20181106_Tue

議論や対話の場を仕掛けるのは難しい。

特に東京にいる人たちがやろうとすると,私が皮肉めいて表現する「東京ローカル」な結果になりやすい。集うにはいい都市ではあるが,それが返って,集いやすい人たちの内輪事と映りやすくなる場所でもある。

教育劣位社会』(岩波書店2016)は,教育政策と教育世論の実相について意識調査結果をもとに議論を展開している。日本においては,医療や介護といった社会保障世論に比して,特に高等教育などの教育世論の優先順位が劣位にあるというのが調査結果の明示するところだという。

そうした教育世論に影響するものとは何か。

「優先して税金を投入すべき領域」等の意識を調査するにあたり,質問テーマに関する情報提供によってどれくらい意識変化に影響するかを分析したところ,ほとんど影響がなかったことが判明する。しかし,分析を進めると,テーマが自らに関係したり,リスクが及ぶことがわかると意見に変化がみられる場合もあったという。日本人の世論に影響を与えるものは「当事者性」ということになり,こうした特性が根強いようだ。

この一説を援用したとき,ここでいう「東京ローカル」な状況が,その外側の人々の当事者性を駆動できていない可能性は十分考えられ得る。場合によっては,冷めた目を増長しさえするのではないか。そうした難しさがあることも覚悟が必要だと思う。

教育に関する情報提供が世論の意見変化に影響しづらいという指摘は,議論や対話によって教育に関する情報への認知を高めることが大事だと考えている私のような人間にはショックな話である。

しかし,議論や対話を通して当事者性を喚起しながら巻き込むことには可能性が見えるわけで,そうしたことを実現するため丁寧にアレンジしていくことが大事なのだということは,経験的にも納得いくことである。

教育と歴史研究の資料整理に助っ人登場。

内定が決まって余裕のできた4年生でExcelの勉強がしたいという学生に,データ入力のアルバイトをお願いしたところ快く引き受けてくれた。「NEW教育とマイコン」誌の目次情報を電子化する作業が一歩前進。

頼み下手な私にしては珍しい出来事である。