20190114_Mon Raspberryな成人の日

成人の日でお休み。

連休なので,わりとのんびり過ごしつつ,書店巡りなど。結局,眺める本は専門書や技術書ばかりなので,卒業研究指導のことや教育研究のことなどを考える。

Raspberry Piをベースにタブレット端末っぽくパッケージングしたRasPadを使って,FeliCaリーダーと組み合わせた出欠記録アプリを組みたいと考えている。Pyrhon言語を使うのはいいとして,Python言語でウインドウ表示するアプリ開発をするのにいい参考書はないかなと物色したりした。

午後は,RasPadのOSであるRaspbianをアップデートするための作業。

ほう,最近はSDカードにディスクイメージを転送するためのユーティリティ「Etcher」というものがあるのか。かなり手軽に準備できるようになっていた。

Raspbianも昨年の終わり頃にアップデートがされて,導入時の日本語環境設定が楽になっているという。一度済ませれば日頃は縁のない導入部分だから,たまにシステム不調になって再インストールするとなると,運用は慣れているものの,あらためて導入では面食らってしまうことは少なくない。

Scratchが3.0と新しくなったものの,Raspberry Pi上でオフラインで動かすバージョンはこれから。まだまだいろんなことが目まぐるしく変わりそうである。

そんなシステム周りのアップデートで一日が終わってしまった。アプリ開発はまだお預け。

20190112_Sat 真夜中の番組「山の分校の記録」

ETV開局60年の特番があった。

メディア研究の分野でも有名なテレビ映画「山の分校の記録」(1959年)が久方ぶりにテレビ放送されるというから気にしないわけにはいかない。なにしろメディアとの出会いに関する研究談義の際には,必ずや言及される番組。大学の授業で教材として利用している先生もいると聞く。

NHK教育放送が始まったばかりの頃,テレビ受像機が栃木県土呂部(日光市)の分校に1年間貸し出された様子を短く紹介したモノクロ番組である。

番組前半は,山の分校なので,子どもたちの日常的生活圏が狭く,接するものが限られている環境で,その中で学習することの難しさのようなものが描き出される。

たとえばコントラバスという楽器一つを説明するにも,実物がないのは当然として,写真が掲載されている適当な教材もない。バイオリンを大きくしたものと説明したくとも,そのバイオリンの実物がないため,これまたバイオリンとは大きさが似ても似つかぬ模型があったので,それを取り出してバイオリンを説明し,それが大きくなったものだと説明する先生の姿は気の毒に映る。それでも手渡されたミニチュア模型バイオリンを好奇の目で見つめる子どもたちの様子がまばゆく伝わってくる。そうやって想像力を働かせても,残念ながらコントラバスの音色は聞こえては来ないという現実。

こうした学習における困難な条件を,分校担当の老先生はずっと悩ましく思っていて,どうしたら社会を学んでもらえるだろうかと考え続けている。

ある年,老先生は6年生を連れて町の小学校へ3日間の留学を実施した。

留学先の小学校で町の子たちと一緒に学ぶ中で,この学校がテレビや放送施設などの視聴覚機器を活用しているのを一緒に体験する。

このときをきっかけとして,子どもたちがテレビを望み始め,さまざまな働きかけの末に,テレビ受像機の貸し出しが決まった。テレビと子どもたちの日々を追いかけるのが番組後半の内容である。

すべてを書くのは野暮なので,テレビを利用した学びの様子については,実際の番組をご覧頂きたい。

元の番組は「山の分校の記録 | NHK for School」として動画公開されている。

実は,元のオリジナル映像全編がネットで公開されたのはこれが初めてである。

今回,真夜中の放送の特徴は,元映像はNHKの学校放送サイトで動画コンテンツとして公開され,地上波では元の映像を視聴しながらチャット画面でコメントする様子を混ぜ込んだものだった。

真夜中の放送自体は,単に古い映像を流すだけで終わりにせず,他の人の反応を見ることで過去の映像の違った価値を発見する試みとして良かったと思われる。

映像を見ながらの呟きであるから,見たままのことを呟いたり,単に驚いたり嘆いたり,見ているところが瑣末だったりすると感じられるものもあっただろう。それに慣れない一般視聴者からするとそんなコメント吹き出しが流れている画面は,目障りだという感想も一部あったのは仕方ないことかも知れない。

ただ,こういう取り組みはまだまだ改善の余地があって,私たちは番組視聴中のコメント吹き出しを「振り返りアンカー」として打ち込んで,視聴後の感想交換パートでの議論を深めていくためにそのアンカーを辿り直すように活用も出来るはずである。

今回は教育工学研究者として堀田博史先生も登場していたわけで,そのように意見交換パートをもっと充実させるための役者は揃っていただけに,一部の感想を許してしまったのは残念である。

この番組は,あまりによく出来ているし,技術や社会状況はまるきり変わっているけれども,今日の学校に重ね合わせてしまえる部分も少なくない点で,文句無く伝説のテレビ映画だ。

けれども,あまりによくできているが故に,番組構成やスクリプトを手がけた当時のテレビマンのスキルの高さにあらためて感嘆してしまうという側面もある。

それはこの番組の名場面として語られる「テレビが無くなったとしたら」のくだりで,女の子のモノローグと番組ナレーションとの繋ぎで感ぜられる違和感を,見事に吹っ飛ばしてしまう映像と名台詞にも象徴される。

しかし,それが「テレビ」なのだろう。必ずしもフラットなものではない。

世界へのまなざしを開かせるメディアとしてのテレビと子どもたちとの出会いを描いた貴重なドキュメンタリー映像は,それそのものがテレビを体現しているからこそインパクトを持って語り継がれているのだ。

20181124_日本教育メディア学会

日本教育メディア学会年次大会初日。

鹿児島大学附属小学校での公開授業から始まった。4年生の総合的な学習の時間で「附属小学校の伝統を伝えよう」という単元。附小クイズを作成して,クイズに解答してもらう活動を通して学校の伝統を知ってもらうことを目指していた。

その際,選択クイズを出題するツールとしてScratchを利用し,そのプログラムの流れを考えるのが今回の授業であった。

選択問題のScratchプロジェクトを作成する際,回答に応じた処理が必要となり,「分岐」という考え方と「もし」ブロックの利用へとつなげていく。授業案で想定されていたのは,そのような展開である。

子どもたちは,前時よりペアになってクイズのプロジェクトを進めており,問題と回答に応じて表示する画面などはすでに作業が終わっているものの,回答に応じて表示するための処理は分かる子達以外は組み込めていないという状況だった。

伝統を低学年に伝えるためのクイズ作成という軸はぶらさずに,選択クイズをプログラミングしていくわけだが,ペアごとにブロックの組み立て方がバラバラなので,たとえばキー入力待ちの処理のしかたも,「ずっと」ブロックを使うペアあり,「○秒待つ」ブロック後に「もし」ブロックでキー判定するペアあり,そのまま「もし」ブロックを使っているペアあり…と動くものもあれば動かないものもあったりする。

今回の授業では,回答によって結果が変わることの必要性と「もし」ブロックの存在を知ることがひとつの目標だったが,限られた時間でプログラミング活動をする難しさみたいなものをあらためて感じた授業だった。

その後は一般発表と鼎談企画へ。

一般発表では「プログラミング」関連を聞いていたが,やはりまだまだ模索段階にあるなぁと感じた。その模索を否定したいわけではないのだけれど,ある程度厳しい問いに晒しながら進めないと,ごっちゃに受け止められてしまう懸念もある。

鼎談企画は「教育メディアのこれまでと展望」と題して,日本教育メディア学会と学会紀要の論文の歴史を振り返りながら語るもの。

教育と情報の歴史研究に携わっている私としては,興味津々のテーマと内容であった。携わっているといっても私自身は教育とコンピュータの領域から取りかかっているため,視聴覚教育の領域に関しては学ぶことばかりである。

学会前身の「視聴覚教育研究協議会」の第1回が1954年に行なわれた際,「わが国における視聴覚教育の現状」として「放送教育」「映画教育」「幻燈教育」「紙芝居教育」「視聴覚教育資料」「視聴覚教育の諸問題」「The Use of Audio-Visual Materials in the USA」といった立場からの発表があったという。こうしたキーワードから過去について,また今後の展望についていろいろな語りが出ていた。

その中ではかつての「西本・山下論争」を振り返って,昨今では「論争」があまりないこと,学会でもっと論争すべきといったご意見もあった。

ただ,論争がないというのは,多くの人々が注目をする論争のための場がないだけで,細々としたところでは異論を唱え合っているという事態は進行している。学会という場が論争の場になるためには,そうした言論空間の時代変化に対応していく必要があるだろう。

今回は学会史の序盤だけで終わった感じである。

そして,来年の年次大会で続編を企画しようかという話も出た。教育と情報の歴史研究会も再始動させて,徳島でも歴史を振り返る機会を持てるようにしたい。

プログラミング的思考と論理的思考

2018年11月6日に「小学校プログラミング教育の手引(第二版)」が公開されました。

学生向けの教員採用試験対策講座の担当が回ってきたこともあり,せっかくの機会なので小学校学習指導要領に記載されたプログラミング体験に関して,最新の「手引」を解説するかたちで知ってもらうことにしました。

小学校におけるプログラミング教育のねらい

①「プログラミング的思考」を育むこと
②プログラムの働きやよさ、情報社会がコンピュータ等の情報技術によって支えられていることなどに気付くことができるようにするとともに、コンピュータ等を上手に活用して身近な問題を解決したり、よりよい社会を築いたりしようとする態度を育むこと
③各教科等の内容を指導する中で実施する場合には、各教科等での学びをより確実なものとすること

これら「手引」に書かれたことをベースに,資質・能力の三つの柱について触れたり,「小学校段階のプログラミングに関する学習活動の分類」など,採用試験でも出てきそうな部分を概説しました。

学生たちには情報処理の時間でScratchに触れてもらったこともあったので,久し振りにScratchの画面を見せて,正三角形を描くプログラムを即興で組んで見せ,私の身体アクションも交えてグラフィカルな環境によるブロックプログラミングを思い出してもらったりもしました。

また,当ブログでは,いつもなら『「プログラミング的思考」なるもの』と距離を置いて批判的に扱っている「プログラミング的思考」という言葉も,さすがに採用試験対策の文脈では批判的に扱い過ぎても何らメリットがないので,程よい距離感で紹介しました。

さて,「プログラミング的思考」とは何か。

「学習指導要領」を初めてみる人には不思議に思えるかも知れませんが,「プログラミング的思考」という言葉は小学校学習指導要領そのものには記載されていません。

代わりに,「学習指導要領 解説」(総則編)の50-51頁(印刷版)にある情報活用能力の解説箇所で「プログラミング的思考」が初登場します。

それを解説する文章は85頁まで進むと出てきます。長いですが丸ごと引いてみます。

また,子供たちが将来どのような職業に就くとしても時代を越えて普遍的に求められる「プログラミング的思考」(自分が意図する一連の活動を実現するために,どのような動きの組合せが必要であり,一つ一つの動きに対応した記号を,どのように組み合わせたらいいのか,記号の組合せをどのように改善していけば,より意図した活動に近づくのか,といったことを論理的に考えていく力)を育むため,小学校においては,児童がプログラミングを体験しながら,コンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考力を身に付けるための学習活動を計画的に実施することとしている。その際,小学校段階において学習活動としてプログラミングに取り組むねらいは,プログラミング言語を覚えたり,プログラミングの技能を習得したりといったことではなく,論理的思考力を育むとともに,プログラムの働きやよさ,情報社会がコンピュータをはじめとする情報技術によって支えられていることなどに気付き,身近な問題の解決に主体的に取り組む態度やコンピュータ等を上手に活用してよりよい社会を築いていこうとする態度などを育むこと,さらに,教科等で学ぶ知識及び技能等をより確実に身に付けさせることにある。したがって,教科等における学習上の必要性や学習内容と関連付けながら計画的かつ無理なく確実に実施されるものであることに留意する必要があることを踏まえ,小学校においては,教育課程全体を見渡し,プログラミングを実施する単元を位置付けていく学年や教科等を決定する必要がある。なお,小学校学習指導要領では,算数科,理科,総合的な学習の時間において,児童がプログラミングを体験しながら,論理的思考力を身に付けるための学習活動を取り上げる内容やその取扱いについて例示しているが(第2章第3節算数 第3の2(2)及び同第4節理科 第3の2(2),第5章総合的な学習の時間 第3の2(2)),例示以外の内容や教科等においても,プログラミングを学習活動として実施することが可能であり,プログラミングに取り組むねらいを踏まえつつ,学校の教育目標や児童の実情等に応じて工夫して取り入れていくことが求められる。
また,こうした学習活動を実施するに当たっては,地域や民間等と連携し,それらの教育資源を効果的に活用していくことも重要である。

めまいがしそうな文章ですが,この解説文を解説するのが「小学校プログラミング教育の手引」ということになります。

その手引によれば「プログラミング的思考」とは,コンピュータに意図した処理を行なわせるために必要な「論理的思考力」と概説され,学習の基盤となる資質・能力のひとつ「情報活用能力」に含まれるものだとも書かれています。

プログラミング的思考とは,情報活用能力に含まれるプログラミングに関わる論理的思考力である。

これが圧縮した定義となりそうです。

面接試験時に「プログラミング的思考が論理的思考力であるなら,ただの論理的思考と何が違うのでしょうか?」と問われたら,なんと答えればよいでしょう?

第一の相違点は,論理的思考が対象を限定していないとすれば,プログラミング的思考はコンピュータに関わる領域に対象を限定している点です。

ただし,この指摘に賛同しない立場もあります。プログラミング的思考は汎用性のある思考法であると主張する人もいます。ちなみにComputational ThinkingについてWing氏の論稿で「すべての人にとっての基本的な技能」と紹介しているので,これをプログラミング的思考と混同しようとする流れもあるようです。

第二の相違点は,「思考過程」と「結論/結果」(意図する一連の活動)の位置付けです。

論理的思考が根拠等の要素の関係を注意深く結びつけることによって結論を導き出すもの(思考過程が静的で結論が動的)であるのに対し,プログラミング的思考は精緻に設定された結果を達成するために必要な要素を選択して結びつけるもの(思考過程が動的で結果が静的)と位置づけることが出来ます。

ただし,論理的思考は,意図した結論に適合する思考過程を生成することも包含し得ます。一方,プログラミング的思考は,意図した結果の方を変える場面もあり得ますが,今回の「解説」や「手引」の範囲では意図の変更までは想定していないようです。

ここでは以上の2点をプログラミング的思考と論理的思考の違いとして述べるに留めたいと思います。

ただ,プログラミング的思考が「意図した一連の活動」そのものを考え直す契機を含んだものとして語られていないというのは,非常に興味深い論点になると思います。

そもそも「論理的思考」に関して,学習指導要領上で「算数,数学科」の数量的思考の中で触れられてきた流れや,「国語科」での論理的思考力を養う話題・教材の選定や論理的理解に配慮した表現力,論理的な見方・考え方をする態度育成という記載の流転を鑑みても,それが何なのかをはっきり明示できているとはいえません。

おそらく戦後の学習指導要領の大テーマである「問題解決学習」と併せて考えなければならないのだろうとは思います。

問題解決に際して,帰納的思考を展開するのか,演繹的思考を展開するのか。そういう観点からプログラミング的思考と論理的思考を位置づけて論じることも出来るかも知れません。

またプログラミング的思考を,Computational Thinking(コンピュテーショナル思考)との違いで考えてみたり,クリティカル思考やシステム思考,デザイン思考といったものと比較検討することも面白いかも知れません。

これから教員採用試験を受験しようとする皆さんは,正解を追い求めるだけでなく,こうした曖昧とした用語同士の関係性を自分なりに描いてみる訓練も大事になると思います。

英語の学力学習状況調査と中学校の教育用パソコン

文部科学省「平成31年度全国学力・学習状況調査 中学校英語「話すこと」調査」に向けて,調査手順を示す文書が2018年10月9日に公開されました。(平成31年度全国学力・学習状況調査 中学校英語「話すこと」調査に向けて

直後はそれほどでもなかったのですが,しばらくしてからFacebookあたりで,手順に示されているパソコン条件について話題になり,とあるブログ記事とツイートが文部科学大臣の目に触れるなど,少しばかり注目されています。

20180628「【全国学力テスト】英語予備調査、11%の学校でトラブル」(ReseMom)
20181001「全国学力調査で英語4技能調査 中3対象 3年に1回程度 PCやタブレット活用」(教育家庭新聞)
20181009「文部科学省「平成31年度全国学力・学習状況調査の中学校英語「話すこと」調査に向けて」を発表」(今日もワンステップ!)
20181010「ICT環境の確認求める 全国学力調査・中学英語」(教育新聞)
20181010「【全国学力テスト】H31年実施に向け英語「話すこと」調査、手順など公開」(ReseMom)

https://twitter.com/szsk_edu/status/1054117140926652416

公表された文書を見て私が思ったことは「担当される先生方が大変だろうなぁ」というものではありましたが,また同時に,文科省や専門会議の関係者がこれ以外の方法を示さなかった理由については「仕方ないのだろうなぁ」という諦め受容をしていたことも事実です。

手順が示している通り,調査実施のため「調査プログラム」をセッティングして動作させること(事前準備),動作させて確実に記録を残すこと(実施),記録を確実に回収すること(回収)を現在の中学校設備でどう実現するか,この3つが大きな課題です。もちろん適切に削除も必要です。

【事前準備】

「またWindows決め打ちか…」という感想が湧かなかったわけではありません。iOSやChromebookの露出も増えてきていますし,Webベースのオープンなコンピューティング環境というものへの意識も広がりつつある中で,Windows用の調査プログラムを開発し用いる仕様は,Society5.0を謳い始めた省庁としてどうなのか。旧態依然な雰囲気を醸し出します。

しかし,現実的な選択をしなければならないのも官公庁。

文科省自身が継続してくれている「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」がありますが,この調査を踏まえればWindowsを前提とした計画を立てることに問題があったとは言えません。

中学校における教育用パソコンのOS種別をグラフ化したものです。

ご覧いただければ一目瞭然ですが,学校におけるWindowsプラットフォームのシェアは依然として9割以上(95.1%)です。併せてWindowsプラットフォーム内のバージョン比率も掲載しておきます。

この状況を前提に,調査プログラムをWindows専用プログラムで開発するか,あるいはWebベースで開発するかを選択する際は,たとえば費用対効果や想定される問題の回避を考えるわけです。

Windowsのバージョンが多様で,導入されている実際の端末のメモリやディスクの容量も多様,インターネット接続状況も(調査から見えない部分で)実に多様,動作時の実際的な条件も多様となると,その中で確実さが求められる「調査プログラム」を問題なく動作させる方法は,正直に言えば「ない」わけです。

Webベースの調査プログラムに関しては,Windows上のWebブラウザ事情(Internet Explorerは調査に使える?等)を考えれば,余計な問題を増やすことになり,確実性に乏しくなるのは目に見えています。結局のところWindows専用プログラムを組むのが一番妥当ということになるというのが落とし所のように思えます。

しかし,調査プログラムのインストールだけでも,許可や制限解除が必要な環境も珍しくなく,再起動するとインストール前の状態に環境復元する設定になっているところも多いため,決して理想的な落とし所ではないのも事実です。

【実施】

「話すこと」の音声データを録音して記録に残す。

単純な処理課題のようにも思えますが,多人数の音声データを確実に管理し,1人1人が調査を受ける毎に調査環境を初期状態に保ち,それを規定の調査時間内で繰り返し処理することは,前提条件が多様であることを思い返していただければ,容易な話ではないと同意してもらえるのではないかと思います。

「平成31年度 全国学力・学習状況調査の時間割のモデル」の補足には次のように書いてあります。

○「話すこと」調査の所要時間は、生徒1人当たり10〜15分程度(準備5〜10分程度を含む)。同一学級の生徒を一斉に調査でき、かつ調査対象学年の生徒全員が3単位時間以内で調査できるように設計されている。

平成31年度 全国学力・学習状況調査の時間割のモデル

先行する学級の生徒たちが調査を受け,後続する学級の生徒たちが調査を受けるまでの間5〜10分程度で,学級生徒数にもよりますが数十台ものパソコンを調査初期状態に戻すための作業(再起動でしょうか)を行なうことになります。

そうなると音声データを回収まで「どう残すか」は大問題です。

インターネット接続が保障もされず,仮に接続されていても回線速度が安定しているかも不明であるうえ,全国から一度に届くであろう音声データを安定して受信して保管するサーバーシステムを組むコストを考えると,音声データを送信してしまう方法は使えない。

USBメモリを使えないように制限を加えたパソコンも多いので,USBメモリを使って音声データを保存するやり方も使えない。

とりあえず個々のパソコンのローカルに保存してもらうしかないけれども,それさえ環境復元ソフトの導入があると叶わない…。公表された文書の裏側で苦悩している様子は手に取るように伝わってきます。

おそらくこの辺は,個別どうするのかを早めに検証して対処方法を見つけてもらうということになるのでしょう。方法を大きく変える時間的・資金的余裕があるとは言えないので,受託企業の性格的なことを考えると人海戦術で対応するしかないと考えているのかも知れません。

【回収】

調査と同時進行で音声データが送信提出されるわけではないので,調査中,パソコンのローカルに記録され残されたデータを個々の学校でUSBメモリに保存回収し,それを全国で回収するという2段階回収となるようです。

音声データをインターネット経由で直接提出させる方法もありそうですが,調査の解答用紙が別にありますので,これとUSBメモリを同時に従来の方法で返送した方が採点集計作業において効率がよいのかも知れません。

オープンな技術プラットフォームが普及するメリットを考えると,今後はWebベースで調査ができるように仕向けていくべきだと思います。しかし,学力・学習状況調査の実施が妨げられてしまうようなことがあっても困るわけです。

私もWindows決め打ちをして書かれる公文書は好ましくは感じません。しかし,この難しいタイミングにおいて出された文書としては,仕方ない部分もあると受け止めます。

今回の問題の背景に,まだまだWebベースやインターネット,オープンなサービスを利用することが難しい学校の縛られたICT環境の現状があること,それを変えることが業界構造として難しくなっている問題について,社会の問題意識が向いてくれることを望みます。