全国の学校に高速な校内ネットワークが整備され,児童生徒1人1台分の情報端末が整備されます。「GIGAスクール構想」と呼びます。
2019年末に「GIGAスクール構想」への予算確保が決まり,令和2年度中に小中高校の校内ネットワーク整備と,令和5年度までに学習端末を整備することが示されました。
ネットワークはインフラ
あらゆる学校に水道管や電気線が引かれているように,情報線も整備されて然るべき時代となりました。インターネットが社会的インフラであることは疑いようがなくなっています。
今回のGIAGスクール構想の1つは,全国の小中高校に今どきの校内ネットワークを整備する事業です。通信速度が遅いネットワークも,今回を機会に工事し直すことが求められています。下図の整備率が100%になることが目標です。
今回の整備事業の対象ではありませんが,インターネット接続率の現状は以下の状況です。学校が必ずしも高速ネットワーク接続されているわけではない場所であることが如実に表れています。
一般住民としては,災害等の緊急時に主要な避難場所となる学校の情報インフラがこの状況というのは,(そもそも避難場所の空間としての貧弱さも含めて)非常に不安を感じるものです。
学校のネットワーク整備がもしもの時の住民サービス基盤でもあることを理解して,必要であれば自治体の首長や議員に向けて,整備への賛意を表明していただければと思います。
情報端末は学びの文房具
日本の学校教育にコンピュータが入り始めたのは,1960年代終わりから。
最初は,集団自動教育装置と呼ばれた「KAMECOM-1」が,香川大学附属中学校に実験導入されたのが記録で確認できます。つまり50年も前から学校にコンピュータを導入する試みが始まっています。
国が教育用コンピュータに補助を出し始めたのが1985年度なので,そこから数えれば35年ほど経過しましたが,残念ながら学校のコンピュータ整備も,地域格差の象徴となりました。
世界的電機メーカーを有していた日本がこの整備率であるのは(日本に住んで裏事情を知る私たちはともかく)世界の人たちからすると摩訶不思議な事態です。
35年かけてダメだったことを年末年始に急ごしらえして,このあと3〜4年かけて実現できるのかどうか。正直,どうなるか分かりません。ダメに決まっていると言う人が多いんじゃないかとも思います。
何を言うのかは自由ですが,事業自体は進みますので,政府はもちろん自治体担当者の方々が困難を乗り越えながら対応していることも忘れないでおきたいものです。国の補助が受けられる機会をすべての自治体が活さなければ,地域格差の拡大が進むのですから。
応援したいと思う一般住民の皆さんは,教育委員会に直接コンタクトするのではなく,むしろ,首長や議員,もしくは財務部局へのプレッシャーなどが効果的かと思います。
“学校で用意する”から”家庭で用意する”へ
国の補助は恒久的なものではありません。
“巨大玉転がし”にたとえるなら,転がりにくい初動の押しを国が助けるもので,転がり始めれば,あとは各自治体や家庭で押し続けて欲しいというものです。
最終的には”文具”として情報端末を家庭で用意することが目指されています。Webブラウザから授業や学習で利用するサービスにアクセスできる性能が確保されたものを自前で用意することが理想です。
しかし,そうなるためには,学校や先生達が自分たちの学校教育をそれに対応できるよう作り替える猶予と支援が必要となります。
端末を学校で用意することを続けられるなら,端末に制限を加えて使用頻度を落とせば何とかなります。
しかし,端末を家庭で用意して持参してもらうようになると,端末に制限をかけることは難しくなりますし,使用頻度を落とせば文句を言われることになりかねません。
学校関係者が懸念を感じないわけがありません。願わくは,携帯電話と同様に学校への持ち込みを禁止してくれた方が良いと考える人が多くなるのも,不思議はないように思います。
35年間の失敗は,こうした懸念や禁止意向に対して,納得させるまでの十分な対応が出来てこなかった上,拠り所とすべき理論的根拠の提供も行き渡らなかったことだと思います。
グローバルとイノベーションを必要とできるか
今回のGIGAスクールのGIGAは,Global and Innovation Gateway for Allの頭文字です。
学校にグローバルとイノベーションというキーワードを持ち込もうとする試みであり,今回の事業は,そのための条件整備となります。
新たに持ち込まれる考え方に対して「重要性」や「有効性」を感じられるのか,先生方はどのような「感情」をもつのか,それらを踏まえて,そもそも新しい考え方に取り組む「意欲」が生まれるのかを丁寧に解きほぐさなければなりません。
率直に言えば,平均的な学校の様子を思い浮かべると,グローバルもイノベーションも縁遠いものであり,「重要性」「有効性」を当事者として感じ取ることは難しいのではないかと思います。
そうなれば,新しい考え方を押し付けられる状況に直面した際に,好意的な「感情」を持つはずもなく,そうなければグローバルやイノベーションに対して「意欲」的に取り組むことはあり得ません。
その場合,往々にして私たちは,危機に瀕することを通して,物事の「重要性」や「有効性」を感じ,危機意識を「感情」として,何とかしなければならない「意欲」へと追い込まれて初めて動くことになります。
これが従来の日本的なやり方です。たぶん,ほとんどの人々が暗黙のうちに認めてきた段取りだと思います。
ただ,それが今後も幸せなやり方かどうかは議論が分かれます。前向きに取り組んだ方が,こんなにいいんだということを誰かが示す必要があると思います。
教師から学習者に戻れるか
学校は,教師と児童生徒が授業をする場所から,多様な学習者が集う場所へと変わることが求められています。
よく「学習者中心vs教師主導」という構図を持ち出すことがありますが,この「学習者中心」というのは,教師が学習者に戻ることで初めて意味を持ちます。
学校という場が,先輩学習者と後輩学習者を中心とした場所となれば,それは学習者中心の場所となるわけです。
教師から児童生徒への知識伝達というイメージも,学習者同士の知識共有と創造にイメージを変えていければよいですし,それが世界中をフィールドに展開すれば,あるいはグローバルとイノベーションという考え方が自然と入り込むのかも知れません。
意外かも知れませんが,平成29,30,31年改訂の学習指導要領は,そういうことも視野に入れたものでした。
もし先生達が学習者に戻るとなれば,それ相応の情報環境が必要になります。そのためのネットワークと情報端末も。
GIGAスクール構想は,学習者のための学習環境を確保するための条件整備です。そして,学習者とは,あらゆる人たちのことを指すといってもよいと思います。これは私たち一人ひとりのための取り組みなのです。