日本では「ドリーム」という邦題で上映された映画「Hidden Figures」がデジタル配信を始めたので,見逃していた私は購入して観賞しました(Wired評)。
原題「Hidden Figures」は,二重,三重の意味がかかったネーミングのため,邦題を「ドリーム」とあやふやにするのは致し方ないのですが,コンピュータやプログラミングに関わる人ならば,歴史を知るきっかけとして見るべき映画と思えるので,邦題の弱さはちょっと残念な気もします。
いくらかの脚色がなされているとはいえ,史実をもとにした映画です。
1960年代初頭のコンピュータの受け入れられ方が描かれていて,当時は「計算手」とよばれる人々が計算業務を行なっていたこと,それを機械にやらせようと大型機器が導入されるのだけれども,機械計算の結果を人間が検算していたということ等がわかります。
もちろん,映画が描くのは,計算手のほとんどが女性であったという事実,そして物語の核は黒人女性グループの活躍です。彼女たち計算係のことを英語で「computer(コンピュータ)」と呼んでいたこと。NASAが導入したIBMコンピュータのプログラミングにおいても女性たちが先駆的活躍をしていたこと。
コンピュータの歴史という角度に限っても,実に興味深く見ることができます。もちろん人文社会的には人種差別や女性解放運動などの時代的な社会問題を振り返り考えるきっかけにもなります。
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教育と情報の歴史を取り組み始めてから,まずは日本の学校教育の情報化の歴史を一通り掴まえようと文献資料などを集め続けています。
しかし,学校でのプログラミング体験・教育の話題が盛り上がる中で,そもそもコンピュータやプログラミングとは何なのかを紐解きたくなる機会も増えたこともあって,あらためてコンピュータの歴史を学び始めています。
それから先日は『Programmed Inequality』という本を知りました。副題は「How Britain Discarded Women Technologists and Lost Its Edge in Computing」(いかにして英国が女性技術者を見捨てて,コンピューティングの最前線でなくなったか)という大変興味深いフレーズ。実際のところ,映画が描いていたように米国でも女性技術者が活躍していたという事実がどこかに葬り去られたことは,私たちの無知が示している通りです。
(20211208追記:すでに休刊している日本のコンピュータ科学雑誌「bit」が電子復刻され,Amazonから個人購入できるようになりました。創刊号[1969年3月号]を開くと,巻頭写真ページは「現代の横顔:ある女性アナリスト」でした。あくまでもプロフェッショナルとして純粋にその人個人を取り上げた企画ですが,業界のジェンダーバランスを気にするようになった現代から振り返って見てみると,なんだか新鮮に映ります。)
コンピュータの歴史そのものを知るには『コンピュータって』が一般書として最も手に入りやすく,読みやすいと思います。ただ,この本に書いてあることを味わうには,やはり類書やコンピュータのしくみ入門書を平行して読むのがよさそうです。パソコンブーム時代を知っている人ならば『パーソナルコンピュータ博物史』もいい入口かも知れません。
これから,情報教育がもっと学校教育に浸透するようになれば,単にコンピュータを利活用するというだけでなく,その歴史を知る必要性が増します。教育に携わる人間ならば,その分野の問いに備えるために,なおのこと学ぶ必要性があります。
日本もコンピュータの歴史には大きな影響を与え,また与えられ続けてきたわけですから,この国に住んで引き受けようとする者として,そういう歴史についても学ぶ機会を持つことは意義のあることではないかと思います。
たとえば,日本のことを書いた本としては『コンピュータが計算機と呼ばれた時代』や『計算機屋かく戦えり』などがあります。
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とはいえ,手を広げ過ぎてしまうと大変なことになるので,私自身は,日本における教育と情報の歴史を追いかけることを軸にしようかと思っています。先日は,かつて刊行されていた雑誌『NEW 教育とマイコン』(学習研究社)の創刊について,当時の編集や執筆の方々にお集まりいただき座談会「『NEW』誌と時代を振り返る」を開いたりしました。
30年前の日本のことを追いかけつつも,映画「Hidden Figures」の原作本『ドリーム』も読んでみようかなと思っている今日この頃です。