次期Nexus7への期待

 Nexus7については,発売とともに購入して試していますが,タブレットに特化したアプリの少なさもあって満足できるものとは言えませんでした。
 その辺の事情が少しずつ改善されれば,安価で汎用性のあるデバイスという点は評価できます。残る問題は背面カメラを備えないことと,バッテリーの消耗が激しいことくらい。

 幸い,手書きノートアプリ「Note Anytime」のAndroid版が登場し,アプリに対する不満は収まりつつあります。手書き入力のmazecは,他のアプリでも活躍してくれるので,全体的な使用感を底上げしてくれます。
 そして,ようやく次期Nexus7の声も聞こえてきました。
 次のNexus7は待望の背面カメラ(500万画素と予想されている)を備えるとか。もしもこれが実現すれば,ちょっとした記録デバイスとして可能性が大きく広がります。
 iPad miniとNexus7とを比較して,Nexus7が負けているとすれば,背面カメラがないことだけです。(まぁ,バッテリーの持ちとかOSの快適さとかは目をつぶるとして。)
 なので,背面カメラ付のNexus7は,実用面でも大きく前進すると思われます。学校に導入するデバイスとしての最低限の条件をようやくクリアするわけです。
 背面カメラ付Nexus7 + Dropbox + Note Anytime +ミラーリング外部出力
 これがそろえばデジタル記録ツールとして学校にお勧めします。

タブレット端末の学校への入り方

 学校にタブレット端末を導入するといったニュースがあちこちで聞こえてきます。総務省のフューチャースクール推進事業は国レベルの実証事業でしたが、都道府県・市町村レベルで試験的あるいは実用投入する方向が示されたところもあります。

 そもそもタブレット端末といった学校備品(と一応しておきます)は必要なのでしょうか。必要だとして,その入り方は1人1台なのでしょうか。

 もともと日本の学校は、学校設備や教材整備を重要視してきた伝統があるため、今日でも表面的には設備や教材について深刻な問題には直面していないとみなされています。

 たとえば、児童生徒は教室に机と椅子が用意され,部屋の前に教卓と黒板が存在する風景をほぼすべての学校で想定することが出来ます。教科書は義務教育において無償給付制度がありますし、高校段階でも何らかの形で教科書は確保されるはずです。

 しかし、その陰に隠れて、実は様々な備品や道具の整備や更新が不足していることは、世間で大々的に話題されることがありません。昨今では家庭の経済状況によって、自己負担する学習道具や教材を満足に購入できない事例も伝え聞きます。問題は給食費未払いだけではないのです。

 学校図書室の蔵書の具合も,市町村ごとに力の入れ方が異なっているため,新しい図書が定期的に揃えられるところもあれば,なかなか入らないところもあります。更新の問題は特に深刻で,ぼろぼろの図書がばりばりの現役であることは珍しくありません。

  
 机や椅子のように児童生徒1人1台が用意されているもの。黒板や学校図書などのように集団で共有する分を用意するもの。ドリルや絵の具といった個人負担するもの。

 学校で利用するもの(教育アセット/教育リソース)は様々な形態をとっているわけで、これらの更新維持コストが高いことも容易に察することが出来ます。厳しい財政状況の中では,学校の資産を守りきれず,最低限の条件をかろうじて維持することで済ませているのが実状でしょう。

 たとえるなら、サポート期限が切れると言われているものの、目的を達成するためならWindows XPは問題なく動いてくれるので,高いコスト支払って新しいWindowsマシンに更新する行動には移れないといった感じです。

 あえて乱暴に言えば,いま教育の問題につきまとう最大の頭痛のタネは「銭勘定」なのです。限りある予算を何にどう振り向けるのかという「決断」の問題でもあり,さらにそれに伴う「説明責任」の問題が議論の多くを消費しています。

 タブレット端末を入れる必要性があるかどうかは、正直なところ理屈をこねることは出来ても、そう納得するかしないかは立場によって異なります。費用対効果の面で納得させることが出来るかと問われれば,それは他の学校備品と同様に難しいのが実情です。

 それでも、なにゆえ教育に必要だと考えるのかを責任を持って説明し,費用的な負担を決断することが出来るかどうか。そこがタブレット導入の鍵でしょう。

 さて、学校へのタブレット端末…これはいったいどこからやって来たなのか。

 2006年頃から千葉や和歌山の学校でタブレット端末を導入した教育の実験事業が民間主導でスタートしたのを皮切りに,いくつかの先進的な自治体でモデル校導入がなされてきました。

 もっともこの時期の「タブレット端末」は「変形するペン入力型ノートパソコン」で、コンシューマ市場では主流でなく傍流。特別なもの感が強かったことは否めませんでした。

 しかし、2010年のiPadの登場によって、「タブレット端末」は「板形状のタッチ入力デバイス」であるとの認識が広まり始め、コンシューマ市場もノートパソコン一辺倒状態が崩れ始めていきました。この3年間におけるタブレット端末とタブレットPCという棲み分けの目まぐるしさにはため息が出そうです。

 佐賀県は、2011年より3カ年計画で県独自のICT利活用教育推進の計画を立て、これを後押しするために総務省のフューチャースクール推進事業や絆プロジェクトなどの予算を積極的に利用しました。さらに県と市町村との密接な連携を組んで、ペースの異なる市町村の足並みを緩やかに揃える仕組みによってタブレット端末などの導入が行なわれています。

 2013年5月に、佐賀県内で一番目立つ武雄市が2014年度以降に全小中学校へのタブレット端末導入方針を表明しましたが、この決断の波はじわじわと他市にも波及していくことになります。ちなみに5億円の予算計上を見込んでいるとの報道もありました。

 前後しますが,2012年6月には、大阪市教委が全小中学校にタブレット端末導入の方向性を表明。2013、2014年のモデル校導入を経て、2015年以降に全小中学校導入を目指すとされ、システム開発費も含めた予算は8億円を計上する方針と報道されました。

 2012年9月には、千葉県袖ケ浦市が全小中学校に数台ずつのタブレット端末を導入することがニュースになりました。同市は、iPadを生徒が自己購入して学校で活用していることで有名な袖ケ浦高校があり、そうした実績が影響しているとも言われています。

 2013年2月には、東京都荒川区がタブレット端末を2013年度にモデル校導入し、2014年度以降に1人1台の導入を準備し,ゆくゆくは1万台規模の整備を目指すといいます。2013年度は小学校3校で5000万円規模の予算。小学校24校と中学校10校に揃えるとなれば、単純計算で7〜8億円ということになります。

 お分かり通り,タブレット端末云々の話は、特定の都道府県・市町村の取組みとして動いています。教育行政の取組みはすべからく、学校の設置に責任を持つ地方自治体単位で進められていきます。

 小泉政権時代から現在に至るまで「地方で出来ることは地方に…」というスローガンのもと地域主権(分権)への行政改革が進められました。負担を地域に押し付けたのではないかという問題はありますが、国がコントロールすることから地域のことは地域でコントロールするようになってきています。

 文部科学省は、国レベルの将来を見据えなければならない立場上,ある程度は前のめり的な方針を立てる必要があります。一昔前なら、ひも付き補助金でも確保して、全国の教育委員会に対して号令をかけることも出来たかも知れませんが,いまはそういう時代ではなくなりました。

 国が示した行き先は方向性として把握し,乗れるバスに乗れる自治体から乗り込むというというのが日本の教育行政の実情です。そして資金不足や行き先を決められずにバスを見送っている自治体が多いというのが現実です。

 タブレット端末を学校に入れるやり方は、現実としていろいろあり得ます。

 バラバラにバスに乗れば,遠距離直通バスに乗った自治体と短距離バスを乗り継ぐ自治体とで「差」が付くことは当然ですし,バスを見送っている自治体と「格差」がつくことも本来は避けなければなりません。

 その方法は、必ずしも似たようなバスに乗ることだけではなく,いま学校教育自体が見直されなければならない時代における様々な道のりを様々示して、自転車でも歩きでも歩ませることだと思います。

 タブレット端末を1人1台入れるか、パソコン教室を置換える形で入れるか,学級に数台単位で入れるのか。どれが正解ということでもなく,必要に応じて選択できることが望ましいし,それがコスト的にできないすれば,他の手段も考える。ただそれだけのことなのだと思います。

 できることから考えたいですね。

20130427 iPadを教育に活用しよう@Apple Store 銀座

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 2013年4月27日にアップルストア銀座のシアターフロアで「iPadを教育に活用しよう:先駆者に聞く実践とアプリケーション選びのコツ」というイベントがあり,登壇してきました。
 書籍『iPad教育活用7つの秘訣』に登場したメンバーによるイベントとして企画され,紙面だけでなく直接本人がプレゼンすることで教育活用の秘訣を伝えることが目的でした。
 私はコラム執筆組ですが,韓国の事情についてコラムを書いた佐賀県の中学校に勤めている中村純一先生と一緒に「日本と韓国、それぞれの課題」という題目で対談(掛け合い?)をしました。

 イベントについては、KDDIの野本さんが詳細なレポートを執筆公開されていますので、そちらを参照された方が雰囲気が伝わると思います。あとTogetterにもまとめられたようです。
 2時間のイベントに11名の登壇者というのは、「じっくり」というよりは「テキパキ」と進めるくらいのボリュームです。ある意味メリハリのあるイベントとなりました。
 登壇者の皆さんは、いろんな機会に発表やプレゼンをされている方々なので,スライドを効果的に使って印象的なプレゼンテーションをされていました。
 もっとも私は上手で印象的なプレゼンを聞くよりも、もう少しiPadの教育活用について本音のところの話をじっくり聞いたり話したりしたかったので,今回のイベントの組み立ては少し残念だったのですが…場所がアップルストア銀座ですから、仕方ないですね。

 私たちのパートは,だいぶ時間が押していましたし、後ろにスーパープレゼン分野で知られる高校生の山本恭輔君が控え,さらには書籍のクロージングで登場している小池幸司氏と杉本真樹氏のパートが残っているので,ご一緒していた中村先生には申し訳なかったのですが,かなり巻き巻きの早口で私たちのパートを始めました。
 日本についてのお話は最小限にして,韓国の事例を前面に中村先生からお話を伺う感じで構成しました。ほとんど打ち合わせしていなかったので,お互い即興で掛け合いプレゼンテーション。
 韓国の有名な受験競争の話題から始まり,そのような教育文化の中に居る教師の日常という視点から,有名な教材コンテンツ提供サービスの「i-Scream」の紹介とクリック先生の問題、塾に行けない子や地方で十分教育が受けられない子のための「サイバー家庭学習」、教育情報総合サービスの「EDUNET」の話しなどに触れました。(詳しくは野本さんのレポートで。)
 触れられなかった話題は山のように残っていましたが,それはまた中村先生にFacebook上で話題提供していただくことにして,早めに発表を切り上げました。
 あとで、いろんな人から「話し足りなかったでしょw」と突っ込まれました。まあ、ほとんど何も語りませんでしたから,否定はしませんけれど ^_^;

 今回のイベントでは「iTeachers」というチームが提案され,書籍に登場した先生達が今後もあちこちでイベントや執筆原稿などでiPadの教育活用を広く情報発信していくことを宣言していました。(Facebookページ
 私は立場的にはサポーターなので,特にiTeacherとしての活動をする予定はありませんが,これらも含めて教育とiPadに関しての全体動向は引き続き注視していきたいと思っています。

「さんすう刑事ゼロ」

 新学期が始まったということは,NHK学校放送も新しい番組がいくつかスタートしたということになります。
 ご縁あってNHK教育放送企画検討会議に出席したことがあったので,早くから春の新番組を楽しみにしていました。
 特定番組製作に関わってはいませんが,これもご縁あってある新番組の関係者の方々と事前の意見交換をしたことがありました。そんなわけで,今回のイチ押しは「さんすう刑事ゼロ」という番組です。
 昨夏にパイロット番組が製作され,学校でも好評だったことから新番組と相成ったようです。ちなみに今日の学校放送番組(教育番組)はほとんどがインターネットで番組が公開されていますから,見逃してもネットで動画が見られます。
 「さんすう刑事ゼロ」の主人公を演ずるのはモロ師岡さん。これだけでも一部の人々にはピピッと来てしまいますが,刑事サスペンスもののエッセンスを10分番組にぎゅーっと詰め込んだ贅沢なドラマづくりも視聴者をくすぐります。
 実際に第1話と第2話が放送されましたが,反応は上々。
 ネットの反応だけを見ていると,出演者の方たちのファンが集まってきて視聴しているようで,学校放送番組というよりは普通のミニドラマを楽しんでいるようなところがあります。

 番組のつくりを凝ったのはいいが,肝心の教育番組としての評価はどうか。
 ドラマの世界観や脚本の面白さばかりに気を取られて,さんすう自体から注意がそれないか…という懸念は意見交換の時にも出てきた話題でした。それに刑事物というのは犯罪と隣り合わせですから,物語のベースが盗みに端を発していたりすることを問題視する立場もあるかも知れません。これは製作者側もそれなりに気を使っている部分のようです。
 意見交換の場では私たちが交わした論点は,作り込みと毎回のねらいとのバランスをどちらも大事にすることでした。
 昨年度の新番組「歴史にドキリ」は弾けた作りが個人的に好きな番組でしたが,授業で使うのは難しいところもありました。先生達にとっては,もう少し大人しい歴史番組の方が授業で見せやすいからです。一方で,子ども達にドキリ・ソングが好評だった面もあり,その辺がもう少しうまく噛み合えば…という課題が残りました。
 「さんすう刑事ゼロ」もドラマとしての贅沢な作り込みが持ち味ですが,事件やトリックの奇抜さを前面に出し過ぎても算数の活用というねらいがぼやけてしまう懸念が心配されたわけです。
 そこで,一つの解決策が「ドラマ展開のバターン化」だと思います。
 この辺は第1話と第2話を見て,勝手に想像しているのですが,事件発生と推理と解決の展開順をパターン化し,できるだけ算数の謎が前面に出るように配慮した脚本を用意することを目指していると思います。
 こうすると,動画を一時停止するタイミングも分かりやすくなるので,授業でも使いやすくなります。教室で考える場面も設定しやすいわけです。
 そうした制約の中,出演者とゲスト出演者の魅力,脚本の面白さ,ドラマ舞台の贅沢で丁寧な作り,キャッチーなBGMの演出が番組の魅力を高めているのです。

 実際,私も繰り返し動画再生して見てしまうくらい面白いです。
 ここから更なる算数の活用世界に導けるかどうかは先生や周りの大人次第ですが,このドラマの世界観を拝借しながら,発展的な内容を自分たちで事件化し,推理・解決するような活動が広がると面白いなと思います。
 それにしても,ゲスト出演者のトップバッターが池田鉄洋さんで,第2回は小沢真珠さんとは,これはもはや学校放送番組の人選じゃありません。^_^ 記録に残るだけの番組ではなく,記憶に残る番組になるといいですね。
 

人生と電子情報

 ドラマ「リッチマン、プアウーマン」には「パーソナルファイル」という物語上の開発物が登場します。個人情報を一括管理するシステムとして新興開発会社がイノベーションを起こそうと取り組もうとするものです。
 現実世界は「マイナンバー」という社会番号を付けるか付けないかだけで大変な議論が炸裂していますが,個人情報が電子的に管理されている事実はどんどん加速しています。

 クレジットカード会社や保険会社,どこかの図書館の採用で有名となったポイントカード会社にも,個人情報なるものが山のように保管されています。
 最近は買い物履歴の活用が表立ってきて,amazonはもとより,楽天やヨドバシカメラといった通販はどんどん個人情報を紡ぎ出して記録しています。最近では書店のポイントカードにも店頭で買った書籍や雑誌の記録がしっかりと活用され始めて,乱読派の私としては少し恥ずかしい気分になりました。
 また,モバイルデバイスにつきもののアプリの購入も履歴は欠かせないものです。履歴のおかげで同じアプリを別のデバイスにインストールする際に買い直す必要がありません。とはいえ,これも興味本位で試したアプリまで履歴に残ってしまうため,とても恥ずかしい気分がたまにやって来るものです。

 それでも私たちは,個々のサービスにいくばくかの不安を抱きつつも,個人情報が電子記録されていること自体に文句をつけることを普段はしません。
 問題が発生して被害を被らないかぎりは,そういうもの一つ一つにいちいち構ってられない現実もありますし,利便性が不安を上回っているかぎりにおいて成立する構図なのだと解説する人々もいます。
 おそらく,個々のサービスに個人情報の記録や蓄積を許可するにあたっては,個々人が自主的にサービスに申し込む手続きがあったわけで,それゆえ利用を開始した以上は文句も言いづらいということもあるのかも知れません(専門家がそういう人々の心性をおかしいと指摘するのはあるでしょうが,日本の消費者にはそういう傾向があるのも確かと思います)。
 そして,個々のサービスが独立していて,自分の個人情報がそれぞれの会員番号か何かで別個に管理され,バラバラに散逸しているという認識が,加速しつつある個人情報の電子化という事実に対する免罪符というか,寛容を担保しているのかも知れません。
 つまり,マイナンバーなりパーソナルファイルなり,情報が一元管理されると,個人情報の漏えいや被害に際限がなくなってしまうという理解が懸念の背後にあるのだと思います。
 実際,これまでいくつもの企業で個人情報やアカウント情報へのハッキングや漏えいが起こりニュースとなってきましたが,それらはあくまでも一企業が管理する範囲のものであり,該当するサービスに登録していなければ一安心するのが私たちの心理だからです。
 しかし,これもちょっと考えると分かることですし,事件の度に言及されることですが,それらのハッキングされた企業に登録している個人情報とやらに,もしもクレジットカード情報が含まれていると,被害が限定的とは言えません。
 むしろ,自分に関する情報の何をどのサービスに登録していたのかがバラバラであったり,多すぎて忘れてしまうことによって,自分が被る被害に見当がつかなくなるデメリットさえあり得ます。

 個人情報が悪意によって盗み取られる問題は,多くの人々の関心を集めるテーマですが,もう一つ,個人情報の寿命については,まだそれほど関心は高くないかも知れません。
 4月12日(米国)にGoogleが新しい機能の提供を発表しました。
 「Inactive Account Manager」という機能は,自分のアカウントの利用が一定期間休止していた場合に,Googleに記録していた情報をどのように処理するかを設定できるオプションです。
 つまり,自分が何か不慮の事由で世を去ったときに,Googleの利用がなくなるわけですが,その期間が半年や一年間続けば,それは何かの理由でGoogleの利用が今後一切出来なくなったこととみなし,データを削除してくれたり,あらかじめ登録した信用できる相手に譲渡できるというわけです。
 今までは,どれだけ便利に自分のデジタル個人情報(デジタルアセットという言葉が使われています)を生み出したり記録して活用するかがサービスに求められていたわけですが,今後はデジタルアセットをどのように最終処分するのかということも管理できるようにしなければならないわけです。

 もっともこうしたサービスは何もGoogleが初めて取り組んだわけではありません。
 海外では「Legacy Locker」が自分のデジタルアセットを家族などに相続できるサービスとして話題になっていました。他にも似たようなサービスがいろいろ存在しています。
 日本ではYahoo!ボックスが自動削除機能を予定しているなどのニュースが過去にありました(まだ実装していないようですが…)。
 また,インターネットと死についてライターの古田雄介氏が興味深い記事を書いていますので,これも大変勉強になります。「古田雄介の死とインターネット
 ローカルのハードディスクの情報を死後に処分するためのソフトもいくつか登場してます。(「」「僕が死んだら…」「暗号化ハードディスク」)
 こうして見ていくと,電子化された個人情報が散逸しているという事態は,電子情報を処分するところまで管理しようとする場合,大変面倒な事態ともいえます。いろんなサービスに登録し散らかしたものを遺族にすべて処分を任せるとしたら…考えると非常に酷な話です。
 ゆえに,現実的に個人の情報を膨大に扱っているGoogleが,この手の機能に着手したことは,ある意味で歓迎すべきニュースかも知れません。

 さて,人生と電子情報(デジタルアセット)という非常に範囲の広い問題を考えると同時に,学校教育における電子情報の扱いについても考えていく必要が当然あります。
 ドラマの「パーソナルファイル」は,その後「パーソナルストレージ」機能も付け加えたオープンソースに発展していきました。
 もしもそういうものが存在すれば,学校教育で紡ぎ出した個人情報や学習活動の成果(たとえば活動の記録写真やノートの電子記録など)を自分のパーソナルストレージにどんどん溜め込めばよくなり,情報の保管を学校が背負わなくてよくなります。
 しかし,現実的には,学校教育でのICT活用の際に使われる記録保管場所は,校内サーバー(あるいは校内NAS)であり,どんどん溜まっていく電子情報をどのように整理し,処分するかは,公的に決まったルールも,全国の学校の共通理解も,存在しません。
 私はよく「これからの時代,卒業記念品は大容量USBメモリになって,卒業式の日には校内サーバから自分のデータをコピーする儀式が行なわれるようになるでしょう」という冗談を人に言ったりします。
 学校教育で生み出される電子情報の在り方を考えるにあたって,それらを単にディスクスペース確保のためだけに容易に消去してよいのか,やはりデータは個人の元に手渡されるべきではないのか,といったことも,もっと真剣に考えられるべきなのです。

 少しずつ,こうした問題意識に届きつつあるサービスや開発の話を聞くようになっています。学校教育現場に関わる者は,こうしたテーマについても関心を持つべき時代になったのです。