コンピュテーショナル・シンキングについて

今回は「プログラミング教育」「プログラミング的思考」「コンピュテーショナル・シンキング」に遡るお話。

平成29年度告示予定の学習指導要領で,小学校は総則において「児童がプログラミングを体験しながら,コンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考力を身に付けるための学習活動」を各教科等の特質に応じて計画的に実施することが盛り込まれました。

遡ると,中央教育審議会の答申の「情報活用能力とは、世の中の様々な事象を情報とその結び付きとして捉えて把握し、情報及び情報技術を適切かつ効果的に活用して、問題を発見・解決したり自分の考えを形成したりしていくために必要な資質・能力のことである。」(37頁)という記述に対する補足説明で,これには「プログラミング的思考」も含まれると明記されたからです。

さらに遡ると,「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」の「議論の取りまとめ」には,プログラミング的思考に対しての補足説明で「いわゆる「コンピュテーショナル・シンキング」の考え方を踏まえつつ、プログラミングと論理的思考との関係を整理しながら提言された定義である。」と書いてあります。

というわけで,そもそもの出発点である「コンピュテーショナル・シンキング」(computational thinking)って何?ということになるわけです。

今回は定義に関する議論はひとまず置いといて,言葉の出所を見てみたいと思います。

英語版Wikipediaの項目には,1980年頃にシーモア・パパート氏が初めて使ったなどと解説されています。

しかし,「コンピュテーショナル・シンキング」が注目を集めるようになったきっかけはJeannette M. Wing氏が書いたマニフェスト的論文「Computational Thinking」が2006年に掲載されてからだとされています。

このWing氏の英語論文と,日本の「情報処理」誌(情報処理学会)に掲載された日本語翻訳版がインターネットで公開されています。

論文「Computational Thinking」
http://www.cs.cmu.edu/afs/cs/usr/wing/www/publications/Wing06.pdf

翻訳「計算論的思考」
https://www.cs.cmu.edu/afs/cs/usr/wing/www/ct-japanese.pdf

ちなみに「Computational Thinking」の日本語訳は「計算論的思考」。

もしもプログラミング教育が行なわれることになった背景について議論をするのであれば,この論文を一読することは大事なことです。

さて,ここで余計な手出しをするのがりん研究室の悪い癖。

せっかく翻訳していただいた日本語版ですが,柔らかいものしか読めなくなってしまった私には,一読してもすっと内容が入ってこないのです。

[追記:「情報処理」誌のご意見アンケートにも「■翻訳の表現が硬く,この記事が掲載されている意義がつかみとれませんでした.(匿名希望)」とあった…う〜む]

それだけ私が情報処理分野に疎いということなのだと思うのですが,一方で,もっと一般の人が読みやすい文体に直してもよいのではないかと思ったのです。

コンピュテーショナル・シンキングとは,ごくごく一般の人々も持つべき基礎的能力であるとWing氏は主張しています。であれば,一般の人に読んでもらうことを意識した翻訳バージョンがあってもよいのではないかと思いました。

そしてその主張について様々な講演や解説をしているWing氏の動画を拝見したところ,彼女自身はとても明るくて優しい感じの方で,なのにとてもエネルギッシュかつ分かりやすく内容を伝えようとしている姿が印象に残りました。丁寧に説得するような文体の方が,ご本人の雰囲気にも合っているのではないかと思えたのです。

というわけで,諸々の失礼や課題の件はあとで考えるとして,とにかくコンピュテーショナル・シンキングに関する主要論文を読んでもらいやすい形にしよう。学習用として翻訳し直そうと取り組んだのが次のものです。

学習用翻訳「計算論的思考」 
https://ict.edufolder.jp/archives/1278

訳が十分こなれているとは言えませんし,内容に関して誤解している個所もあるかと思います。いろいろフィードバックをいただければと思いますが,とにかくいろんな人に読んでいただきたいので,拙い翻訳を紹介させていただきました。

追記

学習用翻訳「計算論的思考, 10年後」
https://ict.edufolder.jp/archives/1286

いま「デジタル教科書」を議論すること

今年初の東京出張です。

がけいただいたこともあって、出かけました。参加したのは日本教育メディア学会が主催するワークショップデジタル教科書のメリット・デメリットを考える」でした。

率直に書けば、残念な気分になったというのが感想。

議論された内容に関しては、目新しいものはありませんでした。そうであれば、テーマ設定や議論の切り口を工夫することになりますが、そうした面も面白味があったとはいえませんでした。

つまり、素材は悪くなかったけれど、美味しい料理にはなってなかったわけです。あとは、なぜそうなってしまったかというメタ的な分析の対象として楽しむほかになかったということになります。

このタイミングに「デジタル教科書」を議論する意義は何なのか。日本教育メディア学会という学会が企画することの目的は何なのか。議論展開の目標は何なのか。

本来は議論を掛け合わせていく中で、こうした諸々を再発見して再定義できれば議論自体は面白くなっていくのですが、それぞれのご意見を拝聴してキレイに並べただけだと、モヤッとしたままになって「で、今日は何がしたかったの?」ということになりがちです。それなら、それぞれの登壇者の著作やインタビュー記事を読んだ方がまとまっていますから。

もちろん、キレイに整理するのが大事な場合もテーマ設定によってはあり得ます。つまりイントロダクションが必要なテーマの場合で、ディスカッションの目的もそうした入門的位置づけの場合です。しかし、そうであれば、そういう人選をすることや、議論展開もそういう風にアレンジしていくべきです。

しかし、残念ながら今回の企画はテーマと人選とファシリテートがちぐはぐで、正直なところフラストレーションの溜まるものでした。その証拠は、たびたび議論がデジタル教科書ではないところで展開したまま、それをデジタル教科書の議論として接合していく動きが乏しかったことからも伺えます。

もっとはっきり申し上げれば、今回のテーマに関して、このテーマ設定内容と人選であれば、本来は東京まで来て参加しなかっただろうと思います。

そもそも「デジタル教科書」自体がアウトデーテッド(今さら)なこと。乱暴にいえば、文科省の検討会議や各種審議会で面白くもない方向で決着がついた話です。扱うならそれなりに面白い論点に味付けする必要がありますが「デジタル教科書のメリット・デメリットを考える」では弱すぎます。

人選も不思議なものです。

新井紀子先生は確かにデジタル教科書懐疑派としてメディアに顔を出されていた方ですが、新井先生自身の関心はすでに東ロボくんやその次に移っていて、新井先生をデジタル教科書議論に呼び寄せること自体はかなり注意して戦略的に対応しないと、新井先生自身の関心にすぐ持って行かれてしまいます。そのことを分かっていたのかどうか、分かっていたとしても、今回は新井先生を上手に活かせませんでした。

石戸奈々子先生はデジタル教科書教材協議会(DiTT)の関係者であり、メディアにもデジタル教科書推進派として登場したことがある人ですが、やはりそれだけの人ではなくて、今回も「慶應義塾大学」と「NPO法人CANVAS」の関係者として登壇していることから分かるように、それほどデジタル教科書一辺倒な人ではありません。ご自身も「私、ここでは推進派にされちゃってますけど」と自分の立場の設定に不満を漏らすくだりが持ちネタになっていて、今回もその言葉が出てきました。だから、石戸先生を呼びたいときはそのネタを封じ込めるところから議論を始めないとご本人の本当によいところを引き出せないで呼んだだけになりがちです。

学会会員である小笠原善康先生や山本朋弘先生は、それぞれの専門的知見からデジタル教科書を論じることができる方々ですが、逆に言うと新井先生、石戸先生というゲストとどう絡ませるか次第ということになります。小笠原先生は長いご経験から蓄積された歴史的な観点でデジタル教科書を論じられますし、山本先生は現場での取り組みについての知見とデータ分析経験からデジタル教科書の学校でのあり方を論じられる人のはずです。今回もそれぞれのプレゼンではそうした内容を話されていました。

中橋雄先生はメディアリテラシー研究界のエースの1人でNHKなどでも仕事をされ活躍しています。研究における冷静沈着な姿勢は大変高い評価を受けていて、人柄も優しくチャーミングというか紳士的な方です。今回も個性豊かな登壇者やフロアの意見を忍耐強く傾聴して、上手にまとめられていました。もしもこれがイントロダクションを目的にしたディスカッションやイベントであれば、理想的な司会進行だったと思います。ただ、私は、今回のディスカッションはそうであるべきではなかったと考える派です。もっと中橋先生は登壇者とフロアに対して打って出ていくべきでした。

総じて、今回はテーマ設定と人選と議論のファシリテートがちぐはぐであったという結論に達することになります。

他にもこの手の催事はあるでしょうし、今回だけを取り立てて言及するのはフェアじゃないのだと思います。それに、この企画に関して、私自身も無関係ではなく、たぶんこの文章はやっかみで書いていると思われても仕方ない部分もあります。えぇ、そうですとも、私を登壇者か司会者に呼ばなかったことを少し恨んでもいます(半分は本音ですが、半分は冗談です。念のため)。

ただ、それにしても、素材はよかったというのに上手く料理できなかったことはもったいなかったなと素直に思います。私が関わったら、料理にもならなかったでしょうけど。

いずれにしても、関係者の皆さんと参加者の皆様お疲れ様でした。次回はもっと面白い議論が聞けることを祈って。

360度撮影カメラの新顔

りん研究室でも注目している360度撮影カメラ。 私たち一般の人間でも手に入るものとしては,リコー社THETAシリーズGiroptic社360camハコスコ社販売代理Insta360 nanoなどが出ていました。

一方,VR(バーチャルリアリティ)技術を視聴するヘッドマウントディスプレイ(HMD)という機器が有名ゲーム機の周辺機器として登場することで,360度映像自体への関心も高まりつつあります。

「撮影」と「視聴」に用いる機器がそれぞれに発展しようとしているわけです。そして360度映像の撮影カメラも,さらにいくつかの新顔が登場しています。

Nikon社 KeyMission 360

老舗カメラメーカーのNikon社が手がけた360度アクションカム。価格帯が6万円強のため,他の比較すると入手の敷居は高く,同社として初めての部類の製品のためか改善の余地が多い様子。

Arashi Vision社 Insta360 Air

従来のInsta360 nanoがiPhoneのLightningコネクタに直接差すことができるタイプの製品だったのに対して,マイクロUSBコネクタ対応でAndroidスマホだけではなくパソコンにも接続できるようにした製品。

Giroptic社 Giroptic iO

従来の360camがSDカードやWiFiで端末に映像を転送するタイプの製品だったのに対して,iPhoneやiPadのLightningコネクタに差して使用することができるように開発した製品。Insta360 nanoの対抗商品。

リコー社 RICOH R Development Kit

THETAシリーズとは別系統で,米国CESで発表されたデバイス。まだ発売されておらず,開発者向けのものが先行公開されるとの情報(一般でも購入できそうな様子)。360度映像のストリーミング配信(ネット中継)を主な使途として想定していて,THETA Sと違いスティッチング処理をカメラ自身で行なうようになっています。HDMI出力はできるものの配信処理は別途デバイスが必要。

Arashi Vision社 Insta360 Pro

こちらも米国CESの合わせて発表されたもののようです。もはやプロ用。8Kという解像度で360度撮影できるようです。360度撮影カメラは解像度の高いものが少なく,高ければそれだけ映像処理の負担が増えるため機器のコストも高くなってしまいます。とはいえ,VR市場の拡大が期待され,品質の良いVRコンテンツの需要が高まることは必至ですから,8Kレベルの撮影ができるカメラもどんどん登場すると思います。

以上,各社からいろんなアプローチの製品が登場しています。価格や性能なども様々で,ジャンルとしては切磋琢磨が始まった段階です。過度な期待は保留した上で,可能性を育てていくことが大事だと思います。

学校教育の現場では,タブレット端末を「大きなデジタル」として利用する基礎的な利用方法がありますが,360度撮影カメラもその一環に組み入れて,学校周辺や社会見学先等の様子を記録する用途で活用ノウハウを溜めていくこと,そしてその用途でさらに必要と思われる機能をフィードバックしてメーカー各社に要請していくことが大事になると思います。

(追記20170106:Insta360 Proを追加しました。)

(修正20170107:リコー社の製品名を正しました。)

20160108 滋賀県近江八幡市ICT整備検討会議

 文部科学省「ICT活用教育アドバイザー派遣事業」の派遣業務の一環で滋賀県の近江八幡市を担当しています。2回目の検討会議がありましたので出席しました。

 前回は教育の情報化に関する動向全般や学校にICT整備をするにあたって考えなければならないことなどを雑多にお話したようなところがありました。どうしても機器導入が目立ってしまうことと,導入成果について学力向上(特に試験成績)の結果を求められるため,そうした論点が気にされがちです。そのようなことももちろん,もう少し「何を目指したいか」というところでイメージを具体化することの重要性をアドバイスしたところでした。

 今回は,同じ調子で時間を消費しないように,実際の機材をいろいろ持って行って,持ち込んだもので環境を構築する一部始終を見ていただきながら話を進めてみようと考えました。目指すイメージの具体化がある一方で,そうはいっても機器の一つ一つを整備する時の細かな配慮も欠かせないわけです。機器や部品などその配置や配線など意識していただき,実際のアプリやWebサイトなどを見ていく中で検討しようというもくろみでした。

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 実際に機材を運ぶのは大変でしたし,その場で構築するというのは結構難しい部分もありました。あらかじめ完成形を想定して持ち込んだものの,改めて持ち込んだ端末全部に無線LANルーターの接続設定をするのはその場ではできませんでしたし,新しく購入した機器でドライバが無いと動かなかったものもあったりで,要するにスムーズにいくまでが大変という事態を「そのまま」見ていただくことはできたように思います。

 それでも,こうした液晶プロジェクタを設置できましたし,インターネットに接続してサイトを見たり,動画を見ることができました。この日は教育委員の皆さんも出席していただきましたが,話だけではなかったところで,理解していただけた部分も少しはあったかなと思います。

 その日は,現地宿泊して翌日は自分一人で市内を散策していました。派遣は次回が最後となりますが,また違って議論ができるといいなと思います。

待望の大きなiPad

 2015年11月11日にiPad Proのオンライン販売が開始されました。画面サイズが大きくなり,ペンや本体カバーなるキーボードのオプション品が用意されるなどが話題となっている製品です。

 私は,手書きでノートを取ったり,原稿の朱入れ作業をする仕事があるので,大画面とペン入力を切望していた人間です。iPad Proの登場を心待ちにしていましたから,迷うことなく購入しました。

 2010年にiPadが発売されてからずっと,板型のタブレット端末はノートパソコンやタブレットPCを置き換えることができるのか,そもそも学習活動に使えるのかといった問いが繰り返し投げ掛けられ議論されてきました。デジタル教科書やタブレット対応した授業支援アプリやシステムなども,そのような議論と並行して開発されてきました。

 正直なところ,技術と価格という変数が大きく揺れ動く中で問いに答えようとするのは無茶な話です。個々の目的と予算に応じて満足に目標達成できるかどうかを適宜判断していくしかありません。

 それでも,iPadは議論するに足るタブレット端末です。

 私たちがパソコンで求めていたものと異なる価値観にもとづいて構築された機器であり,「パソコン」と「タブレット」という対比から,私たちが情報機器や情報技術に求めていたものを考え直すきっかけを与えてくれた歴史的な端末といっても過言ではないと思います。その意味では,極めて教育的な端末であると受け止めています。

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 さて,大きなiPadである「iPad Pro」ですが,この大きさにはやはり意味があると感じます。

 初代から続く9.7インチの画面サイズは,とても絶妙なサイズでした。それは「小さくもなく大きくもない」という意味での絶妙さでした。しばらく一種類でしか販売されなかったiPadのサイズとして,そのサイズ選択は大変有効でした。

 しかし,それは中途半端なサイズと言い換えることもできます。

 9.7インチのiPadが手に余る人もいました。小柄な人たちや持ち運ぶ荷物を小さくまとめたい人たちなどは9.7インチiPadは「小さくもなく」大きかったのでしょう。そこでようやく登場したのが「iPad mini」(7.9インチ)でした。その後はiPhone 6 Plusという端末が登場して,iPad miniが中途半端だという人も出てきますが,小型iPadとしては現在も好評を博しています。

 一方,9.7インチのiPadでは画面が狭いと感じていた人もいました。電子書籍を見開き表示で読みたい人や画面の上で何かしたい人には「大きくもない」ために中途半端な印象がぬぐえなかったと思います。

 そこに向けて登場したのが今回の「iPad Pro」(12.9インチ)だと考えれば,その大きさには価値があります。12.9インチはA4判文書の(余白を除いた)内容部分を等倍表示できるだけの大きさがあります。つまり私たちがよく知るサイズの「紙」に画面の大きさが近づいたということです。

 ここにApple Pencilというオプション品が加わって,書き込む行為がある程度満足できるレベルで達成されるのであれば,原稿の朱入れ作業をしたいというニーズには十分役立ちます。それと同じ理由で,ノートを取る,メモ書きするといった用途にも実用的であるかも知れません。

 また,かつてのワープロ専用機のように使うニーズもあるかも知れません。

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 これは手持ちのApple Wireless Keyboard(すでにモデルチェンジしてMagic Keyboardという製品になっています)を組み合わせた場合の写真です。本来であれば純正のスマートキーボードを合わせて購入して使うのがよいのでしょうが,私はこのキーボードを愛用しているので,この形で使う予定です。こうするとiPad Proを縦置きすることができるので,縦のA4判文書を作成するのにも都合が良いのです。(ただ困ったことに,iOS 9の日本語入力環境が賢くなった一方で機能的には後退してしまったところがあるため,この方法で利用する際には多少満足度が低いです。)

 いずれにしても,板型のタブレット端末として登場したiPadには,そのシンプルな形状ゆえに様々な期待がかけられ,一方でiOSというプラットフォームが向いているシンプルな設計思想が様々な制限をもたらしているという現実が,iPadという端末の評価を難しくしているのも事実です。

 少なくともiPad Proの登場によってiOS端末としてのiPadは,また次のステージを登り始めたわけで,前進もすれば後退もするプラットフォームとは今後も,目的と予算に応じて適宜判断しながら付き合う他ないように思います。