専門ゼミナール。
『ライフロング・キンダーガーテン』を講読中。私のゼミの学生だからといって必ずしもコンピュータに詳しいわけではないため,Scratch等のテクノロジーやプログラミングの話への敷居は低くないものの,それぞれ頑張って担当部分をまとめてくれている。
先回,第2章「プロジェクト(Projects)」の発表者は,「考える玩具」ではなく「考えさせる玩具」を…という部分に関連してクリエイティブ・ラーニング・スパイラルが興味深いと語った。ただ,「流暢に表現できる能力」という節部分(92頁)がよく分からなかったというので,それをみんなで議論して読み解いてみた。
たぶん文献の該当部分がプログラミングやコーディングの例をベースに記述されていることが,難しさを生んでいたのかも知れない。たとえば「コーディングには基本技術と表現力の両方が必要だ」という記述やそれに続く文章を読むと,「流暢さ」が何を指し示したいのか分かるようにはなっているはずだが,たぶん先制パンチを受けて確信が持てなくなっているのだと思う。
ゼミ生それぞれの得意とする物事に置き換えて考えれば,流暢さに続く「思考力」「声」そして「アイデンティティ」についてもなんとなく見えてくる。そうしたものを発揮するにもプロジェクトは重要なのだと考えられる。
今回は第3章「情熱(Passion)」について読んだ。
いろいろ興味深いキーワードが登場する章なのだが,先回と同じように印象的なところはどこだったか聴くと,「低い床」「高い天井」そして「広い壁」という喩えがあがった(118頁)。それから,「ハードファン(Hard Fun)」について触れたところの,教師や出版社の多くは子どもたちが「物事が簡単であること」を望んでいると考えて学びをより簡単にしようとしている(128-129頁)…という部分も印象に残ったらしい。
「情熱」という日本語だと,どうしても燃え上がるほど熱狂している様を想像してしまいがちだけれども,今回の章を読んで,それぞれが思い入れのある事柄をや互いの様子を共有し合って,他人からすると凄いことなのにどうやら本人は知らないうちに苦もなく続けていたり,取り組んでいることもPassionにあたることが見えてきた。
Passionを意識すべきかどうかは,もしかしたら文化的なものもあって,日本だと自覚しない方がむしろよかったりするのではないかとも思える。もちろん,自覚するメタ認知を働かせて,よい方向に調整できればよいとも考えられるが,日本だと気恥ずかしさがたってしまう可能性もあって,素直なメタ認知が発動しなくなってしまうかも知れない。
議論はそこまでいかなかったけれども,深堀すると面白いのかも知れない。