20141024 京都市公立学校公開授業(JAET40)

 10月24日と25日に京都を会場とした全日本教育工学研究協議会(JAET40)が開催されているので参加しています。

 まずは京都市内の学校が協力してくださった公開授業から始まるので、予め申し込んだ学校へ。 私は平安神宮の北に位置する京都市立錦林小学校にお邪魔しました。

 こちらの学校にはiPadが配備され、グループに一台程度の活用を中心に授業が展開していました。使用しているアプリはロイロノートが主。カード編集の自由度が低い分、カードの並べ替えなどの作業にフォーカスしやすいのが特徴的なアプリです。

 授業は国語や理科における説明といった言語活動や、総合的な学習の時間のプレゼン作成過程が多く、そこにカードを組み合わせたスライド作成のためにiPadやロイロノートが使用されるといった形です。これまでならパソコンとパワーポイントが担っていた部分をiPadとロイロノートが代替したという感じでしょうか。

 ICT活用以上に印象的だったのは、先生方の授業段取りに統一性が形成されていて、授業の展開とめあてを最初に児童と一緒に確認するスタイルができていたことです。当たり前のことのように思えますが、この確認が形式的になってしまって、本当に児童が一緒に確認できているのか曖昧になっているところは多いのです。

 そして児童の学習規律がしっかり育まれていることもはっきり見えました。「規律」という言葉の響きは、先生の言うことを児童に守らせるといったニュアンスのせいか否定的に受け止められやすい面が大きいですが、「学習規律」はむしろ子供達自身の学習活動を保証するという点で、大変重要です。

 特に小学校段階で基本的な学習スタイルを習得しないと子供達自身がどうしてよいのか振る舞いに困ったままの状態になって、学ぶべき事柄を学べない不利益を被ることになりかねないのです。

 あとから情報交換会の場で京都市内の他校で授業参観した方々とお話すると、やはり「学習規律ができていた」と同じ印象を受けていましたから、京都市内の学校はこうした学習規律の大事さを理解している先生方が多いのだろうと思いました。

 実は、この前日に他府県の学校に訪問され授業を参観した方と話していたら、その学校は「学習規律があり過ぎて、自由度がなかった」という感想を聞いていました。確かに学習規律も度を過ぎれば管理教育に通ずる側面がなきにしもあらず、自由度が極端に少なく息が詰まりそうな授業は側から見ても魅力的ではありません。

 京都の小学校に関しては、息の詰まる印象のものではなかったですし、公開授業であったことを勘定に入れてみても、程よかったと思います。

 錦林小学校5年生の授業では、市内の他校とビデオチャットで繋ぎ、グループ単位で相手校のグループと互いのプレゼンを検討する作業をしていました。ロイロノートで作成したスライドをトンネル機能を使って他校に送信して確認し合っていました。

 遠隔の協同作業が可能なのも、学習規律がしっかりとしている上に検討作業の進行段取りをちゃんと擦り合わせていた成果の賜物だと思います。

 とはいえ、ノートパソコン上の小窓に淡い色で映る相手に向かって段取り通りに話しかけている姿は、なんだか管制塔での会話のようで少し不自由にも思えましたし、スライドもその度ごとに送信してやりとりしているのを見ると、リアルタイムコラボレーションには程遠い感じもします。

 逆に言えば、私たちがGoogleハングアウトなんかでHD品質で雑談しているような道具やインフラ基盤、クラウド対応アプリで同じデータをシェアして同時編集するような環境が、学校で使いやすいようにアレンジされていなかったり、いろんな理由で導入が難しいという現実があるということも理解しなければならないのだと思います。

 限られた条件の中で挑戦せざるを得ないという学校の現実は、それはそれで大事な努力として評価していくべきですが、「限られた条件」そのものを改善する努力もまた重要だなと思いました。