教育の位置付けを,知識基盤社会・情報通信社会という現代的な世界を対象とした探索発見行為を促す端緒と捉えるなら,自然界に対する科学的発見の所作と同型に考えることはあながち間違ってもいないと思われる。そういえば落合陽一氏が「デジタルネイチャー」という言葉を使っていたけれど,そのような世界に対する科学的探索発見行為を行うことと情報活用能力やプログラミング的思考は深い関係にあると描いてみてもよさそうである。

そんなモヤっとした思索を頭の片隅でしながら。

20181225-28_Tue-Fri

授業のない週。

クリスマスを含む連休中は,研究室の蔵書整理をしたり,我慢しきれずに映画『カメラを止めるな!』などをデジタル配信で視聴したり,のんびり過ごした。天皇の会見はあとからネットで拝見し,平成という時代が終わるのだなと感慨にふけったり。

火曜から金曜日は,授業もないので久し振りに文献とにらめっこしていた。プログラミング的思考を論理的思考の角度から論ずる際に「アブダクション」が重要になると考えているので,あらためて米盛裕二氏の『アブダクション』(勁草書房2007)を紐解いている。

27日あたりTwitter上でプログラミング的思考に関するツイートが賑やかになっていて,それぞれの立ち位置からの認識を垣間見れる状態にあるが,結局,最初の無理がいろんな形で波及してしまった当然の展開なのかなとも思う。本来ならば,これがちゃんとした舞台の上で論争なり議論として扱われて,もともとの言い出しっぺに返っていく通路が形成されるべきなのだけれども,このままだと単なるノイズとみなされて終わりになってしまうところが,教育とICT界隈の残念な現実である。

文部科学省が「プログラミング教育プロジェクトオフィサー(非常勤職員)」を新たに1名募集しているので,こうした界隈の交通整理がしたい方は応募してみてはどうだろうか。

プログラミング的思考の育成をアブダクションによる思考方法の獲得として考えることは,問題解決学習や主体的・対話的で深い学びを指向する今後の学校教育にとって自然に受け入れられる方向性だと思われる。

ただ,学校教育にとって最大の問題は「時間」に他ならず,プログラミング教育を小学校・中学校・高等学校における体系的な取り組みとする時の「割振り」をどう描き分けるのかが,実のところ専門家にさえ見通せていないというのが実情である。

アブダクションによる思考法を獲得するには,演繹と帰納による思考方法もステップとして踏まなければならないのが筋である。だとすれば,時間の限られる小学校で一足飛びにアブダクションまでたどり着けると考える方が難しい。では,どこから手をつけるのか。そうやって割振りを見積もり始めると,小学校だけで全てが完結し得ない事態も覚悟した上で,中学校への接続を前提とした現実的落とし所を描かざるを得ない。むしろ,中学校と高等学校は大丈夫なのか?それが関係者のもっぱらの心配事である。

平成の30年間は社会のIT/ICT普及活用の時代だった。次は,人間とコンピュータとの関係を再構築する時代に入ってきている。AIはその格好の入り口だったわけで,私たちはもっと熟考を重ねてコンピュータをデザインしていく必要がある。そのデザインにアブダクティブな思考方法が不可欠だと考える。

28日は年内出勤も区切りとなり,早々に帰省の途についた。

名古屋栄のAppleに寄って,仕事用のMacBook Proを修理に出した。バッテリーが膨らみつつあったので,深刻な事態になる前に対応したかった。事前の予約もAppleのサポートアプリからバッチリ確保して,万一のハードウェアリセットでも困らないようにバックアップも済ませた。基本的に「預けるだけ」「返ってくるの黙って待ち続けるだけ」にするとAppleの対応はシンプルで気持ちがいい。店先でごちゃごちゃする余地を残すと具合が悪くなる。

伝票を見たら「日本NCR」の文字。おそらくグループ会社のグローバルソリューションサービスが修理を引き受けているのかもしれない。長くAppleの修理プロバイダーをやっている企業である。それも安心材料。

というわけで年末年始はiPad Proのみで過ごす。

20181222_Sat

昨日で年内の授業が終了。

研究室の書棚の整理に終わりはなく,今日も引っ越し時に押し込んだままだった部分を見直した。できるだけ学生たちの目に付くように本で欲しい本や雑誌を並べてみる。

最近は,ちょっとした人文的書物や翻訳本がビジネス系出版社によって出版されるようになって,結構な冊数が「ダイヤモンド社」とか「NHK出版」とか「日経BP」とかの版元表示になっている。もっとも我が研究室はコンピュータ系の本も多いので,そもそも多様なのだが。

ネット上の記録も整理中。

平成時代はパソコン通信から始まってインターネットが普及を果たした時代。私自身もあれこれ試しながらいろんな情報を記録して公開してきた。ソーシャルネットワークサービスが登場して以降は断片的な発信も記録しやすくなった。

なにやら断片を発信して「いいね」のような反応を得るという形が定着してくると,最初のうちは新鮮で嬉しかった双方向のやりとりも儀礼的あるいは儀式的なものに転じていく。そのうち,プラットフォーム側の変なフィルタやキュレーションが増えて,見逃しているかどうかというよりもそもそも届いているかどうかすら分からない状態にある。

こんな状況なので,自分自身が記録した情報を自分自身でコントロールする権利の確認を分かる形で行使するために,某SNSのタイムラインを大掃除している。加えて,ご覧のようにブログを情報発信の主戦場にしている。

『ライフロング・キンダーガーテン』をゼミで講読しているので,学習コミュニティの重要性については理解できるし,大いにそういう輪の中へ身を投じることも大事だとはわかっている。

けれども一方で,コミュニティの負の側面から身を守るためにはマネジメントされた断絶も手段として用いなければならないと考えている。それを一つの情報技法として確立できると,情報活用能力やデジタルシチズンもより膨らみが増すのではないかと思う。

それにしても,掃除しなければならないものが多い。困った困った。