次期学習指導要領案に「学びの地図」という言葉は入らなかったものの,そのイメージは大事にした方がよいと書きました。
ただ,答申に書かれた「学びの地図」の扱い方は実に男臭い感じがします。
かなり前にベストセラーとなった本に『話を聞かない男、地図が読めない女』というものがありましたが,その本の図式を借りれば、答申における「学びの地図」提案は,目標達成を重視する男性的な観点から地図を扱おうとしているようにも読めます。
しかし、学校や社会に目を向けると,実際の性別と結びつくわけではありませんが,男性的な捉え方をする人と女性的な捉え方をする人の両方が混在しているわけですから,「学びの地図」に対する捉え方にも幅を持たせる必要があります。
では,ここでいう男性的な捉え方ではないもの(一方の女性的な捉え方)とは何だと考えたらよいのでしょうか。
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私事ですが,学生時代は書店アルバイトを続けていました。若かったので力仕事もある返品作業やら入荷した雑誌の並べのような仕事に関わりました。
その書店は女性社員の方が多かったので、休憩室には新聞以外にもファッション雑誌がずらっと並び,私も扱っている商品の勉強がてら眺めていたという経験があります。
ファッション雑誌には,手持ちのファッション・アイテムをどう着回せばよいのかを指南する「30日間ファッション・コーディネート」のような記事がよくあります。
その日の目的や気分に合わせてアイテムを選択して組み合わせるというのはファッションの一つの難しさであり楽しみでもあるわけです。ファッション雑誌は,そうしたアイテムチョイスとコーディネートの例をずらっとカレンダーのように見せているわけです。
私が書きたいことはもう察しがついていると思いますが,こうしたファッション雑誌流の捉え・考え方を「学びの地図」にも適用できないかというわけです。
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教育・学習内容の項目にコード番号が付されて,あたかも音楽のプレイリストのように自分に合った学習リストを作れるようになるということを前回書きました。
この「自分に合った学習リスト」を,まるで自分の部屋の本棚を埋めるように考えるのであれば,それがここで言うところの答申的な「学びの地図」の捉え方ということになります。
しかし「自分に合った学習リスト」とは,自分が身につけるファッションのコーディネートであると考えたとき,そこにはファッション雑誌的な「学びの地図」の捉え方もあるのではないか。
そうすると私たちに足りないものがあるとすれば,学びの「ファッション雑誌」かも知れないし,「モデルさん」なのかも知れないし,「スタイリストさん」なのかも知れない。
子どもたちの学びを見通す力が何なのかを考えるにあたっては,そういう新しい要素の可能性も合わせて考える必要があるのかも知れません。
さて,先生はどんな存在になれるのでしょうか。全員がカリスマ美容師にはなるとは思いませんが,次はそういうことを考えてみたいと思います。