書店に寄ると目移りするほど面白そうな本があるわけですが、今回あらためて知ってみたいなと思ったのがこの本でした。
褒めるだけでは子どものためにならないという見識は、だいぶ広まってきているように思います。あらためて、そのことについて分かりやすく説明する文章を読みたいなと思ったところで、島村さんの本を見つけました。
島村さんの本では、褒美や罰を使いながら子どもの行動をコントロールするような接し方を「条件付きの接し方」と呼び、愛情をエサにする接し方であるとも表現しています。
その具体例として紹介しているのは、子どもとしている毎晩の絵本読みの約束を、子どもがぐずったときに罰として取りやめてしまうようなケースです。こうすると親の思う通りに行動しないと愛情が引っ込められてしまうと子どもが思うようになるというわけです。
あまりネタバレしてしまうと申し訳ないので、最後にこうした条件付きの子育てをすることによるデメリットとして島村さんが書いていることだけ紹介させていただくと…
- 短期的にしか教育効果がない
- 条件付きの自己肯定感しかもてなくなる
- 親子関係が悪くなる
- 世代を超えて引き継がれる
とのこと。そして、この後は、子ども全体を見てあげられて、考え方や行動の理由を考えていくような「無条件子育て」について紹介が続いていきます。
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いろんな切り口があると思いますが、この話を読んで浮かんだのは、ベイトソンの「学習とコミュニケーションの階型論」でした。私たちは無意識のうちに子どもたちをダブルバインド状況に囲い込んでしまうのだなということ。そこから抜け出すためにも相手の思う通りに行動するよう追い込まれるのかなと思えます。
そのときにもう一つ思うのは、マルザーノのタキソノミーに付随する「行動のモデル」でした。
もしも親などの大人たちによる条件付きの接し方にさらされ続けたとしたら、本来は認知システムやメタ認知システムの積み上がりで自律システムによって新しい課題への行動の着手が決定されるはずであるところが、大人の意図や愛情をエサに行動が統制されることになるわけで、システムの重層性によって成り立っているモデルのあちこちに空洞が散見される状態を招いているかも知れない。そんなことさえ想像させます。
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この頃は当たり前のことばかり頭を巡ります。
結局、教育の問題は、子どもたちをとりまく大人たちの問題なのだということ。環境を構成する大人たちの在り方や受け止め方が強く影響するのだということ。しかも、意図せず後続世代に何かを押し付けてしまう可能性があること。
私たちは何を伝えてしまっているのか。
丁寧に見つめ直して考え直していかないと、まったく望まないメッセージを伝え続けている可能性さえあるのかも知れません。