体育の日で祝日。
ニコラス・G・カー『クラウド化する世界』(翔泳社)を覗く。
コンピュータネットワークにどっぷり浸かった日常を,もう一度,その始まりから考えたいと思って開いていた。
ちょうど10年前,2008年の著作。原題は”THE BIG SWITCH”(大転換)であり,様々なソフトウェアがネットを介したサービスとなっていく流れの幕開けを記録した本である。カー氏は『ITにお金を使うのは、もうおやめなさい』※(ランダムハウス講談社)や,『〜・バカ』という邦題を付けられてしまう著作をあれこれ書いている人だ。(※『もはやITに戦略的価値はない』という電子書籍になっている。)
気になった部分。
「技術と経済の相互作用が最も明らかに見ることができるのは,社会に不可欠な資源が提供される方法に変化が起きるという,ごくまれな機会である。」「その他の重要な多種多様な資源−−水,輸送,文字,政治組織など−−の供給が変化したことは,社会を形作る経済的取引をも変化させた。百年前に人類は,テクノロジーが人間の身体的能力を超える瞬間に到達したのである。そして今日,我々は同様に,テクノロジーが人間の知的能力を超える時を迎えている。」(27-28頁)
カー氏は,人々の技術進歩の受け入れを,経済の問題として語る。
私たちが電化について,電力インフラを構築した世の中を受け入れたのは,「経済的な力の帰結」と指摘する。これと同じ事が情報化についても起こっているとカー氏は述べているし,実際,私たちはそうやってインターネットに支えられた社会を受け入れている。
「クリックがもたらす結果が明らかになるまでには長い時間がかかるだろう。しかし,インターネット楽観主義者が抱きがちな希望的観測,すなわち「ウェブはより豊かな文化を創造し,人々の調和と相互理解を促進するだろう」という考えを懐疑的に扱わなければならないのは明らかだ。文化的不毛と社会的分裂もまた,等しくあり得る結果なのだ。」(199頁)
経済という観点から電化と情報化を類似的に見ることは容易であっても、文化的な観点から考えた時には,かなり異なる影響のしかたをする。その後に続くカー氏の一連の著作(『〜・バカ』)が,それを掘り下げてたものになっていることも興味深い。
結局,私たちは何をして生きたいのか。そういうベタな問いに戻ってしまった。