令和元年度を経て、令和2年度が始まります。
新型コロナウイルス感染拡大という事態は,昨年12月に中国・武漢の感染者発覚から表面化し、年明けから中国はもとより世界を襲い始めました。
1月31日にようやくWHOが「緊急事態宣言」を出し、日本では2月3日以降クルーズ船「ダイヤモンド・プリセンス」号での感染症対策活動に関する報道を通して,徐々に危機感が高まりました。
その後、2月27日に突如全国的な臨時休校要請が発表され,その他の社会的要請とも相まって,人々の社会的行動や経済的活動に甚大な影響を及ぼして今日に至っていることはご承知のことと思います。
3月2日から始まった臨時休校は,3月20日には要請の緩和方針が打ち出され,文部科学大臣は年度初めから従来通りの学校再開を目指してガイドライン等を準備するといった流れでした。
東京オリンピックの延期決定,そして東京都の感染確認人数の増加と感染爆発(オーバーシュート)による重大局面。国内における「緊急事態宣言」がなされるかどうかを巡って思惑や情報が錯綜しています。
厳し目の予測をして慎重な対応をすることが重要と考えていますが,事態の深刻さにもかかわらず,適切な情報や実感が掴みにくい現状に,正直なところ,何かを考えて語ることの難しさだけが押し寄せていました。
この間,教育とICTの世界に関して言えば,ネットワークとコミュニケーションサービスを利用した「オンライン学会」や「オンライン授業」といった取り組みに注目が集まり、さらに臨時休校中の家庭における学習を支援する様々なコンテンツやサービスの無償提供が注目されました。
オンラインで家から授業を受けるという未来予想図に押し込められていた取り組みが,全国一律の休校要請によって,すべての学校関係者にとって等しく大きな関心事になったというのは,これまで無かった一大事です。
全国の児童生徒1人1台の情報端末の整備をうたったGIGAスクール事業が決定した時でさえ,学校関係者の関心にほとんどのぼらなかったというのに,厄災である新型コロナによってデジタル教材やオンライン授業が関心事にのぼったのは皮肉という感じもします。
しかし,臨時休校緩和の方向が示され,地域の実情に即してとはいえ新年度から従前通り学校を再開するとなってから,盛り上がったオンラインへの関心も(大学を除いて)急速にしぼみつつあります。
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基本的に学校は「通常状態」(いつもと同じ)に戻りたがる組織です。
逆に言えば,いつもと違うことを嫌がりますし,何かが起った場合には「あの日にかえりたい」と常に思いをはせる場所でもあります。そうならないために,あらゆることを遮断もします。
ただ,それでカバーできない事態が起ると,学校レベルや教育委員会レベルでは思考停止をする他なく,国レベルの指導を求める傾向が極めて強いのです。
そういう制度的な仕組みにしてしまっているので,良いも悪いもないのですが,少なくとも,何かをより良く変えることが難しいことの一因ではあります。
新型コロナウイルスの感染拡大という緊急事態は、いろいろな側面から,こうした仕組みや体質,傾向などを明るみにする機会となっています。また,これからの学校教育では不測の事態に迅速的確に対応する能力の育成もねらいに込められていることを考えると,現況への対応一つ一つがすでに新たな学校教育の取り組みそのものなのだということも見えてきます。
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であるにもかかわらず,驚くほど何もできていない私たちや日本社会の現実について,やるせなさを感じます。
いろんなことでのチグハグさを目の当たりにして考え込んでしまうのです。
たぶん,理不尽な物事にも何かしらの事情や思惑があるのだろうと,違う立場での捉え方に想像を巡らせてみるのですが,限られた情報や知識のもとでは想像にも限界があります。
理屈で考えても納得できないことは幾らもあり,最終的には「今までがそうだから」が理由なのだろう…としか結論づけられないことも多いのです。
私個人は,これを機にいろんな見直しや変化が起ることを臨んでいる立場ですが,一方で、心のどこかで「あの日にかえりたい」と思ってしまう気持ちもどこかで理解できたりします。
感染症拡大は波のように何度も押し寄せて、次第に弱まっていく形で長期に付き合うことになるのだと思います。物事の変化も似たようなものなのかも知れません。一気に盛り上がれば,一気に下がるタイミングもある。それを繰り返しながら徐々に浸透するのかもしれません。
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令和2年度も引き続き徳島文理大学にて在職しています。新たな挑戦を模索しながら新年度も頑張っていきたいと思います。