専門ゼミナールでは文献講読。
『ライフロング・キンダーガーテン』の第4章「仲間」を読んだ。全体の中でも重要な部分で,空間デザインや学習コミュニティといったキーワードが出てくる。
グラフィカルなプログラミング環境として知られるScratchの誕生秘話というか,何を目指して開発されていたのかが読めるという意味でも本章は興味深い。
168頁で「多くの人はスクラッチをプログラミング言語だと考えています。もちろん,間違いではありません。しかし,スクラッチに取り組んでいる私たちは,それ以上のものだと見なしています。」と書いており,「若者がお互いに,創造し,共有し,学び合う,新しいタイプのオンライン学習コミュニティを創造することでした。」と書いていることはもっと広く知られるべき箇所だろう。他にもスクラッチの名前の由来なども書かれている。
学習コミュニティのオープン性について,たとえば他の人の作品をもとに何かを作るリミックスという仕組みに関して,従前の学校だとそれは不正行為と見なされていることではあるが,スクラッチのコミュニティではむしろリミックスされることは誇らしいことだと思える文化を醸成しようとしていることなども述べられている。
発表担当学生が一番気に入ったというのが「気遣いの文化」という節であった。
学生が印象に残ったとした部分は…あるスクラッチユーザー(スクラッチャー)の子が「スクラッチコミュニティの良いメンバーであるとはどういうことか」という質問に対して返した答えが「最も大切なことは,コメントで『意地悪に振る舞わないこと』」だった点(184頁)。
さらに,スクラッチのモデレーターがコメントやプロジェクトを削除しなければならないときに説明する内容として「スクラッチャーは,他のスクラッチャーが自分は歓迎されていないんだと感じさせない限り,自分の宗教的信念,意見,そして哲学を,自由に表現することができます」という部分(190頁)。この「歓迎されていないんだと感じさせない」という箇所が特に関心を引いたようだ。
またこの章では「教え方」について,良いメンターが「触媒」「コンサルタント」「媒介者」「コラボレーター」といった役割の間を行ったり来たりしていることが書かれていたり,仲間がいるだけでも十分ではなく,「専門家」を必要とする場合もあることなども指摘されている。
ここで論じられている学習コミュニティにおける気遣い文化を考えるとき,日本文化の角度から見るとまた違う課題もありそうな気もするが,その点についてはまた機会をみつけて考えてみたい。
残業はWindowsに泣かされる。
たまに使おうとするせいだとわかってはいるが,いざというときにまともに動いてくれないのが困る。