教育の分割統治

いま次期(第4期)教育振興基本計画の準備が進んでいる。

教育振興基本計画部会(第11期~)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo17/index.html

第4期は2023〜2027(令和5〜9)年の5年間の教育振興基本計画となる。

ん?ちょっと待て。

そもそも「教育振興基本計画」とやらは,私たちに何をもたらしてくれるものなのだろうか。第4期を準備中と書いたが,第1期から第3期までさえ,実のところ理解して過してきたのか怪しい限りだ。

そんな勉強不足な私たちに「おまえが知らないだけだ」と言いたげな資料を国はたくさん用意している。

20220207 次期教育振興基本計画の策定について(諮問)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1415877_00003.htm

上記のWebページ「(諮問)【概要】」には,第4期の計画に盛り込んで欲しいことと,第1期から第3期までの概要がまとまっている。

第1期(2008〜2012)
基本的方針:今後10年間を通じて目指すべき教育の姿
方向性:
①社会全体で教育の向上に取り組む
②個性を尊重しつつ能力を伸ばし、個人として、社会の一員として生きる基盤を育てる
③教養と専門性を備えた知性豊かな人間を養成し、社会の発展を支える
④子どもたちの安全・安心を確保するとともに、質の高い教育環境を整備する
第2期(2013〜2017)
基本的方針:一人一人の「自立」した個人が多様な個性・能力を生かし、他者と「協働」しながら新たな価値を「創造」していくことができる「生涯学習社会」の構築
方向性:
①社会を生き抜く力の養成
②未来への飛躍を実現する人材の養成
③学びのセーフティーネットの構築
④絆づくりと活力あるコミュニティの形成
第3期(2018〜2022)
基本的方針:教育を通じて生涯にわたる一人一人の「可能性」と「チャンス」を最大化する
方向性:
①夢と志を持ち、可能性に挑戦するために必要となる力を育成する
②社会の持続的な発展を牽引するための多様な力を育成する
③生涯学び、活躍できる環境を整える
④誰もが社会の担い手となるための学びのセーフティネットを構築する
⑤教育政策推進のための基盤を整備する
第4期(2023〜2027)
主な諮問事項:
○オンライン教育を活用する観点など「デジタル」と「リアル」の最適な組合せ、及び、幼児教育・義務教育から高等学校、大学、高等専門学校、専門学校、大学院まで全体が連続性・一貫性を持ち、社会のニーズに応えるものとなる教育や学習の在り方
○学校内外において、生涯を通じて学び成長し、主体的に社会の形成に参画する中で、共生社会の実現を目指した学習を充実するための環境づくり
○多様な教育データをより有効な政策の評価・改善に活用するための方策

クラクラするには十分過ぎるが,国などが取り組む施策はすべてこれら基本計画を起点として組み立てられているから,期ごとの中身を入れ替えても通用するんじゃない?という素朴な疑問を発したくなったとしても,組み上げているジグソーパズルのピースが他とよく似ているからといって入れ替えできないのと同じで,教育振興基本計画に関わっている人達にとっては一つひとつが注意深く組み上げられた繊細な造形物ということになる。

そのことがよく分かるスライドがある。

「第3回教育振興基本計画部会事務局資料1」(3頁)より

2022年6月2日に開催された第3回中央教育審議会教育振興基本計画部会の配付資料のひとつである。

文字通りジグソーパズルのように組み上げられた様々な文書が,今日の教育政策を語るために必要なピースとして配されていることが分かる。これらも主なものに過ぎない。

これらをすべて見通して審議している人々がいる一方で,これらをほとんど知らない人々がいるというのがもう一方の現実である。自分の立ち位置に関係しそうなことだけ知っているというだけでも立派かも知れない。

そして,これらが第3期に関わるものであるから,当然のことながら審議中のものに加えて,新たに第4期に関わる関連ピースが山のように押し寄せることも容易に察しうる。

さて,ここまでのことさえ曖昧であるのに,ここから先に描かれていることはどれだけコンセンサスが得られているのだろうか。

ああ,いや,これは,本来,分割統治のもとで成り立っていたのであって,コンセンサスを得るものでなかったのではあるまいか。悪名高き行政の縦割りに理由があったとすれば,そもそもコンセンサスを得られないという現実の中で物事を処する行政の知恵だったのかも知れないと,そんな穿ちも蘇る。

もちろん関わっている人達は大真面目。ひとつひとつの仕事に対して茶化す余地はない。

とはいえ,8月31日の情景のように,後手に回してきた宿題を大風呂敷広げたまま必至に片付けようとしているかに見えるのは何故だろう。当の本人より,周りの人間の方が焦っている構図がそう見せるのか。

令和の学校教育がGIGAスクール構想とともに始まっているものの,その先にある学校教育のイメージが共有されているとは言い難い。諮問は2040年以降の社会を「望む未来を私たち自身で示し,作り上げていくことが求められる時代」として,ご自身でどうぞと委ねてくる。

けれど,デジタル技術がより導入されて変化がもたらされる「Society5.0」や,一人ひとりと社会全体の幸せを希求する「Well-being」を唱えられても,そこに自分自身を重ねられるようにイメージを描くのは難しい。

語られていることは,本当に私たちが望んでいるものなのか。あるいは望むべきものなのか。

そのことについて向き合ってくれる言説は届いていない。