新年は東京出張から始まりました。
堀田先生を中心に動いている「義務教育段階の情報教育に関する次世代教育課程の教育内容に関する研究」でフューチャースクール推進事業実証校の視察報告をするためです。
参加している先生方は様々な分野に分かれて研究を積み上げられており,その情報共有と今後の方向性のすり合わせなどが行なわれました。
私はどちらかといえば渡り鳥のような人間なので,旅回りの報告とか,方々の動向を把握することしかできないので,ぼちぼち研究者から教育写真家への転身を勧められたくらいです。そのうち写真集でも出版しようかと思います。
それはともかくとして,次期学習指導要領を見据えた検討作業はあつこちで少しずつ始まっており,こうした議論の立ち上がりの時にどれだけ材料を揃えておけるかが重要なポイントとなるだけに,今年,様々な成果が期待されるというところなのだと思います。
カテゴリー: 論考
日本の学校に大画面はあるか?
日本の学校の大画面といえば「黒板」や「掲示板」ということになりますが、ほとんどの教室に常設されているでしょうから,更新問題はあれど導入問題は考える必要もないと思います。ここで話題にしたいことは,テレビを始めとした大画面メディアのこと。
このブログでは「メディアプアな日本の中等教育」「テレビも少ない日本の学校」という記事でテレビの設置台数について話題にしてきました。
グラフで視覚化すると,中学校と高等学校(中等教育段階)のテレビ導入台数が満足できるものではないということが浮かび上がったわけです。
しかし,こういう問いも生まれます。
「テレビが少ないのはわかった。でも,何か大画面を実現する機器が別にあればよいのではないか?」
確かに,テレビ番組やデジタル教材を表示させる方法はテレビだけではありません。大画面であれば電子黒板とか,プロジェクタとかもカウントすべきではないのか?
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あらためて文部科学省の「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」から大画面にあたる項目を取り出して,グラフに足してみました。
小学校
中学校
高等学校
特別支援学校
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再度,普通教室に注目して設置台数の割合を書き出してみると…小学校 96%,中学校 55%,高等学校 20%,特別支援学校 42%には大画面が備えられていることになります。
テレビだけに着目したときよりも少しマシな数値になりましたが、小学校を除いて満足できる数値ではないことは変わりません。また当然ながら,それらが「常設状態にあるとは限らない」という問題はありますし、「頻繁に活用されている状態にある」かもわかりません。
学校までもがメディアにまみれることを恐れたり懸念する考え方もあるとは思いますが、学校という場がメディアを適切に使いこなしたり遠ざけたりする距離感を育むための環境にないのは問題が多いと私は思います。
テレビも少ない日本の学校
「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」には,テレビの設置台数についても質問項目があります。
タブレットパソコンや電子黒板の設置台数が少ないのは,比較的新しい機器ですから当然のこととして、テレビは放送開始60年の声を聞くほどの国民的メディアですから,教室に1台ずつあってもおかしくないとも思えます。
さて,実態はどうでしょうか。
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実は,すでに昨年のブログ記事「メディアプアな日本の中等教育」で平成22年度の設置台数について話題にして,こう書きました。
普通教室の部分だけを注目すれば、設置されているテレビのパーセンテージは,小学校で95%,中学校で56%,高等学校で7%,特別支援学校で43%となっています。
高校のテレビ設置台数の貧しさに驚愕したというわけですが、それについてコメント欄では「受信料免除がないためではないか」という解説をいただき,確かにそのような金銭的負担も設置に結びつかない遠因だと思われたのでした。
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では,平成23年度はどうなっているのか。
昨年と同様に「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」における「3 デジタルテレビ等の整備の実態」の「(2)デジタルテレビ等の設置場所別台数 – (3)デジタルテレビ整備学校数」の集計表を使ってグラフ化してみます。
まずは小学校…
次に中学校…
そして高等学校…
最後に特別支援学校…
今回はエクセルファイルも付けておきます。もとはe-statからのファイルですのでご自由に利用してください。
graph_h23jyouhouka003-2_3.xlsx
https://docs.google.com/open?id=0BxBSvLJGifj0SktTZWc1blRfQTQ
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平成23年度は,普通教室に注目すれば、設置されているテレビのパーセンテージは,小学校で80%,中学校で46%,高等学校で6%,特別支援学校で35%となっています。
ただし,アナログテレビの集計が省かれたので、昨年度との変化は,純粋にデジタル対応テレビだけのパーセンテージで考えなければなりません。平成22年度と平成23年度でデジタル対応テレビの設置率はどう変化したのか。次のような数字になります。
平成22 → 平成23
小学校 60% → 80%
中学校 34% → 46%
高等学校 4% → 6%
特別支援学校 28% → 35%
とりあえずデジタル対応テレビは順調に導入が進んでいるようですが、小学校を除いて設置台数が半数にも達していない現実は変わりません。
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この数値をどう解釈すべきなのでしょうか。
文部科学省が行なった「学校及び社会教育施設における情報通信機器・視聴覚教育設備等の状況調査」(平成22年度)には,視聴覚教育設備という角度からの抽出調査結果が記録されており,その中には「授業用情報通信機器・視聴覚教育設備等の活用頻度」という質問項目もあります。
幼稚園・小学校・中学校・高等学校という調査対象で,活用頻度が高かった(「ほぼ毎日」あるいは「週に数回程度」活用する)ものの順は「コンピュータ(84.66%)」、「CD プレーヤ(82.94%)」、「デジタルカメラ(53.32%)」、「地上デジタル対応テレビ(38.97%)」、「ビデオプロジェクター(37.85%)」でした。
これは「授業用情報通信機器・視聴覚教育設備等の保有台数」の上位順「コンピュータ(43.52台)」「CD プレーヤ(9.16台)」、「デジタルカメラ(7.13台)」、「地上デジタル対応テレビ(6.10台)」、「テレビ受像機(5.40台)」とほぼ似たような構成であることを考え合わせると、普及程度に応じた活用頻度になると推論されます。
活用の頻度が高いとは言いづらい調査結果ですが、だからといって「日本の教育にテレビは必要ない」とも言えない。過去の調査結果を比較する必要はありますが、保有台数が高まれば利用頻度も高まるかも知れません。
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それにしても,調査結果を眺めると「日本の学校にテレビがあることを前提出来ない」という解釈も成り立つかも知れません。
すでに英国BBCは,教育番組をテレビ電波放送と結びつけて考えることを止め,法律を改正してしまったと話に聞きました。つまり,教育番組の活用がリアルタイムの生視聴でなくなってきている現実を突き詰めれば、ネットで提供することの方がもっとも合理的だとする考え方です。
これまでデジタルデバイドを懸念して,ネットのようなメディアではなくテレビのような従来メディアで対応することを奨励する立場もありましたが、テレビがそもそも前提出来ないのであれば,アクセスのタイムラグを許しやすい(ネットにアクセスするための何かしらの手を講じる時間的余裕が持てる)ネットの方がまだマシだということにもなります。
そもそもデジタルテレビ時代においては録画さえアナログテレビと違って面倒がつきまといます。いま一度,教育でテレビ番組を活用するということの意味を根底から問い直す作業が必要な時期に入っているのだと思います。
『デジタル社会の学びのかたち 教育とテクノロジの再考』
新バージョンが出ています。
A・コリンズ/R・ハルバーソン 著(稲垣忠 編訳) 『デジタル社会の学びのかたち 教育とテクノロジの再考』 北大路書房 http://www.amazon.co.jp/dp/4762827908
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新しい書籍が出ます。
”Rethinking Education in the Age of Technology: The Digital Revolution and Schooling in America”(→amazon.com)という洋書の翻訳本です。
教育とテクノロジの関係について様々な見解が飛び交っているようですが、じっくりと深く考えてもらえているかどうかと問えば、残念ながら、印象や直感、あるいは個人的経験から意見を述べるものが多いのではないでしょうか。
この書は、アメリカの事例や歴史を用いてはいますが、この問題を深く掘り下げた内容となっています。 米アマゾンでの評判も悪くないですし、翻訳版には日本の読者向けの座談会記録も用意されていますので、この分野に関心のある方は是非。推薦のことばを引用します。
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推薦のことば
「コリンズとハルバーソンは、学校をデジタル時代に連れ出すために、さらには学校を超えて、テクノロジが教育を豊かにするための、大胆なビジョンを示している」
アダム・ガモラン ウィスコンシン大学マディソン校教育学部長
「学校は問題を抱えたコンセプトである。コリンズとハルバーソンはなぜそうなのか、 私たちには何ができるのかについて、確信をもっている」
ロジャー・シャンク 元エール大学およびノースウェスタン大学元教授 『学習・eラーニング・研修におけるストーリーと学習』の著者
「学校の内外で行われたここ何十年かの研究を描くことで、コリンズとハルバーソンは、テクノロジが現在の教育に対してどのような課題と、新たな機会を投げかけているのかについて、鋭く、一貫性のある分析をしている。テクノロジに満たされた世界を生きる将来の世代が何をするべきか、関心のある親、教育者、学生にとって読んでおくべき1冊である」
カート・スクワイア ウィスコンシン大学マディソン校 『コンテンツからコンテキストへ −−経験をデザインするテレビゲーム』の著者
「力作だ。著者は広範な事象を取り上げるだけなく、それを深いレベルでまとめあげている。鋭く(時に息をのむほどの)洞察を、現在の苦境にあえぐ教育に投げかけている。それは、デジタルという特権を与えられたテクノロジ・リッチな日常生活と、私たちが学校とよぶ、時代遅れの産業モデルの学習との間で綱引きが起きているという真実である。私は本書を教育について真剣に考えているすべての人に勧める。歴史的な事実としてだけでなく、未来の世代を担うすべての人々、教育学や社会学を学ぶ者、教師、親、デザイナー、生涯学び続ける人々への願いでもあるからである。コリンズとハ ルバーソンは今日のグローバル化・ネットワーク化・『フラット化』(フリードマン)が進む社会において新たな『ホーレス・マン』に十分なり得るのではないだろうか」
コンスタンス・ステインケラー ウィスコンシン大学マディソン校 『教育工学としてのMMOG(多人数オンラインゲーム)』の著者
「学校の外で、あるいは生涯にわたって学習者に広がりつつあることをふまえて教育の本質を再考することは、今世紀に私たちが取り組むべき中心的な課題の1つである。コリンズとハルバーソンは、第2の教育革命を描いている。テクノロジをいかした社会デザインがもたらす価値や機会が、どのように学習環境をこれまで主流だった『学校』から拡張されていくべきか、そしてされていくのかを示している。教育に関心のあるものすべてが読むべきだ」
ロイ・ピー スタンフォード大学 『テクノロジ・平等性・学校教育』の著者
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この翻訳本は、稲垣忠先生に声をかけられた仲間で作業しました。
稲垣忠(東北学院大学)
亀井美穂子(椙山女学園大学)
小川真理子(椙山女学園大学)
林向達(徳島文理大学)
金子大輔(北星学園大学)
益川弘如(静岡大学)
藤谷哲(目白大学)
深見俊崇(島根大学)
というわけで、私もお手伝いをさせていただきました。いやはや、大変な作業でした。共同作業のおかげでなんとか終わったようなものです。
そんな苦労の末の一冊、ぜひご一読を。
20121128 上勝中学校出前授業
久し振りに上勝中学校への出前授業。iPadを使ったデジタルコンテンツ制作の取り組みです。今回は、準備した素材を使って動画作品づくりを行ないました。
以前にも書きましたが、iPadで動画編集をする場合、iPad2以降のモデルでないと主要な動画編集アプリが動かないという問題があります。初代iPadで動作するものも無くはないのですが、メモリやマシンパワーのことを考えると心許ないというのが正直なところ。
今回の活動は5グループで行なっているのですが、残念ながらiPad2は3台しかないため、活動の前提がアンバランスでした。あと2台をどう調達するのか悩ましいところでしたが、自分の手持ちのiPad2をなんとか回せそうだったので、持参して計5台の状態で活動することができました。(iPad miniがやってきたおかげで、個人用iPad2を明け渡すことができたわけです)
生徒たちは、それぞれの素材をiMovieに取り込んで編集していきます。
頭が痛かったのは、パソコンに取り込んである写真や動画素材をiPadに移す方法でした。基本的にはiTunesを使えば同期させられるのですが、複数のiPadを管理している場合や同期に使っていない別のパソコン上のiTunesを使う場合など、さまざまな要素の複雑な組み合わせが起こる場合にどう動作するのか予想がつかなかったのです。
この辺はもう少し検証してみる必要がありますが、願わくはもう少し単純に写真や動画を写真アルバムに転送できる仕組みがあるといいなと思います。
最初はiTunesにつなげるのも面倒だったので、無線LANで転送できるアプリを活用しようかと考えたのですが、Windowsパソコンから転送するとなると良いアプリがなかったり、学校の無線LANがデバイス同士の通信を制限する設定になったりしていて機能しなかったり、いろいろ壁がありました。
とにかく、手順がわかりやすくなるように研究してみたいと思います。
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結局、2台のiPad2は次回の出前授業まで学校に貸し出すことにしました。こういう場合に備えてiPadを購入してきたので、役立って良かったです。