2011年9月17日から19日まで,首都大学東京にて日本教育工学会 第27回大会が行なわれましたので参加してきました。
教育の情報化関連のお仕事を追いかけていて,末端とはいえ国の事業である「フューチャースクール推進事業」と「学びのイノベーション事業」に関わる人間となった今,それに関して学会の場で報告することは当然のこと。
今回の学会大会では,事業1年目の報告を兼ねて,研究者としてどう関わるべきかについて投げ掛ける発表を行ないました。それについては発表スライドが別のエントリーに掲げてありますので,そちらを参照してください。
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今年は、とても良い会場と運営に恵まれた大会でした。
その部分に関する不満がほとんど意識に上らなかったのは珍しいことかもしれません。いや、珍しいかどうかさえも考えなかったくらいトラブルもなくスムーズに運営されていました。ですから、素晴らしかったのだと思います。
これは、これまでの大会運営から真摯に学び、実際の準備と運営に活かすことに専心したきた関係者の皆さんのおかげだと思います。
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一方、今年の学会の中身については、複雑な気持ちを抱く結果となりました。
特に、学会の取り組みを象徴するといってよいシンポジウム企画において、「この国の現在」と学術研究をどう交わらせるのかといった学会としての姿勢が読み取りづらかったことは、私の不満を大きくしてしまいました。
たとえばシンポジウム「デジタル教科書時代の新たな学びと指導方法」は、実にタイムリーなタイトルであり、文部科学省が学習者用デジタル教科書を開発して実験していることもあって、どのような示唆が得られるのか期待されていました。
しかし、一つ一つの発表は興味深かったものの、そこから示唆されたことは、小柳先生の発表にあったTPCK (Technological Pedagogical Content Knowledge) などから見通される教師の新たに必要となる知識技能を持つことの重要性や、柴田先生の発表が指摘するように授業のありようを「持ち帰り型」から「持ち寄り型」へと変革することの必要性が了解されたところに留まりました。
もちろん、ここから自分なりに読み取り、現在進行中の国家事業を検討する観点として適用することは可能かもしれませんが、むしろそこをシンポジウムの場で議論したり、一定程度の共通理解としてまとめていただきたかったと思うのでした。
一つ一つの商品をショーケースに持ち込んではみたものの、お客が見やすいようにショーケースの中をアレンジせずに終わった感じになっていると言えます。
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それよりも大きく不満を募らせたのは、2日目のシンポジウム「グローバルな時代において日本の教育工学は何ができるか」でした。
シンポジウムの事前紹介文には、こんなフレーズが含まれていました。
「日本の教育工学研究は,これまで以上にグローバルな教育のための研究を模索し,国際的に成果を発信し,国策をリードしなくてはならない.」
このような前提で「日本で教育工学を研究するということは…」を考えていく企画意図であったわけですが、気がつけば「日本教育工学会はどうあるべきか」といった課題も巻き込んで議論が進められようとしていました。
その混在が物事の理解を混乱させたように思います。
テーマに関する基本構図は次のようなことだと私は理解しています。
- グローバルな時代において教育工学研究者として生きる以上、海外フィールドで活躍することは大変重要である。
- 海外のフィールドで活躍するためには、様々なノウハウがあり、また心得なければならない姿勢や態度のようなものもある。
- また、日本人である以上、自国の教育について見識を持ち合わせなければならず、その立場から研究成果を発進して国際貢献すべきである。
- 日本教育工学会は、若手が海外フィールドへ進出することを奨励しており、積極的な支援策を講じる用意があるのでアイデアが欲しい。
ところが、このようなことに「日本の教育工学は何ができるか」というタイトルを被せて考えようとしたところでおかしなことが起こります。
「日本の教育工学」とは何かを考えたとき、解釈がバラバラになっていたのです。
それは日本人が生んだ教育工学研究の知見という意味なのでしょうか、それとも日本人(もしくは日本をフィールドとする)教育工学研究者のことでしょうか、あるいは日本教育工学会などの日本の研究学術集団のことなのでしょうか。
指定等論者は特に、日本の教育工学のことを日本教育工学会のこととして考えながら議論しようとしていたように思います。
私にしてみると、シンポジウムの混乱も不満の対象となりましたが、そこで展開するやり取りから透けて見えた無意識な「国際重視・国内軽視」の姿勢に愕然としました。
この調子では、いくら海外で活躍しても日本の文脈を捨てない限り世界から認められることはできなくなるのではないかという危惧を抱きました。
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もう一度、先に引用したシンポの紹介文を見てください。
私たちはまずグローバルな教育のための研究をして国際的に成果発信をしてから、その後に国策をリードすると書いてあります。この場合の国策はもしかしたら日本のことではないかもしれませんが、日本も含まれていると信じましょう。
どうも企画者側の通念としては、「国際→国内」という経路の方にプライオリティがあるようです。
そのうえで、登壇者の国際活躍のためのレクチャーを聞いていると、総じて次のようなことを前提しているように私には聞こえました。
「国内作法・流儀は通用しません。日本の文脈から抜け出て国際標準的な作法・流儀で研究を進めることが肝要です」と。
そこで議論すべきことがあるとすれば、「日本の文脈に寄り添う教育工学研究をグローバルな文脈に乗せるためにはどうしたら良いか」ということであったはずです。
しかし、残念ながら登壇者のほとんどは日本の文脈を離れることによって研究を進めてきた人たちばかり。おそらく、海外文献を年間300本読み、国際学術誌に投稿し続ける中で、日本の文脈をロジカルに発信することができるようになりますと言いたかったのかもしれませんが、必ずしもそう明言したわけではなかったので真意はわかりません。
それならそれで、海外で活躍したい人たちは、今回のレクチャーを参考にして羽ばたいていけばよいだけのことですから大した問題ではありません。日本の文脈を離れて研究に慢心し、その成果を日本に持ち帰ってくれるなら、それも立派な学術活動です。
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しかし、もう少し広い視野で考えたとき、日本の文脈を後回しにしているツケは早晩やって来るように思います。
そのように思ったのは、シンポジウムの議論が、日本教育工学会としてどうすべきかという議論にすり替わろうとしていたときでした。
学会のあり方を論じる場として適当であったかどうかは議論の余地があるかもしれませんが、そもそもシンポジウム企画は昨年の続きという位置づけも与えられており、主催者側には学会の今後を議論してもらうという願いが当初からあったことは事実です。それもあって、最後は学会はどうあるべきかみたいな話になりました。
ここで、例年なら私が手を上げて議論をふっかける展開も十分予想できましたが、私はTwitterを使ったバックチャネルの方で問題意識をツイートしており、それがどうも取り上げられる気配がないというところで、手を上げることも諦めました。
私の考えはこうでした。
- 国際的な活躍をすることは大事なことで、そのためには様々なリソースが必要になるから、大学機関や学会は多様な支援をすべきと思う。
- 日本人である以上、やがて他国の研究者から「あなたの国は教育にどう取り組んでいるのか」と問われる場面が必ず訪れる。
- 問いかけに対し、自国の教育の取り組み、自国の研究者たちはどのような取り組みをしているのかロジカルに説明できる準備があるのか。
- 日本教育工学会に限ってみれば、自国の現在進行中の国策や国家事業についてまとまった発信も取り組みも見つけることが難しい。
- このような国内を軽視した状態をそのままに、国際的な活躍の部分だけをクローズアップして論じることは、方輪走行のような不安定な状態ではないのか。
だから私は登壇者よりも口悪く、こうツイートしたのです。
「私にはよくわかんない。かつてNIMEのような組織が国から消えたこともスルー、教育の情報化ビジョンのことも触れず、国家的な事業に対するコミットも無し。そういうのが普通だとすれば、私にはよくわかんない。国際的な活躍をしようというのは異論無いけど…」(20110918のツイート)
まあ、こんな危ないツイートを紹介できるわけもないでしょうから、無視されて当然だったかもしれません。それに企画でやりたいことも別のことでしょう。だから私は、今回は学習の成果を活かして、手を上げませんでした。
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海外で活躍する若手研究者の皆さんにとっては有意義なレクチャー企画だったと思います。また、研究とは何かを考える材料を提示してくれたという意味でも興味深いものだったと思います。
私がたまたま国のお仕事に関わっているために、ネガティブに考えてしまったのだろうと思います。
とはいえ、日本の教育工学は、国策や国家事業について、何ができるのでしょう。日本教育工学会は、所属会員に学会として何か示唆を与えてくれないものでしょうか。私が間違ったことを言っているのなら諭してくれることはないのでしょうか。
一人でやっているわけではないはずなのに、私は一人で考え込んでいます。