[教育情報化の歴史のシミ][#3] 「デジタル教科書」という用語

 「デジタル教科書」という言葉が注目を集めています。しかし、今日の文脈でこの言葉は明確な定義づけをすり抜けてバズワード化してしまっています。
 一体、デジタル教科書という言葉はどのように登場したのか。少しばかり歴史を探ってみることにしましょう。

 最初の取っ掛かりとなりそうな資料として、関幸一氏が「デジタル教科書 −デジタル教科書の過去・現在・未来−」(『情報教育資料32号』20120210)という論考を書いています。関氏の論考には、このような記述があります。

「「デジタル教科書」という名称を初めて使ったのは,東京書籍の高校理科ですが,その後の光村図書出版の「国語のデジタル教科書」も有名です。」

 調べると、東京書籍のデジタル教科書は2003年に発行されたとされています。一方、光村図書の「国語デジタル教科書」は2005年に発売されました。

 広く読まれている新聞紙面上では、何時登場したのでしょうか。読売新聞と朝日新聞の記事データベースで全文検索をしました。(検索したのは2012年4月17日)

デジタル教科書
【読売新聞】(27件)

20100515 読売新聞・東京夕刊:[とれんど]デジタル教科書 議論不在 論説委員・丸山伸一

【朝日新聞】(32件)

20050926 朝日新聞・夕刊:(窓・論説委員室から)デジタル教科書

 いずれのデータベースも80年代後半からの記事を収録したものですが、新聞紙面に「デジタル教科書」の文字が登場するのは早くても2005年ということになっています。

 国立国会図書館の蔵書検索システムを使用して「デジタル教科書」を検索すると次のような資料が表示されます。

秦 隆司「明日⇔今日2001・春 大学のデジタル教科書」『季刊・本とコンピュータ』2001年春

 アメリカの事情をレポートする記事のタイトルに使われているという記録です。記事の本文にデジタル教科書という言葉が頻繁に使われているわけではなかったですし、掲載雑誌もこの分野では有名な雑誌だったとはいえ一般向けではありませんでしたから,2001年の時点でデジタル教科書という言葉が一般的だったとはいえません。
 それでも、こうした調査結果から推察するに,デジタル教科書という言葉は21世紀に入ってから使われ出した言葉と考えてもよさそうです。

 2010年に入ってから現在は、デジタル教科書という言葉はバズワード化したと指摘しました。これを〈デジタル教科書〉と括弧付きで表記したいと思います。
 〈デジタル教科書〉として私たちの前に現われたのはどの時点なのか。
 これは2009年12月22日に発表された「原口ビジョン」でした。
 しかし、原口ビジョンで〈デジタル教科書〉という言葉が使われたのは何故か、という問いには諸説可能性があります。たとえば、なぜ「電子教科書」ではなかったのでしょうか。
 一つには、政党内で「教科書のデジタル化」という言葉が使われていたため、ここから〈デジタル教科書〉という言葉が派生したという説です。
 「教科書のデジタル化」は、障害のある児童生徒のための教科用特定図書を作成するため、教科書のデジタルデータを提供するように議員が働きかけていたことに関連しています。提供された教科書デジタルデータをもとにDAISY教科書などを作成するわけです。2008年に法改正が行なわれました。
 もう一つは、総務省用語にありがちなネーミングによって名付けられたため、〈デジタル教科書〉という言葉になったという説です。
 〈デジタル教科書〉が注目を集め始めたのは、ひとえに総務省(情報通信分野)から声が上がったからでした。つまり、教育というよりは情報通信の利活用の観点から「デジタル」議論が始まり展開しているということです。たとえば「デジタルコンテンツ政策」だとか「地上デジタルテレビ放送」といったものはよく知られています。これらと同じように名付けられたというわけです。
 いずれにしても、こうした背景のもとで〈デジタル教科書〉騒動は始まり,様々なプレイヤー・アクターによって騒動が展開しているということになります。

 先の関氏の論考にはデジタル教科書という言葉以外に「e-教科書」という用語が登場しています。
 「e-教科書」は、コンピュータ教育開発センター(CEC)で2003年から始まったプロジェクト「e-黒板研究会」内で使用された用語です。当時の「e-Japan戦略」というネーミングと同じ調子で名付けられたものと考えられますが,「e-教科書」「e-黒板」はいずれも定着しませんでした。
 また、「電子教科書」は、比較的自然なネーミングで生まれた言葉だと思われますし、現在も何か特別な色合いを帯びた言葉ではないのですが,おそらく「電子〜」というネーミング自体が古くささを感じさせるのでしょう。電子機器を連想しやすく,デジタル教科書のソフトウェア的、コンテンツ的な側面をうまく表せないことが敬遠されている理由かも知れません。

 ご存知のように、現在では「学校教育の情報化に関する懇談会」と「教育の情報化ビジョン」によって「学習者用デジタル教科書」「指導者用デジタル教科書」という言葉が定義されました。
 また、これらに対応する形で「学習者用の情報端末」と「指導者用の情報端末」という言葉も合わせて定義されています。つまり、ソフトウェア・コンテンツ部分とハードウェアの部分は分離して表記されています。
 とはいえ、これらはあくまでもおおまかな定義づけをしただけであり,今後の技術進歩や利活用の形態によっても実態は変わってくると考えられます。それゆえにバズワードである〈デジタル教科書〉のままが一番使いやすいということなのかも知れません。
 
 
(2012年4月17日初出)
 

【後記】20121221
 2011年末には『リアルタイムレポート・デジタル教科書のゆくえ』が刊行され,〈デジタル教科書〉を取り巻く教育の情報化全体の実情を理解する良書として読まれています。
 2012年末には『ほんとうにいいの?デジタル教科書』というブックレットが刊行され、〈デジタル教科書〉に関する素朴な疑問を突き詰めて問うていますが,問題提起から先は曖昧さを残したままです。
 〈デジタル教科書〉の界隈では,「標準化」を中心キーワードとして作業が進められているようですが、指導者用と学習者用それぞれの〈デジタル教科書〉が何を含んだものであるのかといった線引きについて,一部の関係者の人々と世間一般の人々との間では,意見交換や調整が全く行なわれていないというのが実態です。
 そのため,先のブックレットのように人々の漠然とした理解や誤解を捉えた過激な空中戦でしか論じられないところが苦しいところです。
 ここでは,漠然としたイメージで語られるデジタル教科書を括弧付で〈デジタル教科書〉と表記していたわけですが,早くこの括弧を取れるように,デジタル教科書のイメージや論点を共有し,建設的な議論を積み重ねられたらと思います。
 
 
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 「教育情報化の歴史のシミ」シリーズは,Facebookページ「教育情報化の後先」で掲載されたコラムです。こちらのブログにも再録しておきます。
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[教育情報化の歴史のシミ][#2] 「ミレニアムプロジェクト『教育の情報化』」

 教育情報化に関する過去の資料を漁ろうとすると、否応なくインターネット上の情報リソースを掘り起こさなければならないときがあります。
 ところが、ネット上でのみ公開されていた情報は、役目や関連事業が終わったりすると削除されることもありますし,サイト・リニューアルやサーバー引っ越しなどのタイミングで失われたり、リンク切れになっているものも珍しくありません。
 ネットの世界には、「後から参照したいもの」を保存する手段がいくつかありますので、それを駆使して掘り起こすということになりますが,あれば幸せ、なくて当然ということを覚悟しないといけません。

 オリジナルのサイトやデータが消えてしまった資料の一つが、1999年終わりに立ち上げられたミレニアム・プロジェクトの一環である「教育の情報化」について解説した文書『「ミレニアム・プロジェクト」により転機を迎えた「学校教育の情報化」 -「総合的な学習」中心から「教科教育」中心へ-』。
 通称『「ミレニアムプロジェクト『教育の情報化』」の解説』と呼ばれる文書です。
 2000年7月に作成され,2000年8月に行なわれたインターネットと教育フェスティバルの催事で配布されたり、当時のWebサイト「まなびねっと」(http://www.manabinet.jp/)で公開されていたものです。
 正式題目にあるように、当時は総合的な学習の時間に注目が集まり,IT機器(いまならICT機器)の使い方もどこか目新しさを追いかけた落ち着きのないものと受け止められ始めていた頃だったのですが、そこにはっきりと教科教育での活用をうたって、分かる授業を訴え,さらにはIT機器に対する考え方についても見直しを迫るものでした。

 しかし、Webサイトの更新やリニューアル、ドメインの廃止といった過程で、この文書も削除され,正式な形では入手できません。
 検索をすると、内容を写し取ってミレニアムプロジェクトのことなどをまとめ直して公開している私的なサイトのものを発見できますが,HTMLファイルなので単体文書としては扱いにくいです。
 そこで、インターネットのアーカイブサービスから探してみましょう。
 当時の文部科学省生涯学習政策局「まなびねっと」(2001年12月12日時点)はこちら
http://web.archive.org/web/20011221152104/http://www.manabinet.jp/
 そこからリンクをたどれば、『「ミレニアムプロジェクト『教育の情報化』」の解説』についてのページ
http://web.archive.org/web/20020210144922/http://www.manabinet.jp/it_ed.html
 そしてPDFファイル『「ミレニアムプロジェクト『教育の情報化』」の解説』を入手できます。
http://web.archive.org/web/20040726195731/http://www.manabinet.jp/it_ed.pdf

 ちなみに、『「ミレニアムプロジェクト『教育の情報化』」の解説』はPDFファイルにも表記されているように2000年10月に一部改訂を施しているようですが,まだ細かく比較していないので改訂点は不明です。分かり次第、また追記してみようと思います。
 
 
(2012年3月22日初出)
 
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[教育情報化の歴史のシミ][#1] 『情報教育に関する手引』

 『情報教育に関する手引』というものがあります。学習指導要領の改訂と歩調を合わせて作成され,現在は『教育の情報化に関する手引』という名前になっています。
 今回のネタは,平成元年の学習指導要領改訂の時に初めて登場した『情報教育に関する手引』が一体何年に作成されたのか,です。
 「手引」の最新版である『教育の情報化に関する手引』(平成22年)を参照すると,明確に「平成2年7月」という日付が書いてあります。つまり1990年です。
 ところが,興味深いことに『情報教育に関する手引』について触れる様々な記事や論文を漁ってみると「1989年」であるとか「平成3年(1991年)」であるとか記録しているものがあるのです。
 実際,私自身(林向達)が所有している実物の冊子の表紙には「平成3年7月」と記載されていますし,奥付の発行年は「平成3年8月30日」と明記されています(付け加えるなら,私の所有しているものは平成4年に再版したもの)。
 また,丸善が発行している『情報教育事典』の項目「情報教育の手引き」では,「平成3年8月に文部省が作成した冊子体資料は…」と記述しています。
 さらに,文部科学省のWebサイトに掲載された会議関連の配布資料の中にも「平成3年7月」と明記されたものがあります。

 ここまでの事実を総合すれば,次のような単純な推測ができます。「平成2年に出来上がった手引の内容を印刷発行したのが平成3年である」と。
 Webで公開することが一般的ではなかった時代ですから,そのようなズレがあっても不思議ではありません。
 だとすれば,「平成2年(1990)」と「平成3年(1991)」の混乱はこれが理由となるのでしょう。「1989年」になってしまった理由についてははっきりしませんが,年号と西暦の変換間違いかも知れません。

 しかし,この話には続きがあります。
 内容の完成と冊子の発行がズレたという説にも疑問を投げ掛ける記録が残っているのです。
 「平成2年7月」の日付で冊子化された『情報教育に関する手引』のことを紹介している記事が存在します。文部科学省が発行していた『教育と情報』平成2年11月号には,表紙の写真付きで『情報教育に関する手引』の内容と出版社と値段まで明記されているのです。
 その痕跡は「平成3年7月」と表紙に印刷された実物の冊子にも残っています。文部省初等中等教育局長が記した「まえがき」の日付は「平成2年7月」なのです。
 ということは,冊子には2つのバージョンがあるということでしょうか。しかし,残念ながらそのことを説明できる情報を見つけられていません。もし,単純な誤植であるならば,再版時に訂正されなかった理由が謎になります。

 『情報教育に関する手引』について指し示す場合,内容が完成したことを説明したいのであれば「平成2年7月」を使用するのが妥当ですが,広く流布するための冊子が発行したのが「平成3年7月」と考えるべきなのか,「平成2年7月」(あるいは平成2年内)と考えるべきなのかは,調査を続けているといったところです。  
 
(2012年3月1日初出:3月22日ノートへ転記)

【後記】20120322
 この「歴史のシミ」について、いろんな方からの情報のもと、印刷冊子には2つのバージョンが存在したという結論にいたります。つまり、「平成2年7月」表紙の白表紙(内部用)版と、「平成3月7月」表紙の市販版です。
【追記】20121221
 なお,現行『教育の情報化に関する手引』は開隆堂から印刷冊子が販売されています。
 
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20121111 3時間インタビュー@東京大学

 日曜日の東京大学・福武ホールにお邪魔して「教育の情報化」に関するインタビューを受けました。「Beating」というメールマガジンの取材としてです。
 実は出身研究室の後輩達がインタビューアだったので、先輩後輩のご対面という感じで始まり、「教育の情報化」の世界の入門講座のような調子でお話しをしました。
 インタビューのテーマは「いまどきのミレニアムキッズ」というものなので,本題はフューチャースクールな推進事業における児童生徒や先生達の様子をご紹介することでした。
 しかし,そういった取組みの様子が,どのような積み重ねの上にあり、今後どうなっていくのかを理解するには,歴史的なお話しも不可欠です。
 あらかじめ,先日公表した「教育情報化年表」を準備していたので、要所要所で歴史的な事項を踏まえながらお話をして,まあ,いかに日本の教育の情報化が不連続で積み上がっていないかを語ることにもなりました。
 とにかく,縦横無尽に語り続けていたら,同席のメールマガジン責任者のTさんが次のスケジュールのため時間切れ。3時間しゃべっても終わる気配がありませんでしたが,とにかく一区切りつけることになりました。
 それまでも教育の情報化には関心を向けて関わっていたものの、フューチュースクール推進事業に関わってからの3年弱の間に知ったことや経験したことは本当にたくさんありましたから、3時間でもまだ足りないくらい。
 とにもかくにも,見聞きして知ったことをなるべく共有できればと思っているところですが,はやく何もかも吐き出してのんびり資料漁りをしたいものです。

 インタビュー後は,古巣の研究室にお邪魔して雑談しながら延長戦。あらためて後輩達を夕食に誘って,昔話やそれぞれ取り組んでいる研究のことなど楽しくおしゃべりしました。時間というのは本当に過ぎるのが速いですね。

20121107 上勝町立上勝中学校出前授業

 徳島県の事業として行なっているデジタルコンテンツ人材育成のための出前授業で、上勝中学校にお邪魔しました。

 今回は動画編集の方法の2回目で、iMovie for iPad の操作方法を実演しながら解説するといった内容。実際に2年生達が沖縄に修学旅行へ行った時の動画や写真を使ってやってせます。

 小規模校なので、全学年あわせても5つのグループができるだけですが、残念ながら動画編集できるiPad 2以降の機種は3台だけ。あとは初代が10台程なので、すべてのグループが試しながらというわけにはいかない状況です。

 こういう道具環境が統一的に揃わないというのは、授業者として一番面倒な問題でもあります。使う素材が異なるのは如何様にも味付けできますが、動画編集したいのに動画編集ツールが動かせないのは、ちょっと次元の違う問題ですね。

 仕方ないので、今回はみんなに実演を見てもらうことにしました。その代わり、私がやって見せても注意は集められないので、2年生の中からアシスタントを急遽募集。みんなの推薦もあってひとり男子生徒が手伝ってくれることになりました。

 これは効果覿面で、やっぱり仲間の生徒が操作して出来上がる作品に興味津々ですし、あれこれ指示(「あっちの写真使えば?」とか)も飛んできて、教室前だけの実演でしたがみんなで編集作業している感じで進められました。

 さすがに次回からは自分たちでも編集したいでしょうから、足りないiPadを用意しないと…と思いますが、とりあえず動画編集の概要は伝わった感じなので、これからどんどん進めていってもらえそうです。

 iPad用のiMovieは、シンプルさを追求したため、Mac用のような凝った編集機能がありません。特にタイトルや字幕を付ける機能は貧弱で、その辺は別に自作のタイトル写真を用意するなど工夫で乗り切るしかありません。

 iPad用の動画アプリ自体も種類は少なく、iMovieとPinnacle Studioという有料アプリか、vimeoなど動画投稿サイト向けのアプリなどくらいです。また、初代で動作するものはほとんど無いと考えてよいです(ゼロではないんですが…)。

 某社がユニークな動画アプリを開発中という情報もありますが、まだ時間も掛かりそうです。

 iPadにおける動画編集は、まだ課題の多い分野とも言えそうです。