学校には、学校種というものがあります。
小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学、高等専門学校といった種類のことです。
教育段階として、初等教育、中等教育、高等教育といった呼び方もあります。また、義務教育段階といった定義もあります。
学校種によって、語られるべき内容は異なりますし、たとえば6年間を過ごす小学校であれば、子ども達の発達段階によって物事を考えなければなりません。少なくとも低学年、中学年、高学年といった区分があることを了解すべきです。
けれども、日本の教育問題に関する議論は、そういう種類や段階の別を忘れてしまいがちです。
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ICTを学校に導入する話題でよく質問されることの一つに「子ども達の使う端末はキーボードがあるべきやいなや」というものがあります。
まあ正直、質問が乱暴であるとツッコミたいところですが、それは素朴な疑問であるから仕方ないとして、答えは学習活動によって異なるとしか返しようがない。
小学校の低学年や中学年までなら、タブレットにペン入力させたり、音声入力させたりする使い方でも十分な学習活動が多いのではないかと考えます。
中学年から高学年になれば、そろそろキーボード入力そのものに焦点をあてて、中学校、高等学校におけるレポート課題などにも対処する術を身に付け始めることでしょう。そのときにキーボードが使えるオプションがあるとよいと思います。
直にiPad用の有線キーボードも登場するようですから、こういうものを適宜使い分ければよいと思います。(Logitech/Macally)
ただ、率直に言って、ソフトウェアキーボードを使って慣れてしまうと、それで長文入力も苦ではない場合も少なくありません。まして、子ども達が早くに使い慣れれてしまうとすれば、手書きがどうの、キーボードがどうの、ソフトウェアよりハードウェアだとかいう他人の議論に意味があるとも思えません。
それは鉛筆とシャープペンシルの善し悪しを比べようとすることの滑稽さにも似ていますし、機能性ボールペンや特製万年筆などにこだわる人がいるといった筆記具における多様な嗜好の現実を考えれば、せいぜい文具雑談の域と変わらない話なのです。
それでも手書きとキー入力はさすがに次元が違う話ですので、両方それぞれ、どのように使い分けながら身に付けていくのかは、学習カリキュラムとの組み合わせで考えていくことが必要になると思います。 結果的に、手書き派として生きていくのか、キーボード派として生きて行くのか(あるいは両刀遣いか)は、人生の選択として各人が選び取るだけの話です。デジタルの時代だからといって手書きのスピードや感覚を排してしまう理由は、どこにもないのです。
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話が逸れましたが、斯様に問題を議論する場合は、学校種や発達段階における現実を踏まえるなり慮りながら語られる方が自然なのですが、それを閑却して極端な断定をすることは、話は簡単になり分かりやすいですが、あまり役立つ議論とはいえません。
それだけでなく、私たちは語る立場によって暗黙に前提している学校種や発達段階が異なっており、往々にして前提の食い違いが起こっていることにも気をつけなければなりません。
「創造的な教育」を望むような意見は、一見するとすべての教育段階に共通したものに思えますが、現実的には各教育段階で偏重すべきものが異なりますから、総論賛成としても各論ではかなり異なる内容を積み上げなければならないことも珍しくありません。
このことを分かっている人たちも多いはずなのですが、意外と議論の中ではすっ飛ばされてしまいがちです。
さらに、教育段階を意識するという中でも、かなり手薄になっているのが中等教育段階の問題です。具体的には中学校と高等学校のことです。
それでも中学校の方は義務教育に属するためか、わりとまだ意識的に丁寧に語られることも多いのですが、高等学校になると実態が多様であることや大学入試という出口目標が存在するため、現実的なサポートも十分ではありませんが、議論としてもどうしても踏み込めない部分が大きくなっています。
さらに、先生達の存在の仕方も多種多様というか、最低限でも地域レベルで見つめないと、実相に届かないのではないかとさえ思えます。つまり、一緒くたに語るような議論が現実と乖離しているために、ますます問題把握を困難にしたり、あるいはまったく役に立たないままになっているのではないかと思われます。要するに、届いていない感覚です。
本来であれば、地方の教育委員会や議会、市民の目こそが各地の中等学校の現実を捉えてた上で励ましたり改善に寄与するはずですが、そこが機能していないのが現実といったところでしょうか。
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議論ばかりしていても仕様がないという考え方もあり、それも確かにそうですが、一方で、議論を伴わない実行だけというのも困りものです。
どんな場合にも、丁寧な目線で物事を見たいものですが、その際に、学校種や教育段階、発達や学習の実態についても忘れずにいたいなと思う次第です。