「教育の情報化」という取組みがあります。
この言葉が広く使われ出したのは1999年における省庁連携のタスクフォース名として使用されてからだと記憶しています。それまでは「情報教育」といった言葉が主に用いられていました。
情報教育がコンピュータ教室の設置という発想で展開していた動きだとすれば、教育の情報化は普通教室におけるパソコン利用や校務の情報化といった学校教育全般にITあるいはICTを埋め込むという発想で展開していたと言えます。
もしもバージョン番号を振るなら、前者が情報化1.0で、後者は情報化2.0といったところでしょうか。
さてしかし、1.0も2.0も胸を張れるほどの普及を果たしたとは言えないようです。昨今では電子黒板導入といった情報化2.5くらいにあたる動きが進められているようですが、これも地方自治体によって温度差があり、日本の公立学校に共通して確実に備わっているものとは見なせません。
総務省が行なっているフューチャースクール推進事業は、名前から受ける印象とは違い、2.0範疇の情報化です。昨今のキーワードであるクラウドやタブレットPCなどをちりばめていますが、そこで実現しようとしているものは明らかに情報化2.0発想です。
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情報化1.0とは、情報機器の設備化のことでした。産業社会におけるOA機器の導入と期待のもと、職業教育の文脈に触発されて、主に高等学校のコンピュータ教室から設置が推進されていったわけです。学校設備にコンピュータが加えられていったわけです。
情報化2.0は、情報機器の備品化でした。やがて情報機器がパーソナルコンピュータという名称を得たり、ソフトウェアなどの充実によって活用範囲が広がり始めることにより、道具としての導入が進展していきます。
たとえばワープロとしての利用は広範囲に及びました。実態は教員の個人所有であることがほとんどであったわけですが、学校教育活動に不可欠であるという意味において備品であったといえます。
そして、私たちは今も情報化2.0の範疇にいるように思えます。
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教育に情報化3.0があるとすれば、それは何でしょうか。
1.0と2.0の流れからすれば、3.0は情報機器の個人所有化なのでしょうか。
たとえば、他の学用品と同様に一人ひとりの児童生徒が購入して所有し、必要に応じて学校での学びに活用するといった形のものでしょうか。
であれば、ケータイやスマートフォン、スレートデバイスなどのモバイル機器が極々ありふれた形で学校教育に入り込むことがイメージされるのでしょうか。
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おそらく情報機器という部分に照明を当てれば、情報化3.0においてもそのような風景が描かれるのかも知れません。
しかし、すでに私たちがクラウドやソーシャルメディアといったキーワードに触れて理解しているように、情報化3.0の主役は機器ではなく「情報」です。
情報機器がパーソナライズされることよりも、私たちが自分のパーソナライズされた情報を所有し、自分と自分の関係する人々が個々の権限において情報を操作できるという環境を実現することです。
よって、その意味において、情報化2.0のステージにあるすべてのものが再編成あるいは再構築されていくのが情報化3.0なのだと考えられます。
私は、カリキュラム研究者(の端くれ)なのですが、そのような立場からこのことを言い直せば、情報化3.0とは「カリキュラムの情報化」であるということです。
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この「カリキュラム」という言葉には、教育内容や教育課程という意味に留まらず、学習履歴や指導履歴など広義の概念を含ませており、むしろ私がカリキュラムの本質だと思っているのは後者の「履歴」に他なりません。
ですから、デジタル教科書というものが教科書を情報化したものだからとか、クラウドに保管されてネット経由で参照できるから、これは情報化3.0だとはなりません。それはせいぜい情報化2.5程度のことです。
そこに履歴の概念が折り込まれて、自在に管理操作できることが情報化3.0への道筋なのです。クラウド化はそのために必要な技術ではありますが、クラウド環境を導入したからといってそれが情報化3.0ではないのです。
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このことが学校教育にどのような影響を与えるかは、まだハッキリしていません。児童生徒の学習に絶大な効果を及ぼすのかも、確かめようがありません。
今のところはせいぜい、災害時に学習記録や校務情報がクラウドに保管されていると有り難いかもね、なんて話くらいしか訴求できそうなネタがありません。
ただ、恐らく私たちの社会生活は、ますますパーソナライズされた情報を背負う形で生きていかなくてはならない方向に進んでいるように思います。しかもその主戦場はネット、つまりはクラウドの世界。
善くも悪くも、日本という国は先行世代に優しい国なので、常に窓口には「紙と筆記具」が用意され続けるので、情報機器で直接管理する必要性を免れられる傾向にありますが、世界を相手にするとなるとそうも安心していられません。
私はこれも、どのような履歴をたどろうとするのかという意味における選択に他ならないと考えています。
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情報化3.0へのモチベーションには、情報化2.0のものに比して、より「思想」が求められているといえます。
しかし、他ならぬ教育自体が、この思想という部分において脆弱になっていることが、この問題を難しくしているのです。
そのかわりとして日本の教育を支えていたのは「制度」であったわけですが、ご存知の通り、制度ももはや疲労を起こしている。
その中で、私たちは個々人が哲学的な問いを経て、ある種の思想を形成していかなくてはならないと思うのですが、残念ながら、そのような思索が十分交わされているとはいえないのが現実のようです。