電通大附属図書館の古本市にて

2018年1月25日から27日まで,東京にある電気通信大学の附属図書館が,除籍図書を売却するための古本市を開催しました(古本市告知Webページ)。

「すべて1冊100円」という破格の値段で古本資料が買えるというニュースに小躍りして,ちょうど東京出張が重なっていたので,出発を早めて古本市に駆けつけることにしました。

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電通大の附属図書館の除籍本ですから,当然ながら理工学系の英語文献が多いわけですが,一般図書や図鑑・年鑑などもある程度出ていました。ほとんどは電通大生か院生の人たちで,量子力学や理論物理学の英語文献を当り前のように眺めて漁っています。

私の求めているものは,それとは違うレベルの図書ですが,どうもネットで販売する目的のせどりの人たちも居たようで,気を抜くと目ぼしいものが奪われてしまう感じです。

3日間行なわれた古本市の各日で陳列するジャンルが異なっているらしく,在庫は随時追加されるシステム。私は2日目に訪れて,『図解 コンピュータ百科事典』(1986)とか『総合コンピュータ辞典』(1994)とか,『パソコン通信ハンドブック』(1986)など,当時のパソコン事情を垣間見ることのできる図書を中心に購入しました。

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80年代の百科事典は,図版が多く,技術水準はいまと比べると未熟ですが,逆に基本的な仕組みを丁寧に解説することに力が入ることになるので,この分野の基本知識を独学するのに大変便利な図書になっています。現在,こうした要望を満たす図書を探すのは難しいのではないでしょうか。その代替が事実上Wikipediaになっているのでしょう。そう考えるとWikipediaへの寄付をもっと真剣に考える必要があるのかも知れません。

また『視聴覚教育研集ハンドブック』(1973)なんかを見ると,このときの視聴覚教育研修に対する熱と,いまの情報活用教育研修に対する熱とでかなり開きがあるなぁと感じたりします。

初日から参戦して通い続けたら,もっといろいろ手に入ったような気がしないでもないですが,それでも興味深いものをいくつか手にすることができ,早めの出発の甲斐もありました。

後記 – 『NEW』誌と時代を振り返る座談会01

2018年1月21日に「『NEW』誌と時代を振り返る – 座談会01」を行ないました。

これは,かつて1985年から2007年まで23年間刊行され続けていた教育向けパソコン活用情報誌である『NEW 教育とマイコン』(1995年4月より『NEW 教育とコンピュータ』と改称,以下『NEW』)と当時を振り返ることから,現在と未来を考える手がかりを得てみようとする試みです。

連続企画として考えていて,全体の初回となる今回は,創刊当時の編集長と副編集長,そして主要執筆者である方々にお集まりいただき,座談会形式としました。少人数での語らいから雑誌と刊行されていた時代を思い出していこうという意図でした。また,座談会の様子はネット配信するとともに,録画をして皆さんもアクセスできるようにしています(座談会01のWebページ)。

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大雑把な感想を先に書いてしまうと,やはり当時と現在で時代背景が大きく違うということを感じました。様々なことが,当時の経済状況や文化意識・時代認識に依存していて,たとえば,同様なことを具現化することは今日だと不可能に近かったりします。

そうした時代に依存した出来事を振り返ることにどれだけの意味があるのか,一般の皆さんには意義のようなものを見出せない取り組みかも知れません。私自身,気持ちが揺らいでしまう部分がないわけではありません。しかし,現在や未来を把握することは,過去に何があったかを知ることから始める必要があります。いまは,そのための記憶や記録の断片を集め留めておく作業が圧倒的に足りないのです。

必ずしも統制された方法で資料を収集管理できているわけではないのですが,とにかく残せるものを収拾確保して残していこうとしています。ご関心ある方は「教育と情報の歴史研究」ページにご注目いただければと思います。

『NEW』誌の創刊は,初代編集長である貞本勉さんとご同僚方の尽力によってなされました。ある意味では,「貞本勉」という人物の軌跡を追うことが『NEW』誌の始まりを追うことになります。

今回の座談会によって,

  • 貞本氏は学習研究社入社前は中学・高等学校で教員をしていた経験がある。
  • 学習研究社への入社は,新たな教育システムの開発に従事するためだった。
  • 当時は,スキナーの「プログラム学習」理論が注目され,そうしたシステムの開発だった。
  • その後,「アナライザー」の開発にも取り組んだ。
  • 教育システムに対する評価が芳しくなくなったこともあり,教育書編集の担当へと変わる。
  • やがてパソコン教育利用の情報誌の刊行の企画が持ち上がる。
  • 既刊雑誌『学習コンピュータ』上の教育情報コーナーとして雑誌創刊の準備が始まる。
  • 『学習コンピュータ』誌が,『合格情報処理』誌と『NEW 教育とマイコン』誌に分化する。
  • 「NEW」という名前は「新しい教育の波」(New Education Waves)に由来する。
  • 創刊時「教育とマイコン」を雑誌名に選択する際,実は「パソコン」など他候補もあった。
  • 創刊前に,パソコン教育利用研究会全国一覧を作成し,各地の研究会の協力を仰いだ。

など,当時の貞本さんの奔走ぶりが見えてきました。

こうした貞本さんのパソコン教育利用情報誌づくりを技術的な側面で支えて来られたのは清水永正さんです。当時は,百科事典編集や情報技術者試験向けの雑誌の編集に携わっており,『マイコンライフ』というパソコン技術情報誌の編集をされていた頃に新しい雑誌をつくる仲間として貞本さんと合流されました。

その後,副編集長として『NEW』誌の刊行を支え,貞本さんが編集長から編集人へと代わられるのを機に『NEW』誌編集長に。その後,編集人へと立場を変えながらも,『NEW』誌の前半期に長く関わられてきました。姉妹雑誌『FD教材データ』や『教材CD-ROM』など,様々な展開にも清水さんは尽力されてきたのです。

また,雑誌の企画指導協力者の1人として岡田俊一先生,そして当時小学校の先生の立場として雑誌に記事を寄せていた原克彦先生も座談会に加わっていただき,当時の様子を教えていただきました。それについても機会をあらためてご紹介したいと思います。

貞本さんが語ったエピソードの一つ,当時開発された新しい教育システムの「アナライザ」にまつわる話がありました。

これは児童生徒に選択ボタンを持たせることで,5肢までの選択質問の回答を集計できるシステムです。これを児童生徒の理解度把握に利用することで,回答に応じた支援に繋げることができるというものです。特に,「その他」という選択肢を選んだ児童生徒に向けてどう対応していくかがとても重要であると貞本さんは語っています。

うまく活用することでよりよい学習支援に繋がり,アナライザーの利用がより進むと考えられがちですが,実際には,うまくいかなかったそうです。

なぜならば,子供たちの現状が把握できるということは,翻って,先生達にとって自分の授業の善し悪しが見えてくることでもあり,出てきた集計結果が自分の授業の未熟さを指し示しても,うまく対応できないまま次から次へと時間が流れていってしまうことで,直に先生達が嫌になって使わなくなってしまうことが起きたといいます。

学習状況の把握や学習履歴の蓄積を学習や支援に建設的に生かすというモチーフは,ビッグデータやAI,アダプティブ・ラーニングなどといった言葉が登場してはいますが,今日の教育とICT界隈でも生き続けています。

最新技術のおかげで,データ解析結果に応じた適切な対応や支援を有効的に提供できるようになっている部分もありますが,とはいえ,先生達にとってはデータ解析結果をどのように活用すればいいのか,そうしたデータに接する際のメンタルな部分について,どう対応しどう処理するのかという十分な蓄積があるわけではありません。直に先生達が嫌になってしまうという,かつてと同じことが起こらないという保証はないのです。

今回の座談会でお聞きした話から,こうした,現在や未来の取り組みで考えなければならないことのヒント等を見つけ出せるとよいなと思います。ただ,そのためにもまだまだ掘り起こしが必要な段階だと思います。

次回の企画は未定ですが,引き続き,座談会企画やバックナンバー記事をたどる企画など考えて実現していきます。

映画「Hidden Figures」から知るコンピュータの歴史

日本では「ドリーム」という邦題で上映された映画「Hidden Figures」がデジタル配信を始めたので,見逃していた私は購入して観賞しました(Wired)。

原題「Hidden Figures」は,二重,三重の意味がかかったネーミングのため,邦題を「ドリーム」とあやふやにするのは致し方ないのですが,コンピュータやプログラミングに関わる人ならば,歴史を知るきっかけとして見るべき映画と思えるので,邦題の弱さはちょっと残念な気もします。

いくらかの脚色がなされているとはいえ,史実をもとにした映画です。

1960年代初頭のコンピュータの受け入れられ方が描かれていて,当時は「計算手」とよばれる人々が計算業務を行なっていたこと,それを機械にやらせようと大型機器が導入されるのだけれども,機械計算の結果を人間が検算していたということ等がわかります。

もちろん,映画が描くのは,計算手のほとんどが女性であったという事実,そして物語の核は黒人女性グループの活躍です。彼女たち計算係のことを英語で「computer(コンピュータ)」と呼んでいたこと。NASAが導入したIBMコンピュータのプログラミングにおいても女性たちが先駆的活躍をしていたこと。

コンピュータの歴史という角度に限っても,実に興味深く見ることができます。もちろん人文社会的には人種差別や女性解放運動などの時代的な社会問題を振り返り考えるきっかけにもなります。

教育と情報の歴史を取り組み始めてから,まずは日本の学校教育の情報化の歴史を一通り掴まえようと文献資料などを集め続けています。

しかし,学校でのプログラミング体験・教育の話題が盛り上がる中で,そもそもコンピュータやプログラミングとは何なのかを紐解きたくなる機会も増えたこともあって,あらためてコンピュータの歴史を学び始めています。

それから先日は『Programmed Inequality』という本を知りました。副題は「How Britain Discarded Women Technologists and Lost Its Edge in Computing」(いかにして英国が女性技術者を見捨てて,コンピューティングの最前線でなくなったか)という大変興味深いフレーズ。実際のところ,映画が描いていたように米国でも女性技術者が活躍していたという事実がどこかに葬り去られたことは,私たちの無知が示している通りです。

(20211208追記:すでに休刊している日本のコンピュータ科学雑誌「bit」が電子復刻され,Amazonから個人購入できるようになりました。創刊号[1969年3月号]を開くと,巻頭写真ページは「現代の横顔:ある女性アナリスト」でした。あくまでもプロフェッショナルとして純粋にその人個人を取り上げた企画ですが,業界のジェンダーバランスを気にするようになった現代から振り返って見てみると,なんだか新鮮に映ります。)

コンピュータの歴史そのものを知るには『コンピュータって』が一般書として最も手に入りやすく,読みやすいと思います。ただ,この本に書いてあることを味わうには,やはり類書やコンピュータのしくみ入門書を平行して読むのがよさそうです。パソコンブーム時代を知っている人ならば『パーソナルコンピュータ博物史』もいい入口かも知れません。

これから,情報教育がもっと学校教育に浸透するようになれば,単にコンピュータを利活用するというだけでなく,その歴史を知る必要性が増します。教育に携わる人間ならば,その分野の問いに備えるために,なおのこと学ぶ必要性があります。

日本もコンピュータの歴史には大きな影響を与え,また与えられ続けてきたわけですから,この国に住んで引き受けようとする者として,そういう歴史についても学ぶ機会を持つことは意義のあることではないかと思います。

たとえば,日本のことを書いた本としては『コンピュータが計算機と呼ばれた時代』や『計算機屋かく戦えり』などがあります。

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とはいえ,手を広げ過ぎてしまうと大変なことになるので,私自身は,日本における教育と情報の歴史を追いかけることを軸にしようかと思っています。先日は,かつて刊行されていた雑誌『NEW 教育とマイコン』(学習研究社)の創刊について,当時の編集や執筆の方々にお集まりいただき座談会「NEW』誌と時代を振り返る」を開いたりしました。

30年前の日本のことを追いかけつつも,映画「Hidden Figures」の原作本『ドリーム』も読んでみようかなと思っている今日この頃です。

前提変化をどう広めるか

昨年(2017年)9月からNHKスペシャルで「人体神秘の巨大ネットワーク」というシリーズが放映されています。この年末年始に再放送もあり、私もあらためて録画したところです。

NHKの「人体」という番組名を聞くと、教育と情報界隈の人々の中であるものを思い出す人たちがいます。それは、1997年に発売されたマルチメディア教材の「マルチメディア人体」です。

新シリーズのプロローグ回でも紹介されていましたが、28年前にも同種のテーマ「驚異の小宇宙 人体」という番組が放映されていました。その当時の番組で製作されたCG映像素材などを利用して開発された教材が「マルチメディア人体」で、様々な賞もとり、マルチメディア教材の歴史を振り返る時に取り上げられたりします(参考資料:「デジタル教材の系譜・学びを支えるテクノロジー2回「人と森林」「マルチメディア人体」」/東京大学BEAT)。

1994年頃は「マルチメディア元年」と称されたことや、Windows95もリリースされ、当時CD-ROMで様々なインタラクティブコンテンツが登場しては話題になっていました。教育向けのものは「エデュテイメントソフト」なんて呼ばわり方もされていました。

現在はネット配信時代ですから、NHKの番組サイト「人体神秘の巨大ネットワーク」にアクセスすれば、様々なコンテンツを閲覧することができます。

それでも、マルチメディア教材について振り返ってみる、よい機会ではないかと思います。

それで、話はNHKスペシャルの新シリーズ。

28年も経過して新たなシリーズが製作されれば、当然のことながら28年間に分かってきた最新情報をもとに番組内容が構成されます。

今回の目玉は、28年前に考えられてきた「脳が他の臓器や細胞を一極制御する」という人体の仕組みイメージが、研究の成果で「あらゆる臓器や細胞が対等に情報をやりとりする巨大ネットワーク」という人体の仕組みイメージに置き換わったこと。

こうしたパラダイムシフトで分かった新たな人体イメージを伝えるのがこの番組の内容です。

しかし、研究の成果とはいえ、28年前に放映したり、マルチメディア教材にまでした内容の前提が、こんなにガラッと変わってしまったわけで、素朴に考えると大変なことです。

当時は決して間違っていたわけではないけれど、今にしてみれば十分でないと分かったという前提変化。

番組は28年前の進行役であるタモリさんを再起用して、同じ人が最新知識を学ぶという演出で、これを馴染ませていこうとしているわけですが、さて、人体イメージが世間的にも「巨大ネットワーク」へと変わるのは、どんな閾値の超え方をした時だろうかと、ちょっと思いを巡らしてしまいます。

というのも、学校教育の文脈でも、19,20世紀的な「伝達的知識習得」イメージに固執しない21世紀的な「協働的知識創造」イメージの浸透が求められているわけで、なんだか人体の仕組みと似ているような似ていない様なという気になったからです。

先生という専門職の人々でさえ、そのイメージを理解したり、馴染んだりするのに苦労していることを考えると、前提変化をどう広めるのかという点で、今回のNHKスペシャルの受け止められ方が気になるところです。

謹賀新年2018

あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。
りん研究室は蔵書の見える化作業をしながら、資料の本格的な整理に取り組んでいます。新しい年は、そうした資料を少しでも外へ出せる形に変えていく作業を進めたいです。

本年も、教育と情報の歴史研究と教育ICTの最新動向といった、過去・現在・未来を見通す試みを続けていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

徳島文理大学 林向達