情報処理教育とプログラミング

日々流れてくるプログラミング教育に関する様々な言説を眺めながら,私は過去の史料を紐解いているところです。

1970年代あたりのものから取り掛かっていますが,ちょうど「情報処理教育」を高等学校で本格的に取り入れる頃の記事や論考が並びます。

そして,ご想像通り,使われている流行り言葉こそ違えど,今日論じられていることと,ほとんど変わらない。技術者需要への対応や,情報化社会を主体的に生きることができるように次の世代を育成しようという発想,先生の問題と設備の問題など。彼の国がコンピュータ・サイエンスに取り組んでいるといった諸外国への認識も,すでに当時からあったようです。

プログラミングといった専門技術にまつわる様々な立場による様々な解釈同士の衝突も,当時の座談会記事などを読んでいると,時代を問わず似たような形で再来しているのだなと分かります。

40年以上も前に出尽くしていた問題が,いまも変わらず課題というのは,積み残しをしたからなのか,新たに出てきた同形の問題なのか,これも見解はいろいろあるのでしょう。

小学校段階でのプログラミング体験の導入に注目が集まっている昨今ですが,中学校の技術・家庭科における「情報の技術」での扱われ方も,注目すべき箇所です。現行のあっさりとした記述に比べると,改訂ではより生活や社会との繋がりを意識するように文言が書き込まれています。

具体的には「生活や社会における問題を,ネットワークを利用した双方向性のあるコンテンツのプログラミングによって解決する活動」と「生活や社会における問題を,計測・制御のプログラミングによって解決する活動」を通して,各事項を身に付けるといった表記形式です。

現行では「プログラム」という言葉しか使用されていなかったものが,「プログラミング」に置き換わったあたりは,小学校段階から中学校段階,そして今後出てくる高等学校段階との間で用語を統一しようとする動きなのだろうと思いますし,深堀していくと面白く論じられそうです。

ただ,教えられる人を育てて配置できるかどうか。その問題の存在も昔から変わっていないようです。「プログラミング」としたことが吉と出るか凶と出るか。まだ先を見通すのは難しそうです。