20190115_Tue Scratchで舞台作品

授業と会議。

授業はScratchを使った作品づくり2回目。

Scratch3.0で舞台作品をつくるような説明をしているので,それぞれのスプライトのスクリプト(コード)のことを「役者さんの台本」といった言いまわしで表現している。

芝居中は,合図の送り合いというイメージも早くに意識してもらっている。

役者同士はもちろん,ボタンやキーを押す舞台監督,そして舞台背景を担当する舞台スタッフは,芝居のきっかけ合図を送り合っている。つまり,メッセージの送り合いが舞台の進行を支えているわけだ。

ボーッとしていると理解が難しいと投げ出す学生もいるが,サンプルを見てもらいながら分かってもらうと,スプライト同士の連携を難なくデザインしてしまう。むしろ舞台を思い通りのルートで役者を動かす方法で悩むことが多いかも知れない(それも発想さえ掴めば早いけれど)。

プロセスやイベントループのことも「役者さんの気や集中」みたいなたとえで押し通し,まぁ,なんとか。

授業となると十分な時間を確保できないが,将来保護者になったときに子どもたちが触れるScratchって何?!と動揺せずに,なかなか楽しいものだと思い出してもらえる程度になってもらえればよいと考えている。

会議は年度末と来年度に向けてのあれこれ。

20190108_Tue Scratch3.0用資料作り

授業資料準備。

担当している「情報科学」という授業で,プログラミング体験の機会を設けて学生たちにグラフィカルなプログラミング環境であるScratchを操作してもらう。

これはもう「そういうものもありますよ」という知見を得てもらうことが主目的なので,創作活動の入口まではご案内はするけど,その先は人それぞれねというスタンスになっている。

先日,Scratchが3.0にアップデートされたので,見た目が変わった。そのため,案内用に使っていた「Scratchでつくろう」という授業スライドがあるが,この中の図を差し替える必要が出てきた。その作業を行う。

今回のScratch3.0はHTML5.0ベースで開発されたため,スクリーンショットでビットマップ形式の画像を取得する以外にも,WebブラウザのPDF書き出しを利用してベクター形式の画像を取得することもできるようになった(ただ,PDFの場合はステージ表示部分だけ反映されない)。

両方の方法を使い分けながら2.0の画像を3.0に置き換え,少し加筆修正。まだ続き部分を完成させていないので,このあとも内容追加していきたい。

ちなみに,PSD保存したデータは,Adobe Illustratorなどで読み込んで,ブロック部分をアセットとしてPNGデータとして書き出したものを貼り付けている。iPadから持ってきたデータだからだろうか,若干縦横比が変わってしまっているような気がしなくもないが,この辺は後日ゆっくり検証しようと思う。

20181225-28_Tue-Fri

授業のない週。

クリスマスを含む連休中は,研究室の蔵書整理をしたり,我慢しきれずに映画『カメラを止めるな!』などをデジタル配信で視聴したり,のんびり過ごした。天皇の会見はあとからネットで拝見し,平成という時代が終わるのだなと感慨にふけったり。

火曜から金曜日は,授業もないので久し振りに文献とにらめっこしていた。プログラミング的思考を論理的思考の角度から論ずる際に「アブダクション」が重要になると考えているので,あらためて米盛裕二氏の『アブダクション』(勁草書房2007)を紐解いている。

27日あたりTwitter上でプログラミング的思考に関するツイートが賑やかになっていて,それぞれの立ち位置からの認識を垣間見れる状態にあるが,結局,最初の無理がいろんな形で波及してしまった当然の展開なのかなとも思う。本来ならば,これがちゃんとした舞台の上で論争なり議論として扱われて,もともとの言い出しっぺに返っていく通路が形成されるべきなのだけれども,このままだと単なるノイズとみなされて終わりになってしまうところが,教育とICT界隈の残念な現実である。

文部科学省が「プログラミング教育プロジェクトオフィサー(非常勤職員)」を新たに1名募集しているので,こうした界隈の交通整理がしたい方は応募してみてはどうだろうか。

プログラミング的思考の育成をアブダクションによる思考方法の獲得として考えることは,問題解決学習や主体的・対話的で深い学びを指向する今後の学校教育にとって自然に受け入れられる方向性だと思われる。

ただ,学校教育にとって最大の問題は「時間」に他ならず,プログラミング教育を小学校・中学校・高等学校における体系的な取り組みとする時の「割振り」をどう描き分けるのかが,実のところ専門家にさえ見通せていないというのが実情である。

アブダクションによる思考法を獲得するには,演繹と帰納による思考方法もステップとして踏まなければならないのが筋である。だとすれば,時間の限られる小学校で一足飛びにアブダクションまでたどり着けると考える方が難しい。では,どこから手をつけるのか。そうやって割振りを見積もり始めると,小学校だけで全てが完結し得ない事態も覚悟した上で,中学校への接続を前提とした現実的落とし所を描かざるを得ない。むしろ,中学校と高等学校は大丈夫なのか?それが関係者のもっぱらの心配事である。

平成の30年間は社会のIT/ICT普及活用の時代だった。次は,人間とコンピュータとの関係を再構築する時代に入ってきている。AIはその格好の入り口だったわけで,私たちはもっと熟考を重ねてコンピュータをデザインしていく必要がある。そのデザインにアブダクティブな思考方法が不可欠だと考える。

28日は年内出勤も区切りとなり,早々に帰省の途についた。

名古屋栄のAppleに寄って,仕事用のMacBook Proを修理に出した。バッテリーが膨らみつつあったので,深刻な事態になる前に対応したかった。事前の予約もAppleのサポートアプリからバッチリ確保して,万一のハードウェアリセットでも困らないようにバックアップも済ませた。基本的に「預けるだけ」「返ってくるの黙って待ち続けるだけ」にするとAppleの対応はシンプルで気持ちがいい。店先でごちゃごちゃする余地を残すと具合が悪くなる。

伝票を見たら「日本NCR」の文字。おそらくグループ会社のグローバルソリューションサービスが修理を引き受けているのかもしれない。長くAppleの修理プロバイダーをやっている企業である。それも安心材料。

というわけで年末年始はiPad Proのみで過ごす。

20181218_Tue

授業と会議と忘年会。

残りの授業回数が少なくなってきたこともあって,少々慌ただしい雰囲気で過ぎていく。

教育方法技術論の授業では学習に関して心理学の知見をいろいろ紹介している。そこでキャロル・S・ドゥエック氏の『マインドセット』(草思社2008/2016)に出てくる「growth mindset」と「fixed mindset」を扱う。

今どきなら「グロース・マインドセット」と「フィクスド・マインドセット」とでもカタカナ言葉経由で英語を直接知ってしまえばいいような時代だが,初めて触れる人には日本語訳が欲しいところ。草思社の『マインドセット』は2006年の原著を翻訳したもので,今西康子氏は「しなやかマインドセット」と「硬直マインドセット」と翻訳している。

ただ,ドゥエック氏の研究は20ないし30年遡るところから始まっていたため,初期の研究成果が日本に伝えられた時点では,マインドセットではなく知能観として届けられていた。

私が初めて目にしたのは『認知心理学者 教育を語る』(北大路書房1993)の中の「学習意欲を高めるために1:「わかる喜び」を求めて」という章だった。そこで小泉令三氏が「増大的知能観」と「固定的知能観」としてドゥエック氏の研究を紹介していた。おそらく「incremental theory of intelligence」と「entity theory of intelligence」という用語の翻訳だと思われる。

マインドセットと知能観はもちろん異なるし,ドゥエック氏がどのように使い分けていたかは明確に調べられていないが,2大傾向に関しては重ねて捉えても問題はなさそうである。ちなみに「増大的知能観」を「成長的知能観」と表記する文献もあったりする。

さらに『ライフロング・キンダーガーテン』を読むと,これまたこれらを組み換えたような訳語が登場する。酒匂寛氏はマインドセット研究に関して「成長型マインドセット」と「固定型マインドセット」と翻訳されたようだ。

[追記20181231]小島健志『つまらくない未来』(ダイヤモンド社)を覗いてみると,小島氏はもっとシンプルに「成長思考」と「固定思考」という訳語を当てていた。邦訳を参照しないのはどうかと思うが,これはこれでいい訳語かもしれない。

growth mindset
(incremental theory of intelligence)
fixed mindset
(entity theory of intelligence)
グロース・マインドセット フィクスド・マインドセット
今西訳 「しなやかマインドセット」 「硬直マインドセット」
小泉訳 (増大的知能観) (固定的知能観)
酒匂訳 「成長型マインドセット」 「固定型マインドセット」
小島氏 「成長思考」 「固定思考」

表にするほどのものでもないが,こうした表記の多様性を見て,自分なりの理解を深める手がかりにするのも面白い。というか,旧い知識をアップデートする必要性があるという一つの教訓としても。

年内最後の会議をして,夜は職場の祝賀会・忘年会だった。

私にとって唯一の忘年会だが,今年は料理も美味しくいただけたし,テーブルをご一緒した方々とも楽しくおしゃべりができたので,よい忘年会となった。まぁ,残りも頑張ろう。

20181211_Tue

前日,2018年12月10日は「IT誕生50周年」とのこと。

1968年12月9日(米国時間)に行なわれた歴史的なデモンストレーションから50年であり,1993年にインターネットの商用化が本格化してから25年というタイミングだから。

これを記念して,インターネット商用化25周年&「The Demo」50周年記念シンポジウム「IT25・50 〜本当に世界を変えたいと思っている君たちへ〜」が開催され,アラン・ケイ氏の基調講演とディスカッション部分がネット配信された。

アラン・ケイ氏は英国ロンドンからのビデオ会議による講演で,その中継映像を各地の会場で視聴したり,ネット配信で見ることができた。50年前にダグラス・エンゲルバート氏によって行なわれた伝説的デモンストレーション「The Demo」の会場に居合わせたというアラン・ケイ氏の話は興味深かった。

どうしてもマウスを発明した人物として紹介されてしまうダグラス・エンゲルバート氏だが,むしろ,人間に寄り添った総合的な情報システムを構想してデモンストレーションした人物であることが知られるべきだというのがアラン・ケイ氏の主張だった。

また,読むべき論文として「Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework」 – 1962 (AUGMENT,3906,) – Doug Engelbart Institute も紹介されていた。(ちなみに服部桂氏は今回も『パソコン創世「第3の神話」』をお勧めしていた。)

ディスカッションは,それぞれの参加者の問題意識のもとで発言が展開し,途中,アラン・ケイ氏のビジョンにインスパイアされてできたDynamiclandという実験空間についての紹介があったのは面白かったが,なんだか歴史を伝えきれていないという湿っぽい雰囲気になっていた。

歴史を重視している本研究室としても,今回のように25年や50年を振り返って歴史に触れ,そこに忘れてきた魅力的なアイデアを共有するという試みはとても大事だと考えている。

唯一気をつけなければならないなと思うことは,今回のようなテーマの関係者が特別なコミュニティに閉じてしまっていて,それはそれで歴史を共有してきた戦友達だから仕方ないけれど,そういう人たちの発信する物語を周りの人間がどうやって当事者意識を持って関わり受け止めるか,そこがうまくできるといいなということである。

まだまだ知らないことが多いので,こちらがひたすら歴史を勉強…という感じ。