鈴木寛『「熟議」で日本の教育を変える』(小学館)が書店に並んでいます。サブタイトルは「現役文部科学副大臣の学校改革私論」とあります。
私たちにとっては「スズカン」という名を聞くと「コミュニティスクール」という連想が自然に出るくらい,2000年前後に起こったコミュニティスクールの議論において金子郁容氏とともに活発に動かれていました。
アメリカのチャータースクールも注目を集めていたときでしたから,それと基本的には同じ考えであるコミュニティスクールにも注目が集まったわけですが,違いは何なのか,教育バウチャーとの絡みはどうなのか,そもそも現行制度との整合性はどうするのかといった疑問も飛び交い,話題としては一歩下がったところに落ち着くようになりました。
結局,アメリカのチャータースクールの事例について,成功したところと失敗したところの落差もあって,当初の手を上げた人達が学校を作っていくというコミュニティスクールのイメージから路線変更し,地域で学校を支えていくという形で各地に広がっていったように思います。
今回の新しい本でも,コミュニティスクールについて3段階あるとし,第1段階を「土曜学校,放課後」,第2段階を「学校支援地域本部」,そして第三段階を「本格的コミュニティスクール」と説明しています。
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鈴木副大臣は昔から一貫して,教育の工業化は終わりを迎えており,オーダーメイドの教育が必要であることを訴えており,そのための制度的な変革としてコミュニティスクールを唱え,そして学びの手法としてはコラボレーティブラーニング,つまり熟議のような方法で学ぶことを提案しているわけです。
これに絡めてデジタル技術についても,熟議カケアイの場を支えるものとして触れているだけでなく,学びのイノベーションを起こすために必要なものとして位置づけています。そのためのデジタル教科書・教材なのだというけです。
繰り返しになりますが,このような主張は,従来の義務教育システムの前提であった同一水準,同一内容の教育を提供するという考えに転換を迫っています。
統一的な到達目標を目指して指導を展開していた教育のあり方を,個人ごとの到達目標の設定を前提として指導を展開していくわけです。それだけ教員側に柔軟で高度な対応力が必要とされます。
だからこそ,本書でも教員自身のセルフラーニングの必要性が強調され,さらに教員養成と教師教育,教育大学院の重要性が記されているわけです。
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カリキュラム研究の分野からすると,この問題は「工学的アプローチ」と「羅生門的アプローチ」で有名な議論と重なり合います。
カリキュラム開発に関するこの2つのアプローチにおいて,教育目的の設定と教育方法,さらには教員養成に関する項目にまで違いが指摘されています。
特に羅生門的アプローチにおいては,教員養成の重要性が指摘され,教師の即興性が必要とされると掲げられていることからも,教員の資質の向上を何らかの形で支援していくことが必要なのは間違いありません。
私個人は,教員に対して,人的支援,金銭的支援,知的支援を行なう条件整備をなるべくはやく構築することが大事だと考えています。
人的とは,現在いる教員を支えてくれる秘書的な教育支援教員のような役職の制度的な確立を。金銭的とは,教員個人又は個別の学校に裁量権のある研究費の支給を。知的とは,教育実践や自己研修に必要な情報リソースの拡充を。
こうした制度的条件整備を行なうことで,教育産業的にもビジネスが成り立つ目処が立ち,また子ども達に掛かりきりになる教員を外部と結びつけるための窓口ができ,普段からコラボレーティブな人的環境で仕事ができるようになる可能性が開けると思います。
成熟社会における教育を実現する方法は様々あるとは思いますが,ますば教員がそのような社会にステップアップして参画できるように,デジタル技術などを駆使して,支えていく必要はありそうです。