20130313 教育ICT活用実践発表会

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 3月13日に文部科学省で「教育ICT活用実践発表会」が行なわれました。
 「教育の情報化」(教育情報化)について、日本の公官庁は様々な取組みをしているわけですが,この「様々」という言葉は「バラバラ」という意味も含んでおり,一般の皆さんが端から見ても全体像を把握するのは簡単ではありません。
 文部科学省における取組みは「教育の情報化」と呼ばれていますが,これとて様々な事業や案件によって構成された複合体で,すべてが一本の筋状にあるわけではないのです。
 それでも比較的大きな結び目はあったりするもので,今回の「教育ICT活用実践発表会」はその一つともいえるものです。
 (ちなみに、その少し前に開催されたCEC「教育の情報化」推進フォーラムという催事も、この業界では毎年恒例の大きな結び目です。主催者が異なるわけです。)

 フューチャースクール推進事業に関わったことから、文部科学省でアルバイトをする機会を持っていたので、この発表会にも申し込んでみた次第です。
 催事の名前が示すように,昨今の教育ICT活用の実践や事例を共有することが目的であり,基調講演や模擬授業、ポースターセッションからパネルディスカッションまで、一通りの企画が用意されていました。
 私は一参加者の立場でしたが、これまたご縁が働いて、模擬授業の児童生徒役を依頼され、中学校の理科と小学校の国語に取り組む事になりました。そのときの様子はこちらのWeb記事をご覧ください。
 iPadを使ってワークシートに書込み転送表示する授業(中学理科)と、紙のワークシートで取り組んだものをScanSnapでスキャニングして表示する授業(小学国語)の両方を体験しました。それぞれ20〜30分に圧縮した疑似授業でしたが,協働学習の場面を実際に聴衆の皆さんに見てもらう事が出来たようです。
 (こういうのはマイクロティーチングならぬマイクロコラボレーションとか言うことになるのでしょうか。変な言葉作っても仕方ないですが…)

 基調講演は2つありましたが,まあ、安西祐一郎先生の「21世紀にふさわしい学びと学校の創造」はご本人の著書でも読めば済む話なので置いといて、東原義訓先生の「デジタル教科書で広がる新たな学び」では、現在検討が進行中の内容について紹介があり興味深かったです。
 従来,「デジタル教科書」という言葉に関しては「教育の情報化ビジョン」という文書の中で定義されたものがありました。
 しかし、「教育の情報化ビジョン」策定時の議論段階では、まだ技術的にも理論的にも不確定要素が多く,根拠を持って定義されたとはいえませんでした。むしろ、デジタル教科書として考えられ得るものを雑多に詰め込んだ内容でした。
 これが、検討チームの作業によって、いろいろな整理がなされてきたことで、「学習者用デジタル教科書」についてより明確なイメージか描かれようとしています。
 すでに来年度の予算として「デジタル教材等の標準化」という予算枠が挙げられている事からも分かるように、国際規格などの動向を踏まえた様々な事項の策定が考えられているようです。

 ポスターセッションでは「ICT教育活用好事例」からピックアップされた4つの実践事例が学校の先生から発表され,それぞれのグループにて質疑も行われました。
 パネルディスカッションは、省庁大臣官房審議官、地方自治体の情報化推進室長、民間企業の教育研究所長、大学教員というメンバーが「新たな学びの実現に向けた学校・地域・企業・行政の連携について」というテーマで発表。無難なパネルディスカッションだったので「うまく連携できるといいね」という結論でした。まぁ文部科学相の講堂で開かれているパネルディスカッションですから、安全運転なのは当然ですね。
 唯一、諸外国の取組みが長期スパンで行なわれているのは韓国のKERISのような産官学の結び目になる組織が存在するのだから,日本にもそのような組織を是非お願いしたいという意見が出た事は,もっと注目や賛同を集めてもよいと思いました。
 新たな利権を生んだり、メーカーの多い日本では中立公平性が保てないのではないか、という懸念があるのかも知れませんが,その辺は知恵を出し合って解決する覚悟を持ちたいものです。

 というわけで、文部科学省の教育の情報化界隈では、一つの重要な催しだったわけなのですが、文部科学省のWebサイト「教育の情報化の推進」も「教育の情報化」も特に更新されず「報道発表」だけで伝えられるので、なかなか位置づけが見えてこない感じかも知れません。
 この辺,もう少し解説する必要があるのかなと思っています。私自身も少し知り得た事を元に解説めいたものを書いてみているところです。

20130312 教育目標・内容・評価 在り方検討会

 3月12日に文部科学省で「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」の第4回会合が行なわれました。
 ちょうど翌日の催事のために東京出張があったので、よい機会と思い傍聴を申し込んで出席してきました。(当日配布資料

 この検討会は、2020年頃の改訂を予定している学習指導要領のための準備として、文部科学省の初等中等教育局のもとで開催されるものです。
 学校教育で教える内容が変わるということがニュースになるのは、学習指導要領がほぼ決まったことをマスコミが取り上げる頃に流れるため,一般の人々には「知らないうちに誰かが決めている…」と受け取られる事が多いかも知れません。
 では、いつ議論して決めているのかといえば,今からです。
 この検討会は、いろんな有識者を招いて、現状で考えなければならない事柄を報告してもらい、情報を集約し検討課題を整理する事を目標としています。
 つまり、「教育目標・内容・評価」について、新しい学習指導要領での「在り方」を決めるのは、この検討会で出てきた課題に左右されるといっても過言ではありません。

 ところで、この検討会では、ICT関係はどの程度取り上げられているのでしょうか。
 検討会はまだ始まったばかりですので、ICTに限らず、まだまだ多くの事柄について情報を収集している最中というのが現状です。次期学習指導要領がどのような方向性のものになるのかは、まだほとんど決まっていないと思います。
 ただ、傍聴してみて改めて確認できたことは、検討会において「教育方法」の扱いにまだ議論を広げる事は慎重を期しているという事です。
 学習指導要領は、教育目標と内容、および評価が中心となるもので、教育方法については規定をしていません。教育の目標と内容と評価に基準性を設ける事は、平等な学習機会確保のためにも必要な事ですが,教育の方法まで縛りつける事はむしろ避けるべきと考えられているからです。
 そのため、「ICT活用」といった教え方に関する話は、この検討会ではほとんど関心を示されていません。

 では、「情報教育」や「情報活用能力の育成」といった事柄はどうでしょうか。これらは教育方法ではなく,教育目標・内容・評価に十分関わりがあるものです。
 これについても真正面からの議論はまだ始まっていません。
 ただし、第4回の検討会でも「スキル」という言葉に関して検討しなければならない事がクローズアップされたのではないかと思います。
 報告の中では「21世紀型スキル」という言葉も登場し,これについて強調する意見も披露されましたが,その言葉自体よりもむしろ、この語中の「スキル」という言葉がこれまでの「技能」と同じものなのかどうなのかといった資質・能力観全体における位置関係に関心が集まりました。
 育成すべき資質と能力を考えるにあたって,「知識」と「スキル(技能)」の2つが取り上げられるわけですが、この2つの関係は上下関係か並走関係か螺旋関係かといったこともコンセンサスが得られているわけではないため,何かしら語の定義についても議論すべきではないかという提起もありました。
 そんなわけで、現代社会や将来社会において必要なスキルというものを明らかにする中で、ICTスキルようなものも吟味されていくのではないかと思われます。

 しかし、この検討会は初等中等教育局が主催するもので,その初中局といえば情報やICT関係は得意とは言えない面もあります。
 召喚される報告者から適切で十分な情報提供がなされないと、こうした話題が教育内容としては捉えられず,教育方法(あるいは学習方法)としてあまり積極的な議論もされずに置かれてしまう懸念も残ります。
 気をつけるべきは,何でもかんでも学習指導要領に盛り込めば良いというわけではないため,この検討会や議論の中で扱うべきかどうかの見極めについても、一歩引いた目線で動向を注視しなければならないという事です。
 そのうえで、次代の学校教育に必要とされる教育目標・内容・評価について、私たち自身も考えていく事が大切です。
 

『iPad教育活用7つの秘訣』を読み終えたら

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 『iPad教育活用7つの秘訣』が好評です。
 (amazon)(楽天ブックス)(7net通販)(Facebook)。
 最初のうちは、もともと初版の部数が少なかったためAmazonでは早々に入荷まで1〜3週間状態となって、他の通販サイトの在庫もなくなるほどでした(20130319現在)。
 その後、重版が決定!(おめでとうございます!)。先日、東京新宿の紀伊国屋書店へ行ったら、ドカンと置いてありました。(20130607現在)
 さて,本書を読み終わって,さらに深く知りたいと思った皆様へのガイド。

 まずは、本の中で紹介されていた山本くんの:
 「教育現場 iPad活用ガイド」(iPadZine)
 ※サイトの調子が悪いときもあるようです…。
 は本に先行して実践者のインタビューをしたiPad教育本の先駆けです。
 
 また、本ブログの記事:
 「iPadの教育利用に便利なアプリなど
 はアプリの情報を知る手がかりになると思います。
 今回の本ではあまり取り上げられませんでしたが、「Apple TV」は教室でも大変活躍する機器です。これをPCのソフトウェアで実現するのが:
 「AirServer
 「Reflector
 です。MacはもちろんWindowsもApple TVにできます。電子黒板に繋がっているパソコンに入れておくと,簡単にiPadの画面を転送できますね。

 Appleが考えている教育や学習の姿を知りたい方は:
 「Appleと教育:チャレンジ・ベースド・ラーニング(Challenge Based Learning)
 のWebページを見ると,世界で行なわれている教育の一端を知ることが出来ます。
 いまAppleは「iTunes U」というサービスを教育分野に普及させることに力を入れようとしています。これは大学教育向けとして始まりましたが、いまは幼保小中高の学校でも利用してもらうことを考えているようです。
 大学教育がメインですが,『iTunes Uと大学教育』という本が参考になると思います。
 
 Appleと教育に関しては「Mac Fan」誌が連載記事を掲載しています。
 またFacebookなどではiPad教育利用に関心のある人達のグループがいくつか作られていますので、参加してみてはどうでしょうか。

 もっと、この界隈を知りたいという方は…
 「iのある教育と学習
 はiPad登場直前に行なわれた集いの様子を見ることが出来ます。
 デジタル社会における学びを勉強したい方は…
 『デジタル社会の学びのかたち
 『リアルタイムレポート・デジタル教科書のゆくえ』(トーク&WS
 などを読んでみてください。

なぜ『ほんとうにいいの?デジタル教科書』は書き直されるべきか

 歴史を遡るためには史料を漁ることが大事なのだけれど,史料があるだけで正しい史実が浮かび上がる十分条件にはならないことは,歴史学の素人でも分かっている。
 自らの立場を明らかにしつつ,公正な議論へ開かれるように努力する方法論はいくつかあるとは思うけれども,少なくとも史料を丁寧に扱わなければならないことは不可欠だろうと思う。
 丁寧に扱うという方法にしたって,寸分たがわずというやり方や、筋は曲げずというやり方など,様々あるが,いずれにしてもそのやり方で,論者への信頼や論の信憑性が左右されることも事実だと思うのだ。

 何の因果か,新井紀子氏の『ほんとうにいいの?デジタル教科書』(以下、新井本)につっかかる契機をもってしまい,少しずつ本戦のための準備をしている。
 私個人はデジタル教科書なるものについての議論は、歴史や事実を幅広く整理し確認した上で展開され深められていくことを望んでいる。その上で建設的な見解や行動に結びつけることがベストだと考えている。
 膨大な論点があっては、議論も拡散するとは思うが,だからこそ、論点の位置づけや論点と論点の関係性を整理し確認する必要がある。それも恣意的になる危険性もあるが,そのことへの配慮の仕方が論者への信頼や論の信憑性を左右するのだと思う。
 
 そして、私が新井本に対して批判的なのは,冷静公正な議論のために執筆したと表明しながら,こういう部分について乱暴だということにほかならない。
 もしこの本を入り口にデジタル教科書議論に参加しようとすると,間違った知識と偏った議論を踏まえて始めることになり,これを軌道修正するのにエネルギーが必要となり,本来の建設的な議論へのエネルギーが削がれてしまう可能性がある。
 ただそれだけのことではあるが,そのことが契機となって私は新井本を批判的に検討する作業に関わることになってしまったのである。

 いったい新井本は何を間違っていて、何が偏っているのだろう。出だしの「はじめに」の1頁分だけで、この本の酷さが現われている。
 
○(2頁)「協同教育」
 →【誤記】:正しくは「協働教育」。参照した資料に誤字があったのかも知れないが,少なくとも原口一博議員や総務省は「協働教育」という表記で進めていた。著者も編集者もチェックが甘い。
 
○(2頁)「この事業はいわゆる事業仕分けの影響もあり二年間で幕を閉じたが、現在も実証実験は続いている」
 →【誤認と矛盾記述】:二年間で幕を閉じた事実はない。現在も続いていたらそもそも幕は閉じてないので矛盾した記述である。読み手が混乱する。
 
○(2頁)「明治以降、私たちは紙の教科書で教育を受けてきた。それがデジタルに置き換わるとするならば、(後略)」(中略)「そもそも、紙の教科書を今デジタルに置換える必然性はあるのか。」
 →【偏った前提】:「置き換え」論は可能性として論じられることはあれど、「組み合わせ」論の方が大勢であり,どのように組み合わせたり,使い分けたり、遠ざけるべきかが議論されている。そのような議論の全体構図が示されず,「置き換え」論だけにふれて議論を進めるのはミスリーディング。
 
 上の問題点は、まだかわいい方である。
 この調子で、勢いに任せて論点が書き綴られていくのであるが,その勢いに面食らってほとんどの読み手は「批判的に書く=冷静な議論」だと勘違いしてしまうのである。

 勢いに任せて書いてしまったとする根拠はいくつかある。
 
○(36頁)「(オンラインサービスについて)このようなユーザ向けソフトウェアの開発目的は、教育ではなく消費にある。にもかかわらず、現在出回っている教育ソフトウェアの多くが、消費者向けのソフトウェアのインタフェイスを模倣している。そのことに、開発者の多くは残念ながら自覚的ですらないのである。」
 →【乱暴な適用】:オンラインサービスの批判を「模倣している」とだけ書いて、教育ソフトウェアに適用しようとしている。模倣している事例があるなら明記すべきだし,すべての教育ソフトウェアに問題があるかどうかも書かずに「開発者の多くは自覚的ですらない」と書くのは乱暴ではないか。
 
○(54頁)「「光回線への需要喚起による「光の道」構想」という政策目標が「デジタル教科書」の出発点となったことは,教育にとっては不幸であった。光回線が必須であるような形態で「未来の学校」(フューチャースクール)の青写真を描かざるを得なくなったからである。」
→【勝手な価値判断】:なぜ教育にとって「不幸」であるのか理由が明記されてない。逆にどうだったら「幸せ」なのかも明記されていない。行間や続く記述を深読みすると推察することはできるが、それが不幸か幸せかで表現すべき事柄なのか疑問である。
 
 35〜36頁あたりの記述は,NetCommonsという情報共有基盤システム(コンテンツ・マネジメント・システム)を開発者と一緒につくった人物とは思えない配慮の無さである。もしかして自分が作ったシステムにはそんな問題がないと自信を持っているのか,あるいは開発者と一緒の仕事で意思疎通に困難を感じたことの表われなのか,それこそ余計な詮索を誘ってしまう。

 デジタル教科書に関する議論部分についても様々あるが,それは本戦にとっておくとしても,こういう調子で議論を進めていたら,正しい正しくない、メリット・デメリットとか以前に、冷静で公正な議論に入りづらくなってしまう。
 だから私は、新井本こと『ほんとうにいいの?デジタル教科書』に批判的なのである。
 新井氏は数学者なのだから,こういう文章構造も美しくない著書を出すことになって、内心は苦々しく思っているのではないかと私などは推察するのだが,その点も含めてこの本は書き直されなくてはならないと思う。少なくとも収められている論点自体は重要なものもあるのだから。
 
 岩波ブックレットの最終頁には「「岩波ブックレット」刊行のことば」が常に掲げられている。
 「(前略)現代人が当面する課題は数多く存在します。正確な情報とその分析、明確な主張を端的に伝え、解決のための見通しを読者と共に持ち、歴史の正しい方向づけをはかることを、このシリーズは基本の目的とします。」
 いま一度、新井氏と編集者にはこの趣旨を思い出していただき,正確な情報と明確な主張でこのブックレットを書き直していただきたい。それに見合う何かを発信するでもいい。
 
 
(「教育らくがき」20130225より転載)
 
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 そして、〈デジタル教科書〉関連本の件である。
 2010年頃から賑やかになってきたテーマであるから,それに関連する書籍がいくつか出版された。関心の高い問題にいろんな文献資料が登場することは好ましいと思うが,問題を抱えたものもある。
 特に私は次の2冊については、問題が大きいと考えている。
 ○中村伊知哉・石戸奈々子『デジタル教科書革命』ソフトバンククリエイティブ2010
 ○新井紀子『ほんとうにいいの?デジタル教科書』岩波ブックレット2012
 この2冊の著者達は〈デジタル教科書〉に関する動向の中枢に関わる当事者でありながら(であるからこそかも知れないが…)、劣悪な著作を活字として世に出した。
 何をもって「劣悪」と書くのかといえば,先々の時代に過去の文献資料として参照された場合、信憑性のある資料としての価値を大きく落としているからである。

 たとえば、中村伊知哉氏と石戸奈々子氏の著作は、他者の著作物の一部を無断引用した疑惑を抱えている(関連情報)。この事実に対して釈明などがないまま著作は絶版化し、図書館などに所蔵されたものが閲覧できる状態にある。
 当世の読み物としての価値を重視しただけなのかも知れないが,デジタル教科書に関して理解を得て推進しようとする立場の人間が、このような中途半端な著作の放置の仕方をするのは褒められた姿勢ではないし,記録として残る文献資料としては信頼性に大きく欠けることになる。

 新井紀子氏の著作は、上記のような問題はないものの、著者自身が謳っているような平等な議論の理解をしようとするには、大小多くの問題点が含まれている。
 この本を「あるデジタル教科書懸念派の数学者が書いた問題提起」と割り切って読めば,それほど大きな問題ではない。その偏った問題意識も乱れた文章展開も、懸念と批判のためであると明らかであれば、読み手はいくらでも調整が可能だからである。
 しかし新井氏は、あくまでも論点をまとめサイトのように分かりやすく提示しているだけだと主張し,自分自身は当事者ではなく中立な第三者な風を装っている。これでは、記録として残る文献資料として後世の人々を欺くことになってしまう。

 過去の文献資料を調べる作業をしている身としては,このような記録の残し方がとても腹立たしく思えるのである。こんなことは、現在の私にとって損得にはならないが、未来の私と同じ作業をする人間にとっては面倒な苦労になる。そう思うと恥ずかしくすら思う。
 一般書に対して何を怒っているのかと思われるかも知れない。昔の一般書だって正確さや出来に関して褒められるものが多いわけじゃない。そもそも一般書ってそんなもんじゃないと割り切ることが自然なんだと多くの人が思っているだろう。
 私もそれがジャーナリストや作家や編集者が書いたものなら、目くじら立てる気もない。斉藤貴男が『世界』誌の連載でフューチャースクール実証校の数を間違えて記述したとしても,別にそんなの気にしない。
 けれども、この3人はそろいも揃って研究とか大学とかと深いかかわりにあり、デジタル教科書に関しては主要なアクターという当事者の立場にある人間である。そういう立場にある人間が,印刷書籍においてこんな乱暴な仕事をしていることを、受け手である私たちが腹立たしく思わず、他に誰が腹立たしく思うべきなのか。
 私はこの3人に猛省を促したいし、この2冊の著作について無批判に扱っている人間に対しては、その真意を問うなど厳しい態度をとらざる得ない。
 
 
(「教育らくがき」20130226より抜粋)
 

『iPad教育活用7つの秘訣』

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 新刊『iPad教育活用7つの秘訣』が、来週2/27頃に一部書店で発売予定です(amazon)。
 いち早く謹呈本を送っていただきました。
 というのも、無理をお願いしてフューチャースクール推進事業のことを書かせていただいたからです。お恥ずかしながら、コラム1頁分に私の拙い文章とオタクっぽい顔写真が掲載されております。
 三重県松阪市立三雲中学校の楠本先生にお願いをして、三雲中学校でiPadを利用している様子の写真をご提供いただきました。それを掲載できたことが唯一の救い。
 いずれにしても、iPadの教育活用だけを扱った本は初めてのことですから、ぜひ見つけた際にはお買い求めください。

(追記20130227)
 『iPad教育活用7つの秘訣』を読み終えたら