20190326_Tue 教科書検定

平成29年学習指導要領に合わせた教科書の検定結果が発表された。

各紙が「主体的・対話的で深い学び」に対応したことや,「脱ゆとり」の踏襲による増ページ,2度目の「道徳」,小学校の「外国語」と「プログラミング体験」に関して報道。いつものように社会科の領土記述も話題になった。

知識偏重から学び方や資質・能力にも軸足を置く大きな転換を遂げた学習指導要領を受けて教科書が作られたことから,これに戸惑う教師を想像する論調も多い。曰く「問われる指導力」だとか,「使いこなす指導力を磨きたい」とか。

朝日新聞は「「先生に親切」競う教科書 手取り足取りでいいのか」(朝日新聞)という記事を配信して,若手教員の割合が増した学校現場の現状に即して記述が至れり尽くせりになった点について触れている。

今回の検定教科書を生かすも殺すも教員の指導力と言いたげだ。

実際,全体的な雰囲気としてお尻に火がついたように,教員養成や教員研修を変革させなければならないという動きが加速している。

一方で,「働き方改革」の取り組みで教職員の勤務時間を短縮する傾向が強まっている。校務はもちろんのこと,授業準備にかける時間も可能な限り効率化することが求められる。

私たちはますます「うまくやること」を強要されるというか,そう言われるわけではなくとも,自己内規範としてより理想的な教師を目指すよう仕向けられているようにも思う。

もちろん,うまくやれた方がいい。でもそれだけでは息苦しいような気もするのだ。

これほど大掛かりな転換を踏まえた教科書検定の結果だというのに,検定結果の公開に関しては従来規模を踏襲してしまっている。

本来なら,もっと期間を長くしたり,全国的に行脚して,広く国民に見てもらうべきであろう。

家族にでも児童生徒がいない限り,国民が教科書を直接見る機会は多くない。今回のような報道だけで検定教科書の内容を把握するのは誤解も多い。

もっと教科書検定結果を広く知ってもらうということにも力を入れるべきだ。

インターネットラジオ elict radio

4月からインターネットラジオ配信局を暫定開局します。

エリクト・ラジオ(elict radio)と名付けられたネットラジオ局は,教育をキーワードにしたコンテンツを配信するための配信局です。

名前の由来はeducation(教育),learning(学習),information & communication technology(情報通信技術)の頭文字 e,l,i,c,tを組み合わせたelictです。

ラジオといえば24時間放送していてチューニングすれば聴けるのですが,残念ながら新しく立ち上げる配信局なので,elict radioには24時間も聴けるほど番組がありません。

その代わり,番組を,リスナーも含めた有志で作ることができます。

教育にかかわる多様な見方を許容でき,同じプラットフォームで相乗りできる人なら,誰でも作り手になれるのです。つまり,elict radioは参加型のインターネットラジオの1つなのです。

教育の様々な分野の関係者の人々が,自分たちの分野を広く知ったもらうための番組を作ることもできます。

学校の児童生徒さんたちが,自分たちの学習活動や成果を披露する手段としてラジオ番組を作ることもできます。それは学習発表やラジオ劇やボイスレターでもかまいません。

保護者の方たちが子育ての楽しみや悩みを共有する番組があってもいいと思います。

こうした番組は,これまでもローカルラジオやコミュニティラジオ局などで制作放送されてきて,いまでも全国各地で様々な番組が活躍されています。インターネットラジオの世界でも先達たちが魅力的な番組や配信をしています。

今回,新たに立ち上げようとしているインターネットラジオ配信局が他と違うのは,「教育」や「学習」といった分野を軸にする点です。そして,もっと学校教育に近いインターネットラジオ配信局になりたいという点です。

動画による情報発信が気軽にできるようになって,そちらの選択肢の方が魅力的に思える時代ではありますが,音声だけのメディアにも魅力やメリットがありますし,そのメディアを選んだときの発信場所,受け皿の存在になることがelict radioの願いです。

まずは4月から朝番組をスタートします。

時代の転換点であり,教育に関しても様々な新しい動きが起こっている今日,いろんなニュースを眺めてみようという番組を始めます。

最初のうちは,ゆる〜い仲間内の感じがするかも知れませんが,そこから「私なら,こういう番組を作ってみる!」という方が出てきて,このインターネットラジオ配信プラットフォームを利用してもらえるようになったらと思います。

別れはさりげなく

私の在職する大学でも卒業式がありました。

卒業するのは,私が現所属になったのと同時に入学してきた学年でした。お互い1年生というこちらの勝手な同士意識と1年生担任として迎え入れるという縁で始まった4年間でした。

こうして4年の月日が過ぎ,晴れて卒業の日を迎えられること,喜ばしく思えます。

私は,学生に伝える事柄を「3つのこと」として絞ってきました。

  1. 正しいことができるよう気づき考えること
  2. 人に寄り添うこと
  3. 異なること,特に反対のことについても考えること

これを決めたのは今回の卒業学年が入学してきた時でした。そういう意味でも感慨深いのですが,実は今回の卒業で,この3つについての続きを話そうかと思っていたのです。

私は卒業生たちを1年生時に担当したものの,それ以降は担任変更もあり,授業で関わるだけ。3年生,4年生向けの授業を受け持っていないこともあり,多くの学生たちとは学内ですれ違うか,ほとんど会わずに時が流れてきました。

私の存在感があるのはせいぜい前半の2年くらいだけ。卒業までの後半2年間に積み重なる思い出の中に私の姿はさして現れないというのが大勢の学生たちの意識だろうと思います。そして,それが大学という場の当たり前だと思います。

「3つのこと」を常に話そうと決めたのは,そうなることが分かっていたからでした。

私のことが眼前から消えていても,私が「いつも決まって話をすること」は憶えていて欲しい。それが何だったのかハッキリ思い出せなくても,正しいとか何とかの3つのことを話していたなぁと思いを巡らせて欲しい。

そんな願いを込めて繰り返しているお話でした。

けれども,話そうと思っていた「続き」は,「3つのこと」の裏話ではなく,それが意味する事柄の方でした。

卒業生たちの多くが歩み始めようとする「先生」という仕事。そして,そうでない道に進む卒業生たちにとっても他者にとっての「自分」というものについて。これらを考える時に私が伝えたかったこと。

それは,私たちが多くの他者と「記憶で接する」ということです。

「3つのこと」は,人と接する時に大事にすべき事柄のように見えるかも知れません。

確かにそのような内容ではあるのですが,実のところ,その内容が3つのことである必然性は何もありません。人と接する時に大事にすべき中身は,別の考えがあってもよいのです。

むしろ重要なのは中身ではなく,私たちがその人と「眼前で接する時間」よりも「記憶で接する時間」の方が断然長いということの方なのです。

私たちは,相手から直接言われた言葉を,その直後から,記憶の中で反芻しながら受け取ろうとします。

相手が眼前にいるうちは,あるいは通信ツールを使ってやりとりできるうちは,反応を返し合うこともできるかも知れない。

しかし,私たちは遅かれ早かれ直接関わる関係の卒業を迎えます。そうなれば,私たちは相手と「記憶で接する」しかありません。

私たちが眼前の相手に対して行う事柄は,相手の記憶に留まる。

「先生」という仕事は,そういうことに深く関わる職業であるということです。

「3つのこと」は,そういう立場に立つ人間として考えたいことを絞り込んだものでした。もちろんそれは私という人間が考えたものであって,普遍的なものではありません。

そもそも,3つのことを完璧にできる人間なんて居やしません。3つのことが完璧にできないからこそ,常に意識したい。記憶というものを介して存在しようとする「先生」という立場に立つなら,そうありたい。それが私なりに伝えたかったことでした。

とはいえ,記憶に囚われて生き続ければ,それは単なる原理的・機械的な生き方でしかなくなってしまいます。そうならないことも個人個人が努力を続けなくてはなりません。

3つ目に「異なること,特に反対のことを考えること」を含めたのは,そうした囚われからの解放も忘れないで欲しいというシグナルです。私たちはいつでも自由なのですから。

卒業生たちが巣立つ日。

4年越しの「3つのこと」の続きを語る機会を待ちわびていましたが,残念ながら,その願いは最後に叶いませんでした。

4年前の関わりや記憶よりも,直近の関わりと記憶の方が勝っているのは当然です。卒業行事の中で,直接担当していない人間の割り当て時間は少なく,せいぜい「3つのこと」を思い出してもらうだけで時間切れとなりました。しかし,それも織り込み済みと言えば織り込み済み。

すでに彼ら彼女らとも「記憶で接する」時間が長かったわけですから,あとは新たな門出をお祝いし,応援するだけです。

卒業おめでとう。

20190221_Thu ACMは米国計算機学会じゃない

ACMという団体の会員更新。

そろそろ更新(renew)期限が来るので,メールとか郵送物でのお知らせが賑やかになっていた。「ACM Digital Library」という電子文献データベースサービスを使い続けたかったので更新。

更新画面を眺めながら,あらためて「ACM」って何の略だっけと確認すると,トレードマークの横に「Association for Computing Machinery」と書いてある。

日本語名称は「機械計算学会」とでもなりそうなのだが,Wikipediaに面白いことが書いてあった。

日本語に訳して「計算機械学会」とされることもあるが、こんにちこの訳語が用いられることはほとんどなく、通常は単に”ACM”という略称で呼ばれるのがもっぱらである。ACMの「A」は Association (学会、団体) の頭文字であるが、アメリカ数学会 (AMS) と混同して「米国計算機学会」と誤訳されることがある。

ああ,確かに自分も「米国計算機学会」って思っていた節がある。全然違ってたんだ。

でもこの勘違いって,わりと根深いのかも知れない。

検索してみると,あの東工大のプレスリリースで「米国計算機学会(ACM)」という表記をしてしまっているものがあるくらいだから,もしかしたらかつてはAmericaで通していた時期があったとか,そういう刷り込み要因があったのではないかとさえ思える。

それと,大問題は「Computing」である。

辞書的な日本語訳は

「コンピュータの使用」「計算」(小学館ランダムハウス英和大辞典)
「コンピュータの使用」「コンピューティング」「計算」「演算」(英辞郎)

とされている。

Computing Machineryになると,機械仕掛け(machinery)の計算(computing)ということで,それは「機械計算」とか「計算機」という日本語訳になるが,これが単独のcomputingとなった場合のよい日本語訳が,いまだ登場していない。ここでは「コンピューティング」とカタカナ語にして逃げておこう。

しかし,上の2語の組み合わせ(computing machinery)で,わざわざ機械仕掛けと修飾して「機械計算」という表現を持ち出していることから逆算すると,単なるコンピューティング(computing)は機械仕掛けじゃないものもあるって話にもなりそうだ。

さて…「コンピューティング」とは何なのか?

この問いはとても奥が深い。

実は,コンピューティングを科学研究分野として成立させるために,専門家の人々が「コンピューティングとは何か」を真剣に探究してきた歴史がある。その代表的な研究者がピーター・デニング氏であり,その成果は『Great Principles of Computing』という著作としてまとめられている。

それによると,たとえばコンピューティングの大原則は6つのカテゴリー「Communication」「Computation」「Recollection」「Coordination」「Evaluation」「Designe」に分かれていく。

それぞれのカテゴリーが焦点としているのは…

「Communication」は,地点間の確実な情報移動,

「Computation」は,計算の可不可について,

「Recollection」は,情報の表現や記号化とメディアからの取得,

「Coordination」は,いくつもの自律計算エージェントの効果的な利用,

「Evaluation」は,意図された計算を産出するシステムかどうかの計測,

「Designe」は,確実性と信頼性に向けたソフトウェアシステムの構造化,

とされていて,これらをまるまる一冊かけて記述している。専門分野として捉えようとすると,それだけ幅広く複雑な荒野を見渡さなくてはならないというわけである。

こういう構成要素を分析したアプローチだと深みにハマるしかないが,使途から考えるアプローチであればもう少し緩やかであってもよいのではないか。

所詮「コンピューティング」というカタカナ語で逃げざるを得ないなら,「コンピュータ技術が関わる」というくらいの括りで考えた方が,むしろスッキリするということだ。

「コンピューティング」とは「コンピュータ技術が関わるあれこれ」である。

だから,教科コンピューティングは,コンピュータが関わるあれこれを扱う教科くらいな捉え方になる。

昔の人は「計量的」とか「計算的」とかの語を苦労してあてはめようとしてきたけれど,そろそろ観念して「コンピューティング」という言葉を受け入れる方向に持っていった方がいいのかも知れない。

20190219_Tue 学校と携帯電話・スマートフォン

学校への携帯電話・スマートフォンの持ち込みに関してニュース。

とりあえずクリッピングだけ。

20081205「大阪府・橋下知事の「携帯電話の使用・持ち込み禁止令」を考える」(PC Online)

20181013「携帯電話:小中校持ち込み禁止を大阪府教委が見直しへ」(毎日新聞)

20181106「4月から小中学校へ携帯電話持ち込み可 大阪は大丈夫か?:竹内和雄」(Yahoo!ニュース個人)

20181108「小中学校スマホ解禁、大阪で19年度にも 災害時に有効」(日経新聞)

20181119「携帯・スマホ持ち込み禁止 見直しへ」(日本教育新聞)

20181127「安否確認?学力低下?…“子どもスマホ不要論”に大きな変化」(FNN)

20181201「小中学校にスマホ持参OKへ 大阪府、災害時の連絡用に」(朝日新聞)

20181204「スマホの校内持ち込みOKへ 大阪の公立小中、19年度に」(教育新聞)

20181213「大阪の小・中学でケータイ持ち込みOKへ 「大問題」と尾木ママ叱る」(週刊朝日)

20190218「小中学校でスマホ、使用は災害時のみ 大阪府が指針案」(朝日新聞)

20190218「スマホ校内持ち込み容認へ 大阪府がガイドライン素案」(産経新聞)

20190218「携帯電話の学校への持ち込み…『許可』へ 大阪府の公立小中学校」(FNN)

20190218「公立小中学校でスマホ持ち込みのガイドライン作成 大阪府教委が素案」(毎日新聞)

20190218「小中学校 携帯電話の持ち込み容認へ 大阪府がガイドライン」(NHKニュース)

20190218「大阪の公立小中の携帯持込が「一部解除」 学校、保護者は混乱 保管や歩きスマホなど問題点は?:竹内和雄」(Yahoo!ニュース個人)

20190219「小中学生の携帯・スマホ普及率6~7割、原則禁止見直し」(日経新聞)

20190219「大阪府小中学生のスマホ・携帯の所持、登下校時に限り解禁へ」(ReseMom)

20190219「小中学校へのスマホ持ち込みも 文科省、禁止方針の見直しへ」(共同通信)

20190219「小中学校スマホ持ち込み 「原則禁止」見直し、文科省」(日経新聞)

20190219「学校へスマホ持ち込み禁止の指針、文科省が見直しへ」(朝日新聞)

20190219「小中学校へのスマホ持ち込み、見直し検討 文科省」(産経新聞)

20190219「スマホ:小中学校でも? 文科相、ルール緩和検討」(毎日新聞)

20190219「“携帯”の持ち込み禁止 見直し検討」(TBS NEWS)

20190220「学校でのスマホ禁止を見直し 文科省が通知緩和へ」(教育新聞)

20190220「学校にスマホ、保護者は歓迎 悩む学校も「トラブルに」」(朝日新聞)

20190220「「安心」「悪影響」小中学校へのスマホ持ち込みに賛否両論 」(ITmedia)

20190220「スマホ小中持ち込み 栃木県内公立校は原則禁止 現時点で方針変更なし」(下野新聞)

20190220「ホリエモン、小中学校スマホ持ち込み解禁問題に持論「禁止してるのがそもそも終わってる」」(スポーツ報知)

20190221「【主張】小中のスマホ解禁 頼りすぎる弊害が心配だ」(産経新聞)

20190221「社説:学校とスマホ 持ち込み禁止解く前に」(信濃毎日新聞)

20190221「小中スマホ持ち込み「原則禁止」を国が見直しへ 私が「時期尚早」と考える理由:竹内和雄」(Yahoo!ニュース個人)