田原「デジタル教育批判」本を斜め読みして

 デジタル教科書に関心のある人々の間で話題になっていた田原総一朗さんの『緊急提言!デジタル教育は日本を滅ぼす』(ポプラ社/1400円+税)を読みました。
 近所の本屋さんに売っていたのは意外でした。ハードカバーであることも含めて,やはり田原総一朗さんの影響力は大きいのだなと感じました。
 多少駆け足で目を通す感じの斜め読みをした感想としては,「デジタル教育」というキーワードに触れつつも,基本的には田原総一朗さんの教育論をまとめた本だと分かりました。
 筆者自身の提案なのか,企画した出版社の提案なのかは定かではありませんが,もともと田原さんの教育論が支柱にあって,そこに昨今の教育の情報化やデジタル云々も絡ませようとした結果であることは明白です。
 そのことを理解して読むと,この本を「デジタル教育批判」として受け止めて,その部分の記述を細かく反論することに意味がないことは分かります。
 細かい反論を試みる行為自体が,何かしら正解を出さねばならぬという意識から出発しているのではないか。
 確かに,困ったイメージ(デジタルやその技術の活用が教育に害があるかのようなイメージ)の流布を放っておくわけにはいかないと考えている人も多いので,そのためのパフォーマンスは必要と思いますが,それと合わせて,この田原本の位置づけをできるだけ背景を踏まえて明確にする努力も必要です。
 

 ここ数ヶ月,田原さんがメディアに登場する際,教育の問題について語る機会が多くなっていました。おそらく,この本を執筆していた時期だったのではないかと思います。
 そして,戦争と戦争に負けた以降とで,学校の教師の言うことが変わってしまい,価値観が180度変わったエピソード(76頁前後)を語ることが多かったのです。こうしたことからも田原さんの言動は,この原体験に強い影響を受けていると思われます。
 こうした原体験を持った人から,戦後の教育行政や教育改革,あるいはマスコミにおける教育言説や現代社会における人々の行動様式を見たとき,目に見えない形ではびこる「無責任」体制が日本を滅ぼしつつあると考えるのは理解できなくはありません。(その無責任さをデジタルで象徴させようとした意図がチラッと見えますが,残念ながら失敗していると思います。)
 
 なぜ人々は,自らの範疇を超えてでも物事の懐疑に正面向かって対峙しようとせず,(定型的な落とし所で)完結してしまいがちなのか。
 「教育」でも「政治」でも「事業」でも「デジタル教科書」でも,どんな事柄においても,その範疇を超えたところに関係し得る重要問題があるやも知れないのに,それを掘り起こそうとしないのはなぜなのか。
 今回の場合は「デジタル教育」なる言葉で新しい教育の可能性が語られているけれども,それが結局は旧態依然の定型的な教育行政(あるいは政治・官僚手法)で進められていく変わらなさになぜ誰も疑問を呈さないのか。
 
 田原さんの問題意識は,こうした事柄に重心があると私は理解します。
 

 「♪だって〜,しようがな〜いじゃない」と思うかどうかは立場にも拠るでしょう。国の仕組みが変わっていない以上,現実を動かすには旧来手法を援用しなければならない事情もあります。
 
 ただ,田原さんがその可能性を認めているように,ネットの在るこの時代においては,新しいコミュニケーションの可能性も生み出し得るはずです。
 「そのことを真剣に取り組むつもりがあるなら,やってみろ!」
 この本は,長い年月,日本という国を見続けてきたジャーナリスト田原総一朗さんからの激励なのでしょう。そのためには,積み残している様々な課題に真正面から取り組むことが大事なのだとアドバイスが添えられている…そう受け止めておくことが大事なのかなと思います。
 そう理解するためには,かなり行間を補って読む必要がある点は,玉に瑕なのですが,それは緊急出版させた出版社にも責任がありますね。ポプラ社さん,もっと丁寧にね。

教育の情報化ビジョン(骨子)の無反省性

 8月も終わりが見えてきました。まだまだ暑い日が続くようで,秋の気配に無頓着でいると,あっという間に冬に突入してしまいそうです。
 2010年8月26日付けで,「教育の情報化ビジョン(骨子)」が文部科学省より公表されました。これまで8回開かれた「学校教育の情報化に関する懇談会」や熟議カケアイなどの議論を踏まえて「取りまとめ」られたものです。
 来年度予算の概算要求直前のこの時期に出されたということからも,このビジョン骨子に基づく予算項目が盛り込まれることがわかります。
 まずは骨子の章立てを見てみることにしましょう。それと合わせて「ビジョン(骨子)のポイント」を比べてみると,疑問点が浮かんでくるかも知れません。

第一章 21 世紀にふさわしい学びと学校の創造
 1.21世紀を生きる子どもたちに求められる力
 2.教育の情報化が果たす役割
第二章 情報活用能力の育成
第三章 学びの場における情報通信技術の活用
 1.デジタル教科書・教材
 2.情報端末・デジタル機器・ネットワーク環境等
第四章 特別支援教育における情報通信技術の活用
第五章 校務の情報化の在り方
第六章 教員への支援の在り方
 1.教員の役割と情報通信技術の活用指導力養成
 2.教員のサポート体制の在り方
第七章 教育の情報化の着実な推進に向けて
 

 骨子本文の章立てと骨子ポイントの構造図は,基本的に対応関係にありますが,力点の置き方に(レイアウト制約の結果かどうかは,この場合置くとして)多少曖昧さを残しています。要するに「骨子」にも関わらず,優先順位が不明瞭なのです。
 まず,ビジョンが「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」を育むことをトップ目標に掲げていることは分かります。
 以下,この目標のために必要なことが,演繹的に(場合によっては帰納的に)指摘されたり,整理されたりしていきます。

 トップ目標「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」のために,次に必要と考えられたのは「(21世紀にふさわしい学びの創造と)教育の情報化が果たす役割」であるとされます。
 実のところ,この部分がビジョン策定の根拠を提供する要であり,人々を最も納得させなくてはならない部分でもあります。
 「なぜ教育の情報化なのか?」「必要であるとすれば何から順に手を付けていくべきなのか?」その説明にどのような論理を用いているのか,手の内を見せて納得させなくてはなりません。
 ビジョンでは,骨子のポイントが整理しているように,トップ目標「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」とは,「知識基盤社会」「グローバル化」の世の中で生きていくための能力のことであり,「わが国の競争力や子どもたちの学力の低下」といった現状に対応しなければならないという捉え方です。
 そして,教育の情報化がそこで役割を担えるとした上で、
「情報活用能力の育成」
「教科指導における情報通信技術の活用」
「校務の情報化」
という三本柱と,それに付け加えて
「特別支援教育における情報通信技術の活用」と
「教員の支援」
が必要だと説明し,
「教育の情報化の着実な推進に向けて」必要な事項を最後にまとめています。

 しかし,この問題の捉え方と立て方は正しいのでしょうか。
 そもそも,この問題の捉え方はこのビジョン特有のものではありません。これまでの教育課程審議や学校教育に関わる議論にもたびたび垣間見られ繰り返されてきた問題の立て方です。そして,残念ながら問題の立て方に関して疑念を呈した議論がほとんど見受けられません。
 こう考えるのは,「教育の情報化ビジョン(骨子)」が,過去先行した取組みを踏まえて,今回はこう改善したという事柄を(含んでいたとしても)明示していないからです。
 目新しい事項が,21世紀に入ったことや他国が先取りした新しい事例,あるいは「デジタル教科書」や「教育クラウド」の可能性では,焼き直しビジョンと言われても文句は返せない。

 私は,ビジョンにおける問題の捉え方を反省的に表現すべきだと思います。
 つまり,旧来の学校教育が子どもたちの能力発揮の足かせとなっている現実について,もっと自覚的に捉えた上で,子どもたちの「知識」と「グローバル活動」を支える基盤としての学校教育を創造する〈ビジョン〉を描く必要があると考えます。
 そうした〈ビジョン〉を描く中に,足かせを解除する重要な手段として「教育の情報化」が主軸として位置付くのだと説明すべきです。

 「21世紀を生きる子どもたちに求められる力」を育むことの「足かせの解除」という捉え方で整理すると,先ほどの
「情報活用能力の育成」
「教科指導における情報通信技術の活用」
「校務の情報化」
「特別支援教育における情報通信技術の活用」
「教員の支援」
「教育の情報化の着実な推進に向けて」
という項目群に対して,考え記述することも変わってくるのではないでしょうか。
 「これこれが可能になったので取り入れたり対応する」こと以前に,「これこれするのを難しくしていた条件や規制を緩和する」方が大事ではないのか。
 私が今回のビジョン骨子に対して「屋上屋を重ねたもの」と感じるのは,反省的な視点が大きく欠けているためです。
 年度内に出されるであろう正式な「教育の情報化ビジョン」では,こうした問題の立て方を脱構築した上で,まったく異なる形で組み上げる必要があると考えます。
 そのような極端な提案が受け入れられないのであれば,少なくとも全ての項目について過去への反省を踏まえた改善案や具体案を含めるべきです。
 (そうしたとき,この議論はもはや日本の公教育自体をどう組み立て直すかというものに変わってしまうことは明白ですが…)

 もっとも現実的には,「教育の情報化ビジョン」は,総務省,経産省との連携を前提とした現況において策定されるので,その作業は今まで以上に難しいことも理解できるところです。
 そのため文書として出てくるものに過大な期待を抱くことが所詮は無茶な話であることも了解すべきかも知れません。
 だとすれば,その策定にかかわる人々の議論が問題になるのですが,果たして,それが私たち国民に伝わり納得できる形で出てくることが無い以上,このビジョンはどこまでいっても国民にとって雲の上のものでしかないかも知れません。

教室向けiPadアプリの開発

 iPadの登場に触発された電子書籍やデジタル教科書の話題が盛り上がっています。私も関心を持っていますし,そうした取り組みに貢献したいとは思っています。
 もっとも私個人は,盛り上がっている場所に人が多くいる場合,周辺で待機し,いざという時に備えるという性分なので,表面的には引き下がっていたりします。
 iPadの教育利用に関しても,議論は追いつつ,周辺待機しながらモノをつくるかぁ…という感じです。
 というわけで,そのモノのお話。

 教室向けiPadアプリの第一弾を開発しています。
 やっと骨格が出来上がって,残るはアプリとしてのアレンジ作業。
 基本的には「写真表示アプリ」です。
 授業でもプレゼンでも,その場で表示したい写真や画像を見せられるようなツールを目指しています。もちろん外部ディスプレイ出力機能も付けます。
 ただ,単なる写真アプリはAppStoreの審査で承認されないと思いますので,「教室向け」を感じさせるアレンジが必要というわけです。
 9月18日の日本教育工学会で行われる「タッチデバイスの教育利用」ワークショップでご披露できるように準備中。というか,そこで使えるアプリを開発中という感じです。
 

 
 以前から,大画面があって,iPadがあったら,どう使おうかとずっと考えていたわけですが,iPadには外部ディスプレイ出力に大きな制限があって,結構使い難いのです。
 プレゼン用途にはKeynoteというアプリがあり,これはプレゼン再生時に外部出力します。また,外部出力機能の付いたWebブラウザも有料で販売されています。
 写真などを見せたければ,プレゼンにあらかじめ貼っておくか,Webブラウザで表示させる方法を使うことになりますが,どちらも事前準備や作業が面倒な感じ。
 その場主義の私のような人間には,臨機応変に写真が取り出せて,パッと表示させられた方が気楽なのですが,これに見合う無料アプリがない…。というわけで,つくっております。
 デジタル教科書の仕様もあれこれ想像したりしていますが,どちらかというと電子黒板やiPadなどが入っている教室で先生たちが使えるツールは何かを考えることの方が大事かなと思っています。
 りんラボは,大学の研究室なので,アプリ自体は無料で提供することになりますが,教育ソフトウェア企業と連携して文教市場を成熟させるお手伝いはできると思います。
 もっとも私の研究室,特殊事情で私一人しか居ないんですけどね…。

ワークショップ「タッチデバイスの教育利用」9/18

 今年も日本教育工学会が9月18日から20日まで愛知県・金城学院大学で開催されます。(第26回日本教育工学回大会)実家に近いので,私も参加する予定です。
 日本教育工学会大会には「ワークショップ」という枠が設けられており,せっかく多くの人間が集まっているのだから何か自由にやってみたら?という場を提供しています。
 たまたまテーマの募集があったので次のようなアイデアを投げました。
===
○ワークショップ名:
「タッチデバイスの教育利用 ~新しい技術やデバイスに注目と関心が集まる現象と実相を考える」
○ワークショップ概要:
 電子黒板やタブレットPC,iPad等スレート型端末といった「タッチデバイス」に注目が集まり,教育利用と研究への取組みにも強い関心が寄せられています。タッチデバイスは,情報端末を敬遠していた人々の関心を強く引き寄せ,特に指で直接操作する方法などは,幼児から高齢者まで幅広い層に対して操作のしやすさをアピールしているようです。
 その魅力的な可能性から,一部ではデジタル教科書教材など教育現場への導入の動きも活発化していますが,新しい技術やデバイスを採用したり,研究の対象としたりする際の課題や問題点が十分認識・共有されないまま事態が進行しがちです。こうした新しい研究対象の立ち上がりについて,進行中の事態を借りて話し合ってみたいと思います。
===
 こういう企画に興味があるが,同様な企画がないならやってみてよいか?とメールで送ったら,先日「ワーショップテーマの採択」という返事をもらいました。
 というわけで,本年3月に開催した「iのある教育と学習」の姉妹企画が学会大会という場を借りて実現する運びとなりました。

 2010年9月18日(土)18:00〜19:30が予定されています。タイトな時間で遠大なテーマを扱おうという無茶ぶりは3月のまま。
 タッチデバイスの教育利用と銘打ちながら,企画案は技術普及に学術研究はどう貢献しているのか,していないのかという,敵をつくること必至な(^_^;内容ですが,率直なところを語るところから出発しようよというのが私の主義なので,ざっくばらんに語り合って楽しみたいと思います。
 ところで,上の企画案と実際のワークショップの内容計画は必ずしも同じではなく,これからあれこれ考えます。可能であれば,今回も私は黒子または司会の役目で場を見守りたいので,関連するテーマを語りたいという参加者を募ります。
 とにかく,また改めて情報発信してみようと思います。

教育ITソリューションEXPOにて

 先日の東京出張で教育ITソリューションEXPOを視察した。その帰路で書いていた駄文を載せます。

 連日続いた催事の視察も終わった。教育ITソリューションEXPOが、東京国際ブックフェアと同時開催もされた訳だが、初回としてはなかなか盛況だったのではないかと思う。
 ただ、展示会を多く手がけるプロ集団の仕事としては当然の成果だろうし、途中雨は降ったが、基本的には天候にも恵まれた。
 まずは今回の成果を噛み締めてもらいつつ、次回以降、更なる企画の充実にチャレンジしてもらえることを期待したい。

 運営側の皆さんの見解は様々なようだけれども、東京国際ブックフェアとの同時開催はとても評価出来る。なぜなら、学校・教育関係者以外の来場者にも教育の情報化に関係する具体的な機器やソリューションを見て体験してもらう機会となるからだ。
 これまでの情報化議論は、情報化に疎い教育関係者と文教市場を狙う企業関係者が登場するのみで、肝心の国民にはどこか他所ごとでしかなかった。だからいざという時にはわかりやすい「新しい機器が導入されます」とか、「必要経費として幾らかかります」という話に何度も引き戻されてしまうのである。
 しかし、私たち関係者は、誰もが教育環境の進化を望んでいる。そして、新しいツールやソリューションを用いて、どんな教育が可能になるのか、その議論を深めていきたいと考えている。
 どうやら、それは出展側にいた企業関係者も同じ思いのようらしことがわかった。今回の展示会場で再会した現場の先生が、講師依頼を受けてセミナーを開かれたのだが、出席者の多くを占めた企業関係者の真剣さが印象的だったと教えてくれた。しかも、技術的可能性よりも教育的にどう考えるべきかという話に強い関心を抱いたようだとも教えてくれた。
 そこに一般の人々も関心を持ってもらい、より風通しのよい教育の情報化、未来の教育に関するビジョンの共有が実現することで、この国の教育がITの方面でも充実することが望まれる。

 私自身は,教育ITソリューションEXPOという新しい教育の情報化関連行事が始まったことを素朴に喜びたいと思っている。
 そうした出来事を広く伝えることが大事だと思い,多少ハメを外しているところもあるが,会場からネット中継なども試みた。残念ながら通信状況の問題もあって快適な動画を届けることはできなかったが,アーカイブされているのでご興味があれば是非ご覧いただきたい。
 教育ITソリューションEXPO Twitcasting アーカイブ