80年代は,1977(昭和57)年の小中学校及び1978(昭和58)年の高等学校で改訂された学習指導要領で迎えることになった。一般的には「教育の人間化」のキャッチフレーズで知られている改訂である。
一つ前の改訂は「教育の現代化」を標榜し,教育内容における科学的な概念や見方などを強化するよう見直されたが、この試みは子ども達の現実を置き忘れてしまう結果となり大量の落ちこぼれを生んだとされる。
実際,70年代後半から80年代前半は,「校内暴力」といった問題が学校現場で頻発した。こうした世相を象徴するものとして,後にテレビドラマ化された小説「積み木くずし」(小説1982年,テレビドラマ1983年)は有名である。
また,いじめの問題も「いじめによる自殺」として社会問題化する一方で,次第に陰湿化していくことが問題視された。少年自殺そのものも多発が問題となり、1986年には人気アイドルの岡田有希子が飛び降り自殺をしたことに衝撃が走るとともに,自殺率にも影響を与えるなどした。
80年代の学校はこうした問題と隣り合わせにあり,「教育の人間化」を目指した学習指導要領に基づいて,ゆとりのある教育を展開しようとしたのだった。
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一方で、日本の社会は急激な経済成長を達成した後の余暇を過ごしていたともいえる。当時は日米摩擦という言葉にあるように,対米国貿易が好調な日本に対して,米国の貿易赤字が大きな問題となっていた。
1985年9月22日のプラザ合意を契機に円高不況が起こったものの、その後始まった「バブル経済期」には大量の資金が市場に押し出されていったことによって,経済的にも文化的にも物質的な豊かさの絶頂期を迎えた。
当時の子ども達や若者は,落ちこぼれや校内暴力,いじめといった暗い部分を一方で抱えながらも,上り調子にあった時代の空気を背に受けて、能天気にも過ごしていた。
当時人気だったゲームマシンのファミリーコンピュータ(ファミコン)は売りきれ店が続出。1985年にはファミコン向けソフト「スーパーマリオブラザーズ」が発売され爆発的にヒット,一時代を築き、現在もその伝説は続いている。
確かにおもちゃ屋やおもちゃ売り場はテレビゲーム機やゲームウェッチ等の小型ゲーム機にスポットライトが当たり始めていたが,プラモデルやラジコン,カードゲームやメンコ,コマなど、古き良きおもちゃについても品揃えは豊富で活気があった。近所のおもちゃ屋という業態がまだ成立しており、当時の子ども達のたまり場となっていた。
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世界的にも豊かな経済大国となり,消費を経由して国際的なものについても人々の意識が向き始める一方、きわめて好調な国内の景気に心奪われ続けるという一種の乖離が深まっていった80年代。
学校教育もまた時代の喧騒の中でたくさんの出来事や問題を抱えながら時を駆け抜けることになる。学校教育という場に対する神聖さも,次第に相対化されていく。
そうした事態への危機感も,当時の臨時教育審議会設置へと結びついたといえる。
“[1985][03] 学習指導要領と社会” への1件のフィードバック
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そういえば、ガンプラも1980年から始まっていますね。83年には作品中に出てきたモビルスーツをほとんどプラモ化したのでボツになったものをMSVとして発売したとか。 http://gigazine.net/news/20100419_bandai_hobby_center_1/