Windows 10がもたらす転換

 教育とICTに関わる以上,市場に投入される製品と無関係ではいられません。

 これまで私たちは「コンピュータ」を一つの箱に入った汎用電子機器として扱う時代を過ごしていました。当初はフロアを占めるほどの大規模なシステムだったものが,電子工学の進歩とともに小型化が進み,いまやスマートフォンとして手のひらの上に乗るようになりました。

 そういった「箱の中のコンピュータ」という捉え方を軸にしていた時代には,基本ソフトと呼ばれるソフトウェアが大きな関心事だったこともよく知られたことです。オペレーティングシステム(OS)とも呼ばれている基本ソフトとして,「UNUX/LINUX」「Windows」「Mac OS X」「iOS」「Android」といったものが知られていますが,実はその他にも多くの種類が存在し,必要に応じて様々な場所で使われてきたのでした。

 学校のパソコン教室や普通教室へのコンピュータ導入の際,この基本ソフトの選択は,一般的には市場占有率の高い「Windows」を選ぶことが多くありました。それだけ利用率が高いため,多くの業者も対応方法やノウハウを保有していることも理由です。それでも実際には,バージョンアップという改変が何度かあり,新しい機能や知識を学ばなければならないという手間はあったわけです。これに対抗する位置にあったのは「Mac OS X」ですが,近年認知度は高まってはいるものの,市場占有率や学校導入率は小さいのが実状です。

 その後,スマートフォンやタブレットといったモバイル端末の市場を切り拓いた「iOS」(iPadの基本ソフト)が注目を集め,一気に市場を席巻しました。その後は対抗品である「Android」が躍進したため,市場における勢力関係は拮抗しているといったところです。パソコン用基本ソフトである「Windows」や「Mac OS X」は外野から連携を強めようとしてきたわけです。

 要するに,私たちがパソコンやモバイル端末を扱う際には,「基本ソフト」が何かを気にしなければならない世界が広がっているということです。

 ところで,すでにコンピュータは日常生活で使う道具の中に埋め込まれ,それらがつながるようになってきています。パソコンとモバイル端末もインターネットのサービスを利用するために改変され,Webサイトが閲覧できる機能さえ最低限備えていれば,情報活用作業の多くができるようになっています。これは基本ソフトやそれに対応するソフト/アプリは重要でなくなってきたことを意味しています。インターネット上のサービスがそれを代替するからです。

 インターネットのやWeb技術こそが新しい時代の「基本ソフト」であって,それを基本ソフトとは呼ばず「クラウド基盤」と呼ぼうというわけです。

 一つ一つの具体的な機器や端末を動かす部分には依然として基本ソフトが存在しますが,それはクラウド基盤に接続するための条件でしかないというわけです。

 こうした流れが「iOS」や「Android」の普及を後押しし,「Windows」の勢いを衰退させ,「Mac OS X」などにも注目を向けさせる状況を作り出したのです。私たちが使いたいのはインターネットのサービスなのだから,それに都合のよい機器と基本ソフトであれば何でもよくなったわけです。

 しかし,現実はそれほどうまくいきません。まだ途上であるということもありますが,インターネットに接続してWebを閲覧できるといっても,個別の機器やソフトの性能や癖の違いによって,同じサービスを同じように享受できないことも多々あります。対応機種やソフト,あるいはバージョンが限られるといった形で制限を受けます。

 ここに「基本ソフト」を統一する余地が残っているというわけです。

 何か一つの基本ソフトが占有する状態にすれば細かな違いを気にする必要はない。そして今まではバージョンアップという改変によって新旧の差が生まれていたものを,これからはインターネット経由で無料で自動的にバージョンアップし,みんなが快適にサービスを利用できる状態を維持した上で,サービス利用料でビジネスをしようという考えが主流になりつつあります。

 それを実現しようとしているのが「Windows 10」という新しい基本ソフトであり,それは「クラウド基盤で動くサービスを利用するための基本ソフト」として再定義されました。

 いままでの定義「箱の中のコンピュータを利用するための基本ソフト」からの転換です。

 「Windows 10」はパソコンだけでなく,スマートフォントタブレットなどのモバイル端末にも共通に開発されています。そこで同じアプリを共通して動かすことができるとされています。今まで以上に機器の連携はスムーズになるのが特徴です。それらはすべてインターネットを経由して有機的につながるわけです。

 これはコンピュータとネットワークの技術が生み出す一つの理想像ではあります。

 Microsoft社はさらに会議のコラボレーションが促進することを目指した新時代のホワイトボードともいえるSurface Hubという機器を発表したり,専用のヘッドセットをつけることで見ている空間に3Dホログラフィックを合成して操作できるデバイスを発表しました。これらすべてがWindows 10で制御されることになります。

 通信さえできればあらゆるところでインターネットが利用できるのと同じように,あらゆるものでWindows 10という基本ソフトを利用できるようにする世界。そういうことが起こりつつあります。

 あらゆるものがつながり制御できる利便性を認めつつも,私自身はそのような地続き的なサイバー世界にどちらかといえば不安を抱きます。たとえばウイルスソフトもあらゆる機器に届くという事態になって被害が出る時の規模も桁違いかも知れません。

 インターネットで接続されている部分に限定しても,私たちは十分に制御できているとはいえません。いまは少なからず分断があるからこそ,かろうじて余裕を確保しているような気さえするのです。

 もしWindows 10が率先して描くような世界がますます現実化した時,私たちはどのように地続き的なサイバー世界と向き合えばよいのでしょうか。

 今回のWindows 10の発表は,近年衰退していたMicrosoft社がいよいよ反転攻勢に出たというビジネスストーリー的な面白さや,技術的なチャレンジといった興奮をもたらすニュースではあるですが,一方で,いよいよ未知の世界へと足を踏み入れる時期がやってきたことを告げるものでもあり,個人的には不安を感じたニュースでした。

 そもそもこれから学校にパソコンを導入する時,こうしたネットワーク中心の発想に転換した機器に対応できるだけの準備が教育委員会や関係者にあるかどうか,そういうところからして心配になっています。

パブリッククラウドサービス

 いよいよ師走も下旬に突入。クリスマスなどで賑やかな気分も漂ってきますが,片づけの変わらない宿題が積み上がっていて頭の痛い時期でもあります。

 最近,サーバーのお引っ越しやハードディスクの修復と古いデータの整理,そしてポッドキャストの編集など,パソコンの前で作業するばかりの日々。時間もあっという間に過ぎてしまいます。

 そういうこともあって,最近は「クラウド」について考える機会が多く,「パブリッククラウドサービス」と呼ばれるものへ関心を寄せています。

 
 そもそもクラウドというのは,インターネット上のサーバーシステムのための基盤技術で,一般の利用者にとっては意識する必要のない代物です。それでもクラウドという技術によってインターネットサーバーが支えられるようになったおかげで,私たちは至るところでインターネット絡みのサービスを快適に享受できるようになったのです。そういう意味では重要キーワードとして知っておきたい言葉ではあります。

 私が「パブリッククラウドサービス」が気になるというのも,私がWebサイトとかブログを自分自身で運営しようとする時に,こうしたクラウド技術のサービスを個人で利用できるからです。

 一般的に,Webサイトを構築するとかブログを解説する場合,「レンタルサーバー」というサービスや,「ブログサービス」というサービスに加入するか登録するかの方法と,自前でインターネットに接続したコンピュータを用意する「自前サーバー」という方法があります。

 レンタルサーバーやブログサービスを利用すれば,サービス提供会社がサーバーコンピュータを代わりに用意し貸してくれるので,自前でサーバーを用意する必要も管理する手間も省けます。

 いずれにしても,こうしたやり方は,どこかにサーバーコンピュータを用意するというやり方です。

 しかし,コンピュータの技術が進み「仮想化」という考え方が主流になってくると「コンピュータを用意する」ときに「本物のコンピュータを1台用意する」のではなくて,本物のコンピュータ1台を高速処理で素早く使い分けて「仮想のコンピュータ複数台分」として新しいサーバーコンピュータを用意するようになっていきました。

 つまりサービス提供側の会社にとっては,本物のコンピュータ1台で,サービスで貸すコンピュータ数台分を賄えるというおいしい話になるわけです。逆に言えば,コストが安くなるので低価格でレンタルできるようになる,あるいは無料でブログサービスを提供できるということにもなります。

 もちろん複数台に見立てるのにも限界はありますから,それなりに実物のサーバーを用意することもビジネスには必要になりますが,こうすることでたくさんのWebサイトを受け入れて管理すること(ホストすること)が出来るというわけです。

 しかし,インターネットが日常的に不可欠なものとなり,情報量や通信量が日々膨大に膨れ上がってきた今日,こうしたサービスに限界がやってきます。

 1つのサーバーにアクセスが集中したら対応しきれなくなってしまう問題です。契約したレンタルサーバーが高速なものでも,1つだけでは耐えられないですし,通信回線もパンクしてしまうかも知れません。

 デジタル教科書のデータをダウンロードしようとしたら,転送が極端に遅かったり,接続がエラーになったりした出来事がありました。無線LANネットワークに問題があったのではないかと指摘され,たしかにそのような問題もあったようですが,もう一つ,教材会社が用意したサーバーにアクセスが集中してしまったために問題が発生したという指摘されています。

 つまり,どんなに立派なサーバーコンピュータを用意していたとしても,1台用意しただけでは多勢に無勢。もっとサーバーの台数や複数の通信回線を用意して,アクセスを分散させて効率的に処理できるようにすべきなのです。

 しかし,教科書をダウンロードする時期は限られていますし,アクセスが集中するのは学校に登校している時間帯くらい。そのためにコストのかかる処理速度の速いサーバーコンピュータや高速通信回線を複数契約するのは予算的にも厳しいものです。それが悩ましい問題でした。

 もうお分かりかと思いますが,こうしたサーバー側の一時的な増強を実現しやすくするのが「クラウド」という技術です。

 サービス提供会社はあらかじめ世界中にサーバーコンピュータや高速通信回線を完備した「データセンター」施設という設備投資を行なっておき,それをたくさんの人々に切り売りするのです。しかも量り売りのように必要なタイミングで必要な処理能力や通信能力を指定して契約でき,使い終われば契約解除することができるので,コスト的にも融通が利くようになっています。

 しかも,専用のデータセンターで管理しているので,セキュリティやメンテナンスの問題も自前サーバーで管理するよりも優秀となっています。いまやこうした外部サーバー(クラウドサーバーとも呼びます)で情報を管理した方が安全であるという場合も少なくありません。

 私たちが日頃利用している通信販売サイトも,膨大な買い物手続を処理するためにクラウドサーバーが利用されており,クレジットカード情報や住所などの個人情報も当り前のようにクラウドサーバーで管理されているのはご存知の通りです。

 というわけで,最近,総務省の「学習・教育クラウド・プラットフォームのアイデア募集」にあるように,学習・教育クラウドを使った先進的な教育利用のための取り組みが賑やかになっています。

 これまでは校務システムに使うことなどが主に考えられてきました。たとえばNTTコミュニケーションズ「教育クラウドサービス」にも横浜市教育委員会の事例が掲載されています。

 しかし,もう私たちは様々なサービスを通じて間接的にクラウド技術の恩恵を受けることが出来るようになっていて,たとえばDropboxとかEvernoteとかGoogle Appsとか,そうした一般的にも使われているクラウドサービスが学習や教育にも役立つことを知っています。

 そして,面白いことに私たち自身で手軽にサーバーを作って運営することも出来るようになってきているということです。それで世界を相手にしたサービスを構築するということも出来るようになっています。

 それは現在の学校教育に直接関係することではありませんが,子供達が大人になって世界に向けて仕事をするようになる時には,そのような道具を避けて通ることが難しいわけですから,いまのうちにそのようなインフラ技術についても理解を深めておくことが大事になってくるのだと思います。

 ちなみに多くのクラウドサービスを支えているのが通販サービスのアマゾン社が提供している「Amazon Web Service」です。

「授業」支援から脱け出せない

こんなニュースが配信されていました。

「ソニー、来年8月に教育分野向けLinux搭載タブレット発売へ ~倉敷の中学校での実証実験の取り組みを追う」(PC Watch)
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/20141208_679040.html

 5月の教育ITソリューションEXPO(EDIX)に参考出展されていたそうですが,残念ながら私は触れることができていませんでした。昨年(2013年)の第10回日本e-Learning大賞の部門賞も得ていたという「小中学校向け Tenobo学習システム」(Tenobo 21世紀型クラスルームソリューション)の実証実験の記事です。

 岡山県倉敷市の多津美中学校という公立中学校で試用されている端末は,オリジナルで製造された2画面折り畳み式のクラムシェル型の端末で,Linuxをベースに開発されたシステムだといいます。

 また,来年発売を予定しているのは1画面タイプのタブレット型端末のようで,大画面にすることで画面分割する使い方を想定しているとのこと。メーカーのWebサイトに説明があります。

 端末やシステムについて。

 2画面分割で教科書などを参照する領域とノートなど記録する領域を併存させるというアイデアは,過去にもありました。代表的なものとしては,Knoと名付けられたタブレット端末がありました。

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 iPadと時を同じくして登場した端末でしたが,残念ながら紆余曲折を経てソフトウェアに絞り込んだビジネスに転換し,いまはインテルの傘下で提供されている形になっています。つまり,Knoの2画面タブレットは失敗に終わったとされています。

 Knoは米国のテキストブック業界(教科書業界)の電子化という課題に取り組もうとしていたということもあり,今回のソニーのTenoboとは位置づけられ方が異なりますが,端末に限っていえば同じ夢を見ているといってよいでしょう。

 そのTenoboの方は,学習システムと銘打ってはいますが,当初は「クラスルームソリューション」と名付けられたいたことから分かるように「授業支援システム」として開発されたものです。

(ソニーエンジニアリング株式会社 Webサイトより)

 

 冒頭の記事やメーカーの図からもわかるように,授業内の情報のやり取りを電子化によって効率的にすることが目的で,そういう意味では確かにシンプルなシステムに徹しているように見えます。

 「教材表示のための画面」と「記録作業のための画面」の2画面は,学習側から見れば「教材を見る」ことと「ノートを書く」ことを併置する当たり前な最低限の条件を満たしたにすぎませんが,教師側から見れば「教材を配布する」ことだけでなく「学習者の進捗をのぞき見る」ことを可能にしてくれるものとなります。

 Tenoboには学習者が同じ領域に書き合うようなコラボレーションノートテイキング機能は搭載されていないようですので,そういう意味でも,教師−学習者個人というシンプルな双方向を実現しているシステムのようです(複数の学習者端末の画面を教師側で提示することは可能みたいです)。

 こうしたシステムを取り巻く認識について。

 授業支援あるいは学習支援システムを紹介する時に難しいのは,開発者の人々が考えて実装した機能の一つ一つについて何をするものなのか使用例を説明した途端,説明をされた側は,そういう形式の授業をすることが教育界全体で目指されているのだという風に勘違いしがちであるということです。

 たとえば先生端末から学習者端末の進捗がリアルタイムで「モニタリング」できるという機能があります。なるほど授業に遅れている子を見つけられたり,問題に対する解答の違いを把握することが,その機能によって可能ではあるかも知れない。

 しかし,そのようなあり得る断片的なシチュエーションだけで授業が成り立っているわけでないことは,考えてみれば分かります。そもそも授業支援システムを使う時間も全体から見れば限定された場面でしかありません。

 ところが,説明を受けた側にしてみると「児童生徒はずっと監視されるのか?」とか「授業中,先生はずっと画面を見てしまうのかしら?」というような疑問や違和感を持ってしまいがちです。

 一方,開発者側にしても,「授業や学習を支援する」といったときの想定範囲があまりにステレオタイプであり,このようなシステムの上で支援された学習の記録が,システムに閉じこもってしまうことに何の疑いも持っていないようにさえ見えます。

 たとえば,Tenobo上のノートテイキングは卒業時にどのような形で児童生徒本人に手渡されるのでしょうか。それとも授業や学習が終わればそれらは消去してよいと判断しているのでしょうか。この問いを「PDFに変換して残せるようにすれば良い」というエンジニアリング的な解答で片づけることは可能ですが,その発想がまさに授業支援システムが「授業」支援という範疇に閉じこもっている証しなのです。

 現在,多くの学校から注目が集まるロイロノート・スクールが良い線をいっているのは,タブレット上のアプリ単体でスライド作成が完結し,それを共有する形をとっているからです。

 つまり,基本的には「個人の範疇」(タブレット上のアプリ)で学習活動が完結するように設計されて,それを先生がのぞき見ていたり,必要に応じてスライドを共有できるという「集団の範疇」にリンクさせるというシステムデザインだからです。

 なぜなら,ロイロノート・スクールがもともとロイロノートという単体アプリを出発点に出来上がっているからです。そのため,ロイロノート・スクールで作成したスライドデータをロイロノートに移せば,児童生徒は自分のデータを卒業後も保持できることになります。(理屈上は…なので実際にそうできるかどうかは未確認です。でも可能性は開かれています。)

 ロイロノートの問題は,動画に特化したアプリだということです。書き出しも動画データのみで,PDFデータとして書き出す機能はありません。また,スライド管理機能もたくさんのデータが蓄積されることを想定したものでは無く,大人が実務で使う範疇へとステップアップするようにはデザインされていません。

 ロイロノートは授業という範疇から学習成果を持ち出すことは可能ですが,基本的にはロイロノートで閉じていて,そこから持ち出す方法が動画書き出ししかない点が短所です。

 

 単体アプリを出発点に開発されたシステムとして先日発表されたのがMetaMoJi Share for ClassRoomでした。こちらは動画データを扱うことはできませんが,タブレット向けのノートアプリとして高評価を得ているMetaMoJi Note/Shareをベースにしていることから,蓄積されたデータを個人に返しやすい点は同じく良い線をいっています。

 またMetaMoJi Note/Shareはそれ自体も実務に使えるアプリやデータ形式ではありますが,PDF書き出しや様々な共有機能を有している点で,アプリからデータを持ち出す際の選択肢が用意されています。

 しかし,あえてfor ClassRoomという形でMetaMoJi Shareをベースにシステムを構築したのは,やはり「授業」というものに捕らわれてしまって,理想へ遠回りになってしまったのではないかと思います。私自身はMetaMoJi NoteをベースにしてShareの技術を組み合わせる形にして欲しかったと考えています(つまり「授業」ノートをShareするのではなく「個人」ノートをLinkやShareする発想)。

 端的にMetaMoJi Share for ClassRoomの短所を書くなら,Shareノート(授業ノート)を先生が配布しないと何も始まらない点です。児童生徒側のアプリで個人ノートを作成しておき書き進めておくという使い方は難しいのです。これも「授業」の支援に捕らわれてしまった一つの例です。

 誤解して欲しくないのは,ソニーのTenoboにしても,ロイロノートにしても,MetaMoJi shareにしても,それぞれはそれぞれの開発思想に則って作られた(あるいは作られているところの)システムで,「授業」支援に対しては効果を発揮してくれる素晴らしいシステムだということです。

 お読みになっている皆さんは,目的や目標を設定してシステムを選択したり利用したりしているはずですから,それに叶ったシステムを選択すればよいだけのことですし,その目的や目標を,これらのシステムは満たしてくれる部分があるはずです。万能なシステムはありません。目的・目標に応じて選択するだけです。

 そのうえで,私たちは本当はどんな支援をしてくれるシステムを必要としているのか,考え続けておかなくてはなりません。授業支援が本当のゴール(目標)なのか,その先の個々人の学習支援は?,学習の記録の行方は?

 問いは尽きません。まだまだ考えていろんなアイデアを描き,試してみることが必要です。

語り合いを重ねるということ

 9月に始めたネット上にある教育とICTの語り合いの場「スナック・ネル」が続いています。毎週月曜22時に開店するお店に見立てたYouTube配信です。

 スナック・ネル http://snacknel.edufolder.jp

 開店の経緯については,スナックの「マスター」役を引き受けてくださっている田中康平さんのブログ記事に書かれています(「スナック・ネル」[教育ICTデザイナー 田中康平のブログ])ので参照してください。

 実はもともとマスターの書いたブログ記事に私が懸念を表明したのがきっかけだったのですが,結局コメント欄で継続的にオープンに議論する場の必要性で意気投合?したことになります。

 どうしてそんな場の必要性が感じたのか。

 「教育フォルダTwitter」のニュースリンク集を眺めていただければ分かるように,日々,教育に関するニュースは絶え間なく流れきますし,その中で教育とICT関連項目も網羅できないほどです。それを各人各様にキャッチしているわけですが,つまりは同じ関心を持つ者同士でも受け止め方がバラバラという事でもあります。

 どこか定点観測的にこうした状況を眺めつつ議論する場を作って,継続的に多くの人々が互いの考えを交わらせることも一方には必要なのではないか。そういう場があってこそバラバラである事にも意味が増すのではないかと思われたのです。

 それにこの分野は新しいものが大好きだから,常に前へ進む傾向にありますが,そうして走り続けていると,少し前の事も忘れがちなのです。リセットの繰り返しは,ゼロスタートの気持ち良さもありますが,過去に学ぶ事をおろそかにしてしまう状況も生んでしまいます。

 だから「定点観測的」「継続的」であることを優先した場を作って,模索を始めてみたかったのです。

 そのため私たちは仮想の飲み屋スタイルを採用しました。いつもの時間にいつもの場所へ行く事を気楽に続けられるスタイルといえば,飲み屋通いだろうと,そんなざっくばらんな発想を大事したいと考えたからです。

 幸い,スナック・ネルは少しずつではありますが,教育とICTを語っている場として認知されつつあるようです。

 もちろん否定的な意見も聞きましたし,良くない点はいくつも思い付きます。

 男3人だらだらしゃべって何の意味があるのか…とか,毎回テーマも分からず視聴するモチベーションに繋がらない…とか,特定の人たちだけでやっていて入り難い…とか,お酒を飲んで好きに発言する事は問題ないのか…とか,話長い!夜遅い!つまらない!…とか,そもそも誰に向けて,何のためにやっているのか?…とか。他にも諸々。

 そうした指摘や意見は的を射ている部分もあると思いますし,私たちも認識はしています。改善の余地もたくさんあると思います。

 ただ,それもこれも「定点観測的」「継続的」な場を作る事を優先する上で妥協せざるを得ないと割り切っています。

 毎回テーマも定まらず行方知らずの雑談を聞かされるのはウンザリかも知れませんし,だんだん話がマンネリになっていくことに面白みを感じなくなることもあるでしょう。

 けれども,そのことに対処する事にエネルギーを使うなら,定点観測的に継続的に語りを重ねていく事を優先しよう。マンネリ化するなら徹底的にマンネリ化してみて,その先に何かあるのかないのか確かめてみよう。そんな挑戦が幾度かあってもいいじゃないかというのが「スナック・ネル」なのです。

 幸せな事に,私たちは距離を超えて語り合うためのツール(私たちが使っているのはGoogle ハングアウトというビデオ会議サービス)を手にしています。かつてなら考えられなかった事です。しかもYouTubeという巨大な動画配信プラットフォームでリアルタイムに会話を届けられます。録画を残して時間を超えて見てもらう事さえ可能です。

 また,Podcastという手段を使えば,私たちの会話を聞きやすく編集して音声コンテンツとして届ける事も可能です(SnackNEL Podcast)。より多くの皆さんに語り合いを聞いてもらう事にもつながります。

 私たちがこの場を楽しめる限り,スナック・ネルを通していろんな語りを交わらせたいと考えていますし,そのことを通してその他の事に対する見え方も変わってくるのではないかと思ったりしています。もちろんそれは淡い期待の範疇にとどめておいて,私たちはただ場を楽しむ事に徹していますが。

 洒落から生まれる何かがあれば,それはそれで嬉しい事。洒落が洒落で終わったなら,それはそれで楽しい事。洒落が洒落にならなかったとしても,それはそれで恥じるだけの事。何もしないよりは,面白いツールがあるこのご時世なりの何かをやってみたかったというのが素朴な本心なのです。

 興味を持った皆様はぜひご来店を。常連としてお待ちしています。

教育用SIMというかたち

 足の踏み場もなかった研究室に若干の空間を確保してから,不思議なことにぽつりぽつりと来客があります。

 今日は,外部からのお客様と教育とICT関係でおしゃべり。

 数週間前から私の周辺で話題になっていたLTE網と法人IP-VPNを接続する方法による学校ネットワークの構築について,興味深いお話をいただきました。

 実は,私の頭にあったこの話題のイメージは,特定端末やモバイルルーターを用意するかたち止まりだったのですが,今日の対話で「教育用SIM」というかたちでの配布方法があるということにハタと気づかされました。

 お客様は「アカデミックSIM」と呼称していましたが,なるほど入学時にタブレット端末を配布するのではなく,学校専用SIMを配布するような風景があり得るわけです。家電量販店などで販売しているMVNO(仮想移動体通信事業者)の格安SIMのパッケージを配布する感じです。

 これでSIMロックフリー端末の意義もはっきり見えてきます。要するに学校で配布された教育用SIMを自分自身の端末に装着できれば,BYOD端末でどこにいようと学校ネットワークに直接接続できるわけです。家庭でネットの動画教材を閲覧することも問題なくできるでしょう。

 もちろん実際には格安の端末とセットに販売するというのが現実的な商売でしょうから教育用SIMのみが配布されるという風景は現実味は少ないでしょうが,今後タブレット端末の普及台数が増えれば増えるほど,余った端末の活用法として教育用SIMとの組み合せで学校の勉強に使うなんてことがあり得るのではないでしょうか。

 こうなるとApple社が導入し始めた「Apple SIM」の意義もはっきり見えてきます。Apple SIMとは通信会社に依存しないキャリア切り替え可能な「仮想SIM」とされています。つまり,SIMを入れ替えることなく利用する通信会社を端末上で切り替えられる(契約先を変更できる)というものです。

 端末を学校利用の管理下に登録した時点で,学校専用LTE網への接続が仮想SIMの切り替え選択肢として現れて,学校ネットワークに接続が可能になるということです。こうなると教育用SIMを配布することすら必要なくなるわけです。

 もちろん,一般のLTE網に自由に切り替えられてしまうと,学校ネットワークで用意したフィルタリングやコンテンツを利用できないですし,在校中に外部サービスやコンテンツを自由にアクセスできることからくるトラブルも懸念されるところです。

 しかし,そうしたトラブルへの対応を学ぶことも教育の役割であると考えたなら,むしろその様なシチュエーションは格好の教育環境や教材と言えなくもありません。どのように判断するかは自治体や教育委員会,学校が考えることになりますが,技術的にはそういう可能性に開かれているということです。

 学習者に向けた教育用SIMも面白そうですが,むしろ先生方が利用する校務用SIMの導入の方がより現実的に必要かも知れません。

 校務用SIMを装着した端末があれば,いままで職員室に限られていた仕事の場所が,教室を始めとした校内至るところで可能になります。また,先生方は校務用SIMの端末を家に持って帰って仕事をすることもできます。仮に端末を紛失した場合は,その校務用SIMと端末を遠隔で無効化することで情報漏えいにも対応できます。

 こうした事例が来年以降,あちこち現れてくるのではないかと思います。