教育と情報の分野について通時的・共時的に素材を採取している日々です。小難しい言い方でしたが,要するに歴史を遡ったり,現在の様々なニュースを追いかけているというだけの話です。
教育と情報(技術)の交差点のような分野を指す言葉として「EdTech」があちこちで用いられています。Educational TechnologyあるいはEducation & Technologyを略した言葉ということになります。
格好よい言い方なので,どちらかというとネット技術を武器に教育の在り方を改革しようとする新興企業(スタートアップ企業)が自分たちの領域を指す場合に使われることが多いように思います。
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さて,日本にも教育分野を対象にWebやネットの技術を使って画期的なサービスを提供しようとしている企業が増えてきました。
一口に教育分野といっても,想定している場や学校種も違えば,働き掛けようとしている活動(学習を支援するとか,就活を支援するとか)も違って,様々です。
それでもEdTechという括りで盛り上がっていこうという機運があるようで,たとえば昨年からはEdTechフェスティバルといったものも開催されているようです。近日中に第2弾が開催されるとか。
どの会社もネット上で話題にされたり、注目されている会社です。こうした取り組みが何かを変えるきっかけになることを私も期待したいところです。
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ただ,いつも感じるのは,こうした催しに集まる人々のクラスターが,実際のところ学校教育制度を中心にまわっている日本の教育と距離があることです。
まぁ,日本の学校教育制度のガチガチぐあいは,今さら繰り返すまでもありません。そこに正面衝突しても,得られるものや変えられるものが少ないというのも事実であります。そこをずらして取り組まざるを得ないというのも不思議ではありません。
とはいえ,諸外国のEdTechの盛り上がり方と,日本のEdTechで盛り上がっている人たちの状況の違いは,ちょっとかわいそうに思います。もちろんそこにチャンスがアルトも言えるわけですけれど…。
教育工学の世界が研究として長く取り組んできても突き崩し得てない壁を,ある意味軽い調子で乗り越えてくれたなら,いいなとも思います。
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一方で,学校教育の方も,そろそろ下手に積み上げてきた考え方やルールを一度ご破算にして,いろいろ受け入れてみるのもよいのではないかと思います。フィルタリングにしろ、携帯電話のルールにしろ、そもそも教育方法に関わる教師のフリーハンドの無さにしろ、そろそろ解決すべき頃合いです。
国の方では教育委員会制度の方を先にぶっ壊そうとしていますが,願わくは教育委員会がいま持つ権限を有効に活用して事態を改善してくれると遠回りせずに済むと思うのですが,まあ,全部壊してすっきりしたい人が多いようで…。
破壊的イノベーションは,確かに新しいことするには効果的かも知れませんが,これまで培ってきたものを大事にするには,少々粗っぽいかなとも思います。
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FacebookからEdmodoへ
皆さんのネット・コミュニケーション・ツールの内訳は,どんな具合でしょうか。
私はパソコン通信を使い始めてから,電子掲示板やメール,ホームページ(Webサイト),ブログ,mixi,Twitter,Facebook…などなど,様々なツールを使っています。
使い続けているものもあれば,もう使っていないものもあります。いずれにしても,こうしたツールを使う時間がかなり多くを占めていることは確かです。
間違いなく「中毒」あるいは「依存」の域に達していると思います。
とはいえ,新しいツールの可能性を試してみたいという欲求もなかなか治まりませんので,どんどん依存度は高くなるばかり。
デジタル依存を脱することを意味するデジタル・デトックスという言葉があるくらいです。正直言えば,本気で考えないといけないでしょう。
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というわけで,この度,Facebookをやめて,Edmodoを使い始めることにしました。残念ながらFacebookほどにはオープンなツールではありませんが,教育SNSの可能性を探究してみたいと思ったので,お引っ越しします。
Facebookでやり取りをしていた皆様には,大変申し訳ありませんが,わたくし林向達はFacebook上で不在ですので,ご連絡の際にはメールかTwitterでお願いします。
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Edmodoについては,また機会を改めて書きたいと思います。
クローズドな授業や学級で使うことを想定している造りで,世界中の教育関係者に使われている急成長中のサービスです。
とはいえ,日本の文脈からすると,日本語表記ではないし,システム的にも使い難いところが残っていたりします。いろいろ試してフィードバックできればとも思います。
20130313 教育ICT活用実践発表会
3月13日に文部科学省で「教育ICT活用実践発表会」が行なわれました。
「教育の情報化」(教育情報化)について、日本の公官庁は様々な取組みをしているわけですが,この「様々」という言葉は「バラバラ」という意味も含んでおり,一般の皆さんが端から見ても全体像を把握するのは簡単ではありません。
文部科学省における取組みは「教育の情報化」と呼ばれていますが,これとて様々な事業や案件によって構成された複合体で,すべてが一本の筋状にあるわけではないのです。
それでも比較的大きな結び目はあったりするもので,今回の「教育ICT活用実践発表会」はその一つともいえるものです。
(ちなみに、その少し前に開催されたCEC「教育の情報化」推進フォーラムという催事も、この業界では毎年恒例の大きな結び目です。主催者が異なるわけです。)
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フューチャースクール推進事業に関わったことから、文部科学省でアルバイトをする機会を持っていたので、この発表会にも申し込んでみた次第です。
催事の名前が示すように,昨今の教育ICT活用の実践や事例を共有することが目的であり,基調講演や模擬授業、ポースターセッションからパネルディスカッションまで、一通りの企画が用意されていました。
私は一参加者の立場でしたが、これまたご縁が働いて、模擬授業の児童生徒役を依頼され、中学校の理科と小学校の国語に取り組む事になりました。そのときの様子はこちらのWeb記事をご覧ください。
iPadを使ってワークシートに書込み転送表示する授業(中学理科)と、紙のワークシートで取り組んだものをScanSnapでスキャニングして表示する授業(小学国語)の両方を体験しました。それぞれ20〜30分に圧縮した疑似授業でしたが,協働学習の場面を実際に聴衆の皆さんに見てもらう事が出来たようです。
(こういうのはマイクロティーチングならぬマイクロコラボレーションとか言うことになるのでしょうか。変な言葉作っても仕方ないですが…)
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基調講演は2つありましたが,まあ、安西祐一郎先生の「21世紀にふさわしい学びと学校の創造」はご本人の著書でも読めば済む話なので置いといて、東原義訓先生の「デジタル教科書で広がる新たな学び」では、現在検討が進行中の内容について紹介があり興味深かったです。
従来,「デジタル教科書」という言葉に関しては「教育の情報化ビジョン」という文書の中で定義されたものがありました。
しかし、「教育の情報化ビジョン」策定時の議論段階では、まだ技術的にも理論的にも不確定要素が多く,根拠を持って定義されたとはいえませんでした。むしろ、デジタル教科書として考えられ得るものを雑多に詰め込んだ内容でした。
これが、検討チームの作業によって、いろいろな整理がなされてきたことで、「学習者用デジタル教科書」についてより明確なイメージか描かれようとしています。
すでに来年度の予算として「デジタル教材等の標準化」という予算枠が挙げられている事からも分かるように、国際規格などの動向を踏まえた様々な事項の策定が考えられているようです。
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ポスターセッションでは「ICT教育活用好事例」からピックアップされた4つの実践事例が学校の先生から発表され,それぞれのグループにて質疑も行われました。
パネルディスカッションは、省庁大臣官房審議官、地方自治体の情報化推進室長、民間企業の教育研究所長、大学教員というメンバーが「新たな学びの実現に向けた学校・地域・企業・行政の連携について」というテーマで発表。無難なパネルディスカッションだったので「うまく連携できるといいね」という結論でした。まぁ文部科学相の講堂で開かれているパネルディスカッションですから、安全運転なのは当然ですね。
唯一、諸外国の取組みが長期スパンで行なわれているのは韓国のKERISのような産官学の結び目になる組織が存在するのだから,日本にもそのような組織を是非お願いしたいという意見が出た事は,もっと注目や賛同を集めてもよいと思いました。
新たな利権を生んだり、メーカーの多い日本では中立公平性が保てないのではないか、という懸念があるのかも知れませんが,その辺は知恵を出し合って解決する覚悟を持ちたいものです。
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というわけで、文部科学省の教育の情報化界隈では、一つの重要な催しだったわけなのですが、文部科学省のWebサイト「教育の情報化の推進」も「教育の情報化」も特に更新されず「報道発表」だけで伝えられるので、なかなか位置づけが見えてこない感じかも知れません。
この辺,もう少し解説する必要があるのかなと思っています。私自身も少し知り得た事を元に解説めいたものを書いてみているところです。
20130312 教育目標・内容・評価 在り方検討会
3月12日に文部科学省で「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」の第4回会合が行なわれました。
ちょうど翌日の催事のために東京出張があったので、よい機会と思い傍聴を申し込んで出席してきました。(当日配布資料)
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この検討会は、2020年頃の改訂を予定している学習指導要領のための準備として、文部科学省の初等中等教育局のもとで開催されるものです。
学校教育で教える内容が変わるということがニュースになるのは、学習指導要領がほぼ決まったことをマスコミが取り上げる頃に流れるため,一般の人々には「知らないうちに誰かが決めている…」と受け取られる事が多いかも知れません。
では、いつ議論して決めているのかといえば,今からです。
この検討会は、いろんな有識者を招いて、現状で考えなければならない事柄を報告してもらい、情報を集約し検討課題を整理する事を目標としています。
つまり、「教育目標・内容・評価」について、新しい学習指導要領での「在り方」を決めるのは、この検討会で出てきた課題に左右されるといっても過言ではありません。
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ところで、この検討会では、ICT関係はどの程度取り上げられているのでしょうか。
検討会はまだ始まったばかりですので、ICTに限らず、まだまだ多くの事柄について情報を収集している最中というのが現状です。次期学習指導要領がどのような方向性のものになるのかは、まだほとんど決まっていないと思います。
ただ、傍聴してみて改めて確認できたことは、検討会において「教育方法」の扱いにまだ議論を広げる事は慎重を期しているという事です。
学習指導要領は、教育目標と内容、および評価が中心となるもので、教育方法については規定をしていません。教育の目標と内容と評価に基準性を設ける事は、平等な学習機会確保のためにも必要な事ですが,教育の方法まで縛りつける事はむしろ避けるべきと考えられているからです。
そのため、「ICT活用」といった教え方に関する話は、この検討会ではほとんど関心を示されていません。
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では、「情報教育」や「情報活用能力の育成」といった事柄はどうでしょうか。これらは教育方法ではなく,教育目標・内容・評価に十分関わりがあるものです。
これについても真正面からの議論はまだ始まっていません。
ただし、第4回の検討会でも「スキル」という言葉に関して検討しなければならない事がクローズアップされたのではないかと思います。
報告の中では「21世紀型スキル」という言葉も登場し,これについて強調する意見も披露されましたが,その言葉自体よりもむしろ、この語中の「スキル」という言葉がこれまでの「技能」と同じものなのかどうなのかといった資質・能力観全体における位置関係に関心が集まりました。
育成すべき資質と能力を考えるにあたって,「知識」と「スキル(技能)」の2つが取り上げられるわけですが、この2つの関係は上下関係か並走関係か螺旋関係かといったこともコンセンサスが得られているわけではないため,何かしら語の定義についても議論すべきではないかという提起もありました。
そんなわけで、現代社会や将来社会において必要なスキルというものを明らかにする中で、ICTスキルようなものも吟味されていくのではないかと思われます。
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しかし、この検討会は初等中等教育局が主催するもので,その初中局といえば情報やICT関係は得意とは言えない面もあります。
召喚される報告者から適切で十分な情報提供がなされないと、こうした話題が教育内容としては捉えられず,教育方法(あるいは学習方法)としてあまり積極的な議論もされずに置かれてしまう懸念も残ります。
気をつけるべきは,何でもかんでも学習指導要領に盛り込めば良いというわけではないため,この検討会や議論の中で扱うべきかどうかの見極めについても、一歩引いた目線で動向を注視しなければならないという事です。
そのうえで、次代の学校教育に必要とされる教育目標・内容・評価について、私たち自身も考えていく事が大切です。
私教育と公教育とプログラミング教育
カリキュラム研究の恩師は「私教育」と「公教育」を区別なり整理して教育の物事を考えなければならないと考えている方です。私も基本的にその見方に同意します。
それを私立学校と公立学校の違いのことと受け止める人もいるかも知れませんが,そうではありません。たとえば義務教育段階というのは、日本国民が等しく受けることが権利として保証されていますが,このような教育を担うのは公立学校だけでなく,私立学校も担っているのはご存知の通りです。義務教育のような主に法令に従っている教育を「公教育」と考えます。
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未来の教育や学習はどうあるべきかを展望する試みが盛んです。
私自身も、新しいツールや豊富な教育リソースを前提とした多様な授業・学習の姿を想像することが多くなっています。
それは私教育の領域で目指すべき姿でしょうか,あるいは公教育の領域で目指すべき姿なのでしょうか。この単純な問いは、丁寧に考えるほど難しい問いになります。
私は公教育のもとで、新しいツールや教育リソースが豊かになることを期待している人間ですが,その場合に新しいツールの何をどこまで,教育リソースの何をどれくらい、といった線引きが明確にされていなければなりません。
公教育とは,そういう明確さの中に留め置かれているものだからです。
海外の国によって、「何を」は学校裁量となっているところもあるでしょうが,どんな国でも多かれ少なかれ公教育としての担保を何らかの形で押さえているはずです。
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社会の中で、私教育と公教育の線引きをどこに設定するのかが問われています。
日本の初等中等教育は、学習指導要領が教育内容を規定しています。これが公教育で扱うことの領域を表わしているわけです。これ以外のことは私教育となります。
逆にいえば,学習指導要領が規定しているのは、教育行政や政治に携わる人間がその先の私教育に立ち入ってはいけない限界線です。
私教育側から「あれも扱え」「これも扱え」とリクエストすることが流行っていますが,もしもその通りに公教育を拡大すると、私教育が自由にできる部分を減らすことにもなりかねません。
公教育の線引きをしている学習指導要領が改訂の際に見せる禁欲的な姿勢は,時の権力や時流によって不当に私教育を圧迫しないためでもあるのです。
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それでも線引きの線は、社会全体が変わっていく中で、その位置を変化させないわけにもいきません。その変化に追随するために学習指導要領は10年程度を単位として改訂が加えられるのです。
その場合にも,私教育と公教育の線引きは慎重に議論されなくてはなりません。
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教育の情報化には、「情報教育」「ICT活用」「校務の情報化」といった三大主題があります(情報モラルを独立して扱ったり、特別支援の場合を別立てで考えることもあるので、大ざっぱな捉えです)。
このうち教育内容に関わるのは「情報教育」であり、情報活用能力の育成はここのところずっと話題になっているテーマでもあります(ここでは情報モラルも含みます)。
この情報教育は、専門教育としての「情報処理教育」と隣接しています。情報処理教育はコンピュータ科学といった学問分野と密接な関係にありますが,すごく乱暴に言えば,プログラミング教育を思い浮かべるとよいと思います。
とはいえ、情報教育だってコンピュータ科学の知見のお世話になっているので,つまり線引きが難しいところの一つというわけです。
さて、情報教育を私教育と公教育の線引きから考えるとき,どのように扱うべきなのでしょうか。昨今は確かに情報通信技術が発達し,インターネットと無縁で社会生活することは困難です。しかし、ならばいったいどの程度までの範囲を公教育で扱うべきなのでしょうか。
さらに、情報教育と情報処理教育との曖昧な境界線において、プログラミング教育といったものをいくらかでも公教育として扱うべきなのでしょうか。
最近,元気の良い小中高校生たちの活躍がクローズアップされ,アプリ開発やプログラミング教育の面白さも注目されたりしています。こうした教育あるいは学習活動は、私教育のままではダメなのでしょうか。公教育というルールに従う世界に根付かせた方がよいのでしょうか。それとも間口を明けておけという単なる確認でよいのでしょうか。
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私も教育とテクノロジーのより良い関係を望む者のひとりですが,いざ公教育のあるべき姿を考えようとすると、手放し歓迎というわけにはいきません。
これは教育論としてよりも、国民あるいは市民として我が子をどう教育して欲しいかという政治的な主張の問題になります。
その場合,実現という目的への一番の近道は、住んでいる地域の自治体や議員・議会に働き掛けることです。国全体がそうあるべきということなら、国会議員への陳情や世論を束ねる政治活動をするか、あるいは強い影響力を伴った経済活動によって実現していく他ありません。そのような現実的な考え方ができるかどうか、この議論をする人間には問われていると思います。