私がフューチャースクール推進事業や学びのイノベーション事業に関わるようになって,これまでの歴史的経緯を理解する必要を痛感したことで,つくることになった日本の教育の情報化年表。すでに日本教育工学会の研究会で公表済みですが,年表作成作業自体は随時進行中です。
隔月刊ペースで定期的に更新しようと思っています。今回は2013年11月版です。
次回は2014年1月版として更新予定です。
2014年度からは,教育と情報の歴史研究会(仮名)を数回ほど開催して,皆さんと情報交換が出来ればと考えています。
私がフューチャースクール推進事業や学びのイノベーション事業に関わるようになって,これまでの歴史的経緯を理解する必要を痛感したことで,つくることになった日本の教育の情報化年表。すでに日本教育工学会の研究会で公表済みですが,年表作成作業自体は随時進行中です。
隔月刊ペースで定期的に更新しようと思っています。今回は2013年11月版です。
次回は2014年1月版として更新予定です。
2014年度からは,教育と情報の歴史研究会(仮名)を数回ほど開催して,皆さんと情報交換が出来ればと考えています。
2013年9月20日から秋田大学で日本教育工学会第29回大会が開催されます。
学会発表などの本番は21日からですが,前日の20日には秋田大学附属小学校の授業公開と,学会ワークショップがあります。
そして私もそこで「教育情報化の歴史ワークショップ」なるもの主催します。
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歴史ワークショップなんて堅苦しいタイトルが付いていますが、昔話に花を咲かせましょうという会です。
一応,話が盛り上がるために,皆さんの記憶や関心を呼び起こすためのワークを考え中ですが,自分が関わってきたこと,個人的に好きだったパソコンやソフトや教育実践のことなど,皆さんの履歴に関する「記憶」を持ち寄ってもらい語らっていただくのが基本です。
そのため,私が日々作成し続けている秘伝(?)の教育情報化年表をご覧いただく機会になると思います。まだ未完成な部分が多くて公開には至りませんが、これはこの分野の財産だと思うので,皆さんの経験に学びながら完成させ共有したいなと思っています。
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最近のデジタル云々の議論は,いつか来た道とそっくりであることも多いし,様々な過去の積み重ねを知れば誤解も氷解し,より深い議論に進められるかも知れません。
教育の情報化の過去・現在・未来に関心がある皆様と,一緒にいろいろ学べたらと思います。ぜひ覗いてみてください。
ワークショップは大会会期の前日扱いなので、学会参加費の対象外です(よね?)。お金のことは気にせず,これだけ参加しても怒られません。^_^
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[ワークショップ説明文]
「教育の情報化」は学校環境のICT対応の通じて情報教育や教科等の指導,校務の効率化を目指すものとして取り組まれてきました。 初等中等段階においては,コンピュータ教育元年と呼ばれた1985年から現在まで様々な試みが繰り返されてきましたが,必ずしも学校の日常に組み入れられたとは言い難い状態です。
このような事態は,ICTを活用している社会と学校の乖離が増すばかりでなく,大学教育の高度化や教育工学研究の前進にも良い影響を与えません。
その時々の機器や技術に踊らされないためには,歴史的な積み重ねの共有と議論が不可欠ですが,教育の情報化は多様な試みが散在しながら進行したため,その記録は,関係者の履歴としては残されていますが,歴史として蓄積されていないのが実情です。
本ワークショップは,散逸しつつある教育情報化の記録や記憶を集める手がかりとして,参加者の私的履歴を持ち寄ってもらうことから始め,年表との比較作業や参加者同士の語らいを通して,教育情報化の史的理解へと繋がる契機をつくることが目的です。
教育や学習には、教材が必要だと考えられています。あるいは教育や学習のための情報リソースと呼ぶものが必要だと考えられています。
教科書はその代表的なものですが、授業や教育活動を成り立たせるにはもっと多くのリソース(資源)が必要となります。そこで、それらに関する情報をたくさん集めて多くの人々で共有できれば教育に役立てられるのではないか。
そう考えて,デジタル時代に必要となる教育コンテンツに関する情報や様々な教育情報を総合的に提供しようとしたのが「教育情報ナショナルセンター」、通称NICER(ナイサー)でした。
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教育情報ポータルサイトの重要性は、いまでも様々に論じられています。諸外国でも教育情報や教育コンテンツに関する情報集約の取組みは必要不可欠なものに位置づけられています。
しかし、そうした取組みがうまく受容されているとは必ずしも言えないことも事実です。
教育情報の流通の重要性に触れている「教育の情報化ビジョン」が2011年4月28日に公表されたにも関わらず,その少し前、2011年3月31日には、NICERの運用が停止したのです。
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NICERはなぜ運用を停止したのでしょうか。
これについて国立教育政策研究所の榎本聡氏は、NICERの提供していたメタデータを再利用する研究の報告(2011)の中で次のように記しています。
政策コンテストにおいてNICER事業を含む政策パッケージはC判定となり,23年度予算案でゼロ査定となったことから,23年3月をもって,その機能を停止することとなった。
こうした記述の根拠として、運用停止を告知するNICERの最新情報ページには次のような内容が掲載されていました。(参考ページ)
2011.01.14
教育情報ナショナルセンター事業(NICER)の今後について(運用停止について)
1.平成23年度概算要求
(1)経緯
平成22年8月、文部科学省が「教育の情報化ビジョン(骨子)」を公表しました。
NICER事業(教育情報ナショナルセンター事業)は、教育の情報化の推進、人材育成ひいては元気な日本の復活に寄与すると考えたことなどから、運用経費等の全額を「元気な日本復活特別枠」にて要望しました。
(2)政策コンテストの結果
NICER事業を含む「未来を拓く学び・学校創造戦略」は、「元気な日本復活特別枠」評価会議では、「C評価」を受けました。
(3)予算査定とNICER事業の取扱い
NICER事業に対しては、ゼロ査定を受けたことから、本予算の成立により、平成23年度からNICERシステムは運用を停止することとなります。
(以下略)
この告知文は、NICER運営側からの流れを正しく記述してはいますが,これだと政策コンテストでよい結果を得られなかった(国民からの人気がなかった)ために運用停止となったと読めます。
しかし、実際には、政策コンテストの判定結果が運用停止の直接的な理由ではありませんでした。正確に言えば「政策コンテストの結果では運用停止を覆せなかった」のです。
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誰もが重要だと考える教育情報ナショナルセンター(NICER)が停止した本当の理由はなにか。
その直接的な引き金を引いたと考えられるのは、文部科学省内の「行政事業レビュー」という取組みにおける検討結果でした。これは政府による「事業仕分け」とは別に各省庁が独自に行なうものです。
2010年8月31日に公開されている文部科学省・平成22年度行政事業レビューシート「教育情報ナショナルセンター機能の運用に要する経費」には、次のような予算監視・効率化チームからの所見が記載されています。
1. 事業評価の観点:学校教育や生涯学習等の幅広い教育・学習情報を扱う中核的なWEBサイトである「教育情報ナショナルセンター(NICER)」の運用等に関する事業であり、長期継続事業の観点から検証を行った。
2. 所見:本事業は電子計算機システム(NICER)の運用等に関する事業であるが、事業開始から10年近く経過している。進歩が著しい電算システムの性格を勘案し、この機会に情報発信の手法や発信する内容も含め再検討することとし、本事業については一旦廃止すべきである。
NICERのサイトは2001年8月31日に開設され,ちょうど10年目を迎えていました。この10年のコンピュータとネットワークの進歩、変革の具合は私たちが知っている通り。その誰もが知っている変化にNICERは適応できていないことを指摘されたのです。
NICERは確かに人気があったとは言えないサイトでしたが,運用停止の原因は、時代に適合していない事業実態のための一旦廃止だったのです。
こうした運命にあった事業を復活させるため、同じ時期に進行していた政策コンテストへ応募したものの、国民に対して行なわれたパブリックコメントの結果(C評価)もあり、救うことが叶わなかったということになります。
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いま現在、NICERが10年もの歳月をかけて蓄積したものは、あちこちに分散して引き取られた状態になっています。
データベースの心臓部であるデータ(学習コンテンツ検索用メタデータ:LOM)は、死蔵するにはもったいなさすぎることもあり,学習ソフトウェア情報研究センターやパナソニック教育財団検索システム研究会といった団体が検索できるように引き取っています。
GENES 全国学習情報データベース(学習ソフトウェア情報研究センター)
http://www.gakujoken.or.jp/nicer/
教育の情報化支援サイトNICER-DB(パナソニック教育財団検索システム研究会)
http://nicer-db.jp/
NICERでの反省を活かして、それぞれシンプルなデータベースやサイト構築を行ない,貴重なデータが利用できることを最優先に頑張っているようです。
しかし、願わくは簡易なWeb-APIを備えるなどして、もっとオープンにデータを利活用できるようにして欲しいものです。そうすればアプリケーション部分は様々な人が開発できるようになり,時代に即した技術によってNICERの情報が利用できるはずです。
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NICER事業は「一旦廃止」となりましたが、復活はあり得るのでしょうか。
現在、国立教育政策研究所では「教育情報共有ポータルサイト」を構築し、運用の準備をしているところです。公開された情報は少ないですが,入札資料を参照するとSNSシステムをベースにしたものとなるようです。
新しいシステムがこれからの10年,あるいはもっと先を担うプラットフォームとなるかどうかは私たちの育て方にかかっているでしょう。そのためにもNICERがどのように始まり、どのように終わったのか、歴史のシミを確認することが重要です。
(2012年5月12日初出)
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【後記】20121221
国立教育政策研究所が取り組んでいる「教育情報共有ポータル」も本格稼働サイトの開発業務が入札公告され,平成25年度には公開されるのではないかと推察されます。
ご存知のように,諸外国では文教市場をサポートすることを使命としたITベンチャーが盛り上がっており、オープンエデュケーションの機運とともに,様々な教育SNSサービスもすでに教育現場で活用されています。
その代表格は「edmodo」ですが,他にも「Lore」や「Diipo」といったバリエーションも登場していて,これらがバラバラにではなくソーシャルツールを介して緩やかに繋がっている点がいかにも現代的です。
日本の教育情報共有ポータルについて,Web-APIを備えてはどうかなど,オープンガバメント的なものの提案も込めて期待をしているわけですが,仕様や開発に関して議論や情報が出てこなかったことを勘案すると,来年フタを開けるのがちょっと怖い気もします。
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「教育情報化の歴史のシミ」シリーズは,Facebookページ「教育情報化の後先」で掲載されたコラムです。こちらのブログにも再録しておきます。
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日本の教育情報化のスタートはいつなのか。
残念ながら関係者の見解が統一されているわけではありません。立場によって、放送・視聴覚教育の文脈の中で答えを探す人もいれば、CAI研究に端緒を見ようとする人もいますし、政策・行政動向によって定義づけるやり方もあります。
学校教育という視野に限って見た場合、文部省『学制百二十年史』(平成4年)にある、次のような記述が参考にできると思います。
我が国の初等中等教育における情報化への対応は、昭和四十年代後半に、高等学校の専門教育として情報処理教育が行われたことから始まった。
また続けて、情報教育の基盤整備について
文部省では、昭和四十年代から、コンピュータを含む教育機器全般の利用について研究を推進する観点から、教育機器研究指定校、研修用の教育機器に対する国庫補助等の施策を進めてきたが、六十年度には、コンピュータを中心とした新しい教育機器等を使用した教育方法の開発研究を促進するため教育方法開発特別設備費補助を創設し、公立の小・中・高等学校及び特殊教育諸学校へのコンピュータ等の導入に対し国庫補助を開始した。
と記しています。これを一つの論拠として、昭和60年を「コンピュータ教育元年」と称する人たちも多いのです。当時は、臨時教育審議会が設置され、情報化への対応が議論された時期でした。
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コンピュータ教育元年を根拠づける「教育方法開発特別設備補助」とは何か。
情報化の歴史を振り返る文章には「教育方法開発特別設備補助金は昭和60年度と昭和61年度に20億円ずつ確保された」云々と、さらりと書いたものが多いのですが、どうも又聞きっぽさが強く引用をためらいます。
ある程度詳しいものとして、東原義訓氏の論文(2008)が次のように書いています。
我が国の小中高等学校へのコンピュータの本格的導入は,1985年の学校教育設備整備費等補助金(教育方法開発特別設備)交付からである。1985から87年度に20億円,88年度に29億円,89年度に34億円が,コンピュータ,ワープロ,ビデオディスク,映像機器などに投資された。
教育方法開発特別設備補助とは、文部省予算項目としては学校教育設備整備費等補助金の内訳に含まれた予算だということが分かります。正式には「学校教育設備整備費等補助金(教育方法開発特別設備)」と記述するわけです。
金額を裏付けるために文部省予算を確認すべく財務省が公開している過去の予算データベースを参照しようとすると、学校教育設備整備費等補助金の総額のみが記載され、項目内訳を確認する事が困難です。
「学校教育設備整備費等補助金(教育方法開発特別設備)」の金額を知るには、当時の概算要求事項別表を参照するなど、文部科学省に問い合わせが必要になりそうです。(今後、調査予定)
–(以下20120515更新)
ところで、「学校教育設備整備費補助金(教育方法開発特別設備)」が創設された経緯とは何だったのでしょうか。当時の報道をひも解くことで分かってきます。
当時の「内外教育」の報道によれば、「学校教育設備整備費補助金(教育方法開発特別設備)」は、教材費国庫負担金廃止(一般財源化)と引き換えに計上されたとされています。(「内外教育」昭和60年1月18日号)
六十年度政府予算案編成で、義務教育の旅費、教材費約三百五十三億円を全額カットし、これを地方交付税で措置することが決まったが,その見返りとして、パソコン時代に対応した「新教育機器教育方法開発研究委託費」と「教育方法開発特別設備整備費」、さらには都道府県の指導的立場にある教職員を全国的規模の研修に参加させるための「教育研修等事業推進費」が計上された。これに充当されるのは、カットされた額の約一割、三十億円余。
昭和59年当時にも行政改革・財政再建が取り組まれており,厳しい歳出削減が求められていました。特に義務教育国庫負担金は格好の標的として常に削減の対象に上り、外堀から埋められていったのです。
「学校教育設備整備費補助金(教育方法開発特別設備)」の創設は、このような行財政の大きな動きと、ニューメディアや情報化が注目を集め強い社会的ニーズとして立ち上がっていたという背景があったのです。
コンピュータ教育元年という輝かしい第一歩ではありましたが,振り返って別の側面から見れば,教材費が一般財源化されたことによる大きな痛手を義務教育は負った出来事であったともいえます。
(2012年5月3日初出:12月21日更新前部分省略)
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「デジタル教科書」という言葉が注目を集めています。しかし、今日の文脈でこの言葉は明確な定義づけをすり抜けてバズワード化してしまっています。
一体、デジタル教科書という言葉はどのように登場したのか。少しばかり歴史を探ってみることにしましょう。
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最初の取っ掛かりとなりそうな資料として、関幸一氏が「デジタル教科書 −デジタル教科書の過去・現在・未来−」(『情報教育資料32号』20120210)という論考を書いています。関氏の論考には、このような記述があります。
「「デジタル教科書」という名称を初めて使ったのは,東京書籍の高校理科ですが,その後の光村図書出版の「国語のデジタル教科書」も有名です。」
調べると、東京書籍のデジタル教科書は2003年に発行されたとされています。一方、光村図書の「国語デジタル教科書」は2005年に発売されました。
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広く読まれている新聞紙面上では、何時登場したのでしょうか。読売新聞と朝日新聞の記事データベースで全文検索をしました。(検索したのは2012年4月17日)
デジタル教科書
【読売新聞】(27件)
20100515 読売新聞・東京夕刊:[とれんど]デジタル教科書 議論不在 論説委員・丸山伸一
【朝日新聞】(32件)
20050926 朝日新聞・夕刊:(窓・論説委員室から)デジタル教科書
いずれのデータベースも80年代後半からの記事を収録したものですが、新聞紙面に「デジタル教科書」の文字が登場するのは早くても2005年ということになっています。
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国立国会図書館の蔵書検索システムを使用して「デジタル教科書」を検索すると次のような資料が表示されます。
秦 隆司「明日⇔今日2001・春 大学のデジタル教科書」『季刊・本とコンピュータ』2001年春
アメリカの事情をレポートする記事のタイトルに使われているという記録です。記事の本文にデジタル教科書という言葉が頻繁に使われているわけではなかったですし、掲載雑誌もこの分野では有名な雑誌だったとはいえ一般向けではありませんでしたから,2001年の時点でデジタル教科書という言葉が一般的だったとはいえません。
それでも、こうした調査結果から推察するに,デジタル教科書という言葉は21世紀に入ってから使われ出した言葉と考えてもよさそうです。
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2010年に入ってから現在は、デジタル教科書という言葉はバズワード化したと指摘しました。これを〈デジタル教科書〉と括弧付きで表記したいと思います。
〈デジタル教科書〉として私たちの前に現われたのはどの時点なのか。
これは2009年12月22日に発表された「原口ビジョン」でした。
しかし、原口ビジョンで〈デジタル教科書〉という言葉が使われたのは何故か、という問いには諸説可能性があります。たとえば、なぜ「電子教科書」ではなかったのでしょうか。
一つには、政党内で「教科書のデジタル化」という言葉が使われていたため、ここから〈デジタル教科書〉という言葉が派生したという説です。
「教科書のデジタル化」は、障害のある児童生徒のための教科用特定図書を作成するため、教科書のデジタルデータを提供するように議員が働きかけていたことに関連しています。提供された教科書デジタルデータをもとにDAISY教科書などを作成するわけです。2008年に法改正が行なわれました。
もう一つは、総務省用語にありがちなネーミングによって名付けられたため、〈デジタル教科書〉という言葉になったという説です。
〈デジタル教科書〉が注目を集め始めたのは、ひとえに総務省(情報通信分野)から声が上がったからでした。つまり、教育というよりは情報通信の利活用の観点から「デジタル」議論が始まり展開しているということです。たとえば「デジタルコンテンツ政策」だとか「地上デジタルテレビ放送」といったものはよく知られています。これらと同じように名付けられたというわけです。
いずれにしても、こうした背景のもとで〈デジタル教科書〉騒動は始まり,様々なプレイヤー・アクターによって騒動が展開しているということになります。
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先の関氏の論考にはデジタル教科書という言葉以外に「e-教科書」という用語が登場しています。
「e-教科書」は、コンピュータ教育開発センター(CEC)で2003年から始まったプロジェクト「e-黒板研究会」内で使用された用語です。当時の「e-Japan戦略」というネーミングと同じ調子で名付けられたものと考えられますが,「e-教科書」「e-黒板」はいずれも定着しませんでした。
また、「電子教科書」は、比較的自然なネーミングで生まれた言葉だと思われますし、現在も何か特別な色合いを帯びた言葉ではないのですが,おそらく「電子〜」というネーミング自体が古くささを感じさせるのでしょう。電子機器を連想しやすく,デジタル教科書のソフトウェア的、コンテンツ的な側面をうまく表せないことが敬遠されている理由かも知れません。
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ご存知のように、現在では「学校教育の情報化に関する懇談会」と「教育の情報化ビジョン」によって「学習者用デジタル教科書」「指導者用デジタル教科書」という言葉が定義されました。
また、これらに対応する形で「学習者用の情報端末」と「指導者用の情報端末」という言葉も合わせて定義されています。つまり、ソフトウェア・コンテンツ部分とハードウェアの部分は分離して表記されています。
とはいえ、これらはあくまでもおおまかな定義づけをしただけであり,今後の技術進歩や利活用の形態によっても実態は変わってくると考えられます。それゆえにバズワードである〈デジタル教科書〉のままが一番使いやすいということなのかも知れません。
(2012年4月17日初出)
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【後記】20121221
2011年末には『リアルタイムレポート・デジタル教科書のゆくえ』が刊行され,〈デジタル教科書〉を取り巻く教育の情報化全体の実情を理解する良書として読まれています。
2012年末には『ほんとうにいいの?デジタル教科書』というブックレットが刊行され、〈デジタル教科書〉に関する素朴な疑問を突き詰めて問うていますが,問題提起から先は曖昧さを残したままです。
〈デジタル教科書〉の界隈では,「標準化」を中心キーワードとして作業が進められているようですが、指導者用と学習者用それぞれの〈デジタル教科書〉が何を含んだものであるのかといった線引きについて,一部の関係者の人々と世間一般の人々との間では,意見交換や調整が全く行なわれていないというのが実態です。
そのため,先のブックレットのように人々の漠然とした理解や誤解を捉えた過激な空中戦でしか論じられないところが苦しいところです。
ここでは,漠然としたイメージで語られるデジタル教科書を括弧付で〈デジタル教科書〉と表記していたわけですが,早くこの括弧を取れるように,デジタル教科書のイメージや論点を共有し,建設的な議論を積み重ねられたらと思います。
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「教育情報化の歴史のシミ」シリーズは,Facebookページ「教育情報化の後先」で掲載されたコラムです。こちらのブログにも再録しておきます。
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