2012年8月18日に青山学院大学・青山キャンパスで日本デジタル教科書学会の設立大会が開かれました。
その他にも東京への用事があったので,一般参加者として,いつものように「ふらっ」と寄る感じで参加してきました。
実際に参加してみれば,それぞれの発表やシンポジウムは面白かったし,賑やかな感じは出だしとして良いなと思いました。
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私自身は「デジタル教科書」という言葉が曖昧さを抱えていて,何かしらの合意もないところで,この語を冠した学会が出来ることに否定的というか,不安視をしています。
特に2009年末頃に発表された「原口ビジョン」に記され,年明けのiPad発表以降,「デジタル教科書」という言葉にまつわる様々な動きは目まぐるしく,私には狂騒曲のように思えてなりません。
この言葉の曖昧さと周辺の騒がしさを強調する場合に〈デジタル教科書〉という山括弧で括った表記にして区別しようと考えているくらいです。
本来「デジタル教科書」という言葉は,2009年末頃以前の動向も捉えて,議論を積み重ねなければならないと考えます。2009年末頃以降の騒動を捉えて,現象を追いかけるだけではいけないと考えます。
果たして,日本デジタル教科書学会は〈デジタル教科書〉を括弧無しのデジタル教科書という語にし得るのか,あるいは特別な語でなくすることが出来るのか。
単なるイベントではない,学会の大会ということもあって,気になり参加したところもありました。
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事前に抱いていた危惧のようなものは,参加してみて,もう少し学会の活動が積み重なってから判断してもよいかなという感想に変わりました。
確かに当日は,デジタル教科書というキーワードをとっかかりに大変雑多な人々が集まっており,デジタル教科書について共通認識があったとは言えない感じでした。
しかし,学会長がシンポジウムで語った「デジタル教科書・教材」の学問的ハブになるというコンセプトには合致するわけで,世代と研究領域を超えて知性を結集したいという考えのもと,デジタル教科書という言葉についても議論を通して明確にしていけるのではないかとも感じました。
学会に集まる様々な知見を織りなすにしても,もう少し時間は必要でしょう。
私自身は,その間も外部の立場から緊張感を持って議論に臨むことで,少しでもデジタル教科書という言葉の周辺を整理できたらと思います。
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さて,大会当日は様々な発表が平行していたため,残念ながら全ての発表を聞くことは叶いませんでしたが,上のような問題意識にもとで発表を選んで聞きました。
発表を聞き始めて気になったは,発表要旨がA4サイズ1〜2ページと決められており,引用・参考文献を記載できなかった発表があるということです。
願わくは,制限の中でも最低限の参考図書はリストアップすべきだと思いますし,逆に,デジタルなのだからページ数を1〜2ページにせず,6ページぐらいまで許してもよかったのではないかとも思います。
学問領域をまたがるということは,領域による発表方法や要領違いが出てしまいがちにもなるので,この辺の学会文化はこれから育んでいくのかなという感じです。
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研究者や大学院生による学術的な発表と,現場の教育者による実践の報告発表とは,おのずと性格が異なるので,違いをうまくバランス出来るといいかなとも思いました。
シンポジウムでも登壇者の赤堀先生が,研究も大事だが,実践をもっと集めるのが大事と指摘されていたように,様々な実践報告が積み上がるとよいと思います。
ただし,気をつけなければならないのは,教育実践もデータや客観的な視点を盛り込んで報告されなければならないということです。そうしないと単に「やりました」と受け止められて「あっそう」で終わらされることにもなりかねないからです。
だからといって実践報告は緻密なアンケートを取らなきゃいけないとか,学問的に難解な用語を使わなければならないとか,そういう話ではありません。
赤の他人に伝えるために「形式に則って整理して簡潔に漏れなく語ろう」ということを心がけることが大事ということです。その方法がアンケートの場合もあるでしょうし,学問の言葉かもしれませんし,児童生徒の様子かも知れませんし,いろいろです。
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一方で,学術研究発表の方は少しでも厳しくすべきと思います。
大学院生の皆さんの発表がいくつかありました。大学院生の皆さんは,こういう場を踏んで学会発表のやり方を学んだり,聴衆からの指摘や議論を通して発表内容について理解を深めるということがあります。
それだけに,学会発表の場がある程度厳しくないと,悪いやり方を学ばせたり,逆に学会がなめられたり,発表しっぱなしで学びがなかったりしてしまいます。
また〈デジタル教科書〉という曖昧さの中で議論をしようとしている分だけ,しっかりとした根拠にもとづいて発表や議論がなされなければなりません。
今回,いくつかの発表を聞いて,私は質問をしました。
一つは政策や言説に関する分析をしたという研究でした。私の関心事とも重なっていましたから期待もあったのかも知れません。どのように政策動向を捉えて,どのように言説を分析したのか,とても気になっていました。
しかし,私にとっては少しもの足りず,何よりも分析対象の選択が曖昧だったので,調べた範囲と分析対象の設定基準を質問したのです。
その返答は〈デジタル教科書〉という範疇にすっぽりはまり込んだものでした。
それも一つの切り取り方かも知れませんが,まあ,ガクッとしてしまったのはご想像の通りです。
もう一つは,デジタル教科書のための「学」を提案する発表。2009年末頃の「原口ビジョン」前後におけるデジタル教科書関連の文献数を示すことでその語が注目された変節点を押さえ,「教科書」と「デジタル」という語の整理から「デジタル教科書学」を提案するというものでした。
それぞれの整理はよいとして,そこから何故「デジタル教科書学」が必要なのか,繋がりがよく分かりませんでしたので,質問しました。
変節点以前から「デジタル教材・電子教材」関連の文献はそれなりにあったわけで,それらと「デジタル教科書」を分けて扱わなければならない理由(メリットやデメリットや具体例)などはあるのか聞きたかったわけです。
その場ではすぐに納得する返答は得られなかったため,課題の残る印象でした。
たぶん提案が早過ぎたのであろうし,それゆえ大ざっぱになったのだろうと思います。本当はもっと議論を重ねなければならないテーマでしょう。
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シンポジウムについて(後日)
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他いろいろな実践報告も興味深く聞くことになりました。それらは様々な学校段階や教科や取組みの次元があって面白かったです。
いろんな切り口があることは良いことだと思いましたが,これはこまめに整理したりまとめていかないと,学会としても収拾がつかなくなるかも知れないなぁと勝手に考えたりしていました。
それが可能性だといえば可能性ですし,こまめに整理し情報発信することが大事であることもその通りなので,今回の設立大会の成果を継続的に出力していただきたいなと思いました。
残念ながら全ての方々と挨拶したり労うことは出来ませんでしたが,学会や大会を実現するために努力されている皆さんがいらっしゃることもいろいろ見えていました。素朴に学会設立と大会の開催をお祝いするとともに今後の継続に期待したいと思います。
“20120818 日本デジタル教科書学会 設立記念大会” への1件のフィードバック
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私は私用があってUstreamとtwitterのつぶやきを見ていました。学会員ではないのでPDFのダウンロードもしていません。
日本デジタル教科書学会を取り巻くジャンルは非常に広いですね。
・電子出版の方法(規格はepub/HTML5に収れんされるでしょうか?)
・コンテンツ配布の方法
・コンテンツビューアのデバイス(宿題として持ち帰れる?)
・操作方法(たとえば電子黒板だけでも操作はいろいろだし)
・法整備(教科書なの? 一般図書なの?)
・権利処理
・コスト計算
・運用方法(イントラ利用/インターネット利用)
えいやっ、ですまないですね。でも待っていてはくれないわけです。これはかつて「パソコン教室整備」「学校へのインターネット導入」「校内LANの整備」でも同じことが起こったわけで、結局はうやむやで、なんとなくという感じのままです。
本当の意味の「生涯【教育】(公民館の「○○教室」のように老後の生きがい見つけではないという意味)」としてのICT活用と関連付けられた「生涯【学習】」のための手始めになってほしいなとおもったりします。
そういう意味で「学問的ハブになるというコンセプト」に期待しました。