[FS徳島] 20120629足代小学校公開授業

 2012年6月29日金曜日に徳島県の足代小学校で公開授業と授業研究会,そしてフューチャースクール推進事業の担当研究者として私の講演がありました。
 今回の授業は1年生,3年生,5年生が授業公開。
 1年生 学級活動「はじめてのタブレットパソコン」
 2年生 算数「一億までの数」
 5年生 総合「アレンジ・チャレンジ・メッセージ 〜三好B級グルメ開発プロジェクト」
 それぞれ見どころは,
 1年生は,(本当に)初めてタブレットPCを使い始める機会
 3年生は,各桁に対応した端末を駆使して友達と協力して問題に挑戦
 5年生は,郷土料理について聞き取り調査した情報の整理と共有
 といった活動を行ないました。足代小学校らしい情報機器活用のチャレンジも織り交ぜながら,もちろん様々な課題も見えてきた実践となりました。

 今年度は授業研究会に授業者の先生方が登壇してくださるので,授業を振り返っての学習に込めたねらいなどお話しいただくことができました。
 会場からもオンライン付箋サービスの「linoit」を介して,様々な感想や質問をいただき,それに対して先生方からも真摯な回答をたくさんいただくことができました。それを見て,さらに質問や感想も増えたりと,よい循環も生まれました。

 そのまま講演を潰して質疑で盛り上がろうと思ったのですが,さすがに仕事を放棄すると怒られそうなので,最後は手短に私のお話をさせていただくことでお開きとなりました。

講演音声ダウンロード
 相変わらず早口なのだなと,我ながら恥ずかしく思いつつ…。

20120622 New Education Expo in Osaka

 NEE2012大阪会場で開催されたセミナー「日本−韓国,未来の情報教育」というセミナーに登壇してきました。
 基本的には韓国からのゲストの発表と日本からの視察報告を中心として企画されたものですが,私は日本のフューチャースクールについてご紹介する役目でした。
 韓国の教育に関わる実情を垣間見ながら教育の情報化について聞くことができたので,単に進んでいるということだけでなくて,求めているものの違いについても考えることができたセミナーではなかったかと思います。
 たとえば,韓国では
 ・若者にとっての厳しい社会的現状がある。よって学習の動機も強くなる。
 ・日本と比べて大学進学率が9割であるし,TOEICも900点が当たり前。
 ・情報化に関しては,さまざまな試みは日本の方が多いと思われる。
 ・デジタル教科書には「指導者用」と「学習者用」の区別はない。
 ・2015年にはデジタル教科書に「切り替える」のではなく「選択できるようにする」。
 ・選択するのは教育委員会や学校の先生や校長先生であり,どう使うかも先生が決める。
 ・2008年からのデジタル教科書に関する成果は専用のWebサイトで発進している。
 ・「デジタル教科書」には「e教科書」と「デジタル教材」の二つがある。
 ・韓国の教室の電子黒板は70インチ以上が一般的。
 など,いろいろ教えていただくことができました。
 韓国の教育の情報化を担っているKERISには,毎週のように視察の人々がやってきて業務に支障が出るほどだという裏話もあったりと,ざっくばらんに展開。
 その他,韓国の世宗市につくられたモデル学校である韓国版フューチャースクールの視察報告では,現在考えられる限り最先端の学校設備の様子を見せてもらいました。
 残念ながら,登壇者人数分のマイクがなかったため,私が得意な割り込みで根掘り菜掘り聞くというスタイルはできませんでしたし,時間もなかったため議論もできませんでしたが,なかなか興味深い会になったと思います。
 本当は大阪という場所ゆえに,話題に上っている大阪の教育情報化の取り組みを意識した意見交換もしてみたかったのですが,残念ながらそれは叶いませんでした。

 というわけで,なんとかお役目を果たしました。実は2007年の東京会場で初めて登壇して以来5年ぶり。次回は2017年頃に呼ばれたらラッキーという感じでしょうか。とにかくいろいろ勉強になったNEE2012でした。

日本デジタル教科書学会のスタート

 〈デジタル教科書〉に関して学術研究と教育実践を取り結ぶための場として「日本デジタル教科書学会」が設立されたようです。
 これまでの学術研究団体の系譜から派生したものではなく、〈デジタル教科書〉の可能性に期待を寄せる学校現場の先生方や研究者有志の方々によって構想され発足したものであることが特徴的です。
 ネットによるソーシャルな活動が勢いづいたこの時代ならではの学会の誕生に、まずはお祝いの言葉を贈りたいと思います。おめでとうございます。
 垣根を越えたところで研究活動を推進していくとの理念通り、広く会員を募集しているようですので、関心のある方はWebサイト(http://js-dt.jp/)をご覧になってはいかがでしょうか。

 「物好きなお前のことだから、この学会に一枚噛んでいるんじゃないの?」と思われた皆様もいるかも知れませんが、私はもちろんノータッチ。
 そもそも〈デジタル教科書〉という語に対して懐疑的かつ慎重な態度をとっている私がその名を冠した学会の設立に参加しているわけもなく、暗躍していたんじゃないの?という推量は見当違い。
 そんなわけで、祝辞を言ったそばから宣戦布告するのも無茶苦茶ですが、〈デジタル教科書〉という用語を解体していく姿勢で臨みますので覚悟しておいていただきたいと思います。^_^
 

20120531高知県高等学校放送・視聴覚教育研究会にて講演

 高知県の高等学校放送・視聴覚教育研究会から講演の依頼をいただいたので、高知南高等学校にお邪魔してきました。

 秋に研究大会があるので、それに向けた取り組みの参考にするためのお話をしなさいというのが今回のお題でした。

 先進的にやっている中高の実践事例があれば紹介して欲しいというご注文でもあったのですが、中高の事例は小学校のそれに比べると少なく、まして私が持ち合わせているものはかなり乏しいので、直前まで内容は悩みました。

 講演というものには、既存の知見を紹介して理解を広く得るという役目があります。なので、基本的には講演内容に関しては決まった持ちネタがあって、それを違う場所で繰り返すというのがごく普通の活動になります。

 ただ私は、講演内容のスライドなどがあれば公開するのが基本方針なので、それを方々で繰り返すのは自身の心理として後ろめたさがあるのです。そりゃまぁ、私も語れることは限られていますから、ネタが繰り返すことはありますが、プロットに何も変化を加えないでしゃべるのは、ボランティアならばともかく、ある程度の謝礼をもらう仕事だと申し訳ない気持ちになります。

 それで、今回も直前まで、ご要望と持ちネタとを掛け合わせて、新しい講演のプロットを考え出すのに苦労したという次第です。

 今回は「コミュニケーションを育む情報技術と学校」という題目をつけて、もしも研究大会で何か提案されるのであれば、こうした点に着目してはどうですかというメッセージを込めてお話を構成しました。(後日、資料やレジュメは追加して公開します。)

 先方の研究会の趣旨などを読んで、新しい時代について意識されていたので、「新しい時代」というのは何だろうところから話を始めました。

 そして未来を考えるために、私たちが歩んできた過去の出来事を社会年表も見ながら皆さんと一緒に振り返り、メディアや機器の寿命などを意識することを通して、今あるもの、新しいものについて感じてみたわけです。

 今回は、前々から使ってみたかった「ネオ・デジタルネイティブ」のお話を入れました。私たちが相手にしている児童生徒たちがどんな世代なのかを意識することも大事だし、その人たちに新しい時代を生きてもらうために何が必要なのかを考えてみたかったからです。

 それから現在起こっていると思われる「コミュニケーションに関する困難」を三つご紹介し、こうした困難を乗り越えることもこれからは必要ですよねというお話もしました。今思うと、この部分は分量オーバーだったかなと思いますが、思考スキルの鍛錬が大事ということをお話しする中で取り上げた関西大学初等部の取り組みに関心を持った先生もいたので、まあ、無駄ではなかったなと思います。

 そしてかなり未来にぶっ飛んだ話で終わるのも忍びなかったので、日常から取り組めることを三点示した感じで締めました。

 途中う、簡単な実践事例の写真を見せて、ご紹介した知見がこんな形で関係しますよとお話したり、質疑応答の時に届いたばかりのフューチャースクール推進事業のDVD映像を見せたりして、まあ、テープレコーダー的な講演もしました。そちらの方が会場の関心度も高かったので、あらやっぱりという感じでしたが… ^_^;

 直前まで講演内容づくりにこだわるのは結構だけど、やっぱり盛りだくさん過ぎたし、ぶっ飛んだ話も多かったので、講演直後は会場「ポカ~ン」状態。またやっちゃったかなと直後は凹むのですが、それでも雑多な話の中からフィードバックを返してくださる方もいて、それほど酷いこともないかなとちょっと自分を慰めるという感じです。

 その後、私を呼んでくださった先生のメールには「よい研修会になったと思います」と書かれていたので、刺激にはなったのかなと思います。まあ、たまには変わり種もよしということで。^_^

 講演音声を自分で録音したつもりだったのですが、押したはずの録音ボタンの直後に停止ボタンに触れてしまったらしく、残念ながら録音ならず。まあ、残すほどの講演はしていないので、また次回の新作に向けて精進をしましょう。

 というわけで、講演を終えて、次はその足で岡山を目指したのでした。