言葉のガチャ

AIチャットは学習利用にも可能性

昨年11月末にChatGPTが公開され、深層学習技術が牽引する人工知能(AI)フィーバーが続いています。

そして先日はChatGPTがベースとしている言語モデルのバージョンアップ版GPT-4がリリースされ、より尤もらしい返答をするようになったことが話題です。

このタイミングで、GPT-4搭載のサービスも発表され、教育分野ではカーン・アカデミーがチューター・チャットボットKhanmigo(カーミーゴ)を試験中であることが公表されました。

大規模言語モデルをベースとしたAIチャット技術を教育分野に導入する具体的な一つの姿を見せてくれます。

個々人に向けて最適化された学習支援にAIを用いる場面が、単に最適な教材や問題の提示といった場面だけでなく、教材内容に関する質疑応答や問題に取り組む過程のアシストにも広がっていく可能性が示唆されているというわけです。

確かにGPT-4はかなり賢く返答しているように見えます。


言語モデルとは言葉のガチャ

言語モデルをどのように例えるとその特性を説明しやすいだろうかと、ぼんやり考えています。

言語モデルから生成される言葉や文章の危うさを印象づけるために…

ChatGPTのベースとなっているGPTという大規模言語モデル(LLM)は、世に出回る大量のテキストデータを学習データとして作られた言葉の「ガチャ」である。

と例えてみてはどうだろうと考えています。

希望するものが出てくるとは限らないという点がガチャに似ていて、何が飛び出す変わらないという不確定性を含められると思ったからです。

ただ、言語モデルをガチャに例えるのは、すぐに苦しくなります。

たとえば、ガチャの場合、トイ(おもちゃ)がカプセルに閉じこめられて用意されているので、取り出されるトイそのものは保証されたものなのに対して、言語モデルの場合、言葉が「トークン」という単位に分解されて存在するため、拾い出したトークンから組み立てられた言葉の内容までは保証されてないという違い。

推論によって言葉の表現が正しく組み立てられていても、内容までは保証されていないのだということを理解してもらいたいのにガチャの例えではその部分はうまく対比的に説明できません。

そもそも言語モデルはトークンを膨大な次元の数値にもとづいて配置(埋め込み)して、その配置の距離的関係を意味の関係性として処理することができるという前提もガチャではまったく表わせていません。

というわけで「言語モデルは言葉のガチャである」というのは、かなり大ざっぱな例えでしかないと言わざるを得ません。

より特定のタスク(プログラムコードを生成する)においては、かなり確実な結果を返してくる場面もあるため、その点でもますます例えとして難しくなります。

AIはタスクに応じて様々な手法やモデルが存在しますし、私たちが利用できているサービスなどは素の言語モデルを晒して使っているわけではなく、いろんなチューニングや評価機構、補完機能を組み合わせて構成されたものです。単純な例えで全てが賄えるわけもありません。

賢く見えるし、正しい情報を提供しているようにも見えるし、正しい情報であることもほとんどだろうけれども、それでも、それは「ガチャ」くらいの程度のものだというまなざしから始めた方が、いろいろと誤解しなくて済むのではないかと思います。

「メーガーの三つの質問」再訪

あれから熊本界隈の人々を敵に回した感だけを残した駄文…

「メーガーの三つの質問」探訪
https://www.con3.com/rinlab/?p=4593

は,これ以上,嫌われたくない私の中で,あれで決着したもの…だとずっと思っていました。

まさか,その続編を書くことになるとは…。う〜ん。

先日,とあるオンラインセミナーを流し観していたとき,「R.メーガーの3つの質問」と題されたスライドが飛び込んできました。

Where am I going?             ←学習目標
 どこへ行くのか?
How do I know when I get there?     ←評価方法
 辿り着いたかどうかをどうやって知るのか?
How do I get there?            ←指導内容
 どうやってそこへ行くのか?

「引用元は鈴木先生の論稿かな?」

と思って参考文献をチラッと見ると,見た記憶のない書籍の名前。しかもR. F. Mager氏の著作です。

参考文献:R.F. Mager (1997). How to Turn Learners On… Without Turning Them Off. Atlanta : Center for Effective Performance.

おおおお!もしや,謎の答えがもたらされたのか!と,私,興奮気味。

さっそく検索しました。(AmazonとWorldCat)

本書はもともと1984年にメーガー氏が著した『Developing Attitude Toward Learning』という書籍を改版の際に改名したもの。1997年のThird Edition(第3版)が最新のようです。

目次を見てみると次のようになっています。(Amazon.comのLook insideから)

Contents

Preface
Part I  Where Am I Going?
 1  What It's All About
 2  Why It's All About
 3  Defining the Goal
Part II  How Shall I Get There?
 4 Recognizing Approach and Avoidance
 5 Sources of Influence
 6 Conditions and Consequences
 7 Positives and Aversives
 8 Modeling
 9 Self-Efficacy
Part III  How Will I Know I’ve Arrived?
 10 Evaluating Results
 11 Improving Results
 12 An Awesome Power

なるほど,パート題目が3つの質問になっています。

Where am I going?
How shall I get there?
How will I know I’ve arrived?

いやしかし,3つの質問とはまた少々異なる順番と語彙で記されているのは気になります。

そうは言っても,前回までの調査の時点では,それまで通説的に挙げられていた文献資料の範囲で,このような3つの質問をストレートに表記した記述を見つけられませんでした。

今回の文献で,目次がこのように記述されている以上,メーガーの3つの質問がメーガーの3つの質問である証拠として十分なものが示された…と考えるのが妥当だと思われます。

「何がギルピンだ。それみろ,やはりメーガーの3つの質問は本当だったじゃないか。りん研究室ブログは,フェイク情報を書きやがったクソ・ブログだ。」

と罵っていただいて結構です。あ〜ん。>_<;

ならば,当該文献の中身は一体どうなっているのか?

ここまできたら,紐解いてみようじゃありませんかということで,注文,ポチっ。

続けたくはないけれど,続くかも知れない。


〈追記20221206〉

というわけで,ポチった文献が届きました。

駆け足でページをめくって確認しましたが,日本で多く引用されている表記の英文はありませんでした。

その代わり,こんな粋な詩が冒頭に掲げられていました。

There once was a teacher
Whose principal feature
Was hidden in quite an odd way.
  Students by millions
  Or possibly zillions
  Surrounded him all of the day.

When finally seen
By his scholarly dean
And asked how he managed the deed,
  He lifted three fingers
  And said, "All you swingers
  Need only to follow my lead.

"To rise from a zero
To big Campus Hero,
To answer these questions you'll strive:
  Where am I going,
  How shall I get there, and
  How will I know I've arrived?"

RFM
【粗訳】
昔々とある教師の
抜きんでた素質は
不思議な形で埋もれていた。
 生徒たちが数百万
 とうてい数えきれないほど
 一日中彼を取り囲んでいたためだ。

ついにその姿を
学究の長がとらえて
どうやっていたかを訪ねると,
 彼は3本 指を立て
 こう言った「迷えるすべての人々よ
 私の言うとおりにしなさい。

「ゼロから始め
キャンパスの英雄に至るには
これらの問いに答えるよう努力されるがよい:
 どこへ行くのか,
 どうやってそこへ行くのか,そして
 たどりついたかどうかをどうやって知るのか?」

Robert F. Mager 

メーガー先生は,本当に洒落っ気のある粋な筆者だったようです。

そんなわけで,日本で多く表記されている英文は,おそらく引用の際に表現を馴染みやすくする配慮のもと作成されたもので,原文そのままの引用ではないということになりそうです。もちろん憶測です。

ちなみに,原文の表記を直接引用した日本の資料が検索で見つかりました。厚生労働科学研究成果データベースに登録されているもののようですが,具体的な文書名などがはっきり分かりません。

当該文書(1)当該文書(2)

こちらは改題前の原著『Developing Attitude Toward Learning』からの引用となっています。

少なくとも,今後「メーガーの三つの質問」に関する引用・参考文献の表記は

参考文献:R.F. Mager (1997). How to Turn Learners On… Without Turning Them Off. Atlanta : Center for Effective Performance.

に揃えた上で鈴木先生の議論を参照するような形にするのが無難なのではないかと思われます。

さて,これでこの話題に終止符を打ったことになるといいのですが。

教育データ標準は寂しがり

洗濯してても教育データ標準のことを考えたりする今日この頃です。(#教育データ

先日(11/14)「教育データの利活用に関する有識者会議(第14回)」が開催されていました。

仕事もしていないのに会議資料に自分の名前がチラッと出てくるのは気まずいものです。

【資料1-2】教育データの標準化に関する事業状況報告」ですが,ここでもご紹介した「活動情報」をどうデータ形式化するのかが検討されています。私もこれ見て初めて知りました ^_^;

教育データの「活動情報」とは何なのか?

同スライド資料でも再度引用されているように…

多様な子供たちを誰一人取り残すことなく、個別最適化された学びの実現や、学校現場での「主体的・対話的で深い学び」に向かうためのデータ活用

において学習履歴情報がデジタルデータ化されたものを指します。

そこで今回の資料では学校での「活動」を明らかにする手だてとして,ジャーニーマップなる行動タイムスケジュールをいくつかの典型的な人物モデルを想定して作成しています。

もちろん学校で過ごさない人達もいますから,そういうモデルケースも想定して,いろいろ検討していくわけです。いろんな距離感はあれど学校教育に関わるという緩やかな範疇において,まずは私たちが掴みたい「活動」がいくつか浮かび上がってくることになります。教職員についても,使う材料は(ジャーニーマップとは)違うけれども,校務等を分類整理しています。

さて,そうした作業をして次のようなことが得られたようです。

ふむ,なるほど。

学習履歴を記録する国際データ標準規格である「Experience API」(xAPI)を考えてみると…

1.「主体」と「活動」は「actor」と「verb」で分離できるので,汎用的にっていうのは納得できます。

2. 「活動」は「行動」と「状態」に区分できるというのも,行動を「verb」「context」で表現し,状態は「result」で表わすと解釈すればよそさうです。

3. 「行動」を「生活」「学習」「指導」「運営」とするのは…

かなり大ざっぱな区分ですが,学校でやっていることはそんなことぐらいなのでしょう。具体的な活動のキーワードをジャーニーマップから抽出することが必要になりますから,いまはこのくらいで。

4. 「状態」は,多様なデータセットとして整理される…?

ん〜,確かに,活動の「結果」として様々な指標が出てくるというのは確かにそうですが,xAPI等ではこうした指標データや評価データは別のプラットフォームが管理することを前提にしていて,「活動情報」の範疇としてはあまり考えていないように見えます。

xAPIでは,result項目において記載される例として「passed」「failed」とか「success: true」とか,そういう達成未達成ぐらいの粒度の情報であり,実際の成績データは評価データを管理しているシステムに問い合わせるという連携を想定しているようです。

ここで「状態」として扱おうとしているものは,データセットを管理する別システムとのエンドポイント的に捉えておくのがよいのではないかと思われます。

ちなみに「状態」とか「結果」と聞くと日本人の私たちは,どうしてもそこで何かが区切られて止まってしまうようなニュアンスを感じ取ってしまいますが,私たちとしてはあらゆる活動とその結果は長い軌跡の途中のものであることを忘れないようにしなければなりません。

ラーニング・トラジェクトリーズ(Learning Trajectories)という考え方があり,子どもたちの学びを軌跡(trajectory)として捉えて,子どもたちの概念や思考の発達軌跡に応じた学習の支援や環境をアレンジしたり調整していくことを重視するものです。

教育データ全般に言えることですが,ある時点のスナップショットデータから描き出された様々な指標にもとづいた局所的な対応を考えるだけでなく,ロングスパンの学習軌跡としてデザインすることがまず先にあって,データはその旅路の進捗(progressions)を知るナビゲーションとして捉え,もっと先の目標を見据えた対応が肝要になります。

たまに旅路を振り返り,「ああ,あんなことしたな,こんなことしたな」と思い出を振り返りながら,「さあ,目的地に向かって頑張ろう」と勇気をもらえる。そんな「活動情報」であって欲しいと思います。

ところでスライドには「内容情報」についてこんな風な記述もあります。

「内容情報」を「活動情報の対象となる内容」として整理…

なかなか興味深い記述です。

内容情報といえば「学習指導要領コード」(Course of Study Code: CSコード)が先行公開されてます。

このCSコードについて,「学習指導要領コードの利活用に関する調査研究事業」というものが走っているらしく,いくらか調査研究してきているようです。

xAPIで記録される「活動情報」の中に日本独自で「CSコード」を埋め込んで,活動情報がやりとりされることによって自動的にCSコードが付与されたり,関係する情報同士をCSコードで引き寄せてくることができるようになるかも知れません。

教育データ標準で定められた情報形式やコードは,それぞれを単独で動かそうとしてもあんまり役に立たないのです。ひとりじゃ寂しい。

以前もご紹介した通り,「学校コード」は「位置情報」と仲良くすることで様々な可能性が拓けます。「学習指導要領コード」は「活動情報」やSNSなどでの「共有活動」が組み合わさることで面白い展開を描けます。

教育データ全般は,個人情報などセンシティブな情報を扱うにあたって難題も多いのですが,そここそはテクノロジーの力を活かして解決できる事柄も多いはず。官僚的な対応ばかりしていては乗り越えられるものも乗り越え難くなってしまいます。

長い旅路は始まったばかり。そして,旅は楽しむものでなくては。是非ご一緒に。

プログラミング教育探し -1

日本の学校教育では小中高校を通してプログラミングに触れる機会が設けられました。

学校種ごとに扱われ方は異なりますが,俗に言う「プログラミング教育」が実施されているということになります。本ブログでは「プログラミング体験・学習」と表記するようにしてきましたが,面倒を省くために当面はプログラミング教育と書くことにします。

小中高におけるプログラミング教育を考えるにあたって,最初に立ち上がってくる疑問は「なぜプログラミング教育なのか?」です。

まず,小学校のプログラミング教育に関して着目すれば,これは「情報活用能力」に含まれるものとして位置づけられています。

(プログラミング教育の位置付け)
 本手引はプログラミング教育を対象として解説していますが、プログラミング教育は、学習指導要領において「学習の基盤となる資質・能力」と位置付けられた「情報活用能力」の育成や情報手段(ICT)を「適切に活用した学習活動の充実」を進める中に適切に位置付けられる必要があります(後略)

文部科学省「小学校プログラミング教育の手引(第三版)」(令和2年2月)p2より

ちなみに,平成29年告示の学習指導要領から「情報活用能力」は「資質・能力」の一つとして本文に採用され,学習の基盤となる資質・能力の育成は教科横断的に育成することが目指されています。

というわけで,「なぜプログラミング教育なのか?」という問いの答えは「なぜ情報活用能力なのか?」という問いの答えに便乗する形になっています。

「なぜ情報活用能力なのか?」

この問いへの答えは30年も前から「高度に情報化された現代社会において適切な対応ができるために必要」という主張のもと,その骨格に時事の様々な言葉(高度情報化社会,知識基盤社会,第4次産業革命,Society5.0,AIスマート社会,等々)が付属する形で理由が示されてきました。

こうして,情報活用能力が必要ならば,その一部であるプログラミング教育もまた必要という理屈が成り立つことになります。

しかし,この理屈を安易に納得することはできません。

そもそも「情報活用能力の育成に,なぜプログラミング教育なのか?」という部分について疑問が残るからです。

この疑問にアプローチする道筋は2つ考えられます。

一つは,1) 小学校にプログラミング教育を導入するにあたって展開した議論を追いかけるアプローチ。

もう一つは、2) すでに先行導入している中学校と高等学校でプログラミング教育に関する現状や導入経緯を追いかけて,小学校段階がそれに足並みを揃えたのではないかを検討するアプローチです。

まずは1)のアプローチで関係資料を参照してみます。

小学校の学習指導要領は,1996(平成8)年の第15期中央教育審議会第一次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」以来,「生きる力」の育成を基本的な観点として重視する方向に変わりました。

この「生きる力」は,基礎・基本の定着を踏まえつつも,子どもたちが自ら学び,自ら考える教育への転換を目指す考え方として導入され,ここから思考力の育成重視が始まったといえます。

もっとも2003(平成15)年には,学力低下論争の影響もあり,「生きる力」に対する「確かな学力」という考え方を打ち出すことでバランスをとることとなりましたが,令和の現在においても「生きる力」というキーワードが前面に押し出されていることを考えれば、考える力,つまり思考力の育成というお題目が日本の学校教育にとって最重要であることは今も変わりない方向性です。

しかし,「思考力育成」を日本の学校教育にどのように導入するかは,なかなか着地点を見出せない問題でした。

たとえば,「習得型の学習」と「探究型の学習」という議論は,知識技能の育成と考える力の育成とを取り組むためのもので,「活用型の学習」でこれらの関連付けを深めようとしたのが平成20年告示の学習指導要領でした。

また,思考力・判断力・表現力等も含めた汎用的な能力の育成を目指した「総合的な学習の時間」に関する様々な取り組みや,フローチャートやシンキングツールといった思考ツールを利用した「高次の思考力」育成を目指す研究も私たちの記憶に新しいところです。

そして,21世紀型スキルの国際的な議論の流れで,日本でも「21世紀型能力」として基礎力・思考力・実践力といった構造が示されて,「メタ認知」や「適応型学習力」の必要性が主張されているのはご承知の通りです。

よって,日本の学校教育はずっと「思考力育成」のネタ探しを続けている状態であったわけですが,そこに情報教育の側から新たな潮流が持ち込まれてきます。コンピュータサイエンスへの注目とプログラミング教育です。

2013年に諸外国の事例の紹介や日本の産業界でもIT人材育成のためプログラミング教育の必要性について声が上がり始めたことで,2014年には文部科学省が「プログラミング学習に関する調査研究」という調査部会を立ち上げて現状把握を開始します。

2016年には「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」を設置し,間近に迫っていた学習指導要領改訂にスピード導入することを達成しました。

その後,次世代の教育情報化推進事業などにおいてプログラミング実践を取り組んでいる実証校IE-Schoolなどの実証報告を揃えることで,情報活用能力の枠組みの中に「プログラミング的思考」なる言葉でプログラミングを取り込みました。

実にあっという間の出来事でした。

先の有識者会議の名称には,思考力育成という流れとプログラミング教育という流れを交差させる意図がわかりやすく表れていますが,もともとプログラミング教育はコンピュータサイエンスやIT人材育成の文脈で注目されていたものだったことを考えると,この両者は同床異夢の関係と言ってよいかも知れません。

情報教育の文脈からすれば,本来的にはコンピュータ活用やコンピュータ・リテラシーの育成を目指すことが本筋であったでしょうし,それまでの情報活用能力の議論はタイピング技能やデジタル読解力を中心に議論が展開してきたはずでした。

しかし,新たな学びを学習指導要領に組み入れることを考えた場合,そのための新たな時間を確保することは難しく,そのための環境も(GIGAスクール構想より以前には)無かったため,正攻法ではほぼ不可能だったろうと思われます。

そこで取られた策が,思考力育成を切り口とする情報教育の領域拡大策であり,プログラミングで用いられる見方・考え方を論理的思考と見立てた情報活用能力の育成を目標にするプログラミング教育の導入だったといえます。

結果としてこの策は学習指導要領への導入には功を奏しましたが,コンピュータリテラシーの一部分であるプログラミング教育を,論理的思考力に焦点化する都合上,単独で切り出す形となりました。そのうえ,小学校学習指導要領の場合,算数と理科の例示と総合的な学習の時間でのみ記述されたことから,プログラミングと教科の学習とのバランスの難しさが目立つ結果も見えます。

「コンピュテーショナル・シンキング」という国際的な議論とも通じ合わないままに,足がかりだけがつくられた状態,というのが現行学習指導要領のプログラミング教育の実状です。

この足がかりを有効活用して,次期学習指導要領ではコンピュータリテラシー等の能力育成を十全に可能とするカリキュラムの設計が期待されているというところです。

ここまで,小学校段階にプログラミング教育が導入されるまでの展開を眺めました。

その経緯をおおよそ踏まえて,もしも現行のプログラミング教育が十分な形を纏っていないのだとすれば,どのようなプログラミング教育が理想として考えられるのか。

そうした議論が考えられてしかるべきでしょう。

それについてはまた回をあらためて。また2)のアプローチで「なぜプログラミング教育なのか?」を考えることも回をあらためて考えてみたいと思います。

活動情報を記録するデータ規格 xAPI

なんとなく教育データ標準のことをぼんやり考える日々の記録です。(#教育データ

教育データ標準の世界は,長らく続く国際標準規格の積み重ねがありますから,素人考えで語るのはやめて,そろそろあなたも標準規格ベースでしゃべりなさいよと,虎ノ門あたりに集っている人達からお叱りが飛んできそうです。

これまで「主体情報」「内容情報」についていくらか成果が公表され,今年度は「活動情報」について何かしらかたちを示しなさいというのが文部科学省の宿題。

私は駄文で「教育データコンテナ」といった呼び方で各種の情報を盛りつけるお皿を考える必要があるとお説ぶっていたわけですが,それにあたる標準規格はすでに存在しているわけです。

Experience API」と呼ばれる学習経験の記録と共有のための規格です。

経験(experience)のためのインターフェイス規格という正式名称は「名は体を表わす」になっていて分かりやすいのですが,一方,略称表記は「xAPI」とされているため,こちらは補足説明されなければ何の規格だか推測が難しいです。私も長いこと「x」が何なのか知らないままでした。

Experience API(xAPI)は,「誰が/何を/どうした」という要素情報の組合せ(ステートメントと呼びます)をJSONというWebの世界でもお馴染みのデータ形式でひたすら記録していく枠組みを定めた汎用的な規格です。

要するに,活動情報の記録は「xAPI」を使いなさいということです。

確かに教育データ標準が始まった当初から,そういうつもりであったことは明記されています。

「③活動情報」の国際標準規格に…

ちにみに「xAPI」とともに「IMS Caliper Analytics」という規格名も併記されていますが,こちらも学習履歴を記録・共有するために作成された規格の一つであり,両者は重複部分を持っているとされています。

どちらがよいのかは議論が残るところですが,個人的にはxAPIの方がオープンでよいかなと考えています。一方のCaliper Analyticsは規格管理団体のIMSが他の規格とともに推していることもあるので,兼ね合いを考える人々はCaliper推しかも知れません。両者歩み寄りの動きもあるとかないとかで,しばらくは併存すると思われます。

それで,日本はどうするのか?ですが,これはわりと明解で,デジタル庁で閲覧できる「教育データ利活用ロードマップ(令和4年1月7日デジタル庁、総務省、文部科学省、経済産業省)」にはっきりと記されています。

教育データ利活用ロードマップ(19頁)
「学習履歴 xAPI」とご指名

スライドの反対側にはまた別の「学習履歴」の情報も視野に入れられているので,IMS Caliper Analyticsやら何やらの規格はそちらで活躍することも想定されているのだと思います。

さて,こうやって「初めからそうだった」と書いている私にしてみても,あれこれ掘り起こしてみたら「そうだったんだ…」という感じで見返しているところ。

確かに書いてはあるし,初めから関わっている人達には自明な話だったんでしょうけれど,活動情報の教育データ標準作業が,xAPI規格を扱えるようにしたい話なんだよとは,誰もはっきり教えてくれたり解説してくれたことはなかったように思います。

最近「教育データ利活用に関する有識者会議」で文部科学省 教育DX推進室・桐生室長の発言によって,素人の私にもこの辺がようやく明確になりました。

教育データ利活用に関する有識者会議(第13回) 47'25''あたりから
https://youtu.be/Mstu2V2sFMM?t=2845

桐生室長「教育データ標準の方の話がありましたので,ちょっと現状をお話したいと思います。教育データ標準第3版を今年中に出すという話が進められております。中でも活動情報をきちんと検討して,その枠組みと具体的な姿というものをお示しできるよう,いま文科省の委託事業の中で検討を始めております。この中で学習ログも,eポータルからxAPIで書き出す際にどういった考え方で,どういう風にやっていくのか,といったような議論を今進めております。 これまた近々,こちらの会議でも諮らせていただいてご議論進めさせていただければと思います。」

教育データ利活用に関する有識者会議(第13回)より[読みやすく文末改変]

というわけで,学習eポータルやMEXCBTなどのシステムで,学習履歴や学習経験を記録するためにxAPIを使えるようにして欲しいというのが現在目指していること。

そして,その作業を,委託事業の作業チームの皆さんが頑張ってるっぽいです。

けれども,xAPIを使えるようにするっていうのは,学習eポータルを開発している各社の開発者が頑張る話じゃないのでしょうか?なぜ,文部科学省から委託されている事業で取り組んでいるのか?

標準規格があるなら,そのルールに合わせればよいだけの話で,何故あらためて検討する必要性があるのでしょうか?

もしもあなたが,そんな疑問に気がついたとしたら,いよいよ国際標準規格の沼の世界へと誘われる準備が出来たということかも知れません。

データ交換に支障が出ないように共通ルールを定めることが標準規格の目的です。

共通ルールと一口に言っても,何を共通化するのかは様々です。データの形式,通信の手順,項目の定義など概念的な構造から技術的な規則まで目的に応じて非常に多様です。

だから,標準規格というのは,かなり時間をかけて育てていくように構築されます。

多様なものに対応するためには,共通の土台となる大枠の規格を構築しておいて,目的や領域に応じた個別具体的なルールをその土台の上に組み上げていくといった形をとることもあります。

xAPIは「あらゆる学習履歴を記録する」というかなり大きな目標を掲げた規格で,個別具体的な履歴情報の詳細な記録方法については「プロファイル」という別ルールをみんなで決めるという仕組みを採用しています。

先ほどデジタル庁のスライドで見た吹き出しをもう一度見てください。

「内容」「verb」「object」「context」「result」「timestamp」「scored」「authority」という単語が並んでいるわけですが,これらはxAPIの記録(ステートメント)に含める項目です。

そして,実際に含める項目は,必須項目を除いて,実は増えたり減ったり,項目の構成は自由になっています。xAPI自体は,項目をいろいろ含んで記録できるよぉ,それを規格に従うことで柔軟に交換・共有できるよぉ,という大枠だけ規格化しているのです。

しかし,項目を自由にできると,そもそも交換するときに困るって話じゃなかったっけ?

という指摘が出るのは当然のこと。もちろん,自由にできるからといって,自由にやってよいとはされてないわけです。

上図の黄色い吹き出し「学習履歴xAPI」は,紫色の角丸四角「学習履歴(学校)」から出ていることはお分かりいただけると思いますが,実は,この「学習履歴(学校)」というものを記録するために「学習履歴xAPI」の吹き出しの中の項目は,本当に「内容」「verb」「object」「context」「result」「timestamp」「scored」「authority」でよいのか?は,まだ答えが出ていないのです。

デジタル庁も文部科学省も,まだ「学習履歴(学校)」に相応しい「学習履歴xAPI」の中身が何なのかを決めておらず,その項目構成を委託事業の作業チームに整理して欲しいと考えているわけです。

たぶんですが。

どうも話がまるで見えない…という方もいると思います。

そもそも「学習履歴(学校)」って何なのよ,という素朴な疑問は残っているでしょう。

子どもたちの学校での学習活動を記録する場合に,何でもかんでも記録するのか?それって監視環境じゃないか?という疑問や不安もおのずと出てくると思います。この話は,どうしても実際の運用範囲の問題に関心が向かってしまいがちです。

疑問に対しては,先の文部科学省の室長発言にもあったように,現時点で想定しているのは「学習eポータル」で扱う学習活動が記録の対象だといえます。つまり学習に利用したWebサービスの利用記録や成績情報といったものです。

xAPI規格誕生の経緯的にも,そうした運用が真っ先に想定されています。

そもそもxAPI規格は,それまでeラーニングの世界で拡張され続けてきたSCORM規格を置き換えるものとして登場しました。そんなこともあってか,xAPI規格はWebベースドな学習活動を記録する用途に用いられることが多いのです。

xAPI規格に組み合わせる個別具体的な目的のためのルールとして「cmi5」というプロファイルがあります。このcmi5というのがeラーニングシステム(Webサービス)における学習記録管理を目的とした詳細なルールを規定して,xAPI規格を補っているというわけです。

文部科学省が今回の教育データ標準の作業の目標として考えているのは,学習eポータルにおけるxAPI規格の詳細なルールの規定をどうするかであることは,ご理解いただけると思います。そして,少し目的が違っていることもあって「cmi5」ではなさそうだ,ということも何となく分かっています。

xAPI規格を作成したのは,米国国防総省のAdvanced Distributed Learning(ADL)という団体です。しかし,組み合わせるプロファイルは必ずしもADLがすべてつくるわけではありません。

加えて,xAPI規格は,国際的な技術標準化機関であるIEEEのもとで新たなバージョンや,様々なプロファイルが取り組まれており,国際標準規格としてもステップアップしているようです。

また,日本学術会議の提言「教育のデジタル化を踏まえた学習データの利活用に関する提言 −エビデンスに基づく教育に向けて−」にも記載されている米国のCommon Education Data Standard(CEDS)の取り組みは,項目定義の規定はもちろんのこと,各州で異なる項目定義を調整するツールを提供して,できるだけスムーズなデータ交換に役立てられるような取り組みを続けています。

こうした先行する取り組みやプロファイルを参考に,日本の学習eポータルで利用できるxAPI規格の独自プロファイルの作成が進められている…んじゃないかと,何となく思ったりしている今日この頃です。